第九十三話 勝ちたいです、それだけ書いてください
公開まで、残り二十秒。
NoNameは自分の端末に表示されたカウントを見ながら、先ほどまでとは違う種類の落ち着かなさを感じていた。
試合前の緊張とも違う。
レナと向かい合った時のような、次に何をしてくるのか分からない楽しさとも違う。
あと二十秒で、自分が競技者として登録されたことが世界へ公開される。
公開プロフィールには、本名も顔もない。
あるのは競技者名と所属、それからまだ何も積み重なっていない戦績だけ。
NoName。
所属、Crownless。
公式戦績、零戦零勝零敗。
それだけだった。
「師匠」
「はい」
「あと十五秒」
「見えています」
「緊張してる?」
「少し」
「ほんとに?」
「先ほども言いましたよ」
「だって師匠が緊張してるところ、あんまり見ないから」
レナはNoName本人より落ち着かない様子で、自分の端末と彼の画面を交互に見ている。
ミカも平静を装っているが、先ほどから何度も公開予定ページを更新していた。ユイだけは比較的冷静に見えるものの、その指はすでにイベント公開後の問い合わせ対応を想定した管理画面を開いている。
ECHOはNoNameのすぐ近くでカウントを見ていた。
「十秒」
「はい」
「九」
「ECHO」
「八」
「数えなくても分かります」
「七」
「続けるんですね」
「六」
NoNameは諦めた。
ORIGINATORとQUEEN、VOIDまで、少し離れた場所からその様子を見ている。
五。
四。
三。
二。
一。
表示が切り替わった。
カウントが消える。
代わりに。
**公開中**
その文字が表示された。
「……出ましたね」
NoNameが言った。
「出たあああ!」
レナの方が大きな声を上げた。
「師匠! 公開された!」
「はい」
「世界に!」
「公開イベントなので」
「反応薄くない!?」
「緊張はしています」
「全然見えない!」
「今のところ、何も起きていませんから」
「起きるよ!」
レナが断言した。
そして。
本当に。
数秒後から起き始めた。
最初に反応したのは、公開イベントシステムそのものだった。
イベントページの閲覧数が急激に増える。
数十。
数百。
千。
そこで一度表示更新が遅れた。
「……速くないですか?」
NoNameが尋ねる。
「大会公式アカウントから自動告知が出たんだろ」
ORIGINATORが自分の端末を見る。
「ほら。出てる」
「もうですか」
「承認済みイベントは公開と同時に告知される設定だ」
「そうでしたか」
「規約読んだんじゃなかったのか?」
「読みましたが、そこまで気にしていませんでした」
「珍しいな」
「出ると決めた後だったので」
ORIGINATORが少しだけ目を細めた。
以前ならNoNameは、公開範囲や告知方法、その後に起こる影響まで確認してから判断していただろう。
今回は違う。
もう一度戦いたい。
そのために必要なら選手登録をする。
公開でも構わない。
先にそこまで決めた。
告知がどれほど広がるかは、その後の問題だった。
「師匠」
レナが端末を差し出してくる。
「これ見て」
「何でしょう」
「イベントタイトル」
NoNameも自分の画面で確認する。
公開された正式名称は簡潔だった。
**WORLD EXHIBITION MATCH**
その下に参加者が並ぶ。
NoName。
ORIGINATOR。
QUEEN。
VOID。
対。
星野ミカ。
月城ユイ。
黒瀬レナ。
ECHO。
NoNameは一通り見てから言った。
「問題なさそうですね」
「そこじゃない!」
「では、どこでしょう」
「師匠の名前押して!」
言われた通り、自分の名前を選ぶ。
公開プロフィールが開いた。
NoName。
Crownless。
ランキング未参加。
公式戦績、零戦零勝零敗。
「先ほど見ましたが」
「違う。その下!」
公開イベント参加予定。
そこには今回の試合が表示されている。
さらに。
競技者プロフィール閲覧数。
NoNameは数秒黙った。
「……増えていますね」
「増えていますね、じゃない!」
数字が更新のたびに跳ね上がっている。
「みんな師匠見に来てる!」
「イベント参加者だからでは?」
「私たちのところ、こんな勢いじゃない!」
レナが自分の画面と比較する。
ミカが横から静かに言った。
「当然だと思います」
「そうでしょうか」
「NoNameさんには、これまで公式の競技者ページそのものがありませんでしたから」
大会後、NoNameという名前はすでに世界中へ知られている。
世界女王たちの師匠。
大会創設者ORIGINATORの旧友。
競技影響参考値では世界三位。
それなのに正式ランキングには参加せず、公開戦績も持っていなかった。
そこへ突然。
本人名義の公式競技者ページが現れた。
「しかも」
ユイが補足する。
「所属がCrownlessです」
「何か問題がありますか?」
「ありません。ただ、おそらくそこが一番話題になります」
「なぜでしょう」
「NoNameさんがCrownlessを帰る場所だと公言したことと、正式に競技上の所属として登録することは別だからです」
「そういうものですか」
「そういうものです」
NoNameはもう一度、自分のプロフィールを見る。
所属。
Crownless。
先ほども思った。
やはり、悪くない。
むしろ見るたびに少し嬉しい。
「消した方がいいですか?」
「駄目です!」
四人の声がほとんど重なった。
NoNameが目を瞬く。
ECHOまで含まれている。
「冗談です」
沈黙。
「……師匠」
「はい」
「最近、冗談覚えたからって乱用しないで」
「乱用したつもりはありません」
「今のは心臓に悪い!」
「すみません」
NoNameが謝ると、QUEENが横で笑っていた。
「面白いからもっとやれば?」
「QUEEN!」
「私は被害受けないもの」
「次からQUEENにだけやろうかな」
NoNameが言う。
QUEENの表情が止まった。
「……あなた、本当に変わったわね」
「そうでしょうか」
「今のは昔のあなたなら絶対言わなかったでしょうね」
ORIGINATORが大きく頷いている。
NoName自身にも、その自覚は少しあった。
以前なら、場を和ませるために必要なら冗談らしいものを言ったかもしれない。
だが今は。
QUEENの反応が少し見てみたかった。
ただそれだけだった。
その時、ユイの端末が連続して鳴り始めた。
一度。
二度。
三度。
止まらない。
「……来ましたね」
「何がですか?」
「問い合わせです」
ユイが画面を確認する。
「取材依頼。配信権に関する確認。追加観戦席の要望。海外メディアからも来ています」
「もう?」
「公開から二分ほどです」
「早いですね」
「NoNameさんが他人事のように言わないでください」
「かなり自分事だとは思っています」
「それならいいですが」
ユイは問い合わせを分類していく。
そこへORIGINATORの端末も鳴った。
「運営からだ」
「問題ですか?」
「逆だ。予想以上にアクセスが集中してるから、配信インフラを増強するってさ」
レナが笑う。
「師匠のせいじゃん!」
「私だけではないでしょう」
「半分くらい師匠じゃない?」
「根拠がありますか?」
「ない!」
「では採用できません」
「そこは昔の師匠!」
いつものやり取りが続く中。
ミカだけは少し黙ってイベントページを見ていた。
「ミカ?」
NoNameが呼ぶ。
「はい」
「何か気になりますか?」
「少しだけ」
ミカは画面をNoNameへ見せる。
イベント紹介文。
そこには八人の経歴が短くまとめられていた。
QUEENは正式世界一位。
ORIGINATORは大会システム創設者。
ミカたちは各ジャンルの世界トッププレイヤー。
VOIDについても直近大会での実績が記載されている。
そしてNoName。
その紹介だけが、少し異質だった。
**世界女王たちの師匠。**
**正式ランキング未参加。**
**参考競技影響評価世界三位。**
**公式戦初出場。**
「何か間違っていますか?」
「間違ってはいません」
「では?」
ミカは少し考えてから言った。
「NoNameさん自身が、何をしたい人なのかが書いてありません」
NoNameは紹介文を見る。
「それは当然では?」
「当然?」
「私はこれまで公式競技者ではありませんでしたから」
「でも」
ミカはNoNameを見る。
「今は違いますよね」
その言葉で。
NoNameは少し黙った。
世界女王たちの師匠。
間違いではない。
自分にとって大切な関係でもある。
参考評価世界三位。
それも、算出された数字としては正しい。
ORIGINATORの旧友。
大会優勝チームCrownlessの一員。
どれも自分を説明する言葉ではある。
ただ。
今回、なぜ公開試合へ出るのか。
そこには触れられていない。
「紹介文は運営側が作ったものですか?」
「基本部分はそうだ」
ORIGINATORが答える。
「参加者コメントなら追加できるぞ」
「コメント?」
「一、二行程度だ。普通は意気込みとか書く」
「必須ですか?」
「任意」
NoNameは画面を見る。
参加者コメント。
他の七人には、すでに短い文章が入っている。
QUEEN。
**今度こそ、全員まとめて私が勝つ。**
ORIGINATOR。
**久しぶりに、本気で遊ぶ。**
VOID。
**自分で選んだ相手に、自分で勝ちます。**
ミカ。
**今度は引き分けでは終わらせません。**
ユイ。
**答えを教わる試合ではなく、勝つ試合にします。**
レナ。
**師匠の公式初黒星、私が取ります!**
ECHO。
**NoNameに勝ちたいです。**
「ECHO」
「はい」
「簡潔ですね」
「本当のことだから」
「そうですか」
「NoNameは?」
NoNameは自分の空欄を見る。
何を書くべきか。
世界へ向けた言葉。
以前なら、無難なものを選んだだろう。
参加する皆さんにとって良い試合になればと思います。
学びのある時間にしたいです。
それぞれが自分らしく戦える場になれば。
いくつも浮かぶ。
けれど。
どれも今は少し違う。
「師匠、長文書きそう」
レナが覗こうとする。
「まだ何も書いていません」
「じゃあ何書く?」
「考えています」
「教えて?」
「少し待ってください」
NoNameは空欄を見続けた。
自分がこの試合へ出る理由。
難しく考える必要はなかった。
もう何度も言っている。
レナにも。
ミカにも。
ORIGINATORにも。
自分自身にも。
「ORIGINATOR」
「なんだ?」
「文字数はどのくらいですか?」
「最大百文字」
「そんなに必要ありませんね」
「何書くんだ?」
NoNameは入力した。
短い。
本当に短い一文。
そして確認画面を見せる。
**勝ちたいです。**
レナが数秒黙った。
ユイも。
ミカも。
ORIGINATORさえ一瞬だけ言葉を失った。
「……これでいいでしょうか」
NoNameが尋ねる。
「師匠」
「はい」
「それだけ?」
「はい」
「世界中に出るコメントだよ?」
「だからですが」
「だから?」
NoNameは自分が入力した一文を見る。
「今、私が一番したいことなので」
教えるためではない。
世界へ何かを証明するためでもない。
自分がどれだけ強いのか知らせるためでもない。
過去の失敗を清算するためでもない。
七人と戦って。
今度は勝ちたい。
それだけだった。
「もっと格好いいことを書いた方がいいでしょうか」
「駄目」
ミカがすぐに答えた。
「そのままでお願いします」
ユイも頷く。
「私も、その方がいいと思います」
「師匠っぽくないけど」
レナが笑う。
「今の師匠っぽい」
ECHOは一言。
「いいです」
ORIGINATORも笑った。
「出せよ」
「では」
NoNameは登録ボタンを押した。
更新。
公開イベントページ。
NoNameの名前の下へ。
新しい一文が追加される。
**勝ちたいです。**
たった六文字。
NoNameはそれをしばらく見ていた。
「……少し恥ずかしいですね」
「今さら!?」
「世界中に出ると思うと」
「消す?」
レナが尋ねる。
NoNameは首を横に振った。
「いいえ」
恥ずかしい。
けれど。
隠したいとは思わない。
「そのままで」
自分で決めた。
なら、それでいい。
ところが。
コメント公開から一分も経たないうちに。
ORIGINATORが笑い始めた。
「おい」
「何ですか?」
「お前のコメント、もう拡散されてるぞ」
「……なぜ?」
「今まで散々『教える人』『世界女王の師匠』『盤面を見る人』って言われてた男が、公式初戦の意気込みで『勝ちたいです』だけだからだろ」
「普通では?」
「お前にとっては今日からな」
NoNameは少し困った。
だが、ユイの端末へ届き続ける問い合わせの中にも、少しずつ変化が出始めていた。
NoNameの指導法について。
NoNameの正体について。
NoNameの過去について。
それらに混じって。
**NoNameは競技者として今後も活動するのか。**
という質問が増えている。
ユイがその一つを読む。
「これは、どうしますか?」
「何がでしょう」
「公開エキシビションの後も競技へ出る予定があるか」
NoNameはすぐには答えなかった。
選手登録はした。
だが正式ランキングへ入るつもりは、まだない。
今回の試合が終わった後。
その次。
さらにその次。
そこまで決めてはいない。
「分かりません」
「そのまま回答しますか?」
「はい」
「未定、と?」
「そうですね。ただ」
NoNameは少し考える。
「一つだけ付け加えてください」
「何を?」
「今回やってみて」
自分の公開プロフィールを見る。
零戦零勝零敗。
その数字が変わる最初の試合。
「また出たいと思ったら、出るかもしれません」
ユイは数秒NoNameを見た。
「それも公開していいですか?」
「はい」
「後から大量に誘いが来ると思いますよ」
「もう来ていますよね?」
「……そうですね」
「では、あまり変わりません」
「変わると思いますが」
ユイは苦笑しながら回答をまとめ始める。
その隣でレナがNoNameのプロフィールを何度も更新していた。
「師匠」
「はい?」
「お気に入り登録数、すごい勢いで増えてる」
「そうですか」
「気にならない?」
NoNameは少し考えた。
「ありがたいとは思います」
「でも一番気になるのは?」
NoNameはイベントページを見る。
開催日時は、まだ最終確定処理中。
対戦相手はもう決まっている。
ルールも同じ。
次は公開。
そして。
今度こそ勝敗をつけたい。
「試合がいつになるかですね」
レナが笑った。
「やっぱり」
「おかしいですか?」
「ううん」
レナは首を振る。
「今の師匠なら、それでいいと思う」
その時。
イベントページが更新された。
**開催日時確定。**
全員の端末へ同時に通知が届く。
NoNameも開いた。
数日後。
世界配信。
公開エキシビション。
同じ八人。
同じ基本ルール。
そして。
NoNameにとって初めての公式記録対象試合。
「決まりましたね」
NoNameが言う。
「決まったね!」
レナはすでにやる気だった。
「師匠、今日から練習する?」
「します」
今度はNoNameが即答した。
「え」
「何でしょう」
「いや……誘おうと思ったけど、師匠の返事が早すぎて」
「勝ちたいので」
レナが笑う。
「それ、便利な言葉になってない?」
「本当のことです」
「じゃあ練習しよう!」
「はい」
NoNameは頷いたあと。
ふと止まった。
「ただし」
「なに?」
「四人とも一緒ではなく」
ミカとユイ、ECHOもNoNameを見る。
「一人ずつ、お願いできますか?」
レナが瞬きをした。
「一対一?」
「はい」
「私たちと?」
「はい」
NoNameは四人を見る。
「公開試合までに」
一度、言葉を選ぶ。
「皆さんに、今の私がどこまで勝てるのか知りたいです」
以前なら。
四人の成長を確認するために対戦した。
どこが変わったかを見るため。
何を教えるべきか知るため。
今回は違う。
自分のためだった。
「なので」
NoNameは静かに笑った。
「まず、四人全員と一対一をさせてください」
最初に反応したのは。
やはりレナだった。
「やる!」
そしてその直後。
ミカも。
「私もお願いします」
ユイも静かに眼鏡へ触れる。
「望むところです」
ECHOは短く。
「勝ちます」
四人の答えを聞いて。
NoNameは自分の新しい公開プロフィールを閉じた。
世界が自分をどう見るかは。
今は、それほど重要ではない。
それより。
公開試合までに四人と戦える。
そのことの方が。
ずっと楽しみだった。




