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第11話 夜・学び舎の化石と失われた当たり前

部屋に戻ったら、もうヘトヘト。限界。


「疲れた……死ぬ……もう動けない……」


まず、セーラー服を脱ぐ。これが大変。


ボタンが多すぎ。どこにこんなにボタンあるの?


「なんでこんなにボタンあるの!?1、2、3、4、5……10個!?もう!多すぎ!」


一個一個外していく。指が疲れる。こんなに大変なの?


「昔の人、毎日これやってたの?大変すぎ!尊敬する!」


やっと脱げた。汗でぐっしょり。びっしょり。


「重い……このスカート、汗吸って何キロあるの?5キロ?」


持ち上げてみる。ずっしり。


LAUNDRYボックスに放り込む。ドサッ。


「明日は何着せられるんだろう……ウェディングドレスとか?それはそれで困る……動けない……」


シャワーを浴びる。温かいお湯。体を包む。


「あー気持ちいい!生き返る!人間に戻る!」


目に入る。


「痛っ!また!なんで毎回入るの!学習しない!」


必死で水で流す。目が真っ赤。痛い。


体を洗って、やっとさっぱり。


タオルで髪を拭きながら、鏡を見る。自分の顔。


「日焼けした?昨日より赤い気がする……ヒリヒリする……」


頬を触る。ちょっと熱い。


「日焼け止め塗ってるのに……軍艦島の紫外線、強すぎ……太陽近すぎ……」


でも、目はキラキラしてる。疲れてるけど、生きてる。


「私、頑張ってるな……偉いな、私……」


小さくガッツポーズ。


部屋に戻って、タッチパネルで夕食注文。今日は煮魚定食。


「お魚の優しい味が染みる~。おばあちゃんの煮魚思い出すな……『ユイ、たくさん食べなさい』って言ってたな……」


箸で魚の身をほぐす。ふっくらしてる。柔らかい。


一口食べた瞬間――


小骨が喉に刺さる。チクッ。


「痛っ!なにこれ!小骨!」


必死で取ろうとするけど取れない。喉の奥。


「もう!なんで魚には骨があるの!不便すぎ!進化しなかったの!?」


舌で探って、指で引っ張って――


やっと取れた。


「ふう……危なかった……死ぬかと思った……」


でも美味しい。ご飯が進む。お味噌汁も優しい。


「やっぱり和食落ち着く~。日本人だな、私……」


残高35,650円。順調に減ってる。でも問題ない。計画通り。


食事を終えて、いよいよPC作業。


今日のデータは3000枚以上。今までで最多。大仕事。


「よし、記憶の紡績メモリー・スピニング、スタート!」


PCにデータ取り込んで、RealityScan起動。


写真がズラーッと並ぶ。一枚一枚。


「えげつない量…3000枚超え……」


Align Images実行。処理開始。


プログレスバーが動く。ゆっくり。


「3時間くらいかかるらしい……長い!待つの大変!」


待ってる間、お菓子を食べる。ポテチをボリボリ。塩味。


「あ、またキーボードにカスが……まあいいや、後で掃除する……多分……」


1時間半経過。まだ半分。


「まだ半分……暇だな……何しよう……」


昼間の黒板を思い出す。


あの黒板は、沈黙していた。


でも、沈黙の中に、何かが宿っている気がした。消えたチョークの文字。子どもたちの声。先生の声。


スマホを取り出す。画面をつける。


『圏外』


いつもの表示。もう慣れた。でも、やっぱり寂しい。


「あー、ミカとLINEしたい……『今日3000枚も撮ったよ!』って自慢したい……」


「『学校撮った!7階建て!すごいでしょ!』って送りたい……」


「インスタにも上げたい……『#軍艦島 #廃墟撮影 #フォトグラメトリ #セーラー服』とかつけて……」


「いいねいっぱいつくかな……『ユイ、よくやった!』ってコメントくるかな……」


ため息。フゥー。


「早く帰りたい……でも、あと27日……長い……」


ピコン。処理完了の音。


モニターの光が、暗い部屋を照らす。闇との対比が鮮やかだ。


画面を見た瞬間――


「うわあああ!すごい!」


思わず声が出る。叫ぶ。


驚くほど精密な端島小中学校の3Dモデル。7階建ての巨大な校舎が完璧に再現されてる。


「割れた窓枠!一つ一つ!」


「壁のヒビ!細かいヒビも!」


「入口のタイル絵!……全部ある!全部再現されてる!」


「あ、6階の講堂の床の抜けてるところまで再現されてる!穴も!」


「3階の職員室の机も!出席簿みたいなのも見える!ちゃんと見える!」


マウスでぐるぐる回す。360度。どの角度から見ても、完璧。


「65号棟との連結部分もバッチリ!渡り廊下も!」


「体育館の跡もちゃんと分かる!71号棟!」


「やった!完璧じゃん!私、マジで天才!プロ級!」


嬉しすぎて椅子ごとクルクル回る。でも、少し間をおいて。


ブンブン回る。


「うわ、気持ち悪……また回りすぎた……酔った……」


目が回る。世界がグルグル。


でも、笑顔が止まらない。嬉しくて、嬉しくて。


Create Model、Simplify、Unwrap、Texture。もう慣れた工程。手順を覚えた。


点群が、メッシュへと変わっていく。記憶が、再生されていく。


サクサク進む。プロの仕事。


処理待ちの間、解説資料を読み返す。もう一度、じっくり。


「『至誠・博愛・健康』……いい校訓だな……シンプルだけど深い……」


「至誠……嘘をつかない、誠実であること……」


「博愛……みんなを大切にすること……」


「健康……体も心も健やかであること……」


「昭和48年9月7日、最後の運動会……80周年記念大運動会……」


「きっと盛り上がったんだろうな……紅白対抗……応援合戦……大玉転がし……」


「その時はまだ、半年後に学校がなくなるなんて思ってなかったよね……まさか……」


卒業文集の一節が目に留まる。じっと読む。


『この島で生まれたことを、誇りに思います。本土の友達には分からないかもしれないけど、私たちには海と、空と、たくさんの家族がいました。狭い島だけど、ここが私たちの世界でした』


「なんか、泣けてくる……」


目頭が熱くなる。ジーンとくる。


「760人の子供たち、みんな仲良かったのかな……」


「狭い島だから、喧嘩してもすぐ仲直りしなきゃいけなかったよね……逃げ場ないもん……」


「うちの学校なんて、クラスに40人いても、話したことない子いるのに……名前知らない子いるのに……」


ピコン。処理完了。


完璧な端島小中学校の3Dモデルが完成。


画面いっぱいに広がる校舎。デジタルの世界に蘇った学校。


静かに、椅子から立ち上がる。


画面に、手を伸ばす。


触れる。


冷たいモニター越しに、温もりを感じる気がした。


「生きてた気配って、消えないんだ……」


声が、震えてる。膝が震えてる。喉が詰まってる。まばたきをすると、涙が溢れそうになる。


また、あの感覚。共感覚的記憶。


子供たちの笑い声が、黄色い光の粒になって弾けるのが視えた。キラキラ。ピカピカ。星みたい。


「チャイムの音が聞こえる気がする……キーンコーンカーンコーン……」


でも、今は鳴らない。もう、永遠に鳴らない。


「『起立、礼、着席』の声も……」


今は聞こえない。もう、誰も言わない。


「給食のカレーの匂いも……」


今は匂わない。もう、誰も作らない。


画面の中の教室を一つ一つ覗く。2年1組、3年2組、4年1組。


「ここで勉強してた子たち、今どこにいるんだろう……」


「おじいちゃんおばあちゃんになってるよね……60代、70代……」


「でも子供の頃の記憶は、きっと今も残ってるはず……鮮明に……」


自分の学校が急に恋しくなる。当たり前の日常が。


「ミカ、今頃何してるかな……きっと『ユイがいないとつまんない』とか言ってるよね……言ってるといいな……」


退屈だと思ってた数学の授業。眠かった古文の授業。


休み時間のくだらない話。「昨日のドラマ見た?」「見た見た!」


お昼休みのお弁当。「ユイ、ウインナー交換しよ」「いいよ」


全部、全部、キラキラした宝物だったんだ。


「当たり前って、なくなって初めて分かるんだな……」


「この島の子供たちも、まさか学校がなくなるなんて思ってなかったよね……」


「毎日通ってた学校が、ある日突然『最後』になるなんて……」


「『明日も来るから』って思って下校して、でも、明日はもう来なくて……」


でも、この3Dモデルは美しくも痛々しい。


壁の崩落が、そのまま残ってる。机の散乱も。粉塵の質感も。


完璧に再現されているからこそ、欠けているものが見える。


子どもたちの声。笑顔。温もり。


それは、もう、戻ってこない。


ほっとしたような、寂しいような、複雑な気持ちが胸を満たす。


そっと、PCの画面の廃校を撫でる。


「君たちの思い出、ちゃんと残すからね。約束する」


「80年の歴史、私が記録するから。デジタルの世界で、永遠に残すから」


独り言が増えてきた気がする。でも、まあいいや。誰も聞いてないし。


……聞いてるのは監視カメラだけか。赤いランプが点滅してる。


「見てる人、私のこと変な子だと思ってるだろうな……独り言多いって……」


でも気にしない。だって、ちゃんと成果出してるもん。結果出してるもん。


ふと思う。考える。


「もしかして、この端島小中学校の3Dモデル、世界初?」


「だって、普通は立ち入り禁止だし……ドローンも飛ばせないし……」


「私、すごいことしてるのかも……歴史的な仕事……」


その瞬間――


足首が猛烈に痒い。突然来る痒み。


「痒っ!なにこれ!また!」


見ると赤くぷっくり腫れてる。蚊に刺された跡。いや、もっと凶悪な虫。


「スプレーしたのに!ここの虫、最強すぎ!進化しすぎ!スーパーバグ!」


掻きむしりたいけど我慢。両手で太ももを掴む。


「掻いちゃダメ、掻いちゃダメ……我慢、我慢……」


でも、痒い。めちゃくちゃ痒い。限界。


結局掻いちゃう。ガリガリガリ。


「あー!掻いちゃった!意志弱すぎ!自制心ゼロ!」


【残り日数:27日】


画面の右上の赤い数字。カウントダウン。冷たく光ってる。


「27日……もう3日も経ったんだ……早いような、長いような……」


「10%終了……いや、3日で10%……計算苦手だからよく分からない……まあいいや……」


「でも、なんとかなりそう……できる気がする……」


「今日は学校を記録できた」


「760人の子供たちの思い出を、形にできた」


学ぶこと。それは時間の層を積み重ねていくこと。


一日一日、一時間一時間、一分一分。


その全てが、記憶の層となって、人を作っていく。


「チャイムの音、『起立、礼、着席』の声、給食のカレーの匂い……全部、デジタルの世界に閉じ込めた……」


「私、歴史的な仕事してる……文化財保護してる……」


ベッドに倒れ込む。バフッ。柔らかい。


今日も疲れた。でも充実してた。やりきった。


「明日は何着せられるんだろう……まさかチャイナドレスとか?」


「いや、体操服とかブルマとか?それはそれで恥ずかしい……絶対嫌……」


そんなことを考えながら、目を閉じる。


静かに。


静けさが、部屋を包んでいく。


いつの間にか眠りに落ちた。


夢の中で――


760人の子供たちの笑い声が聞こえた気がした。


キーンコーンカーンコーン。


チャイムが鳴った気がした。


『起立、礼、着席』


先生の声が聞こえた気がした。


でも、目が覚めたら、何も聞こえなかった。


静寂だけが、部屋を満たしていた。

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