1-11.優雅なインチキの王国
「逃がしたわけか、結局のところ」
玉座の間でなく自らの居室にて、国王が憮然としたまま問う。面前にいる二名はやはりと言うべきか老人と騎士。そして詰問は後者へ向けられていた。
「お前が居合わせて、しくじるとは思わなんだ。カベンディッシュ、舌の祝福を捧げた者。編まれぬイラクサの末子よ」
応じる声はやはり無い。全身に鎧をまとった人物は、さながら中身が入っていないほど直立不動を保ち続け、だが眼差しは間違いなく注がれているのだと気配で伝えていた。
いったいどうやって帰還したのだろう。二人の余所者を相手に空中まで追いすがった声なき騎士。
人が助かるはずのない高さから落ち、その直前には反射魔法によって自らの斬撃をそのまま返されているのだ。
にも関わらず、見る限り騎士甲冑は傷ひとつない。
「……まあよい。お前はもう下がれ」
王の意向を受け、僅かばかりにおとがいを引いた騎士はそのまま踵を返した。見たままの重装甲に反して驚くほど微かな足音を残し、王の前から去る。
そして扉が閉まるのを待ち、国王はようやく発した。
「つくづく荒事でしか役に立たん者よ。であろう、ファーガス?」
「されども公は陛下のもとに必要不可欠な人材。どうかここは何卒お咎めなきよう。此度の失態の責は全て、この不肖の身に」
「殊勝を言うな。構わぬ。……とはいえ」
恭しくこうべを垂れる老人に前置きした後、王は鼻で笑って続けた。
「気に入らんありさまではあるがな」
差し込んだ月明かりを浴び、居室が全貌をさらけ出す。
砕け散った窓。ひしゃげた家具。物取りが入ったどころではない。つい先ほど、ここを巨大な嵐が通り過ぎたのだと。そう言われても納得できる惨状だ。王の私室のみならず、王宮全体の状態。
カナタたちの置き土産である。
「被害は?」
「この規模に対して驚くほど少なく……怪我人が数十名程度。いずれも破片で怪我を負うなどの二次被害が大半となっております。幾人か聴覚に異常をきたした者もおりますが、すでに術士の措置で回復を」
「恐るべきものだな」
魔王を倒した勇者。これほどの力を見せつけられたら、なるほど頷くほかあるまい。
「あれが魔法だったのか、また別の兵器であったのか。カナタ殿のお力か、それともノーマッドなる男の能力であるかもわからず……。面目次第もございません。今夜のところは、ひとまず御居室をお移りいただき……」
「惜しいことをした」
衝撃波によって粉砕された鏡のふちに触れ、王は呟く。
「……左様で。いずれにせよ、これほどの能力を備えた者たち。万が一、他国の手に渡れば必ずしや脅威へ転じるかと。ただちに国境の監視強化と追跡を……」
「そうではない。体のことを言っている、ファーガス」
束の間、遮られた老人は戸惑った。
「陛下?」
「見ているうちは、さほど惹かれもしなかったが……この手を離れたとなれば、どうにも再び手中へ収めたくなる。お前の孫娘も悪くはないが」
「……ご不満でしたらば、なんなりと」
「しつけて変わるものでもあるまい。致し方ないことよ」
王は息をつく。遊び飽きた道具を眺める、そんな雰囲気がにじんだ。
「近頃、あれはどうにも小慣れてきた。そこを愛らしくも思うが、面白味には欠ける。その点、あの勇者殿は有望だったのだ、と。今になって思うたのよ。程よく育ちつつ男を知らぬ。しばらく愛でるには具合のいい肉であったろうに」
心底から悔やむ君主を前にして、老人はおのずとノーマッドとのやり取りを思い出す。
女をあてがっておけば、この王は愚策に向かわない。国は保たれる。
自ら発した言葉は真実その通りであった。
この王は戦乱や侵略に興味がない。だから優れている。臣下の提言に耳を傾け、冠の責任さえも負うのだ。どれもこれも嗜好に合わせた娘たちさえ用意しておけば、無原則に等しいほどおおらかでいてくれる。
理想の君主である、と。老人は胸裏に呟き、頭を下げたまま静かにほくそ笑んだ。
「そういうことでしたら、すでに幾人か見繕っております。カナタ殿と同じ頃合いの娘も」
「むろん、当人を追うのを忘れるな?」
「承知しております、陛下。ですが、これほどの被害をもたらすお方。捕縛の確約は……」
「わかっとる、わかっとる。肉としての価値が良かろうからと手心を加えるようでは、捕まるものも捕まらぬわ。まずは殺しを試し、生け捕りはそれからよ。この際、半ば死んでおっても構わん。あの娘の命乞いを聞くも一興ゆえな。中々良い泣き顔を浮かべそうではないか」
きっと並みの人間と比べたら常軌を逸した欲なのだろう。死に瀕していてすら構わず、捕らえたカナタが牢に繋がれ四肢が削げ落ちていてもなお、その姿へ欲情するに違いない。
しかしこの男は王なのだ、と老人は独りごちた。
国王であるからこそ並外れている。しかも極めて健全でもあった。率先して手足を奪うことすら命じられるというのに、そうはしない。ただ結果に対してどう犯すかを発想できるだけなのだ。
加えて愛玩物の死すら許容してくれる。古今、欲望のため幾多の兵を死地に送らせた王があとを絶たないのだから、これは紛れもない良識だろう。
惰性的な性欲ゆえに執着を捨てられる、そういう才能の持ち主だ。
だから老人は王に付き従っていた。形の上では傀儡と見られながらも、老人はこの王に対して心からの忠誠を誓っている。
裏を返すなら、それゆえ王の持つ傲慢に染まりすぎていたのかもしれない。彼らのやり取りとは、安全と優位が絶対的に保証されているからこそ成立する物言いだったのだから。もしその前提を突き崩されたなら、またたく間に瓦解しかねない。
そして次の瞬間、空先カナタはまさにその致命的な一突きをやってのけた。
「なんにせよ諸々は任す。ノーマッドとやら含めてだ。言うまでもないが、あれは首を落としてよい。カナタ殿にしても、どのみち貧相な娘よ。惜しいには惜しいが元よりたかが知れて――」
『好き勝手言ってくれるじゃないですか、国王陛下』
突然、少女の声は彼らの背後より、さながら神託がごとく反響して轟いた。王と老人、どちらもぎくりと凍りついたのは言わずもがな。
明かりが降りてくる。甲高い音色を放ちながら。
「……っ!?」
砕かれた窓のすぐ外にそれはいた。白んだ光で王たちを照らす神代の怪物。少なくとも彼らには他に言い様があるまい。
重戦闘偵察機ミグラテール。
静けさはメインエンジンを使っておらず、重力制御を主軸に垂直離着陸用スラスターを微調整に用いているため。
これが機外ライトより何千ルーメンの光を照射し、スピーカーを介した少女の声を響かせている。
王たちはかろうじて、キャノピー越しの機長席に座るカナタを見た。いやむしろ、彼女らの方こそ僅かに自分たちが見えるようライトの角度を調整したのだ。
「カ、カナタど……っ」
『気安く呼ばないでくださいよ。……もううんざりしてるんです』
怒気を孕んだ侮蔑が吐き捨てられた。照明に眩んでいてもわかる心底から軽蔑しきった眼差し。
『私は行きます。二度とあなたたちには関わらないし、思い出すこともありません』
「い、いや、カナタ殿! まずは冷静に――」
『うるさいッ!』
怒号が一喝する。同時にミグラテールに動きがあった。
機首下の装甲がスライドし、隠された左右一対の砲身が現れる。そこからどんな攻撃が放たれるかはわからずとも、明確な攻撃の意思表示だとは王たちにも伝わった。
『勇者になれだの妾になれだのッ! 全部ッ! 全部全部ッ、気持ち悪いッ!』
砲が駆動した。上下左右、ある程度の俯角を取れるらしい。射線は当然ながら王と老人に向けられていたし、彼らには知る由もないが機内ではカナタを支える二人のやり取りがおこなわれていた。
『照準、ロックしました。いつでもいいですよ』
「遠慮すんな。やっちまえ、カナタ」
操縦桿を握る少女は一度大きく息を吐く。教わった発射スイッチに人差し指をあてがい、腹の底からあふれ出た激情をそのまま声とする。
『クソ国王……ッ!』
「待っ――!」
懇願が届くはずもない。
『ざっっっけんなァッ!』
カナタの罵声をミグラテールが暴力に変えた。けたたましい砲声と共に光弾が放たれる。着弾点で爆ぜるプラズマの猛攻。暴風雨と評するのも生ぬるい破壊が王の空間を蹂躙する。
およそ十秒も撃ち続けただろうか。
ようやく収まった機銃掃射の後には、放心状態の王と老人がライトに浮かぶ。すでに意識はないのかもしれない。どちらも恐怖に引きつった表情のまま、ぴくりともせず固まっているのだから。
ミグラテールが動いた。
僅かに距離を置き、機首を空へと向ける。ほぼ垂直までなるとメインエンジンに点火。威嚇飛行の時よりは控えめな爆音を響かせ、ロケットよろしく上昇する。
飛び去ってゆく少女を止められる者などいなかった。




