第九十一話 次は、観客がいても構いません
九対九。
試合終了後も、結果表示はしばらく画面の中央に残っていた。
NoNameはそれを見ながら、「次は勝ちたいですね」と口にした。
誰かを励ますためでもない。
引き分けという結果を前向きに解釈するためでもない。
ただ、本当にそう思ったから言っただけだった。
すると、ほとんど間を置かずにレナが身を乗り出した。
「じゃあ、もう一回!」
「私もしたいです」
「決まり!」
「待ってください、レナさん」
勢いのまま再戦を始めようとするレナを、ユイが止めた。
「対戦ルームの利用時間を確認してください」
「え?」
言われて初めて、レナも画面の隅を見る。
今回の非公開対戦のために確保されていた時間は、すでにほとんど残っていなかった。試合自体が予想以上に長引いたことに加え、開始前にも参加者同士でルールや設定を調整している。
同じ条件でもう一試合行うには足りない。
「そんなあ……」
レナが露骨に肩を落とした。
「延長できないの?」
「今日は無理だな」
答えたのはORIGINATORだった。
「この後は別の利用予定が入ってる。非公開枠だからって、好き勝手に占領するわけにはいかねえ」
「作った人なのに?」
「作った人間ほどルール破ったらまずいだろ」
「そこだけまとも!」
「そこだけってなんだ」
ORIGINATORが呆れた声を出す。
NoNameは二人のやり取りを聞きながら、もう一度九対九という表示へ目を向けた。
終わった。
もう今日は続きをできない。
その事実を理解すると、思っていた以上にはっきりと残念だった。
「……そうですか」
自分では普通に返したつもりだった。
ところが。
「師匠」
「はい?」
「今、すごい残念そうだった」
「そうでしょうか」
「そうです」
ミカまで即答する。
ユイも小さく頷いていた。
「以前より、かなり分かりやすくなっていますね」
「またですか」
「またです」
NoNameは少し困った。
この一試合だけで、自分が以前より読みやすくなったと何度言われただろう。
だが、不思議と嫌ではない。
実際に残念なのだから、そう見えたところで困ることもなかった。
「残念ですよ」
素直に認める。
「もう少しやりたかったので」
レナが口を開いたまま固まった。
ミカはわずかに視線を逸らし、ユイは何かを考えるように口元へ指を当てる。
ECHOだけは、いつも通りそのまま受け取った。
「私もです」
「ですよね」
「次が必要です」
「はい」
NoNameは頷いた。
「では、次の予定を決めませんか?」
今度は。
全員が黙った。
NoNameは首を傾げる。
「どうしました?」
「……師匠から?」
レナが確認する。
「はい」
「師匠の方から、次いつやるか決めようって言った?」
「言いました」
「自分から?」
「そうですが」
「ちょっと待って」
レナは両手で顔を覆った。
「今日いろいろ多すぎる」
「何がでしょう」
「師匠が普通にゲームしたがってる!」
「ゲームは以前から好きですよ」
「そういう意味じゃないの!」
NoNameには違いがよく分からない。
するとORIGINATORが、堪えきれないように笑った。
「諦めろ。本人だけ分かってねえ」
「やっぱりそう!?」
「昔からそういうやつだ」
「昔からなら何とかしてよ!」
「昔は今よりひどかった」
「これより!?」
「ORIGINATOR」
NoNameが呼ぶ。
「何だよ」
「少し失礼では?」
「昔の仲間にしか言えねえこと言ってんだよ」
そう返されると、NoNameはそれ以上反論しにくかった。
その横でQUEENが腕を組む。
「次ねえ」
視線がミカへ向く。
「私は別に同じ四対四じゃなくてもいいけど」
「私は一度、あなたと一対一で決着をつけたいと思っています」
ミカがすぐに答える。
「奇遇ね。私もよ」
「ただ」
ミカの視線がNoNameへ動く。
「今の試合も、もう一度したいです」
「私もです」
NoNameが答えると、QUEENが面白くなさそうに眉を寄せた。
「私との一対一より反応が早くない?」
「私とQUEENは同じチームでしたから」
「そういう問題?」
「違いますか?」
「……あなた、本当に普段どうやってこの四人と生活してるの?」
「普通にですが」
ミカが何か言いたそうな顔をしたものの、結局何も言わなかった。
代わりにユイが話を戻す。
「同じ対戦を改めて行うとして、全員の予定を合わせる必要があります。大会直後ですから、それぞれに予定がありますし、QUEENさんたちはCrownless所属ではありません」
「そうですね」
「ですので今日のように、思いついた直後に八人揃うとは限りません」
NoNameは頷く。
そこまでは分かる。
ただ。
「では、合わせましょう」
ユイが瞬きをした。
「簡単に言いますね」
「難しいですか?」
「いえ……」
ユイは少し言葉を選んだ。
「NoNameさんが、そこまでして次の対戦予定を決めたがるとは思っていなかっただけです」
「私も参加者ですよ」
「今日から急に、それを強く主張するようになりましたね」
「そうかもしれません」
NoNameは笑った。
今までなら、他の人たちが再戦を望めば付き合っただろう。
頼まれれば断らなかった。
予定が合えば参加した。
けれど、それと今は少し違う。
誰かに求められたからではない。
自分がもう一度やりたい。
だから、自分から次の予定を作ろうとしている。
「私は、もう一度やりたいです」
NoNameは言った。
「できれば全員が同じ条件で」
「条件まで指定する!?」
レナが驚いている。
「嫌ですか?」
「逆!」
「逆?」
「嬉しい方!」
「それならよかったです」
「だから普通に返さないで!」
また怒られた。
今日はよく怒られる日だ。
NoNameが理由を考えていると、ORIGINATORが別のところで考え込んでいた。
「同条件か」
「難しいですか?」
「いや」
ORIGINATORが答える。
「非公開でやるなら、また枠を押さえりゃいい。ただ」
「ただ?」
「同じことやるだけじゃ、もったいなくねえか」
NoNameは意味を測りかねた。
「もったいない、とは?」
「今日の試合」
ORIGINATORは九対九の結果を指す。
「誰にも見せねえまま終わらせるの、もったいねえって話だよ」
その言葉で、空気が少し変わった。
ミカとユイが同時にORIGINATORを見る。
レナも表情を変えた。
ECHOは静かに聞いている。
QUEENだけは、すでにORIGINATORの考えていることを察したらしい。
「公開でやる気?」
「ああ」
「面白そうね」
「ちょっと待ってください」
ユイが割って入る。
「それは話が変わります。今回は完全な非公開戦です。参加者も観戦者も限定されていて、ランキングや公式記録とは切り離されている」
「だからエキシビションにすりゃいい」
「簡単に言いますが」
「作る側は俺だぞ」
「先ほどルールを破れないと言った人が、今度は急に権限を使わないでください」
「破るんじゃねえ。正規の枠を作るんだよ」
ORIGINATORは楽しそうだった。
「ランキングポイントなし。公式順位への影響なし。勝敗だけ記録する公開エキシビション。ルールは今日と同じ。参加者が全員同意するなら、成立させる方法はある」
ユイは即座に否定しなかった。
可能かどうかを頭の中で整理しているのだろう。
ミカも黙っている。
レナは。
「やりたい!」
「レナさん」
「だって絶対面白いじゃん!」
「問題は面白いかどうかだけではありません」
「でも面白いでしょ?」
「……それは否定しません」
ユイが少し悔しそうに認めた。
ECHOも口を開く。
「私は公開でもいいです」
VOIDも頷いた。
「私も構いません」
「私は当然出るわ」
QUEENも即答する。
「ミカとの続きができるなら、観客が何人いようと関係ないもの」
「私も構いません」
ミカが答える。
ユイも少し考えたあと。
「条件を確認してからですが、反対ではありません」
最後にレナ。
「私は最初から賛成!」
「知っています」
「ユイひどい!」
次々に話がまとまっていく。
NoNameはそれを聞きながら、一つだけ妙なことに気づいた。
全員の視線が。
最後には、自分へ集まっている。
「……私ですか?」
ORIGINATORが呆れる。
「お前以外に誰がいる」
「皆さんは参加するようですが」
「お前が一番の問題なんだよ」
「なぜでしょう」
「本気で言ってんのか?」
ORIGINATORは深く息を吐いた。
「公開だぞ、NoName」
「はい」
「観客がいる。記録も残る。今度は関係者だけじゃねえ。今日みたいに、お前がレナに負けて悔しがったり、取り返して喜んだり、ECHOに読まれたりするところまで全部見られる」
「そうですね」
「世界中から見られる可能性もある」
「はい」
「お前、今までそういうの避けてただろ」
NoNameはすぐには答えなかった。
避けていた。
大会へ出る必要を感じなかった。
配信する理由もなかった。
誰かに自分の強さを証明したいとも思わなかった。
有名になることに興味はない。
それは今も変わらない。
公開試合に出れば、おそらくさらに面倒なことが増える。
すでに大会後だけでも、取材や契約、対戦依頼が大量に届いている。
今以上に知られれば、それも増えるだろう。
そのあたりだけを考えれば。
出ない方が楽だった。
「師匠」
レナの声が少しだけ静かになる。
「無理しなくていいよ」
ミカも続く。
「はい。NoNameさんが嫌なら、非公開のままで構いません」
「私たちは、もう一度戦えれば十分です」
ユイもそう言った。
ECHOは短く。
「嫌なら、しない」
誰もNoNameへ公開を求めない。
だからこそ。
NoNameは自分で考えた。
観客がいること。
自分の戦いが世界へ見られること。
ランキングではないとしても、競技者として公開の場へ立つこと。
それらが嫌なのか。
それとも。
面倒なだけなのか。
答えは思ったより簡単だった。
「構いません」
レナが瞬きをする。
「……え?」
「公開でも構いません」
今度こそ。
全員が黙った。
ORIGINATORまで笑うのをやめている。
「NoName」
「はい」
「意味分かって言ってるか?」
「おそらく」
「おそらくじゃなくて」
「正式ランキングへ参加するという話ではないんですよね?」
「ああ。それとは別だ」
「でしたら」
NoNameは九対九の表示を見る。
今日の試合。
レナに負けた。
取り返した。
ミカとは相討ち。
ECHOには自分の欲から進路を読まれた。
VOIDには欲しかった一点を先に取られた。
ORIGINATORとは結局、直接の決着をつけられなかった。
最後も引き分け。
完璧なところなど、ほとんどない。
それでも。
「私は、もう一度この試合をしたいです」
「……ああ」
「公開にすると、それができないんですか?」
「いや、できる」
「なら問題ありません」
ORIGINATORが数秒黙る。
そして。
今までで一番大きく笑った。
「お前、本当に変わったな!」
「そうでしょうか」
「昔のお前なら、公開でやる意味を先に聞いた!」
言われてみれば、そうだったかもしれない。
公開することで何が得られるのか。
誰に利益があるのか。
必要なことなのか。
まずそこから考えたはずだ。
今は。
自分がやりたい。
その後から、公開でも大丈夫かを考えた。
「意味はありますよ」
「何だ?」
「次は勝ちたいので」
「公開する意味になってねえ!」
レナが吹き出した。
ミカも口元を押さえ、ユイまで肩を揺らしている。
NoNameだけが、なぜ笑われたのか分からなかった。
「違いましたか?」
「もういい。そのままでいろ」
「そう言われましても」
ORIGINATORはまだ笑っていたが、不意に表情を戻した。
「ただし一個だけある」
「条件ですか?」
「ああ」
NoNameを見る。
「公開エキシビションとして正式に組むなら、参加者は全員、競技システム上の選手登録が必要になる」
NoNameの表情が止まった。
ミカたちも静かになる。
「ランキング登録とは別だ」
ORIGINATORが先に説明した。
「正式ランキングへ入る必要はない。公開イベントへ参加するための競技者IDだけだ。QUEENたちは持ってる。Crownlessの四人も当然持ってる」
そして。
「持ってないのは、お前だけだ」
NoNameは画面を見る。
選手登録。
今までは必要なかった。
大会へ出るつもりがなかったから。
人に教えるためにも。
誰かの試合を見るためにも。
Crownlessへ帰るためにも。
必要ではなかった。
「嫌なら非公開に戻せる」
ORIGINATORが言う。
「決めるのはお前だ」
誰も何も言わない。
ミカも。
ユイも。
レナも。
ECHOも。
答えを待つだけだった。
NoNameは少し考える。
正式ランキングへ挑むわけではない。
世界一になりたいわけでもない。
自分の価値を証明したいわけでもない。
ただ。
もう一度。
あの七人と。
本気で試合をしたい。
そして今度は。
勝ちたい。
「ORIGINATOR」
「おう」
「登録には、どのくらいかかりますか?」
ORIGINATORの目が細くなる。
「手続き自体ならすぐだ」
「そうですか」
NoNameは頷いた。
「では」
ほんの少しだけ。
楽しそうに笑う。
「選手登録をお願いします」
誰も、すぐには声を出さなかった。
三年前。
世界女王になったミカが、勝てない相手として名前を口にした。
そこから世界中が探しても。
大会へ出ず。
ランキングにも載らず。
表舞台へ上がろうとしなかった男。
NoName。
その名前が。
本人の意思によって初めて。
**競技者として登録されることになった。**




