第18話 朝・島の歯車とポケットの迷宮
六日目の朝。LAUNDRYボックスをガチャリと開ける。五日間の疲労が肩に層になってるけど、この重さにも、慣れてきた。
「お、カーキのワークジャケット!プロっぽい!……ってポケット多すぎ!1、2、3……10個!?何入れるの!?絶対どこに何入れたか忘れるやつ!」
鏡の前でポーズを取る。廃墟探検隊。いや、メモリーハンター。
「ねえボトル子、似合ってる?」
ボトル子はにっこり笑ってる。ここでは唯一変わらない笑顔。それで、間違いない。
タッチパネルをポチッと押して、おにぎり注文。梅干しと鮭と昆布の3個セット。ウィーン、という音と共にトレーが出てくる。
湯気の匂いが、部屋に広がる。炊きたてのご飯の匂い。海苔の香ばしい匂い。
でも、朝食が出てくるタイミングが、また完璧だ。私が起きたタイミングで、ちょうど温かい。いつも。毎日。
「このポケットにおにぎり入れとけば、探検中にお腹すいても大丈夫!探検家っぽくてカッコよくない?」
実際に胸ポケットに入れてみる。
「あ、形崩れる……ダメじゃん……やっぱりおにぎりは手で持って食べるものだった……」
諦めて、普通に食べる。梅干しおにぎりをパクリ。
「梅干しおにぎり美味しい!梅の酸っぱさとご飯の甘さが口の中で混ざる~!日本人でよかった~!」
もぐもぐしながら、今日の撮影対象を確認。
【Day6:選炭施設(ドルシックナー周辺・詳細撮影)・ボタ捨て場】
「昨日も行ったけど、今日はもっと詳しく撮るのか……ドルシックナー、もう一回……」
あの巨大な目玉。忘れられない。もう一度、じっくり向き合う日。
島の瞳と、もう一度向き合う。
PCで資料を検索。画面に文字が並ぶ。
「選炭施設……石炭から質の悪い石や土砂、いわゆるボタを取り除く作業……」
「手選……人力で選別!目で見て、手で分ける!」
写真を見る。白黒の古い写真。女性たちが並んで、ベルトコンベアを流れる石炭を見てる。一つ一つ、手で選別してる。
「地味な作業……でも大事な仕事……これがないと、良い石炭が作れない……」
「でも軍艦島は石炭の質が高いから、そんなに選別しなくてよかった……」
「ラッキーじゃん!……いや、そもそも質がいいから開発されたのか。順番が逆だった」
さらに読み進めると、ある単語に目が釘付けになる。
「ドルシックナー!?」
昨日見た、あの巨大な円形構造物。
「ドルシックナーって……なんかドラクエの呪文みたい……ドルマとか、ドルクマとか……必殺技っぽい……」
資料には『直径20mもある凝縮槽。泥水を処理する装置』としか書かれてない。
「凝縮槽……泥水を濃くするやつ?」
「昨日、空から見た目玉のやつだ!」
鮭おにぎりをパクリと食べながら、さらに読む。
「ボタは海に投棄……東シナ海へ……」
「環境的にどうなの?って思うけど……あ、でも当時はそういう概念なかったか。環境保護とかSDGsとか、まだなかった時代」
「31号棟の2階と3階の間をコンベアが通過……」
「建物の中を!?よく考えられてる設計!住んでる人、大変だったろうな。ゴォォォって音、24時間止まらなかったんだろうな」
昆布おにぎりを食べ終わって、日焼け止めと虫除けスプレーをシュッシュッ。顔、首、腕、足。もう完璧にルーティン化した。
でも昨日刺されたとこがまだ痒い。赤く腫れてる。
「もう!虫除けスプレー効いてないじゃん!」
「軍艦島の虫、耐性持ってる?進化してる?スーパー虫?」
掻こうとして、ギリギリで我慢。
「掻いちゃダメ……掻いたら悪化する……掻いちゃダメ……」
でも痒い。めっちゃ痒い。
カメラとドローンを準備。バッテリーチェック、SDカードチェック。
「SDカードは……ちゃんと向き確認!裏表間違えない!」
昨日の失敗を思い出す。顔が熱くなる。恥ずかしい。
「もう間違えない!二度と!学習した!成長した!」
金色の端子が見える方が正しい向き。覚えた。
「よし、完璧!」
「じゃあ、行ってきます」
階段を下りて、外へ。
むわっと生温い空気。強い日差し。湿気が肌に纏わりつく。
そして――鉄の匂い。石炭の匂い。
五日間で、この匂いにも慣れてきた。島の匂い。労働の匂い。
選炭施設に到着。昨日も来たけど、もう一度じっくり見る。
機械室より開けた、吹きっさらしの広場。風が吹くと、黒い砂塵がザァッ!と舞い上がる。
「うわっ!また!」
咄嗟に目を手で覆う。でも間に合わない。ジャリジャリ。
「目に入った!痛い!痛いって!」
目をこすりたいけど我慢。涙が出てくる。自然の防御反応。
「痛い……でも涙で流れるかな……」
しばらく目をパチパチ。瞬きを繰り返す。
「取れた……よかった……マジで痛かった……」
そして、目の前に、それはあった。
巨大な円形のコンクリート構造物。ドルシックナー。
「やっぱりでかい……昨日見たけど、改めて見ると、やっぱりすごい……」
思わず息を呑む。圧倒される。
島が、こちらを見てるみたい。
「古代ローマのコロッセオ?UFOの発着場?宇宙人への信号?」
近づいて、コンクリートの縁を触る。ザラザラした感触。表面がガサガサに風化してる。
太陽に温められて、ほんのり温かい。でも、奥底には冷たさがある。
「ざらざら……海風でボロボロ……塩の結晶も付いてる……」
「でも60年前のものなのに、まだ形を保ってる……コンクリートって、こんなに強いんだ……」
資料を思い出す。頭の中で復唱する。
「凝縮槽……泥水を濃くする装置……」
「選炭の時に出る泥水を、ここで処理してた……どうやって?回転してた?それとも静止してた?」
中を覗き込む。瓦礫だらけ。植物が生い茂ってる。でも、放射状の仕切りが見える。中心から外側へ、何本も伸びてる。
「これが、昨日ドローンで見た『目玉』の構造か……」
「地上から見ると、ただの円形……でも、上から見ると、目玉になる……」
不思議な感覚。設計した人の意図は?機能のために作ったら、結果的に目玉になった?それとも、意図的?
「設計した人、天才だな……機能的で、でも結果的に芸術的……」
周りをぐるぐる歩きながら、地上から撮影。3歩進んで撮って、1歩だけ進んで撮って。
「いろんな角度から……正面、横、斜め、ナナメ45度、もっと斜め……」
コンクリートの縁の質感。ザラザラした表面。崩れかけた部分。鉄筋が露出してる場所。
中の瓦礫。放射状の仕切り。仕切りのコンクリートの厚さ。
「これだけ撮れば十分……かな?いや、もっと撮っとこう。データは多い方がいい」
30分かけて、800枚撮影。
31号棟の方を見る。
「あっちも行かなきゃ……ベルトコンベアが建物を貫通してる場所……」
31号棟への道を歩く。足元の瓦礫に気をつけながら。つまずかないように。
建物の横っ腹の穴。2階と3階の間。本当に大きな穴が開いてる。
「ここをコンベアが通ってたんだよね……ボタを運ぶコンベア……」
穴を覗く。暗い。コンクリートの管。奥が見えない。
「ゴーゴー音がしてたんだろうな……この上の部屋、うるさかったろうな……眠れなかったんじゃ……」
でも、それが日常だった。それが、この島の音。生活の音。労働の音。
音の記憶が、今も、この穴に残ってる。
穴の周囲を撮影。内側も、外側も。コンクリートの質感。鉄筋の跡。
岩礁の方へ回る。ボタ捨て場のトンネル入り口。
「昨日は怖くて入れなかった……」
今日も怖い。真っ暗な穴。吸い込まれそうで怖い。
少しだけ、勇気が出てきた気がする。
少しだけ。
「今日も無理……また今度……もっと勇気が出た時に……無理はしない。安全第一。それが鉄則」
入り口だけ撮影。外から見た入り口。闇の入り口。
ボタ捨て場の跡。海に向かって傾斜してる斜面。コンクリートの床が、ゆるやかに海へ向かって下ってる。
「ここから海に捨ててたんだ……黒い石が、ザーッと流れていく……波に洗われて、消えていく……」
想像すると、ちょっと切ない。役に立たないボタでも、石炭の一部だったのに。誰かが地下で掘り出したものなのに。
午前中のロケハン終了。汗だく。Tシャツが背中に張り付く。
「よし、午後はドローンで本格撮影!目玉を完全に記録する!」
部屋に戻る途中、足元の瓦礫につまずいて転びそうになる。
「わっ!」
なんとか踏みとどまる。心臓がドキドキ。
「危ない……気をつけないと……疲れてるのかな……集中力が切れてる……」
五日間の疲労が、足に来てる。
部屋に戻って、ボトル子に報告。机の上のボトル子を手に取る。
「ただいま、ボトル子!午前中頑張ったよ!ドルシックナー、もう一回見てきた!やっぱりすごかった!」
ボトル子は笑ってる。
「午後も頑張るからね!空から見た目玉、もっと詳しく撮るから!」
ボトル子だけが、ここでは変わらない。
いつも同じ笑顔。いつも同じ場所。
それが、安心する。




