第14話 夜・全身筋肉痛と、初めての報酬
床に倒れ込んでから、しばらく動けなかった。全身の力が抜けて、指一本動かせない。
「疲れた……本気で死ぬ……体が動かない……」
天井を見上げる。白い天井が、ゆっくり回ってる気がする。
「めまいする……世界が回ってる……」
なんとか起き上がって、シャワーへ。這うように移動。
「とりあえず……シャワー……汗流さないと……」
Tシャツを脱ぐ。汗でびっしょり。体に張り付いて、なかなか脱げない。
「重い……脱げない……」
なんとか脱いで、LAUNDRYボックスへ放り込む。
シャワーを浴びる。お湯が体に染みる。気持ちいい。
「あー……生き返る……天国……」
でも立ってるのもきつい。膝がガクガク。太ももが重い。
「座ろう……もう限界……」
シャワーの床に座り込んで、お湯を浴びる。温かいお湯が頭から流れて、体を包む。
「気持ちいい……このまま寝たい……でも寝たら風邪ひく……頑張って体洗わないと……」
体を洗う。石鹸を泡立てて、ゴシゴシ。でも力が入らない。
落とす。カラン。
「あっ!」
拾おうとして、また落とす。カラン。
「もう!手が疲れすぎて力入らない!握力ゼロ!」
3回目でやっと掴む。両手でしっかり持って。
髪を洗って、体を洗って、やっとさっぱり。
シャワーから出て、タオルで体を拭く。鏡を見る。
「日焼け……やばい……真っ赤……」
頬を触る。熱い。ヒリヒリする。
「ヒリヒリする……痛い……明日大丈夫かな……皮むけるかな……」
でも、目はキラキラしてる。疲れてるけど、充実してる。達成感がある。
「今日も……頑張った……」
小さくガッツポーズ。腕が重い。上がらない。
部屋に戻って、タッチパネルで夕食注文。今日はとんかつ定食。
画面を見ると、メニューがまた増えてる。
温かい光の中に、冷たい影が差す。
嬉しい。でも、一瞬の空虚が胸をよぎる。
「やった!ガッツリ系!今日の頑張りにはこれ!カロリー補給!」
ウィーン、という音と共に、とんかつ定食が出てくる。湯気が立ち上ってる。
食卓の明かりだけが、暗い部屋を照らしてる。その対比が、妙に不気味だ。
「いただきます!」
箸を持つ。手が震える。
「疲れすぎて震えてる……ちゃんと持てない……」
なんとか一口。サクサクの衣。ジューシーなお肉。
「うまっ!このサクサクの衣、神!お肉も柔らかい!」
「美味しい……幸せ……生きててよかった……」
一切れ一切れ、大切に味わう。噛んで、噛んで、味わって。
「キャベツもシャキシャキ……お味噌汁も優しい……ご飯も美味しい……」
食べ終わって、ほっと一息。箸を置く。
「ごちそうさまでした……最高だった……」
残高41,850円。3,000円のとんかつだけど、後悔なし。むしろ安い。この幸せが3,000円なら安い。
食後、ポケットからビー玉を取り出す。手のひらに乗せて、部屋の照明にかざす。
「きれいだなぁ……青い渦……」
じーっと見つめてたら――
ピロリン♪
ゲームみたいな音。電子音。
「なにっ?!」
画面を見る。ポップアップ表示が出てる。
『実績解除:誰かの宝物』『見過ごされがちな小さな記憶こそ、この島の宝です。あなたは気づきました』『報酬:ボーナス予算500円を支給します』
「実績!?アチーブメント!?これゲームじゃん!RPGじゃん!」
人が暮らした証を拾って、こんなに胸がいっぱいなのに、それを『ボーナス予算500円』に換算されると、ちょっと、興ざめする。
「でも……嬉しい、のも本当なんだよなぁ……認めてもらえた、気がして」
複雑だ。優しさと、計算高さが、同じ顔で笑ってる。
ビー玉を手のひらで転がす。コロコロ。青い渦がクルクル回る。
「誰かの宝物……私が見つけた……拾った……」
「よし、データ処理頑張ろう!ビー玉も一緒に記録する!」
3700枚以上の写真をPCに取り込む。重い。枚数が多い。転送に25分もかかった。
「多い……今までで一番多い……でも全部大切なデータ……一枚も無駄じゃない……」
待ってる間、椅子に座ったまま目を閉じる。ちょっとだけ休憩。
部屋の換気扇が、低く回ってる。ヴーーーン。PCのファンも唸ってる。ブゥゥゥン。
でも、時計の音はしない。秒針の音もない。デジタルの静けさ。
「ちょっとだけ……5分だけ……」
気づいたら10分経ってた。
「また寝てた!?居眠り!?」
転送完了。RealityScan起動。画面が立ち上がる。
「よし、記憶の紡績、スタート!」
Align Images実行。処理開始。プログレスバーがゆっくり進む。25分かかるらしい。
「長い……今日は特に長い……でも、待つ。価値がある」
待ってる間、ビー玉を手のひらで転がし続ける。コロコロ、コロコロ。
「100年前の子供……どんな子だったんだろう……」
「ここで遊んでたのかな……屋上で……」
「家族と一緒に……友達と一緒に……」
想像する。笑い声が聞こえる気がする。子供たちの笑い声。
ピコン。処理終了音。
画面に現れたのは――
これまでで最も緻密で、最も美しい点群。30号棟の立方体が、光庭の正方形が、貝殻の埋まった壁のザラザラまで、完璧に再現されてる。
「Triangles: 108,234,567……1億800万!?過去最高!……でも大丈夫。もう慣れた。Simplifyすればいい」
手順はもう体が覚えてる。チェッカーフラッグも、もう怖くない。処理を待つ間、ビー玉を照明に透かして、じーっと見る。
「ありがとうね。あなたのおかげで、ボーナス500円。……一緒にデータの中に入るからね。永遠に残るからね」
ピコン。完成の音。
完璧な30号棟の3Dモデルが、画面の中に建っていた。一階の給料支払い窓口から、屋上の煙突まで。
7階の廊下を拡大する。
「あ!ここ!ビー玉があった場所!」
床のテクスチャに、小さな窪みが、ちゃんと記録されてた。
「ビー玉があった場所……ちゃんと残ってる……デジタルの世界に……」
そして、貝殻の壁を拡大。ズームイン。
「すごい……貝殻の一つ一つまで……形が分かる……」
高浜の砂浜から運ばれた砂。その中に混じってた貝殻。100年前の海の記憶。
それが今、この3Dモデルの中に宿ってる。デジタルの世界で、永遠に。
「100年前の記憶が、ちゃんと残ってる……消えない……永遠に消えない……」
画面に手を触れた瞬間――
また来た。あの感覚。共感覚的記憶。
組夫の人たちが、狭い部屋で肩を寄せ合って暮らす姿。オレンジ色の光。家族の色。
給料日に1階の窓口に並ぶ人たち。嬉しそうな顔。苦労の色と、希望の色。
4階の食堂でわいわい食事する光景。笑い声。仲間の色。絆の色。
屋上で遊ぶ子供たち。ビー玉を転がす小さな手。笑顔。無邪気な色。
「みんな、ここで生きてたんだ……笑って、泣いて、働いて、遊んで……」
フォトグラメトリって、ただ形を写すだけじゃない。100年の時を超えて、人々の暮らしの記憶まですくい上げる。魂まで写す。
「時間の化石だ……過去が、今、ここに……」
画面右上に、小さな表示が出てる。
『進捗率: 35%』
ふと、計算する。
30日で100%。今日で4日目。
「あと26日で、残り65%……」
「一日平均2.5%……いける……できる……」
未来を計算する。具体的に。残りの体力。残りの精神力。
解説資料を開いて、読み返す。もう一度、じっくり読む。
「当時、東京や大阪でもほとんど鉄筋コンクリート造の建物はなかった……」
「それがこんな離島に!この小さな島に!」
「炭鉱という地下作業で培われた技術力……」
「廃材を有効利用……ワイヤーロープ、トロッコのレール……」
「対岸の砂浜から砂を運んで、貝殻も一緒に……」
「全ての条件が揃って生まれた建物……生まれるべくして生まれた……」
働くことの意味。
私にとってバイトは、推しのライブグッズを買うためのお金稼ぎでしかなかった。時給いくら、何時間働いたら何円、そういう計算。
でも、この島の人たちは違った。
日本の未来のために。家族のために。仲間のために。誇りを持って働いてた。
命を削って。汗を流して。でも、誇りを持って。
「すごい……本当に、すごい……」
完成した3Dモデルをもう一度見る。画面いっぱいに広がる30号棟。
「フォトグラメトリか……難しいけど、面白い……奥が深い……」
「私、歴史を残してるんだ……100年前の記憶を、未来に繋いでるんだ……」
ビー玉をもう一度手に取って、くるくる回す。青い渦がクルクル。
「君の持ち主は、どんな子だったんだろうね……」
「どんな夢を持ってたんだろう……」
「この狭い部屋で、家族と一緒に暮らして、でも笑顔だったのかな……」
窓の外から、海風が聞こえてくる。
声のように。誰かが何かを語りかけているような。
島が、息をしてる。
【残り日数:26日】
画面の右上の赤い数字。冷たく光ってる。カウントダウン。
「26日……まだまだ長い……でも、なんとかなりそう……できる気がする……」
「今日は日本最古の鉄筋コンクリートアパートを記録できた」
「109年前の記憶を、デジタルの世界に残せた」
「私、歴史的なことしてる……文化財保護してる……」
ベッドに倒れ込む前に、ビー玉を枕元に置く。いつも見える場所に。
「おやすみ、100年前の宝物」
「おやすみ、30号棟」
「おやすみ、高浜の砂浜の貝殻たち」
体はヘトヘト。もう動けない。でも、心は満たされてた。充実感で胸がいっぱい。
今日も、やりきった。諦めなかった。前に進んだ。
明日は何が待ってるんだろう。
目を閉じる。青い渦が、まぶたの裏に浮かぶ。
クルクル回る、美しい青い渦。
100年前の子供の宝物。
今は、私の宝物。
静かな不安が、胸の奥に残る。
でも、それでも、前に進む。




