第八十九話 選んだ相手から、目を逸らさない
六対六。
盤面の四か所で、それぞれが自分で選んだ相手と向き合っていた。
QUEENはミカ。
ORIGINATORはユイ。
VOIDはECHO。
そしてNoNameは、レナ。
誰かが組み合わせを決めたわけではない。
試合を効率よく進めるために作られた配置でもない。
八人がそれぞれ、「今、この相手と戦いたい」と選んだ結果だった。
「師匠」
レナが構えたまま、NoNameを見ている。
「はい」
「さっきから、他のところ見てないね」
「見ていますよ」
「え?」
「位置くらいは」
NoNameは視線そのものを動かさず答えた。
音。
通信。
味方から共有される最低限の情報。
それだけでも盤面の状況はある程度分かる。
ミカとQUEENが左側で激しく位置を入れ替えていること。
ORIGINATORとユイが中央奥で、互いに相手を望んだ場所へ動かそうとしていること。
VOIDとECHOがすでに接近戦へ入ったこと。
分かっている。
けれど。
「今はレナを見ています」
レナの動きがほんの少しだけ止まった。
「……そういうの」
「はい?」
「急に言うのやめて」
「何かおかしかったですか?」
「おかしくないから困る!」
レナが踏み込んだ。
先ほどまでより速い。
「師匠のばか!」
「なぜ怒られたんでしょう」
「知らない!」
初撃。
NoNameは外側へかわした。
レナが追う。
しかし、以前のように勢いだけで連撃を重ねない。
二撃目を出す直前で止まり、NoNameが反撃へ移るかを確認する。
NoNameもすぐには動かなかった。
二人の間に、ほんのわずかな静止が生まれる。
「また止まりましたね」
「師匠もね」
「はい」
「じゃあ」
レナが笑った。
「どっちが先に我慢できなくなるか勝負!」
「それは競技として正しいんでしょうか」
「知らない。でも楽しい!」
「では、やりましょう」
「乗るんだ!?」
言いながらも、レナは嬉しそうだった。
数秒。
二人は動かない。
ただし、何もしていないわけではない。
NoNameはレナの重心を見る。
前足の角度。
指先。
視線。
呼吸。
レナもおそらく、自分の動きを見ている。
昔なら、その観察の差でNoNameが先に答えへ辿り着いていた。
相手が次に何をするか。
どこまで待てるか。
何を恐れているか。
だが今のレナは、そこからさらに一つ先へ進んでいる。
自分が読まれていることを知った上で。
その場で、答えを変える。
だから面白い。
NoNameの口元がわずかに緩む。
「笑った!」
「はい」
「余裕?」
「いいえ」
「じゃあ何?」
「楽しいです」
「またそれ!」
我慢できなくなったのはレナだった。
しかし、前には来ない。
逆に後ろへ跳んだ。
NoNameの目がわずかに開く。
「どう?」
「意外でした」
「よし!」
レナは嬉しそうに距離を取る。
「師匠、絶対私が来ると思ったでしょ」
「かなり」
「前の私なら来てたからね」
「はい」
「でも今日は、師匠に勝つためなら逃げる!」
「成長しましたね」
「教えないって言った!」
「これは感想です」
「それも禁止!」
「厳しいですね」
NoNameが追う。
今度はレナが下がりながら迎え撃つ。
彼女がもっとも得意としてきたのは近距離。
それを自分から捨てている。
苦手な場所へ逃げたのではない。
NoNameに勝つために、一時的に得意な場所を手放した。
そこには、以前のレナにはなかった判断がある。
NoNameは自然と考えていた。
ここで彼女を追えば――。
その時だった。
撃破音が響く。
スコアが変わった。
六対七。
Crownlessが前へ出る。
倒されたのはVOID。
撃破したのはECHOだった。
『取りました』
ECHOの声が通信へ入る。
敵側のものなのでNoNameには内容までは届かないが、表示を見れば何が起きたかは分かる。
VOIDが落ちた。
今なら。
NoNameが一瞬だけ盤面を広く捉える。
ECHOは戦闘直後。
耐久も削れている可能性が高い。
こちらから近い。
レナとの戦闘を切り上げれば、短時間でECHOを狙える。
六対七を七対七へ戻すには、合理的な選択だった。
レナもそれに気づいたらしい。
「師匠」
「はい」
「今ならECHOの方行けるよ」
「そうですね」
「行かないの?」
NoNameは少しだけ考えた。
昔なら行った。
迷わず。
今いる相手との勝負より、チーム全体の勝率を優先したはずだ。
それが正しい。
おそらく今でも、数値だけなら正しい。
けれど。
「行きません」
レナの目が丸くなった。
「なんで?」
「レナと戦っているので」
「でも一点負けてるよ?」
「知っています」
「勝ちたいんでしょ?」
「はい」
「だったら――」
「だからです」
NoNameはレナだけを見る。
「私は三人に任せると言いました」
QUEEN。
ORIGINATOR。
VOID。
自分が選んだ三人。
VOIDが一度負けた。
だからといって、すぐ自分が穴を埋めに行くなら。
それは本当に任せたことになるのだろうか。
「VOIDが負けたから、私がすぐ代わりへ行く。それを毎回していたら、結局私が全部決めることになります」
「……師匠」
「もちろん、本当に必要なら行きます」
試合に勝つため。
それを捨てるつもりはない。
だが今は、まだ六対七。
試合は続いている。
「今は、レナと戦うと決めた方を選びます」
レナが黙る。
顔が少し赤い。
「……それ」
「はい?」
「他の三人にも言える?」
「何をですか?」
「もういい!」
レナが再び踏み込んできた。
「やっぱり怒っていますね」
「師匠のせい!」
今度の動きは速かった。
ただし、怒った勢いだけではない。
最初の踏み込みを見せて、NoNameが反応した瞬間に横へ抜ける。
さらにそこから攻撃。
NoNameは半歩遅れた。
耐久が削られる。
「入りましたね」
「今こっちは色々大変なの!」
「何がでしょう」
「それを師匠が聞くな!」
NoNameには本当に分からなかった。
だが、考えている暇はない。
レナが連続して攻める。
NoNameは防ぎながら後退する。
いつの間にか、状況が逆転していた。
さきほどまでレナを追っていたのはNoNameだった。
今はNoNameが押されている。
それでも逃げる気にはならなかった。
むしろ。
「いいですね」
「だから褒めない!」
「感想です」
「それもだめ!」
レナの攻撃をかわし、NoNameが内側へ入る。
距離が縮まった。
レナの得意な場所。
それでもNoNameは退かない。
二人の攻撃が何度も交差する。
その間にも、別の場所では戦闘が続いていた。
そして。
二つ目の撃破音。
スコアが動く。
七対七。
今度はNoNameたちの側。
QUEENがミカを倒した。
『取ったわ』
味方通信へQUEENの声が入る。
いつもの余裕を装っているが、かなり嬉しそうだ。
『二回やられた分、一つ返した』
「おめでとうございます」
『あなた、こっち見てないでしょう』
「見ていません」
『即答するの腹立つわね』
「今、忙しいので」
『レナ?』
「はい」
少しの沈黙。
『……へえ』
「何でしょう」
『別に』
QUEENは妙に楽しそうな声を残して通信を切った。
「何だったんでしょう」
「知らなくていい!」
なぜかレナが答えた。
NoNameはますます分からない。
だが七対七。
均衡は戻った。
自分が動かなくても。
QUEENが、自分で取り返した。
胸の中に小さな安堵が生まれる。
これでよかった。
自分が全てを直さなくても、試合は動く。
その実感は思っていた以上に大きかった。
「師匠」
「はい」
「今、ちょっと安心したでしょ」
「分かりますか」
「顔に出てる」
「そんなにですか」
「前よりずっと」
ECHOにも言われた。
ユイにも言われた。
ORIGINATORにも。
自分はずいぶん分かりやすくなったらしい。
「それ、弱点になるよ」
レナが言う。
「はい」
「私、使うからね」
「どうぞ」
「隠さないの?」
「隠した方が勝ちやすいでしょうね」
「じゃあ何で?」
NoNameは少し考えた。
「全部隠して勝っても、今日はあまり面白くない気がします」
レナが静かになる。
NoNameは続けた。
「もちろん、試合なので必要なことは隠します。ただ」
嬉しい。
悔しい。
誰と戦いたい。
誰に勝ちたい。
そうしたものまで全部消してしまったら。
昔の自分と、あまり変わらない。
「今は、私が何をしたいかくらいは見えてもいいと思っています」
「……そっか」
レナが笑った。
今度はからかうような笑いではない。
「じゃあ私も隠さない」
「何をでしょう」
「師匠に勝ちたい」
「知っています」
「すっごく勝ちたい」
「それも」
「あと」
レナは言いかけて止まった。
「あと?」
「……今は言わない!」
「そうですか」
「そこは気にしてよ!」
「気になります」
「普通に言うな!」
また怒られた。
NoNameにはやはり理由が分からない。
だが、そのままレナが飛び込んでくる。
今度は迷いがない。
NoNameも迎える。
互いの耐久はすでにかなり削れている。
次の大きな攻防で、どちらかが落ちる。
レナも分かっている。
「師匠」
「はい」
「今度こそ取る!」
「私もです」
「絶対?」
「はい」
NoNameは構えた。
「レナから取りたいです」
一瞬。
レナの頬がさらに赤くなった。
「もう!」
勢いよく踏み込んでくる。
しかし、その攻撃は雑ではない。
最初の一撃。
NoNameが避ける。
二撃目を出さず止まる。
NoNameも反撃を止める。
互いに相手が選び直すのを待つ。
レナは笑った。
「また同じだね」
「そうですね」
「でも次は違うよ」
「でしょうね」
レナが後ろへ下がる。
先ほど成功した動き。
NoNameは追う。
レナの目が光る。
追ってくることを待っていた。
下がった直後、急反転。
前へ出る。
「取った!」
レナが叫ぶ。
NoNameは。
止まった。
「え?」
追うように見せて。
レナが戻ってくる場所で待った。
完全に互いの読みが重なっている。
レナは止まれない。
NoNameの攻撃が届く。
撃破判定。
スコアが変わった。
八対七。
NoNameたちが、一点前へ出る。
「……」
撃破されたレナが数秒黙った。
NoNameは表示を確認する。
「取りました」
『聞こえてる!』
「嬉しいです」
『それも聞いてない!』
「かなり」
『追加しなくていい!』
NoNameは笑った。
自分で選んだ相手。
そこから取った一点。
誰かを助けるためでもなく。
誰かへ何かを教えるためでもない。
純粋に自分が欲しかった一点だった。
『師匠』
「はい」
『次、絶対取り返す』
「分かりました」
『逃げないでよ』
NoNameは少し考える。
「状況次第では逃げます」
『そこは約束して!』
「勝ちたいので」
『ずるい!』
「でも」
NoNameは復帰待ちへ入ったレナの表示を見ながら続ける。
「また戦いたいとは思っています」
通信が静かになった。
「レナ?」
『……師匠』
「はい」
『ほんと、そういうとこだからね』
「どういうところでしょう」
『自分で考えて!』
通信が切れた。
NoNameは首を傾げる。
その直後。
中央奥から撃破音が響いた。
スコアが変わる。
八対八。
「……」
今度はユイが。
ORIGINATORを倒していた。
『悪い!』
ORIGINATORの声が味方通信へ飛び込む。
「負けましたか」
『見りゃ分かるだろ!』
「はい」
『なんか言え!』
「取り返してください」
『お前が行け!』
「先ほど、自分で取り返すと言っていましたよね?」
『覚えてんじゃねえよ!』
NoNameが小さく笑う。
八対八。
誰かが取れば、誰かが取り返す。
誰も一人では試合を決められない。
そして、それが今は心地いい。
だが。
次の瞬間。
試合システムの表示が変わった。
残り時間。
あと二分。
同点。
それまで自由に戦っていた全員が、その数字だけは同時に見た。
残り二分。
ここからは、一点の重さが今までとは違う。
NoNameも分かっている。
好きな相手だけを追い続けていれば、負ける可能性がある。
任せることと。
勝つために必要なことを何もしないことは違う。
その境界を、これから選ばなければならない。
『NoName』
ORIGINATORが呼んだ。
「はい」
『残り二分だ』
「見ています」
『どうする』
以前なら。
その問いへの答えは、すぐに出ていた。
全員の位置を整理し。
相性を計算し。
もっとも勝率の高い配置を決める。
そして伝える。
NoNameは盤面を見た。
QUEEN。
VOID。
ORIGINATOR。
それぞれが自分の場所にいる。
相手側には。
ミカ。
ユイ。
レナ。
ECHO。
八対八。
残り二分。
NoNameは少しだけ考えたあと、通信を開いた。
「一つ、提案があります」
ORIGINATORが笑う。
『命令じゃないんだな』
「はい」
『聞こうじゃねえか』
QUEENも。
VOIDも。
こちらを聞いている。
NoNameは盤面を見ながら、静かに言った。
「最後の二分だけ」
一度息を吸う。
「今度は四人で、一緒に勝ちに行きませんか」
通信の向こうが。
一瞬だけ静かになった。




