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第12話 朝・歴史のラスボスと貝殻コンクリート

四日目の朝。差し込む光で目が覚める。カーテンの隙間から、容赦ない夏の日差し。もう慣れてきたかも、この目覚め。


たった三日間で、監禁されたはずの部屋が「生活の拠点」になっている。朝食のメニューを選ぶこと、カメラを準備すること、日焼け止めを塗ること。その全てが、もう日常だ。異常なほど馴染んでる。


重い瞼をこじ開けて、いつものようにLAUNDRYボックスの蓋を開ける。今日の衣装ガチャは――


黒いライダース風ジャケットに、タイトな黒ジーンズ。窓の外は雲ひとつない猛暑日。


「衣装担当さん、私を殺す気!?これ着て外出たら、BBQの網の上の肉じゃん!」


でも着てみると、意外と薄手で、全身真っ黒の鏡の中の私は、ちょっとだけカッコよかった。免許ないけど。


「ミカに見せたら『推しがバンドマンになったの?』とか言いそう……」


想像して、ちょっと笑える。


タッチパネルをポチッと押して、朝食のトースト注文。今日はピーナッツバタートースト。ウィーン、という音と共に、焼きたてのトーストが出てくる。


無機質な壁から、温かい食事が出てくる。この部屋はこんなによそよそしいのに、味噌汁だけはいつも、優しい。そのちぐはぐさが、妙に心を揺さぶる。


「今日はピーナッツバター!甘じょっぱさがクセになる!これで元気出す!暑さに負けない!」


ナイフでピーナッツバターをたっぷりすくって、トーストに塗りたくる。塗って、塗って、さらに塗る。


一口かじると、ピーナッツの香ばしさと甘さが口いっぱいに広がる。


「うまっ!でもベタベタする!口の周りベタベタ!」


指についたピーナッツバターを舐めながら、PCを開いて今日の撮影対象を確認。


【Day4:30号棟】


その文字を見た瞬間、背筋がゾクッとした。


『軍艦島解説資料』を開く。膨大な文字と写真。目を皿のようにして読み進める。


「30号棟……日本最古の……鉄筋コンクリート造アパート……」


建設されたのは大正5年。1916年。


「大正5年……たいしょう……ごねん?えーと……」


指折り数える。右手の指を一本ずつ折る。


「1916年……今が2025年だから……109年前!?」


「え、待って……東京駅が1914年開業だから……ほぼ同じ!?東京駅とほぼ同い年!?」


興奮して画面に顔を近づけすぎて、鼻がディスプレイにぶつかる。コツン。


「痛っ!」


鼻を押さえながら、でも目は画面から離せない。資料をさらに読む。読んで、読んで、読みまくる。


「『グラバーハウス』って呼ばれてたこともある……?グラバー邸のグラバーさん?あの有名な?」


「でも島民の方々に話を聞いた限りではそう呼ばれていた事実は確認できていない……謎だ……歴史のミステリー……」


「そんな大昔に、こんな離島に、7階建て!?信じられない!東京でもまだ木造建築が主流の時代に!?」


写真を見る。古い、セピア色の写真。そこに写る、巨大な立方体の建物。


「建物が『ロの字』型……光庭こうてい……中庭のことか!真ん中が吹き抜けになってる!」


「階段室がなくて、直接屋上に階段が……え、雨の日どうするの?濡れるじゃん。ずぶ濡れじゃん」


そして、さらに驚いたのは建材の記述。そこに書かれた文字を見て、息を呑んだ。


「鉄筋にワイヤーロープ!?炭鉱の廃材を再利用!?」


「トロッコのレールも使ってる!?エコじゃん!リサイクル最先端!SDGs!100年前からSDGs!」


「セメントに混ぜる砂は高浜の砂浜から……壁面には今でも無数の貝殻を発見できる……」


その一文を読んだ瞬間、心臓が高鳴った。


「貝殻入りのコンクリート……!」


「エモすぎ……!なにそれ……ロマンチックすぎ……!」


想像してみる。100年前の人たちが、対岸の高浜の砂浜から砂を運んで、その中に貝殻が混じってて、それをそのままコンクリートに練り込んで……


海の記憶が、建物の中に閉じ込められてる。100年前の波の音。100年前の潮の香り。それが、今も壁の中に。


「めっちゃいい話じゃん……泣ける……マジで泣ける……」


トーストの最後の一口を食べて、口を拭く。ピーナッツバターが唇にべったり。


間取りを確認。画面をスクロール。


「六畳一間に土間兼台所……狭っ!私の部屋より狭い!というか、私の部屋の半分!?」


「四畳半の部屋もあるの!?もっと狭い!ワンルームどころかハーフルーム!そこで家族が!?子供もいて!?」


「共同トイレ……プライバシーゼロじゃん……大変だったろうな……朝は並んだんだろうな……」


でも、そこで人々が暮らしてた。当時の組夫(下請け業者)の人たちが。家族と。


「給料の支払い窓口が1階にあって……給料日は仕事帰りに真っ先に受け取れたんだ……便利じゃん……給料日の行列ができたんだろうな……」


「4階には松尾工務店食堂……組ごとにまかない食堂があった……みんなで一緒にご飯……ワイワイ食べてたんだろうな……」


「地下には時計店や食料品店も!小さな街じゃん!一つの建物が街!垂直の村!」


孤独な食卓でポテチを食べる私と、組の仲間とワイワイ食べてた人たち。便利さと、寂しさが混じり合う。


朝食を終えて、日焼け止めを取り出す。ボトルからクリームを手のひらに出して、塗りたくる。


「顔、首、腕……今日は特に念入りに!黒ジャケで汗だくになるの確定だし、日焼け対策は死活問題!」


でも塗りすぎた。顔が真っ白。


「うわ、ベタベタ……ピーナッツバターと混ざって変な匂い……ナッツとケミカルの融合……」


手を洗って、虫除けスプレーもシュッシュッ。腕に、足に、首にも。


「昨日の虫刺され、まだ痒い……赤く腫れてる……この島の虫、最強すぎ……」


ジャケットのジッパーを上まで上げる。


「暑っ!もう暑い!まだ部屋の中なのに!まだエアコン効いてるのに!」


でも、気合を入れて外へ。今日は特別な日。


「今日は日本最古の鉄筋コンクリートアパートに会いに行くんだ……歴史のラスボスだ……伝説のダンジョンだ……」


初日の恐怖は、もう遠い。二日目の失敗も、もう笑い話。三日目の疲労も、もう懐かしい。


慣れって、怖い。


廊下を歩いて階段を下りる。足音が響く。もう慣れた、この音。


外に出た瞬間――


「あっつ!!!」


やっぱり。予想通り。いや、予想以上。


「ジャケット脱ぎたい!今すぐ脱ぎたい!でも日焼けするし!ジレンマ!究極のジレンマ!」


でも我慢。耐える。歯を食いしばる。


島の南端への道は、昨日までとは違う雰囲気。生活の痕跡が、そこら中に残ってる。


倒れた電信柱。割れた植木鉢。朽ちたベンチ。錆びた自転車の残骸。


歩いてたら、朽ちた電信柱の残骸につまずく。


「わっ!危ない!」


なんとか踏みとどまる。心臓がバクバク。


「危ない……気をつけないと……」


足元に、割れた植木鉢。中に、カラカラに乾いた土。


「誰かが育てた花……枯れちゃった花……水をあげた人は、今どこに……」


朽ちたベンチ。誰かが座ったベンチ。誰かが休憩したベンチ。


「なんか切ない……」


そして、目の前に現れた。


30号棟。


「でっか……!」


立ち止まる。見上げる。首が痛くなるくらい見上げる。


「写真より全然でかい……実物の迫力やばい……」


立方体みたいな巨大な建物。ドンと鎮座してる。圧倒的な存在感。オーラがある。


「これが1916年製……109年前の建物が……まだ立ってる……現役で立ってる……」


近づいて、恐る恐る手を触れる。


ザラザラした感触。ひんやりと冷たい。でも、どっしりとした重さを感じる。


「こんにちは……」


自然と、声が出た。


「こんにちは、30号棟さん。今日一日、よろしくお願いします」


風が吹く。建物のどこかで、カタカタと音がする。窓枠が揺れてる音。


「お、返事してくれた?ありがとう!よろしくね!」


一人で喋ってる自分に気づく。完全にヤバい人。


「私、完全に変な人じゃん……建物に話しかけてる……でももういいや。誰も見てない」


建物の南西側に回る。資料に書いてあった、一番風雨を受ける場所。


「ここが一番頑丈に作られてる……『船のブリッジ』にあたる部分……」


「台風が来たら、ここが最初に風を受ける……だから頑丈に……」


壁に手を当てる。他の場所より、分厚い気がする。


立ち止まって、もう一度建物を見上げる。7階建て。109年前の7階建て。


「すごい……本当に、すごい……」


午前中は建物の周りをぐるぐる歩き回ってロケハン。一周、二周、三周。


「ロの字型っていうけど、外からじゃ立方体にしか見えない……完璧な立方体……」


「中に入らなきゃ分からないな……光庭は中にある……」


入り口を探す。暗い開口部を発見。恐る恐る中へ。


一歩踏み入れた瞬間――


「うわ、涼しい!助かる!天国!」


外の灼熱地獄から一転、ひんやりとした空気。


でも、湿ってる。じっとりと湿ってる。カビの匂いが鼻をつく。


「カビ臭い……でも涼しいからいい……我慢できる……」


暗い廊下を進む。足元が見えない。慎重に。


そして――


「あ!」


目の前に、ぽっかりと開いた四角い空間。上を見上げると、空が見える。青い空。


「これが光庭!上まで吹き抜けてる!すごい!」


真ん中が完全に吹き抜けになってる。正方形の穴。その周りを、建物が囲んでる。


「階段が光庭の周りをぐるぐる回ってる!螺旋階段じゃなくて、四角く回ってる!」


むき出しの階段。手すりはあるけど、錆びてる。触ると、ザラザラして、赤茶色の粉が手につく。


階段を上ってみる。一段一段、ギシギシきしむ。


「大丈夫かな、これ……崩れない?落ちない?」


慎重に上る。手すりをしっかり掴んで。2階。


各階の部屋を覗く。六畳一間。本当に六畳。狭い。


「本当に狭い……ここに家族で……布団敷いたら、歩くスペースないじゃん……」


かまどの跡がある。黒く煤けた跡。


「ここで料理してたんだ……毎日、ここで……」


3階。4階。5階と上がっていく。息が上がる。足が重い。


「はぁ、はぁ、階段きつい……エレベーターほしい……」


6階。7階。やっと最上階。


「やっと……着いた……」


壁に手をついて、息を整える。心臓がバクバク。汗が額から流れる。


「7階建てにエレベーターなしとか……昔の人、毎日これ上ってたの?体力ありすぎ!超人!」


壁をよく見る。崩れた部分から、中の構造が見える。


「あ!貝殻!本当にある!本当にあった!」


小さな貝殻のかけら。白い、小さな、貝殻のかけら。コンクリートの中に埋まってる。


「これが高浜の砂浜の貝殻……100年前の海の記憶……」


指で触る。ザラザラする。冷たい。でも、温かい気もする。不思議な感覚。


「すごい……ロマンがある……100年前の海が、今ここに……波の音が聞こえそう……」


さらに上を見ると、天井の一部が崩れて、鉄筋が剥き出しになってる。


「これ、ワイヤーロープ?太い!めっちゃ太い!」


「炭鉱の巻き上げ機で使ってたやつが、この建物の骨になってるんだ……命を繋いでたワイヤーが、今は建物を支えてる……」


胸がキュッとなる。


「なんか……感動する……」


歩き回りすぎて、もう汗だく。Tシャツが背中に張り付く。黒ジャケの中が蒸し風呂。


「やっぱり黒ジャケ暑い!死ぬ!本気で死ぬ!」


でも、この建物のことをもっと知りたい。もっと見たい。もっと触れたい。


ふと、不安がよぎる。


この建物は、どれくらい持つんだろう。


あと何年、立っていられるんだろう。

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