第八十八話 勝ちたいから、任せます
五対四。
味方が一点を先行している。
NoNameはユイの射線へ自分から踏み込みながら、その数字を頭の隅へ置いた。
目の前の相手へ集中しすぎれば、盤面全体を見失う。
かといって全体ばかり見れば、またレナに取られた時と同じことになる。
以前なら、この二つを両立させるために周囲の人間まで動かした。
自分がユイを見るなら、誰かに右を押さえさせる。ミカの位置を固定し、レナの進路を塞ぎ、ECHOへ圧力をかける。
そうやって盤面そのものを、自分が扱いやすい形へ整えていた。
「NoNameさん」
ユイが一発撃つ。
NoNameは遮蔽物へ入らず、半歩だけ身体をずらしてかわした。
「はい」
「今、私以外のことも考えていますね」
「考えています」
「失礼では?」
「ユイも同じでしょう?」
「もちろんです」
二発目。
今度はNoNameの逃げ道を制限するための攻撃だった。
避けられる。
しかし避けた先から、ユイがさらに角度を取れる。
NoNameはそれを理解した上で前へ出た。
「来ますか」
「あなたから一点取ると言いましたので」
「素直ですね」
「最近よく言われます」
「では、その素直さを利用します」
ユイが下がる。
NoNameは追った。
距離が縮まったところで、ユイは突然進路を変えた。
NoNameから逃げるのではない。
左側へ走る。
その先ではミカとQUEENが戦っている。
「なるほど」
NoNameもすぐに意図を理解した。
ユイは一対一へこだわっていない。
NoNameが自分から一点を取りたがっているのを利用し、追わせたまま別の戦場へ連れていくつもりだ。
追えば、ミカとユイが合流する。
追わなければ、ユイを取り逃す。
NoNameは数秒だけ考え。
そのまま追った。
「来るんですね」
「はい」
「罠かもしれませんよ」
「そうでしょうね」
「それでも?」
「今はユイから取りたいので」
「本当に扱いやすくなりましたね」
「困っています」
言葉とは逆に、NoNameは少し笑っていた。
以前なら、自分の欲が相手に利用されることを嫌ったかもしれない。
今は違う。
利用されるなら、その上で勝てばいい。
ユイがミカの側へ近づく。
ミカもそれに気づいた。
しかし彼女はユイの援護へ入らなかった。
「ミカさん?」
「すみません。今はこちらで手が離せません」
「そうですか」
その声は妙に穏やかだった。
QUEENが笑う。
「あなた、絶対わざとでしょ」
「何がですか?」
「NoNameとユイの勝負を邪魔したくない顔してる」
「試合中に余計な分析をする余裕があるんですね」
「図星ね」
「撃ちますよ」
「もう撃ってるでしょうが!」
ミカとQUEENの戦闘が激しくなる。
ユイはそちらへ合流するのをやめた。
「……予定と違いました」
「ミカが来てくれると思いましたか?」
「多少は」
「本人が選ばなかったようですね」
「嬉しそうですね」
「はい」
NoNameは素直に答えた。
「私に合わせなかったので」
ユイが一瞬だけ視線を細める。
「それを喜びながら、私には勝ちたい?」
「両立しますよ」
「欲張りです」
「それも最近言われました」
再び二人が動く。
今度はユイが先に攻めた。
NoNameが右へ逃げる。
そこはユイが予測していた方向だった。
さらに射線が重なる。
NoNameは直前で足を止め、逆へ切り返した。
ユイの攻撃が空を切る。
「今のは以前のNoNameさんですね」
「そうでしょうか」
「私がどこへ追い込もうとしているかを見て、先に外しました」
「それは昔から変わっていません」
「では、変わったのは何でしょう」
ユイが問いながら距離を取る。
NoNameは追いかける。
「何をするか、ではないと思います」
「というと?」
「何のためにするか、でしょうか」
昔も勝つために相手を読んだ。
今も勝つために読む。
行動だけを見れば、それほど違わない。
けれど以前は、勝つことそのものさえ、自分の欲だったのか分からない時があった。
チームが勝つため。
正しい答えを証明するため。
相手へ必要なものを渡すため。
いつも理由が先にあった。
今はもっと単純だった。
「私は今日、勝ったら嬉しいと思います」
「はい」
「負けたら悔しいです」
「はい」
「なので勝ちたいです」
ユイが少し笑う。
「本当に単純になりましたね」
「悪い意味ですか?」
「いいえ」
ユイの声が柔らかくなる。
「かなり好きです」
NoNameの足が止まった。
ほんの一瞬。
ユイも止まった。
自分で口にした言葉の意味へ気づいたらしい。
「……今のは」
「はい」
「プレイヤーとして、です」
「なるほど」
「そこはもう少し何かありませんか?」
「何かとは?」
「いえ。何でもありません」
ユイが明らかに不満そうな顔をした。
NoNameが理由を考え始めた、その時だった。
撃破音が鳴る。
表示が変わった。
五対五。
QUEENが落とされていた。
『取りました』
ミカの声。
『二回目よ!』
『はい』
『はい、じゃないわよ!』
『勝負ですので』
『次は絶対私が取る!』
『お待ちしています』
NoNameはスコアを見た。
同点。
QUEENが倒された。
すぐに頭の中で盤面が組み替わる。
今なら、ORIGINATORを左へ。
VOIDには中央を押さえてもらい、自分がユイを引きつけたまま――。
「NoNameさん」
ユイが呼んだ。
「はい」
「今、指示を出そうとしましたね」
NoNameは少し黙った。
「……分かりますか」
「顔で」
「そんなに出ています?」
「以前よりは」
NoNameは周囲を見る。
ORIGINATORはレナと接触しかけている。
VOIDはECHOを探している。
QUEENは復帰すれば、間違いなくもう一度ミカへ行くだろう。
効率だけなら変えた方がいい配置がいくつもある。
しかし。
「やめます」
NoNameはユイへ視線を戻した。
「本当に?」
「はい」
「負けるかもしれませんよ」
「それは嫌ですね」
「なら、なぜ?」
NoNameは少し考えた。
「私が勝ちたいからです」
ユイの眉が動く。
「逆では?」
「以前は、勝つために皆さんを動かしました」
「はい」
「でも今日は、私が選んだ三人と勝ちたいんです」
ORIGINATOR。
QUEEN。
VOID。
誰をどこへ置けば最適かで選んだ三人ではない。
自分が一緒に戦いたいと思って誘った三人。
「その人たちが自分で選んだことまで、私が直して勝ったら」
NoNameは少しだけ笑った。
「多分、今はあまり嬉しくありません」
「でも負けるのも嫌」
「とても嫌です」
「難しいですね」
「はい。困っています」
その返答に、ユイも笑った。
「でしたら」
再び銃口がNoNameへ向く。
「困ったまま負けてください」
「それはもっと困ります」
ユイが撃つ。
NoNameも動いた。
今度は盤面全体を整えることを考えない。
今いる場所で。
目の前にいるユイへ。
自分が勝つ。
ユイの一発目を避ける。
二発目は遮蔽物で切る。
三発目。
NoNameは避けなかった。
身体をわずかにずらし、最小限の損傷で受ける。
「え?」
ユイが初めて判断を遅らせた。
NoNameなら完全回避を選ぶ。
そう読んでいた。
しかしNoNameは耐久を削ってでも距離を詰めることを選んだ。
「それは効率が悪いですよ」
「そうですね」
「では、なぜ?」
「今、行きたかったので」
「それだけですか?」
「はい」
NoNameが踏み込む。
ユイが後退する。
間に合わない。
NoNameの攻撃が一発入る。
まだ倒れない。
ユイも反撃する。
NoNameの耐久も危険域へ入った。
次でどちらかが落ちる。
「NoNameさん」
「はい」
「私、今あなたが次に何をするか、かなり分かります」
「そうですか」
「前へ来ます」
「でしょうね」
「それでも来る?」
NoNameは。
前へ出た。
ユイも撃つ。
互いの攻撃がほぼ同時に伸びる。
ただし、NoNameは直前でほんの少しだけ身体を沈めた。
回避ではない。
ユイの照準を数センチだけずらすための動き。
ユイの一撃が外れる。
NoNameの攻撃は。
届いた。
撃破判定。
六対五。
NoNameたちが再び前へ出る。
「……取りました」
NoNameが呟く。
復帰待ちへ入ったユイから通信が返る。
『悔しいです』
「私も、さっき同じ気持ちでした」
『嬉しいですか?』
「かなり」
『声に出すんですね』
「はい」
NoNameはスコアを見た。
自分で取った一点。
思っていた以上に嬉しい。
『次は取ります』
「私も次を取りたいです」
『欲張り』
「それも今日、三回くらい言われました」
ユイの小さな笑い声が通信から消える。
NoNameは次の場所へ向かおうとした。
その直後。
別の撃破音が響く。
表示が変わる。
六対六。
「……」
NoNameが足を止めた。
倒されたのはORIGINATORだった。
撃破したのはレナ。
『よっしゃあああ!』
レナの歓声が響く。
『師匠! ORIGINATOR取った!』
「見えています」
『次、師匠行くから!』
「どうぞ」
『逃げないでよ!』
「多分逃げません」
『多分って何!?』
その通信へORIGINATORが割り込んできた。
『NoName』
「はい」
『今のレナ、俺が右へ行くって完全に読んでたぞ』
「そうですか」
『お前が教えたのか?』
「いいえ」
『だよな』
ORIGINATORはそれだけ言って笑った。
『なら、次は俺が取り返す』
「頑張ってください」
『お前、俺の仇取ろうとか思わねえの?』
「レナは私も取りたいですが」
『ほら見ろ』
「あなたのためではありません」
『ほんっと可愛くなくなったな!』
NoNameは思わず笑った。
六対六。
また同点。
試合はまだ終わらない。
その時、味方側の通信へQUEENの声が入った。
『私はミカへ行くわ』
続いてVOID。
『私はECHOです』
ORIGINATORも即答する。
『じゃあ俺はユイにする。さっき邪魔されたしな』
NoNameは一瞬だけ黙った。
「皆さん」
『何?』
『はい』
『なんだ』
「それでは、誰もレナを見ませんね」
三人とも少し黙った。
そしてQUEENが当然のように答える。
『あなたがいるでしょう?』
VOIDも続ける。
『NoNameはレナに取り返したいと言っていました』
『ちょうどいいじゃねえか』
NoNameは目を瞬いた。
昔なら考えられない。
全員が好きな相手へ行くと言っている。
誰も全体最適を口にしない。
作戦として見れば、穴だらけかもしれない。
それでも。
「……分かりました」
NoNameは笑った。
「では、レナは私がやります」
『師匠!』
ちょうど通信の向こうから、レナの声が飛んでくる。
『聞こえた!』
「敵側の通信なのに、どうしてですか」
『QUEENが今こっちに言った!』
『面白そうだったから教えたわ』
「QUEEN」
『何よ。困る?』
NoNameは少し考え。
「いいえ」
前を見る。
レナがこちらへ走ってくる。
かなり遠くからでも分かるほど楽しそうだった。
「むしろ助かります」
『じゃあ決まり!』
レナが叫ぶ。
『今度は私が師匠から取る!』
「さっきも取りましたよ」
『もう一回!』
「私は取り返したいです」
『じゃあ勝負!』
「はい」
NoNameは通信を切る前に、味方の三人へ言った。
「一つだけお願いします」
『なによ』
「私、勝ちたいです」
ORIGINATORが笑う。
『知ってる』
「なので」
NoNameは一度だけ、三人の位置を確認した。
どこへ行けとも言わない。
誰を止めろとも言わない。
「皆さんに任せます」
短い沈黙のあと、QUEENが答えた。
『言われなくても』
VOIDも続く。
『私も勝ちたいです』
ORIGINATORは最後だった。
『負けたらお前のせいにするからな』
「それは困ります」
『だったら自分の相手くらい勝て』
「はい」
NoNameは前を向く。
「そのつもりです」
六対六。
QUEENはミカへ。
ORIGINATORはユイへ。
VOIDはECHOへ。
そしてNoNameはレナへ。
誰一人、NoNameが配置したわけではない。
それぞれが自分で相手を選んだ。
なのにNoNameは、奇妙なほど安心していた。
昔は、自分で決めなければ負けると思っていた。
今は違う。
勝ちたいからこそ。
全部を自分で握らなくてもいい。
そのことを初めて、自分の勝負として信じてみたかった。
レナとの距離が縮まる。
「師匠!」
「はい」
「今度こそ真正面からね!」
「最初からそのつもりです」
二人が同時に構える。
その瞬間、別の三か所でも。
六人が、それぞれ自分で選んだ相手と向き合った。
盤面の上に、四つの勝負が生まれる。
誰かに決められた役割ではない。
八人全員が、自分で欲しがった勝負だった。
そしてNoNameは。
その全部を支配しようとはしなかった。
自分の目の前にいる一人だけを見て、静かに笑った。
「レナ」
「なに?」
「今度は、私が勝ちます」
レナも笑う。
「言ったね?」
「はい」
「じゃあ、絶対負けない!」
六対六。
次に崩れる均衡が、試合そのものを大きく動かそうとしていた。




