第九十四話 最初に戦いたい相手も、私が選びます
公開エキシビションまでに、四人全員と一対一をしたい。
NoNameがそう頼んだ瞬間、四人から返ってきた答えは早かった。
レナはほとんど被せるように「やる!」と答え、ミカもすぐ参加を表明した。ユイは対戦条件を確認するより先に「望むところです」と言い、ECHOに至っては理由も何も付けず、ただ「勝ちます」と宣言した。
そこまではよかった。
問題が起きたのは、その数分後だった。
「じゃあ私から!」
「待ってください、レナさん。なぜ当然のように最初なんですか?」
「だってさっき一番最初に返事したし!」
「返答速度と対戦順に相関はありません」
「ユイ、こういう時だけ理屈使うのずるくない!?」
「こういう時こそ理屈が必要です」
先ほどまで世界中からのアクセスが集中していた公開イベントページを閉じ、練習用の対戦ルームへ移ろうとしたところで、レナとユイが止まってしまった。
少し離れた場所では、ミカも平静な顔をしているものの、譲るつもりはないらしい。
「私は誰が最初でも構いませんが」
そう前置きしたあと。
「公平に決めるのであれば、私も候補に入れてください」
「それ、全然誰でもよくないじゃん!」
「順番に異議はありません。ただ、自分から辞退する理由もないという意味です」
「一番厄介なやつ!」
レナが頭を抱える。
ECHOは三人を眺めてから、NoNameへ視線を向けた。
「私は最初がいいです」
簡潔だった。
「ECHOまで!?」
「戦いたいから」
「私もだよ!」
「私もです」
「私も同じですね」
結局。
四人とも最初に戦いたかった。
NoNameはしばらくそのやり取りを眺めていた。
以前なら、ここで順番を決める基準を考えたはずだ。公開エキシビションへ向けた練習効果、各自の疲労、相性、後の試合へ残せる情報。合理的な理由をいくつか並べれば、最適と思われる順番を決めることは難しくない。
ただ。
今回は最初から、自分のために頼んだ一対一だった。
四人の成長を見るためではない。
弱点を教えるためでもない。
公開試合へ向けて、自分が今この四人と戦ったらどこまで勝てるのか知りたい。
ならば。
「皆さん」
NoNameが声をかけると、四人が同時にこちらを向いた。
「順番ですが」
「はい!」
なぜかレナが姿勢を正す。
NoNameは少し迷ってから続けた。
「私が決めてもいいですか?」
四人とも、予想していなかったらしい。
特にユイは一度瞬きをしてから聞き返した。
「NoNameさんが?」
「はい」
「練習効率を考えてですか?」
「いいえ」
即答すると、今度はミカの目が少し動いた。
「では、何を基準に?」
「私が最初に戦いたい人です」
沈黙が落ちた。
NoName自身は、それほど特別なことを言ったつもりはなかった。
しかし四人は誰もすぐに口を開かない。
やがてレナが恐る恐る尋ねた。
「……誰?」
「ECHOです」
「私?」
選ばれた本人が一番驚いていた。
その横でレナが露骨に肩を落とす。
「私じゃなかった……」
「レナとは、先ほどかなり戦いましたから」
「理由が正しいから余計つらい!」
「つらいんですか?」
「そこは聞かないで!」
ユイはNoNameを観察するように見た。
「ECHOさんを選んだ理由を聞いても?」
「先ほどの試合で、最初に私を読んだからです」
NoNameはECHOを見る。
欲しいものができれば、人はそちらを見る。
自分が次の一点を欲しがった結果、ECHOには行動を読まれ、待ち伏せされた。
あの時の敗北はまだかなり鮮明に残っている。
「今の私は以前より分かりやすい、とECHOに言われました」
「言いました」
「それが、どの程度なのか知りたいです」
「教えるため?」
「いいえ」
NoNameは首を横に振った。
「私が次にECHOへ勝つためです」
ECHOは数秒、NoNameを見た。
そして静かに頷く。
「分かりました」
いつもの簡潔な返事。
しかし。
口元がほんの少しだけ上がっていた。
「もう一度読みます」
「できれば、外してほしいですね」
「外しません」
「困りました」
「でもNoNameも、私を読む」
「はい」
NoNameも少し笑った。
「そのつもりです」
◇
公開エキシビションと同じ基本設定を使い、対戦人数だけを一対一へ変更する。
三本先取。
練習なので公式記録には残らない。
観戦者はミカ、ユイ、レナの三人だけにした。
ORIGINATORたちはすでに自分たちの準備へ戻っている。もっともORIGINATORだけは、「結果だけ後で教えろ」と言い残していたが、NoNameは答えなかった。
結果まで渡す必要があるとは思わなかったからだ。
「師匠」
開始待機中、レナから声が飛んでくる。
「なぜでしょう」
「私たち、見てていいんだよね?」
「はい」
「対策されるよ?」
「されるでしょうね」
「いいの?」
NoNameは一度考えた。
ここで使った動きを三人に見られる。
後の一対一では不利になる可能性がある。
それでも。
「構いません」
「なんで?」
「四人とも本気で勝ちに来てほしいので」
レナが一瞬黙った。
ミカが代わりに尋ねる。
「こちらが情報を共有しても?」
「どうぞ」
「後悔しませんか?」
「負けたらするかもしれません」
「するんですね」
「はい」
NoNameは笑った。
「その時は、見せすぎたと悔しがります」
ミカも少し笑う。
「分かりました。では遠慮なく見ます」
「お願いします」
開始まで。
三秒。
NoNameは正面を見る。
ECHOがいる。
二秒。
彼女は普段とほとんど表情を変えていない。
ただ。
勝ちたい。
それだけは、もう知っている。
一秒。
開始。
ECHOは動かなかった。
NoNameも、最初の一歩を踏み出さない。
奇妙な静けさが生まれた。
「……行かないんですか?」
「NoNameが来ると思っています」
「なぜでしょう」
「私と最初に戦いたかったから」
返事が速い。
「なるほど」
「違いますか」
「かなり合っています」
NoNameが認める。
ECHOの視線は揺れない。
「だから待ちます」
「私が来るまで?」
「はい」
「では、行かないかもしれませんよ」
「多分来ます」
「自信がありますね」
「今のNoNameは、したいことを我慢するのが前より下手です」
観戦していたレナが吹き出した。
「ECHO、言うね!」
「事実です」
NoNameは否定しなかった。
むしろ。
少し嬉しかった。
以前の自分なら、相手にそこまで明確に「したいこと」を読まれること自体が少なかった。
今は違う。
「では」
NoNameは前へ出た。
「その通りにしてみます」
ECHOも構える。
距離が縮まる。
NoNameが先に仕掛けた。
最初の攻撃。
ECHOは避ける。
追撃。
それもかわす。
NoNameがさらに一歩入ろうとした、その瞬間。
ECHOの反撃が来た。
来ること自体は分かっていた。
NoNameは身体をずらす。
しかし。
ECHOの攻撃は、NoNameが避ける先へ置かれていた。
「……」
一発入る。
NoNameは距離を取ろうとする。
ECHOが追う。
「下がる」
「そうですね」
「次は右」
NoNameは。
右へ動こうとしていた足を止めた。
ECHOの攻撃が、その先を通過する。
「危なかったです」
「止まった」
「言われたので」
「言わない方がよかった」
「そうですね」
「次は言いません」
「お願いします」
互いに淡々と話しながら、攻防だけは速くなる。
ECHOはNoNameが何を見ているのか知ろうとしている。
NoNameも同じ。
ただしNoNameは途中で気づいた。
ECHOは、自分の癖そのものを読んでいるのではない。
自分が何を欲しがっているかを見ている。
一点が欲しい。
最初に選んだECHOへ勝ちたい。
だからNoNameは、少しでも勝てそうな形が見えると前へ出る。
その傾向を利用されている。
「やはり」
NoNameが呟く。
「分かりやすいですか?」
「はい」
ECHOは即答した。
「かなり」
「そこまでですか」
「今も、私を倒せると思ったから前へ来た」
図星だった。
NoNameが一瞬笑う。
「困りましたね」
「困ってない顔です」
「少し楽しいので」
「知っています」
その瞬間。
ECHOが踏み込んだ。
NoNameの注意がほんのわずかに会話へ寄ったところを狙った。
反応は間に合う。
しかし完全には避けられない。
一撃。
さらに二撃目。
NoNameも返す。
互いの耐久が大きく減る。
あと一度。
どちらが先に通すか。
NoNameはECHOを見る。
ECHOもこちらを見ている。
先に動けば。
読まれる。
だからといって待てば、ECHOから来る可能性もある。
NoNameは少しだけ考え。
前へ出た。
ECHOの目が動く。
「やっぱり来た」
「はい」
読まれている。
それでも行く。
NoNameが攻撃へ入る直前。
ECHOは横へずれた。
そこまでNoNameは読んでいた。
追う。
しかし。
ECHOは二度目の移動をしなかった。
そこで止まる。
NoNameだけが、次の回避まで予想して身体を動かしてしまう。
「あ」
小さく声が出た。
ECHOの一撃。
撃破判定。
第一本。
ECHO。
観戦していた三人が一瞬静かになる。
やがてレナが最初に声を上げた。
「ECHO取った!」
「取りました」
ECHOは静かだった。
NoNameは敗北表示を見ている。
また。
負けた。
しかも今回は。
四対四の乱戦ではない。
一対一。
完全に自分だけを見られ。
読み負けた。
「NoName」
「はい」
「悔しいですか」
ECHOが尋ねる。
NoNameは自分の中を確かめた。
「はい」
即答できた。
「かなり」
「よかったです」
「よかったんですか?」
「次、本気でもっと来るから」
「今も本気でしたよ」
「でも、次はもっと勝ちたくなる」
NoNameは少し黙る。
否定できない。
一本取られたことで。
さきほどより明確に。
取り返したいと思っている。
「……ECHO」
「はい」
「それも読んでいます?」
「はい」
「困りましたね」
「二回目です」
「今日はよく困ります」
第二本。
開始までの待機へ入る。
NoNameは考えた。
欲を消せばいい。
ECHOに自分の狙いを読ませないためなら、一度冷静になり、勝ちたい気持ちを表へ出さず、もっとも合理的な手だけを選べばいい。
以前の自分に近い戦い方。
それなら、おそらく今より読まれにくい。
けれど。
それでは、この一対一を頼んだ意味がない。
「ECHO」
「はい」
「次も、取り返しに行きます」
「知っています」
「隠しません」
「それも分かっています」
「では」
NoNameは静かに笑った。
「分かったまま、止めてください」
ECHOの目が少しだけ細くなる。
「止めます」
第二本。
開始。
NoNameは。
今度も前へ出た。
◇
一本対一本。
第二本はNoNameが取った。
時間は第一本より短かった。
ECHOはNoNameが前へ来ると読んで待った。
NoNameも、待たれることを分かっていて前へ出た。
違ったのは、その後だった。
最初の一本では、ECHOへ届くことだけを優先した。
今回は途中で止まった。
欲しいものは変えていない。
ECHOから一点を取りたい。
ただし。
そこへ行く方法まで、欲に固定させなかった。
「……取られました」
「はい」
「嬉しいですか」
「かなり」
「顔で分かります」
「やはり出ていますか」
「はい」
ECHOが少し笑った。
「次、それを使います」
「では私も、使われることを考えます」
三本目。
ECHO。
四本目。
NoName。
二対二。
最後の一本まで。
決着はつかなかった。
観戦していたレナは途中から一言も喋らなくなっていた。
ユイも同じ。
ミカだけは時折何かを記録している。
おそらく全員。
自分がNoNameと戦う時のことを考えている。
それでいい。
NoName自身も。
今はECHOとの五本目だけを考えている。
「最後ですね」
「はい」
「今度こそ勝ちます」
「私もです」
「私が負けたら、何か教えますか?」
ECHOが聞いた。
NoNameは少し驚いた。
「教えてほしいですか?」
「前なら、聞いたと思います」
「今は?」
「自分で知りたいです」
NoNameは。
嬉しくなった。
けれど。
それを理由に手加減する気にはならなかった。
「では、何も言いません」
「はい」
「勝っても?」
「言わないでください」
「分かりました」
ECHOが構える。
「でも」
「はい?」
「負けたら、NoNameが悔しがるところは見たいです」
NoNameは一瞬黙った。
「趣味が悪くなっていませんか?」
「レナほどではないです」
「聞こえてる!」
観戦席から声が飛んだ。
ECHOは気にしない。
NoNameは笑った。
そして。
五本目が始まった。
最初の数十秒。
互いに決定打はない。
ECHOはNoNameの欲を読む。
NoNameは、読まれていることを含めて選び直す。
前へ出る。
止まる。
引く。
再び出る。
欲しいものは一つ。
勝ちたい。
ただし。
勝ちたいからこそ、同じ道だけを通る必要はない。
ECHOが横へ。
NoNameは追わない。
ECHOが止まる。
NoNameも止まる。
「来ない」
「行きたいですよ」
「なら来る」
「行きたいことと、今行くことは別です」
ECHOが少しだけ目を見開いた。
その瞬間。
NoNameが前へ出た。
「今は行きます」
「ずるい」
「勝ちたいので」
距離が消える。
ECHOもすぐ反応する。
互いに一撃ずつ入る。
耐久が減る。
NoNameがさらに追う。
ECHOは下がる。
今度こそ追えば届く。
そう見えた。
NoNameは足を踏み出す。
ECHOも、それを待っている。
第一本と同じ。
欲しくなった瞬間に、NoNameが来る。
だから。
NoNameは一歩目だけ踏み。
二歩目を止めた。
「……」
ECHOも止まる。
互いに。
相手が次に動くと思っていた。
ほんの一瞬の静止。
先に笑ったのはNoNameだった。
「どうしましょう」
「分かりません」
「私もです」
「でも」
ECHOが前へ出た。
「勝ちたい」
「はい」
今度は。
ECHOから来た。
NoNameも迎える。
読んだからではない。
待ち続けた結果でもない。
二人とも。
最後には自分から取りに行った。
攻撃が交差する。
NoNameの耐久が危険域へ。
ECHOも同じ。
次で決まる。
ECHOの視線が動く。
右。
NoNameはそれを見る。
フェイント。
そう判断した。
だから左へ来る。
NoNameは待つ。
しかし。
ECHOは本当に右へ行った。
「……!」
読まれた。
自分がフェイントだと読むことまで。
NoNameは遅れて向きを変える。
ECHOの攻撃が来る。
避けきれない。
なら。
避けない。
NoNameも同時に攻撃する。
ほとんど同時。
一瞬。
どちらが先だったか分からない。
表示が出る。
撃破。
勝者。
NoName。
三対二。
決着だった。
NoNameは。
数秒。
何も言わなかった。
やがて。
「……勝ちました」
「はい」
ECHOの声。
「嬉しいです」
「分かります」
「かなり」
「それも分かります」
NoNameは自然に笑っていた。
たった一回の練習試合。
公式記録には残らない。
ランキングも動かない。
世界の誰も見ていない。
それでも。
本当に嬉しい。
「ECHO」
「はい」
「ありがとうございました」
「またします」
お願いではなかった。
ECHOは当然のように言った。
「次は勝ちます」
NoNameも当然のように答える。
「私も勝ちます」
矛盾している。
どちらかしか勝てない。
けれど今は、それでよかった。
対戦ルームを出る。
待っていた三人がこちらを見る。
レナは明らかにうずうずしている。
ミカは落ち着いて見えるが、すでに準備は終えている。
ユイも対戦データの画面を閉じた。
「次!」
レナが手を上げる。
「私!」
「レナさん」
「何!?」
「NoNameさんが順番を決めると言いました」
「……あ」
三人の視線がNoNameへ集まった。
さきほどまでなら。
誰でも構わないと言っていたかもしれない。
だが。
最初の相手を自分で選んだ。
なら、次も。
「そうですね」
NoNameは三人を見る。
ミカ。
ユイ。
レナ。
それぞれと。
今は違う理由で戦いたい。
だから。
自分で決める。
「次は」
少し考えたあと。
NoNameは一人を見る。
「ユイ。お願いします」
「私ですか」
「はい」
ユイは眼鏡へ指を添えた。
「理由を聞いても?」
「ECHOには、私が何を欲しがるかを読まれました」
「はい」
「ユイなら」
NoNameは静かに笑う。
「私が欲しがること自体を、利用して盤面を作ると思うので」
ユイの表情が変わった。
ほんの少し。
楽しそうに。
「正解です」
「やはり」
「でも」
ユイはNoNameへ一歩近づく。
「それを先に教えてしまってよかったんですか?」
NoNameは。
少し考え。
「困りましたね」
「もう遅いです」
「そうですね」
「今度は私が、NoNameさんを困らせます」
その言葉を聞いて。
NoNameは。
また嬉しそうに笑った。
「お願いします」
公開試合まで、あと数日。
世界中がNoNameの公式初戦を待つ中。
本人が一番楽しみにしていたのは。
その前にまだ三人も。
本気で戦いたい相手が残っていることだった。




