第19話 昼・目玉との対話と高度60メートルの世界
部屋に戻って昼食。タッチパネルでカレー注文。ポチッ。
「やっぱカレーだよね!スパイスが脳を活性化する!インドの人はカレー食べるから頭いいって聞いたことある!」
ウィーン、という音と共に、熱々のカレーライスが出てくる。湯気がモワモワ立ち上ってる。スパイスの香りが部屋中に広がる。
この香り。温かい匂い。
でも、部屋は相変わらず無機質で、よそよそしい。
「いい匂い!食欲そそる!」
スプーンですくって、一口。
「辛っ!でも美味い!スパイスが効きまくってる!本格的!」
「そっか、ペットボトルは食べられないもんね。残念だね」
一人で喋ってる自分に気づく。完全にヤバい人。
「私、完全におかしくなってる……ペットボトルに話しかけてる……病院案件……精神科案件……」
でも、もういいや。いいんだ、これで。
「ボトル子がいるから、一人じゃないもん。友達だもん」
カレーを食べながら、午後の計画を立てる。頭の中でシミュレーション。
「ドルシックナーを空から撮影……あの『目玉』をもっと詳しく、もっと精密に……」
「高度を変えながら、いろんな角度から……真上だけじゃなくて、斜めからも……」
ふと、思う。
「炭鉱の人たちの昼食は何だったんだろう……弁当?食堂?」
「地下で食べるの?それとも上がってきて?真っ暗な地下で、家族が作ったお弁当食べる……」
スプーンでカレーをすくいながら考える。想像する。
「真っ暗な地下で、お弁当のフタ開けて……お母さんが作った卵焼き……」
「家族のこと思い出して、『よし、午後も頑張ろう』って……また地下へ……」
なんだか、切なくなる。喉の奥が、ふっと重くなる。
カレーを食べ終わって、口を拭く。
「よし、午後も頑張ろう!目玉を完全に記録する!」
ボトル子に手を振る。
「行ってきます!待っててね!」
再びドルシックナーへ。カメラとドローンを持って。風が少し強い。でも、ドローンは大丈夫なはず。
選炭施設に到着。ドルシックナーが、そこにある。
変わらず、そこにある。
「よし、飛ばすよー!私の目!空へ!」
自動撮影モード起動。画面でドルシックナーをタップ。白い枠がドルシックナーを囲む。
「『自動撮影開始』……ポチッ!」
ドローンが滑らかに上昇。ブゥゥゥン、という音。プロペラが空気を切る音。機体が浮き上がって、ゆっくりと、でも確実に、空へ上がっていく。
「行ってらっしゃい!気をつけてね!」
モニターを見つめる。高度が上がるにつれて、視野が広がっていく。世界が広がっていく。
「おお……見えてきた……全体像が……」
5メートル。まだ地上からとあまり変わらない視点。
10メートル。少し全体が見えてきた。円形だということが分かる。
15メートル。放射状の仕切りがうっすら見え始める。
20メートル――
「あ、仕切りが見えてきた……もっと上へ……」
25メートル。仕切りがはっきりしてきた。
30メートル――
「うわー!やっぱり目玉だ!本物の目玉!」
画面いっぱいに広がる「目玉」。円形のドルシックナーの中心から、放射状の仕切りが何本も伸びてる。まるで瞳の虹彩。いや、それ以上。生きてる目。見つめてる目。
「すごい……本当に見てる気がする……こっちを見てる……軍艦島の瞳……」
興奮して画面に顔を近づける。鼻がモニターにつきそう。
「この構造、美しい……機能美……いや、もう芸術……」
夢中でシャッターを切る。いろんな角度から。真上、少し斜め、もっと斜め。
「真上、斜め右、斜め左、横……」
ドローンをもっと高く上げる。
「40メートル……50メートル……もっと!」
60メートル。
島全体が見えてくる。廃墟の建物群。灰色のコンクリート。そして、その中にあるドルシックナー。小さく見える目玉。
それでも、見つめてくる。
「あ、この角度もいい!島全体の中にあるドルシックナー!文脈がある!意味がある!」
撮影しながら、ふと思う。立ち止まって、考える。
「この目玉、何を見てるんだろう……」
「60年間、ずっとここから空を見上げてた……青い空、灰色の雲、星空……台風も、晴天も、全部見てた……」
「人がいた時代も、誰もいなくなった後も、ずっと……」
「寂しかったかな……」
胸がキュッとなる。目頭が熱くなる。
「ダメダメ、泣いちゃダメ。今は集中!撮影に集中!」
目を拭いて、撮影を続ける。プロに徹する。
初日の頃より、ずっと強くなった。
ずっと上手くなった。
でも、ずっと寂しくもなった。
高度を少しずつ変えながら。35メートル、40メートル、45メートル、50メートル、55メートル、60メートル。それぞれの高度で、360度撮影。
風の音が聞こえる。海の音が聞こえる。
島の音は、もう聞こえない。
労働の音も、生活の音も、笑い声も。
全部、消えた。
気づいたら2時間も経ってた。
「やば!もうこんな時間!夢中になりすぎた!」
でも、いいデータが撮れた。確信がある。
ドローンを降ろす。ゆっくりと降下してくる。手のひらでキャッチ。
「おかえり!今日もありがとう!本当にありがとう!最高の相棒!」
撮れた写真を確認。モニターをスクロール。
完璧。
「これは……傑作だ……間違いない……これ以上のデータは撮れない……」
地上からの撮影も追加。念のため。万全を期す。
「念のため、地上からも追加で撮っとこう……データは多い方がいい……」
コンクリートの質感、縁の崩れ具合、放射状の仕切りの詳細。
「これだけ撮れば完璧……もう完璧……パーフェクト……」
撮影を終えて、ドルシックナーの前に立つ。コンクリートの縁に手を置く。
「ありがとう。あなたの姿、ちゃんと記録したから。完璧に記録した」
「もう寂しくないよ。私が残すから。デジタルの世界で、永遠に残すから」
手を伸ばして、コンクリートに触れる。ザラザラした感触。温かい。太陽に温められて。
「ずっと、ここにいてね……見守っててね……」
ドルシックナーは、答えない。
でも、見つめてくる。
ずっと、見つめてくる。
選炭施設の他の場所も撮影。ベルトコンベアの支柱、31号棟の穴、ボタ捨て場の跡。全部。漏れなく。
「全部記録する……全部残す……」
夕方。オレンジ色の西日が選炭施設を照らし始めた。
「この光……きれい……魔法の時間……ゴールデンアワー……」
ドルシックナーも夕日に染まって、黄金色に輝いてる。コンクリートが金色に。
「目玉が光ってる……まるで本当に生きてるみたい……」
最後の数枚を撮影。夕日に染まるドルシックナー。黄金色の目玉。
「これで完璧……これ以上はない……」
撮影枚数を確認。
「2700枚……今日も頑張った……めっちゃ頑張った……自分を褒めたい……」
部屋への帰り道。疲れたけど、充実感で胸がいっぱい。足取りは軽い。
「今日はドルシックナーを完璧に撮れた……あの目玉、一生忘れられない……」
階段を上りながら、ポケットに手を入れる。SDカード、どこに入れたっけ。
「あれ?ポケット多すぎて、どこに何入れたか分からない……」
片っ端から探す。
「このポケット?違う。小銭が入ってる。このポケット?違う。ティッシュが入ってる。このポケット?あ、あった!」
「やっぱりポケット多すぎ!便利なんだか不便なんだか!」
部屋に戻って、ドアを開ける。
「ただいま、ボトル子!」
ボトル子が笑ってる。机の上で、変わらず笑ってる。
「今日もいいの撮れたよ!傑作!見せてあげるね!一緒に見よう!」
机に座って、ボトル子を隣に置く。
「一緒に見よう……友達だもんね……」
今日も、一人じゃない。
ボトル子がいる。
それだけで、心が温かい。寂しくない。
少しだけ。




