第九十二話 所属欄には、Crownlessと書けばいいですか
選手登録をお願いします。
NoNameがそう言ったあと、最初に動いたのはORIGINATORだった。
「じゃあ、今やるか」
「ここでできますか?」
「ああ。公開イベント用の簡易登録ならな。ただし本人確認だけは正式なものが必要だ」
ORIGINATORが管理画面を操作すると、NoNameの端末へ一件の通知が届いた。
競技システム選手登録。
これまでなら、届いても開かなかった種類の画面だった。
NoNameは通知を選択する。
表示された最初の項目を見て、一度だけ目を止めた。
「本人確認情報は、公開されないんですね」
「当たり前だ。登録機関側で確認するだけだ。公開されるのは競技者名と、本人が公開を許可した項目だけ」
「それなら問題ありません」
「本名を表へ出す必要もねえ」
「助かります」
NoNameは淡々と手続きを進める。
その様子を、レナが少し離れた場所から落ち着きなく見ていた。
「師匠、本当に登録してる……」
「先ほどすると言いましたよ」
「言ったけど!」
「やめた方がいいですか?」
「なんでそうなるの!?」
「レナさん」
ユイが横から静かに口を挟む。
「邪魔をしない方がいいと思います」
「してないよ!」
「かなりしています」
「声出してるだけじゃん!」
「それを邪魔と言う場合があります」
「ユイ冷たい!」
そのやり取りを聞きながら、NoNameは本人確認を終えた。
次の画面。
公開競技者名。
入力欄は空白だった。
「NoNameでいいんですよね?」
「そこから確認するのかよ」
ORIGINATORが呆れた声を出した。
「他の名前を使う必要がありますか?」
「ねえよ。というか今さら別名で出たら余計面倒だ」
「では、NoNameで」
入力する。
短い名前。
三年前からミカたちが呼び続け、今では世界中に知られ始めている名前。
本名ではない。
けれど、少なくともこの世界では。
自分が選んで使ってきた名前だった。
登録可能。
重複なし。
画面に確認表示が出る。
NoNameはそのまま次へ進んだ。
国・地域。
公開設定。
連絡先。
イベント参加規約。
競技データ利用範囲。
一つずつ内容を読み、必要なものだけを選んでいく。
「師匠、ちゃんと全部読んでる」
「読まずに同意する方が問題では?」
「いや、そうなんだけど」
「NoNameさんはこういうところだけ妙に慎重ですよね」
ミカが言う。
「こういうところだけ、ですか?」
「失礼しました。こういうところも、です」
「かなり意味が変わりましたね」
「はい」
ミカが少し笑う。
やがて、NoNameの手が止まった。
画面の中央。
次の入力項目。
所属チーム・団体。
任意。
「……」
NoNameはしばらくそこを見ていた。
それに気づいたユイが尋ねる。
「何か問題がありましたか?」
「所属欄があります」
「ああ」
ORIGINATORが覗き込まずに答える。
「任意だ。空欄でも登録できる」
「そうですか」
「お前、今まで公式競技者じゃなかったから、競技上の所属は持ってねえだろ。そのまま無所属でも問題ない」
「なるほど」
NoNameは頷いた。
そして。
入力欄を選択した。
「では、Crownlessで」
音が消えたように静かになった。
NoNameは文字を入力しようとして。
誰も喋らなくなったことに気づく。
「どうしました?」
「……師匠」
「はい」
「今、何て?」
「Crownlessで登録しようかと」
レナは数秒固まった。
「なんでそんな普通に言うの!?」
「何か問題がありますか?」
「問題はないけど!」
「では」
「待って待って!」
レナが慌てて止める。
「師匠、それって競技者としてCrownless所属になるってことだよ!?」
「そうですね」
「分かってる!?」
「おそらく」
「またおそらくって言った!」
NoNameには、レナがなぜそこまで驚いているのか分からなかった。
Crownlessは、自分が帰る場所だ。
大会後の記者会見でもそう言った。
他チームへ移る意思もない。
ならば、所属を書く場所があるならCrownlessと書くのが自然だと思った。
「違うんでしょうか」
NoNameがユイを見る。
ユイは珍しく、すぐに答えなかった。
「……制度上は」
ようやく口を開く。
「Crownless側のチーム登録へNoNameさんを追加する手続きも必要になります」
「できますか?」
「できます」
「ではお願いします」
「即決ですね」
「いけませんか?」
「いえ」
ユイは一度視線を逸らした。
その口元がほんの少し緩んでいる。
「むしろ、かなり歓迎します」
「ありがとうございます」
「ただ、確認しておきます」
ユイはNoNameへ向き直った。
「今度の公開エキシビションでは、NoNameさんは私たちの対戦相手側です」
「はい」
「それでも所属はCrownlessにする?」
「はい」
迷いはなかった。
「試合でどちら側にいるかと、帰る場所は別ですよね?」
今度こそ。
四人とも何も言わなくなった。
NoNameが首を傾げる。
「違いましたか?」
「違いません」
最初に答えたのはミカだった。
いつもの落ち着いた声。
しかし、わずかに柔らかい。
「全く違いません」
「よかったです」
「ただ」
ミカは少し困ったように笑う。
「NoNameさんは、そういうことをもう少し考えてから言った方がいいと思います」
「考えましたよ」
「どのくらいですか?」
「五秒くらいでしょうか」
「それは考えたうちに入りません」
「そうですか?」
「入りません」
断言された。
隣でレナが何度も頷いている。
「師匠、ほんとそういうとこ!」
「今日もそれを何度か言われました」
「明日も言うと思う!」
「困りましたね」
「困ってない顔してる!」
ECHOがNoNameの画面を見ながら言った。
「私は嬉しいです」
「ありがとうございます」
「NoNameがCrownlessと書くの」
「はい」
「重要です」
「そうですね」
「意味、分かってる?」
NoNameは少し考えた。
「自分の所属を登録する、という意味ですよね?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「多分、あとで分かる」
「そうですか」
ECHOがそれ以上説明しないので、NoNameも追及しなかった。
ORIGINATORが少し離れた場所で笑っている。
「昔のお前が見たら驚くだろうな」
「何にですか?」
「所属欄へ自分からチーム名書いてることにだよ」
NoNameの手が止まった。
昔。
チームがあった。
勝つための最適な形を作り。
人を役割として配置し。
最後には壊した。
それから長い間。
自分がどこかへ所属することに、積極的な意味を見つけられなかった。
必要なら一緒に戦う。
必要なら教える。
必要なら手伝う。
けれど。
自分がそこへいることを、わざわざ形に残そうとはしなかった。
「……そうですね」
NoNameは小さく答えた。
「多分、驚くと思います」
「やめたくなったか?」
「いいえ」
NoNameはCrownlessと入力する。
一文字ずつ。
最後まで。
「今の私は、ここにいたいので」
レナが両手で顔を覆った。
「また!」
「今度は何でしょう」
「もう師匠しゃべらないで!」
「登録できません」
「必要なことだけしゃべって!」
「難しいですね」
「何が!?」
QUEENが耐えきれないように笑った。
「あなたたち、普段からずっとこれなの?」
「だいたい」
レナが答える。
「師匠が何も分かってないまま刺してくる」
「刺しているつもりはありません」
「ほら!」
NoNameはますます分からなくなった。
その間に、ユイの端末へチーム所属追加の申請が届く。
代表権限で承認。
続いてミカたちにもメンバー追加通知が送られた。
最後にNoNameの画面へ表示される。
所属チーム。
Crownless。
その文字を見て。
NoNameは不思議な感覚を覚えた。
大きなことをしたつもりはなかった。
ただ、空欄にしなかっただけ。
自分がいる場所を書いただけ。
それなのに。
「……いいですね」
思わず口から出た。
「何が?」
レナが尋ねる。
「表示されると」
NoNameは画面を見る。
「思っていたより、嬉しいです」
レナが何も言わずにしゃがみ込んだ。
「レナ?」
「放っといて!」
「具合が悪いですか?」
「師匠のせい!」
「私は何もしていませんが」
「した!」
ユイが小さく息を吐いた。
「NoNameさん」
「はい」
「その話はいったん終わりにしましょう。登録が進みません」
「そうですね」
残る項目を進める。
公開戦績。
表示する。
ランキング参加。
参加しない。
公開プロフィール。
競技者名と所属のみ。
顔写真。
登録しない。
配信時カメラ。
使用しない。
「相変わらずそこは徹底してるな」
ORIGINATORが言う。
「顔を出す必要はないですよね?」
「ああ」
「では出しません」
「本名も?」
「出しません」
「そこは変わらねえか」
「変える理由がありませんので」
NoNameは穏やかに答えた。
表舞台へ出る。
だからといって、すべてを差し出す必要はない。
自分が出たい範囲を自分で決める。
それでいい。
最後の確認。
競技者名――NoName。
所属――Crownless。
ランキング――未参加。
公開競技者ID――新規発行。
NoNameは確認ボタンへ指を置いた。
「これで登録ですか?」
「ああ」
「押すと公開プロフィールが作られる」
「はい」
「本当にいいんだな?」
ORIGINATORが最後に確認する。
NoNameは少しだけ考えた。
大会へ出るためではない。
順位を欲しがったからでもない。
世界に自分を認めてもらいたいからでもない。
ただ。
七人と、もう一度戦いたい。
そのために必要だから登録する。
「大丈夫です」
NoNameは押した。
処理中。
数秒。
画面が切り替わる。
登録完了。
競技者IDが発行された。
そして。
公開プロフィールが表示される。
そこには、本名も顔もない。
ただ。
大きく一つの名前。
**NoName**
その下に。
**所属:Crownless**
正式ランキング。
**未参加**
公式戦績。
**0戦0勝0敗**
レナが画面を覗いて笑った。
「師匠、ゼロ勝!」
「まだ試合をしていませんから」
「世界中の女王に勝ってきたのにゼロ勝!」
「公式戦ではありませんので」
「なんか面白い!」
「今のうちに笑っとけ」
ORIGINATORが言う。
「公開試合一回やったら、そのゼロ消えるぞ」
「引き分けなら?」
「一分けが付く」
「じゃあ次も引き分けたら、ゼロ勝のまま!」
「レナ」
ミカが静かに呼ぶ。
「次は勝つつもりです」
「私もだよ!」
「でしたら引き分けの話をしないでください」
「ミカ、今日ちょっと怖くない?」
「普通です」
「絶対違う」
その横でQUEENがNoNameのプロフィールを見ていた。
「ランキング未参加、公式戦績ゼロ」
「はい」
「なのに参考評価三位」
「それは別の数字です」
「そして初公開戦の相手が、正式世界一位の私を含む八人戦」
「そうなりますね」
「運営、絶対宣伝に使うわよ」
NoNameの表情が少し止まった。
「それは聞いていません」
「今さら?」
「宣伝は必要でしょうか」
「公開エキシビションなんだから当然だろ」
ORIGINATORが答える。
「お前が出るってだけで十分ニュースになる」
「困りますね」
「もう登録したぞ」
「取り消せますか?」
「師匠!?」
「冗談です」
全員が固まった。
NoNameも数秒して気づく。
「……今のは分かりにくかったですか?」
「師匠が冗談言った!」
「そこですか?」
「今日ほんとにどうしたの!?」
「普通ですが」
「普通が更新されすぎ!」
ORIGINATORが笑いながら管理画面を開く。
「じゃあ、次だ」
「まだ何かありますか?」
「エキシビション申請」
八人分の競技者ID。
イベント形式。
試合ルール。
ランキングポイントなし。
勝敗記録あり。
公開配信あり。
参加者の承認。
一つずつ入力される。
「日程は?」
ユイが尋ねる。
「全員の直近予定を照合する。最短で取れる枠を押さえる」
「観客数に制限は?」
「会場観戦は抽選。配信は制限なし」
「世界配信?」
「当然」
レナが嬉しそうにNoNameを見る。
「師匠、世界中に見られるよ」
「先ほど聞きました」
「緊張しない?」
NoNameは考える。
「するかもしれません」
「師匠が!?」
「私も人間なので」
「今日それ一番びっくりした!」
「レナ」
ユイが呆れたように名前を呼ぶ。
「冗談だって!」
「分かりにくいですね」
「師匠に言われたくない!」
やがて申請内容が完成した。
ORIGINATORが全員へ送る。
一人ずつ承認。
QUEEN。
VOID。
ミカ。
ユイ。
レナ。
ECHO。
ORIGINATOR。
最後にNoName。
画面には。
公開エキシビション参加承認。
NoNameは内容を一通り読み。
迷わず承認した。
「これで終わりですか?」
「申請はな」
ORIGINATORが管理画面を閉じる。
「審査が通ればイベントページが公開される」
「どのくらいです?」
「この面子なら確認さえ済めば早い」
「そうですか」
「早ければ今日中」
レナの顔が輝く。
「今日!?」
「まだ確定じゃねえぞ」
「でも公開されたら、師匠の名前出るんでしょ?」
「ああ」
NoNameはその会話を聞きながら、自分の新しいプロフィールをもう一度見た。
NoName。
Crownless。
0戦0勝0敗。
奇妙な表示だった。
これまで何千、何万と対戦してきた。
数え切れないほど勝った。
負けた。
誰にも知られない試合も多かった。
けれど競技者としての記録は。
今。
ゼロから始まった。
「ゼロですね」
NoNameが呟く。
ORIGINATORが振り向いた。
「何が?」
「戦績です」
「当たり前だろ」
「はい」
NoNameは少し笑った。
「悪くないです」
ORIGINATORが、その意味を察したように目を細めた。
「昔の記録を持ち込まなくていいからか?」
「それもあります」
「じゃあ他は?」
NoNameは考えた。
「これから増えるんですよね」
「出るならな」
「では」
自分の0戦0勝0敗を見る。
「増やしてみたいです」
誰も笑わなかった。
今度は。
本当に。
誰も。
NoName自身も、すぐに気づいた。
以前なら。
公開戦績が増えることに価値を感じなかった。
数字は結果であって、欲しいものではなかった。
今でも、数字そのものが欲しいわけではない。
ただ。
この先に。
自分が選んで出た試合の記録が並ぶのなら。
少し見てみたいと思った。
「NoNameさん」
ミカが呼ぶ。
「はい」
「一つ訂正してください」
「何をでしょう」
ミカはNoNameのプロフィールを指した。
「次の試合で増えるのは、あなたの勝利数とは限りません」
NoNameは一瞬黙り。
やがて笑った。
「そうですね」
「私たちが勝ちます」
ユイも頷く。
「今度は引き分けにはしません」
レナも続いた。
「師匠の公式初戦、黒星にする!」
「それは嫌ですね」
ECHOが言う。
「私も勝ちたい」
四人が。
今度は完全に。
NoNameを倒す相手として見ている。
NoNameも。
その視線を、嬉しいと思った。
「では」
NoNameは新しく発行された競技者IDを閉じる。
「私も、最初の記録は勝ちにしたいです」
その時。
ORIGINATORの端末が鳴った。
「……早えな」
全員が見る。
「何?」
QUEENが尋ねる。
ORIGINATORは届いた通知を開く。
数秒。
それから。
ゆっくり笑った。
「審査通った」
「えっ」
レナが身を乗り出す。
「もう!?」
「ああ」
ORIGINATORが表示を共有した。
イベント承認。
公開設定。
開催予定枠。
そして。
ページ公開までのカウント。
残り。
六十秒。
「ちょっと待って!」
レナが叫ぶ。
「世界に出るまであと一分!?」
「そうなるな」
「師匠!」
「はい」
「心の準備!」
「必要でしょうか」
「絶対必要!」
NoNameは画面を見る。
五十七秒。
五十六秒。
世界中へ。
NoNameが競技者になったことが公開される。
Crownlessに所属していることも。
初めて公開試合へ出ることも。
QUEENやORIGINATORたちと組み。
ミカ、ユイ、レナ、ECHOと戦うことも。
全部。
NoNameは、自分の胸の内を確かめた。
嫌ではない。
逃げたいとも思わない。
少し。
落ち着かない。
そして。
それ以上に。
楽しみだった。
「レナ」
「なに!?」
「少し緊張してきました」
「今!?」
「はい」
「遅いよ!」
カウントは。
三十秒を切った。
NoNameはその数字を見ながら。
今度は自分から。
公開される瞬間を待っていた。




