第11話 広すぎる迷宮
翌朝。
屋敷の食堂では、静かな戦いが再び始まっていた。
鉄板皿の上で肉がじゅうじゅうと音を立てている。
昨夜ダンジョンで持ち帰ったグラウンドボアの肉を使ったステーキだ。
焼けた脂の匂いが食堂いっぱいに広がり、朝だというのに妙に腹が減る。
そして――それが恐ろしい勢いで消えていく。
「……やはり雇うべきか躊躇うな」
俺は遠い目で呟いた。
食卓の向こうで、クレーネが淡々と肉を口へ運んでいる。
まるで仕事のように食う。いや、今後のことを考えると実際仕事なのかもしれないが。
無駄な動きは一切ない。皿が空く。次の皿が来る。空く。次が来る。
見ていて妙な感心すら覚える食いっぷりだった。
ロロが苦笑しながら追加の皿を置いた。
「でも、昨日の戦いを見る限りすごい戦力だよ?」
「そうなんだよな……」
そこが悩ましい。
大食い。無口。常識が少し怪しい。だが弓の腕は本物。
しかもワイバーンの目を射抜く化け物だ。
ルシアが椅子の上でふんぞり返りながら言う。
「迷う必要などあるまい。強い、食う、よいことではないか」
「その理屈で納得できるほど食費に余裕がある家に見えるか?」
「見えぬ」
「即答するな」
クレーネが肉を飲み込み、顔を上げた。
「昨日言った。ご飯あるなら働く」
新緑の瞳がまっすぐこちらを見る。
駆け引きのない、真っ直ぐな目だ。
腹の底から飯しか見えていないとも言うが、少なくとも嘘はつかなそうだった。
「今日は何を狩ればいい?」
狩る前提なんだな。
俺は咳払いを一つした。
「よし。正式に頼む」
ロロが少し目を丸くする。
ルシアは面白そうに口元を緩めた。
「うちで働いてもらう。食事と寝床は保証する。その代わり、ダンジョン探索と戦闘を手伝ってほしい」
クレーネは少しだけ考え、頷いた。
「わかった」
「報酬は……今は大して出せないが」
「ご飯」
「はい?」
「報酬、ご飯」
即答だった。
ロロが吹き出す。
ルシアは愉快そうに肩を揺らした。
「ちょろいのう」
「お前は黙ってろ」
まあいい。
これで戦力は増えた。
「じゃあ、さっそく今日も潜るか」
「食材確保?」
「それもある」
俺は頷いた。
「食うだけ食って終わりじゃ困るからな。働いてもらうぞ、凄腕弓使い」
クレーネは小さく頷いた。
「ん」
◇
その日から、俺たちは毎日少しずつダンジョンへ潜るようになった。
朝は領地の視察と畑仕事。
昼から夕方にかけて探索。
戻れば泥と血の付いた素材を整理し、武具の具合を確かめる。
夜になれば帳簿とギルド構想だ。
貧乏領主に休みはない。
領主なんて楽だと言ったやつは、全力で殴っていいと思う。
いや、殴る前に一週間だけこの生活を体験させたい。
だが、その積み重ねで分かったことがある。
ダンジョンは――広すぎる。
「また分かれ道か……」
俺は額の汗を拭った。
石造りの通路は三つに分かれている。
しかも、その先も似たような暗い通路が延びている。
壁も床も天井もどこか均質で、目印になるものが少ない。
少し油断すると、自分たちがどこを歩いているのか分からなくなりそうだった。
後ろでルシアが地図板に印をつけていた。
「昨日は左。今日は真ん中じゃな」
「その前は右だったな」
「右の先でもまた二つに分かれてたよ」
ロロが困った顔をする。
地図板は、もう線だらけだった。
それでも迷宮の形はまだ見えてこない。
埋まっていくのは達成感より、途方もなさのほうだった。
クレーネが拾った肉塊を見ている。
「脂、多い」
「食材評価助かるな」
「焼くと美味しい」
「そこまで具体的な感想はいらない」
ルシアが腕を組んだ。
「何を唸っておる」
「いや」
俺は地図板を見る。
「この迷宮、広すぎる」
ルシアはあっさり言った。
「まだまだ下があるぞ」
「知ってたけど聞きたくなかった情報だな!?」
思わず叫ぶ。
ロロが顔を引きつらせた。
「まだ下あるの?」
「ある。第一層は序の口じゃ」
俺は三つの分かれ道を見る。
この第一層だけでも、全体が見えない。
先へ進んでも進んでも、また横へ、また下へと道が増える。
終わりが見えないというのは、想像以上に気力を削る。
「これ一つ攻略するだけでも相当かかるぞ……」
クレーネが言った。
「四人だと遅い」
事実だった。
だからこそギルドが必要だ。
俺一人ではどうにもならない。
だが――
胸の奥に不安が広がる。
七つ。
世界に散らばる七つのダンジョン。
入口も場所も分からない。
人類は存在すら認知していない。
それを五年で?
「……無理じゃないか?」
思わず呟いた。
ロロが顔を上げる。
クレーネもこちらを見る。
ルシアだけが静かだった。
「このダンジョン一つですら踏破できる気がしない」
地図板を叩く。
「人を集めてギルドを作ってもだ。世界中のダンジョンを探して攻略する。五年で? 本当に間に合うのか?」
勢いでここまで来た。
ダンジョンを見つけ。
武具を作り。
商人を巻き込み。
だが今、初めて実感する。
勢いだけでは越えられない壁がある。
目の前の迷宮一つでこれだ。世界の果てまで含めた話になれば、途方もなさはもう笑えない。
静かな空気の中で、ルシアが言った。
「まずはこのダンジョンを攻略せよ」
「……それでどうにかなるのか?」
「なる」
迷いのない声だった。
「この地の概念核を取り戻せば、状況は一変する」
「一変?」
ルシアは迷宮の奥を見た。
「今のおぬしらは、森で出口を探しておるようなものじゃ。じゃが地の概念核を取り戻せば景色が変わる」
「また意味深な言い方を」
「まだ言えぬこともある」
ルシアは肩をすくめた。
「じゃが一つだけ確かじゃ。この迷宮は、ただの一つ目ではない」
背筋が少し粟立つ。
「このダンジョンが鍵か」
「そうじゃ」
俺はしばらく黙った。
鍵。
この迷宮が、他の六つへ繋がる。
なら――
やることは変わらない。
「……よし」
俺は壁から背を離した。
「戻ったらギルドの形を詰める」
ロロが笑う。
「うん」
クレーネが肉塊を抱えた。
「人増える。ご飯増える」
「動機がぶれないな」
思わず笑った。
だが、そのぶれなさに少し救われたのも事実だった。
こっちが世界だ五年だと勝手に気負っていても、飯のために戦うやつはちゃんと前へ進む。
「せめて今日の地図は埋めるぞ」
「了解」
「ん」
「うむ」
俺たちは再び迷宮の奥へ進んだ。
◇
屋敷へ戻る頃には夕暮れだった。
食堂のテーブルには今日の戦利品。
魔石。
牙。
肉塊。
鉱石。
毎日少しずつだが、確かに増えている。
派手な前進ではない。だが、積み重ねが形になっているのは分かった。
ロロがそれを磨きながら言う。
「毎日ちゃんと増えてるね」
「ああ」
俺は紙を引き寄せた。
書きかけの紙。
ハンター登録
武具販売
素材買い取り
ハンター階級
骨組みは見えてきた。
まだ穴だらけだが、机上の空論だけではなくなってきている。
「ロロ」
「なに?」
「紙、節約して使ってくれ」
「また書くの?」
「ギルドの規約」
ロロが笑った。
「うん」
クレーネが聞く。
「ぎるど、作る?」
「ああ」
俺は頷いた。
「本気で作る」
ルシアが目を細める。
「ようやく腹が括れたか?」
「最初から括ってる。ただ迷宮が思ったより頭おかしかっただけだ」
「それは否定せぬな」
俺は羽根ペンを走らせた。
紙の上に新しい一行を書く。
――ヴァーミリオン領ハンターギルド設立案
暖炉の火が静かに揺れていた。
まずは、このダンジョンだ。
すべてはそこから始まる。




