1-8.キレろ!ドラゴン
あてがわれたのは客人としての部屋か、それとも側室として扱うためのものだったか。きっと後者だろうなとカナタは独りごちた。
なにしろ装飾がいやに凝っている。数日滞在した街の宿屋とはかなり違う。ここの家具ひとつで、あの宿の代金が何日分になるだろう。きっと聞き分けの悪い女性をひとまず王族の財力で窘める、そういう部屋に違いない。
このベッドも演出のひとつなんだろう。少女は数人が楽に眠れそうな広すぎる寝台に座りつつ、ぼんやりと考える。眼鏡のフレームの向こうで、目元は赤くはれていた。
「食事も結構だ。宴だろうが晩餐会だろうが、なんであれ構うな。用があればこっちから呼び出す。それくらいの融通は効かせろ……!」
ドアの方でノーマッドが語気も荒く告げている。相手は案内役の衛兵。一気にまくし立ててから、返事を待たずぴしゃりと閉じた。
「うんざりだな。盗聴されてると思うか?」
『魔法とやらがどこまで汎用的か不明ですが、おそらく。あの性格からして、なんらかの監視措置を用意していても不思議はありません』
「ああ。防諜フィールド、使うぞ」
ノーマッドのスーツより不可視のエネルギー波が広がる。瞬く間に室内を包んだそれが体を通り抜けた瞬間、カナタはふと耳に違和感を覚えた。物音がやや鈍く聞こえる。
「なんですか……?」
「監視対策の妨害システム。こっちと向こうの音をフィールドで遮断し、外に漏れないようにする。魔法相手にどこまで効果的か、わからんが」
気休めだな、と。少し自嘲的に付け足した彼は、ようやくヘルメットを外した。疲れきった面差しはやはりと言うべきか。
「隣、いいか?」
「……はい」
二人分の圧力にベッドが少し軋んだ。
「散々だったな」
「……ごめんなさい」
無意識に口をついて出た言葉だった。
「なんで謝る」
「他に、なんていうか……言葉がわかんなくて。お二人を巻き込んだのも、事実だし」
「巻き込まれた、とは思ってないんだけどな」
ノーマッドが肩を竦める。
すると、
『そもそも暇ですからね。こんな僻地に立ち寄るくらい』
「もうちょっと言い方がな、どうにかなったんじゃないか?」
『見栄より甲斐性を優先してくださいよ。場の空気を和ませるとか』
「まず手本から見せてくれ」
『ご覧の通りです。和んだでしょう?』
自信たっぷりの相棒に言われ、ノーマッドの眉間にシワが寄った。抑揚に欠けるせいで全て真面目な意見に聞こえてしまうのが、彼の思うアルファの欠点だ。
果たして和んだのだろうか。いや、案外そうかもしれない。
「……ありがとう」
ぽつりと呟いたカナタはまだやるせなさの影こそ背負いながらも、口元が静かに綻んでいた。
「殴り込みでも行くか?」
しばらくの沈黙を挟んでノーマッドは言う。
「あはは、興味ないわけじゃないけど……やめときます」
「気兼ねしなくていいくらいの仕打ちは、受けてるように思うぞ」
「まあ、そうなんですけど……なんでだろ。いろいろありすぎちゃったせいかな。気持ちが、そっちに向かない感じで。さっき我慢したせいかも」
何もかもが嘘だった。本当なら怒鳴りたかったし、泣き叫びたかった。けれどもあの王の前でそうした顔を見せるのは、負けを認める気がしたのだ。
込み上げる感情を無理やり押し込み、喉元をすぎたあとで残ったのは下腹あたりにわだかまる異物感と不快感。
泣きたいのに泣けない。怒りたいのに怒れない。
吐き出すタイミングを逸した毒が、胃酸に溶けてじわり染み込んでゆく。
そんな痛みをきっと無意識に誤魔化そうとしたのだろう。カナタの顔には途方に暮れた苦笑いが貼りついていた。
「小さい頃、お姫様に憧れてたんです。ほら、キラキラで可愛くて……女の子って、そういうのよくある話じゃないですか」
「そうだな」
「だからある意味、その夢が叶ったのかも。一応、お姫様ですよ。なろうと思ってなれるものじゃ、ないんですから。ホントのこと言えば、私、最近は親とも上手くいってなくて。だから帰れても家出したとかしてないとか、ずっと喧嘩になってただろうし」
「……そうだな」
同じ相槌。けれど語調は異なる。僅かばかり眉をひそめたノーマッドは、じっと少女の言葉に耳を傾けていた。
「難しい言葉、よくわからないんですけど……寵姫、って。やっぱり、そういう意味ですよね」
「ああ」
王は子を云々とまで言い放ったのだ。文脈からして誤解のしようがない。
「変な感じ」
くたびれた笑みの少女は続ける。
「今まで彼氏も出来たことないんですよ? なのにいきなり……いきなり……」
一度、カナタの囁きはそこで途切れた。受け入れられる口実が途絶え、話すべき言葉が消え。
やがて数秒を挟み、
「……お二人はどうするんです? このあとは」
「いつも通りさ。地球を探して、日銭稼いで。そういう浮草だ」
『やっぱり暇人じゃないですか』
「お前は黙ってろ」
しれっと付け足すアルファに、ぴしゃりと切り返すノーマッド。
片方が同郷だから、というだけではなかった。やはり彼らと共にいる空気は心地良い。たとえば今が失敗だとしても、深刻になりすぎず次を目指せる。
心を軽くしてくれる居心地のよさ。
「やっぱり、ごめんなさい。結局、帰り道にはなれなくて」
「いいさ。おかげで友達が出来た。そうだろ?」
「……はい。あのっ」
ほんの一瞬だけそれでもカナタは踏み止まろうとした。彼らではなく自分のこれからを想像し、途端に覆いかぶさってきた不安の波に理性を見失いながら、それでも堪えようとした。
だが間に合わない。彼女はもう切り出してしまっていた。
「どうせ、なら……! どうせなら、私……私、そういうの、ホントに……わからなくて。悔しくて。だからいっそ、ノーマッドさんが初めてだったら――」
「カナタ」
「……!」
シーツの表面を這うように。男の手へ伸びしていた繊手が、びくりと動きを止める。
「その先は言わないでくれ。頼む」
「……っ、そう、ですよね! 私なんかじゃ、全然釣り合わないっていうか……あ、あははっ! こういうこと言えちゃう辺り、私、意外とそういう才能あったりして……」
「そういう意味で言ったんじゃない。わかってるだろ?」
静かな口調に遮られた途端、カナタは強烈な吐き気に苛まれた。
勢いに任せて何を押しつけていたのか。羞恥心と自己嫌悪と、最早なんなのか判別できないドス黒い感情に、ただただ奥歯を噛み締める。
「……ごめんなさい。私……私は、こんなんじゃ……ない、のに。……ごめんなさい」
何度繰り返したかわからない一言を、また呟くのが彼女の精一杯だ。
『ハッキリさせたらどうです?』
と、アルファが言う。
『悩むだけでは変わりませんよ』
「ですよ、ね。うん、本当……わかってはいるのに」
『いえ、カナタ。あなたじゃないんです』
「え?」
視線は自ずと隣の男に注がれた。じっと項垂れ、何事かを黙考する宇宙飛行士へ。
『これで案外、くだらないことで二の足を踏むタイプですからね。そうでしょう、ノーマッド?』
「……リスク計算だ」
低く唸るようにして彼は応じる。
「今以上の環境に放り込む、そういう話にもなるだろ。おれは慣れたさ。けどそいつは訓練だとか経験だとかいう前提条件があったからだ。身ひとつで連れ込まれてどうなるか……」
『順応は知的生物の常です。この意味ではあなたと何ら変わりない』
「だとしても個体差はあるんだよ。おれはたまたま靴のサイズが合っただけの話だ」
なにやら小難しい応酬が続く。突然の議論に、むろんカナタは置いてけぼりをくらう。
「あの、二人ともなんの話を……?」
『もう済みます。――そうですね?』
問われた男はあくまで憮然と言い募りかけた。
「勝手なことを……」
『ノーマッド』
今までより語気を強めたアルファに、ついに宇宙飛行士が閉口する。
『重要なのは安全ではないでしょう? 生き方に納得できるか否か。強いられた環境か、選んだ道行きか。正しい感情論は時として理屈に勝る回答を導きます。どのみち、あなたが気を回す部分ではないのですし』
「……はぁー、わかった。お前の言う通りだよ」
うんざり気味のため息は果たしてアルファに向けたものか、それとも彼自身だったか。
「カナタ、ちょっと立ってみろ。気晴らしだ」
自らも立ち上がりつつカナタを促した。
「え? 気晴らし……え?」
「まあ聞いとけ。ミット打ち、わかるか?」
「え、ええっと……ボクシングの?」
なんとなくのイメージで答えた少女である。むろんやったことなどない。
するとノーマッドは両手を広げてみせ、
「ストレス解消には一番いい。試してみろ」
「へ? い、今ですか?」
「今じゃなきゃいつやるんだ? ほら来い」
いつになく強引な物腰。もっとも無理強いでなく勢いで乗せてくるイメージだ。カナタは思わず悲壮感さえ薄らいでしまった。
「え、っとぉ……こ、こう?」
ぽすっ、と。突き出した右手がノーマッドの手のひらに受け止められる。威力など全くない遠慮しきりな拳だ。
「おぉい、本気でやったらおれが倒れると思うのか?」
「絶対ないですね」
「じゃあ手加減しなくていいってことだ。来い」
「は、はあ。……んっ!」
二度目の打撃。今度は多少マシな音が出る。
しかしなんとなく上手くいかない。無理もないが。こうして拳を当てるなど初めてのことで、体重の乗せ方すらわからないのだから。
「重心を落としてみろ」
首尾よく察したノーマッドが、軽くレクチャーを挟んだ。
「って言われても……ど、どうやって?」
「利き足を半歩前に出して、膝を屈めてみろ。自分の体の中で、足が一番重くなったイメージだ」
「足が重く……こ、こうですか?」
ぼんやり安定した気がする。体幹など意識したことがないカナタには、これだけで新鮮な体験。
「いいぞ。そのまま、拳を胸の前で構えてまっすぐに突き出す。まっすぐだ、振り回すわけじゃない。下半身に溜まってた重量が拳に集まってぶつかる感覚で」
「拳に重さが……ふっ! うわっ」
三発目。今度こそ打撃と呼べる手応えがあった。手に衝撃が乗る感覚。思わず繰り出したカナタの方こそ驚いてしまう。
「いい感じじゃないか! よし、もう一発」
言われるまま、カナタはノーマッドの手のひらにパンチを叩き込んだ。一発、二発、三発……。
風切り音など聞こえやしない拙い打撃。たまに狙いが逸れたら、ノーマッドの方が調整して受け止めてくれた。
そんな風にして五発も打ち続け、少女の息も上がってきた頃。
「いいぞ。そろそろ次のステップだ。声出しだな」
「声? って、あれですか? シュッシュッ、みたいにやる感じの」
「お前がプロボクサー目指すんなら、それもいいな。けど今回は違う。ふざけんな、って叫んでみろ」
「ふざ……え?」
半ばまで聞き返したカナタを穏やかな笑みが出迎える。
「ふざけんな、だ。言いながら打ってみろ」
「な、なんでぇ?」
間抜けな声が出た。
「嫌なら別の単語でもいいぞ。くたばれ、とか。クソくらえ、とか。死にさらせ、なんてのもあるな」
「罵倒ばっかすらすら挙げないでくださいよ。……じゃなくて!」
「言ったろ。ストレス解消だ」
あっさり言いくるめられる。
「で、でもほら、あんまり騒ぐと……」
「防音してるの忘れたか? なあ、おれに言えたことじゃないが、たまには吐き出してみろ」
「……」
おずおずとカナタが拳を握った。
「ふ、ふざけんな……」
「おいおい、どうした? 今まで普通に喋ってたろ」
ごにょごにょと濁る声量へ、大袈裟に肩を竦めてみせるノーマッドだ。
「だってこういうのは……! 誰かの前で、なんかしたりとかは……違うじゃないですか」
カナタの性分である。演劇だとかカラオケだとか、人前に立つのには苦手意識が付きまとった。
「劇場で披露しようってわけじゃない。おれたちだけだ。おれとアルファだけ」
「むぅ……ふ、ふざけんなっ」
今しがたよりは声も勢いも増す。
「いいぞ。その調子」
このまま続けてみろ、と。ノーマッドの口調は告げている。
程なく。
「ふざけんなっ、ふざけんなっ。ふざけんな……!」
ただ繰り返しているだけの言葉の、意味に釣られたのだろうか。少女の心が揺れる。
「ふざけんな……っ! ふざけんな……っ!」
玉座の間では決して見せまいと無理やり押し込め、腹の底にわだかまるばかりに思われた感情の濁流が一気にあふれ出した。
「ふざけんなッ! はぁーっ、はぁーっ……なんでッ、ふざけんな……! 私じゃ、なくても……ッ! ふざけんな……ッ、ふざ、けんな……!」
教わった拳の打ち方など、もう関係ない。ひたすらデタラメに殴り続けるカナタの叫びは、やがて嗚咽に成り果てている。
召喚されてから今に至るまで、堪え続けた諸々が濁流になっていた。怒っているのか悲しんでいるのか彼女自身にも定かでない。ただ涙は溢れ続けるし、息をする度にしゃくりが上がる。
いつしかカナタがやっていることはミット打ちの真似でなく、ノーマッドに寄りかかって宇宙服に包まれたその胸元を叩き続けるだけになっていた。
「こいつは提案なんだがな。一緒に来るか?」
やがて拳も振るえなくなると、ようやくしてノーマッドが囁く。カナタの頭に手のひらを置いて。
「……迷惑、かけますよ」
「誰だってそんなもんさ。ホント言うとな、友達をこんなとこに置いてくなんて考えてなかったよ。でもおれたちのいる場所は、ここよりずっと危険に満ちてる。だから、お前をその場しのぎでもっとまずい状況に追い込むんじゃないか、とか。そんな風に考えちまってた。連れて行ったらいつかお前の口から、こんなはずじゃなかった、なんて言わせちまいそうで」
「きっと、言いますよ私……! だって、こんな……こんな……っ」
「かもな。ま、だとしてもだ」
短く軽やかに笑い、ノーマッドは続ける。
「それも含めてお前だよ、カナタ。一緒に来るか?」
引き延ばす理由はなかった。
共に行って役に立てるかどうかわからない。ノーマッドは少女のいつかを案じていたが、カナタにしてみれば自分こそ彼やアルファをいつか失望させるかもしれない。
けれど今選ばなかったら、きっと後悔したまま一生を終える。
「――うん」
泣き声混じりにカナタが絞り出した。ノーマッドは静かに肩を叩いて応じる。
『決まりですね』
「ああ、決まりだ」
アルファへ応じるとヘルメットを装着。微かな駆動音を立てて戦闘用バイザーが展開された。
そしてバックパックに固定していた武装を手繰り寄せ、彼は言う。
「つーことなら、一泡吹かせてやろうぜ。国王やらなんやら、どいつもこいつもふざけんなってんだ。この胸クソ悪い城から抜け出すぞ」




