第八十六話 欲しいものがある人は、読まれる
三対三。
復帰地点から飛び出したNoNameは、味方の位置を確認しながら中央寄りの経路を選んだ。
さきほどまでなら、まず盤面全体を見ただろう。ORIGINATORがどこを取り、QUEENが誰を狙い、VOIDがどちらへ動くのか。相手側についても、ミカ、ユイ、レナ、ECHOの初動を一つずつ拾い、もっとも効率よく一点へ繋がる場所を探したはずだ。
今も、それらは見えている。
しかし最初に考えたのは別のことだった。
次の一点を、自分が取りたい。
そのために、どこへ行けばいいか。
「……右ですね」
呟いて進路を変える。
右側にはECHOとVOIDがいる。
どちらも、次の一点を自分が取ると言っていた。
ならば当然、そこでは早く戦闘が起きる。
NoNameが加速した。
一方、その右側では。
「来ます」
ECHOが言った。
正面にいるVOIDが少し首を傾げる。
「誰がですか」
「NoName」
「見えていますか?」
「まだ」
「では、なぜ?」
ECHOは答えながら、NoNameが来るであろう通路へ一瞬だけ視線を向けた。
「次の一点を欲しがっていたから」
VOIDの目がわずかに開く。
「……それだけですか?」
「十分です」
以前のNoNameなら、それだけでは動きを決められなかった。
何をしたいのかが表へ出ない。
誰と戦いたいのか、自分で勝ちたいのか、それとも仲間を勝たせたいのか。盤面に必要なものを選び続ける彼自身には、追いかけられるほど明確な欲がほとんどなかった。
だが今日は違う。
レナに負けて悔しがった。
取り返して喜んだ。
ミカに勝ちたいと言った。
そして復帰する直前、自分も次の一点を欲しがった。
「欲しいなら、来る」
ECHOはそう言って、一歩前へ出た。
VOIDも構える。
「では、NoNameが来る前に私が取ります」
「私が取る」
二人が同時に動いた。
ECHOが先に距離を詰め、VOIDが横へ逃がす。追えば狙われる位置だったが、ECHOは迷わず進んだ。
VOIDが迎え撃つ。
二人の攻撃が交差したところで、別の足音が近づいた。
「来た」
ECHOが言った。
次の瞬間、NoNameが通路へ姿を現した。
状況を見る。
VOIDの耐久はまだ残っている。ECHOも同様。今なら横から入れば、どちらかを短時間で落とせる。
同じチームであるVOIDを助けながら、ECHOを取る。
自然な選択だった。
「ECHO」
NoNameが声をかけながら踏み込む。
「はい」
ECHOは振り返らなかった。
NoNameが距離を詰める。
その瞬間、VOIDへ向いていたはずのECHOが急に進路を変えた。
「……なるほど」
NoNameが理解する。
狙われていたのはVOIDではない。
自分だ。
ECHOは、NoNameが一点を欲しがってここへ来ると予想していた。だからVOIDとの戦闘を途中で捨てられる位置を保ち、自分が入ってくる瞬間を待っていた。
NoNameはすぐに足を止める。
だが、その後ろからもう一人。
「師匠、見つけた!」
レナだった。
挟まれた。
「レナまで?」
「ECHOが『たぶん来る』って言ったから!」
「それで来たんですか?」
「だって私も師匠から取りたいし!」
NoNameは笑いそうになった。
右にECHO。
後ろにレナ。
前にはVOIDがいるが、彼女がNoNameを守る義務はない。それでも同じチームである以上、動いてくれる可能性はある。
以前なら、その可能性まで計算して最適な脱出経路を選んだだろう。
今日は。
「逃げません」
NoNameはECHOへ向かって踏み込んだ。
「やっぱり」
ECHOが言う。
「何がですか?」
「一点が欲しいから」
NoNameの動きが、ほんのわずかに遅れた。
そこへECHOの攻撃が入る。
NoNameはかわしながら反撃したが、レナもすでに追いついている。二人を同時に相手にしながら、それでもNoNameはECHOへ狙いを絞った。
「師匠、私もいる!」
「知っています」
「じゃあこっち見て!」
「今はECHOを取りたいので」
「なんで!?」
「先に読まれたのが少し悔しいです」
「理由そこ!?」
レナが横から入る。
NoNameは攻撃をかわしたものの、その回避先へECHOが先に照準を置いていた。
避ける方向まで読まれている。
いや。
正確には違う。
NoName自身が、ECHOを倒したがっているから選択肢が狭くなっている。
逃げるなら別の道がある。
レナへ標的を変えてもいい。
VOIDと合流することを優先してもいい。
だが、NoNameはECHOを狙い続けている。
その欲が。
自分の動きを、読めるものにしていた。
「面白いですね」
「余裕あるじゃん!」
「ありませんよ」
NoNameがECHOへあと一歩迫る。
攻撃が届く。
その直前。
ECHOが半歩だけ下がった。
NoNameが追う。
そこへレナの攻撃が入り、NoNameの耐久が大きく削られる。それでもECHOへ届こうとするNoNameに、ECHOは真正面から最後の一撃を返した。
撃破判定。
スコアが変わる。
四対三。
Crownlessが再び前へ出た。
◇
復帰待ちの画面で、NoNameはしばらく四対三の表示を見ていた。
悔しい。
もう、その感情を確認する必要すらなかった。
「……取られましたね」
通信の向こうからECHOが答える。
『取りました』
「私が来ると分かっていたんですか?」
『かなり』
「どうしてでしょう」
『言ったから』
「私が?」
『次の一点が欲しいと』
正確には、声に出して宣言したわけではない。
けれど復帰した瞬間、誰より先に前へ出た。
その直前までの言葉も、戦い方も、自分の感情も、全部見られている。
以前、自分が四人へしていたように。
今度は自分が見られている。
『NoName』
「はい」
『今は前より読みやすい』
「そうですか」
『嫌ですか』
NoNameは少し考えた。
読みやすいということは、それだけ対策されるということだ。
実際、それで一点を失った。
勝つだけなら、自分の欲を隠した方がいいのかもしれない。行きたい場所へ行かず、狙いたい相手を狙わず、相手が予想する自分から外れ続ければいい。
それはできる。
NoNameは、長い間そうしてきた。
「いいえ」
答えは、思ったより早く出た。
『本当に?』
「はい」
NoNameは四対三の表示を見ながら笑った。
「読まれるのは困りますが、だからといって欲しくなくなるわけではありませんから」
通信の向こうでECHOが少し黙った。
その会話を聞いていたらしいORIGINATORが笑う。
『やっと普通に弱点できたな、お前』
「弱点ですか?」
『欲しいものができれば、人間はそっちを見る。好きな相手がいれば気になるし、勝ちたければ前に出る。昔のお前はそこが薄すぎた』
「なるほど」
『だから読みにくかった』
「では、以前より弱くなったということでしょうか」
ORIGINATORは少し考えたあと、鼻で笑った。
『知らねえよ』
「そこは答えてくれないんですね」
『強いか弱いかなんて、この試合が終わってから決めろ』
「それもそうですね」
『ただ』
ORIGINATORの声が少しだけ変わる。
『今のお前の方が、戦ってて面白そうだ』
NoNameは返事をしなかった。
代わりに、復帰までの残り時間を見た。
三秒。
もう、次へ行きたい。
二秒。
今度こそ一点を取りたい。
一秒。
「……やはり」
NoNameが呟く。
「次も欲しいですね」
『聞こえてる』
ECHOだった。
「隠した方がいいでしょうか」
『もう遅い』
「困りましたね」
復帰。
NoNameは再び盤面へ降りる。
◇
四対三。
Crownlessが一点リード。
NoNameは今度こそ、すぐには走らなかった。
まず味方を見る。
ORIGINATORはユイと中央付近で競り合っている。QUEENは再びミカを探しているらしく、左側へ移動していた。
VOIDだけが少し離れた場所にいる。
NoNameは通信を開いた。
「VOID」
『はい』
「今、どこですか?」
位置が共有される。
かなり近い。
「少し、一緒に来てもらえませんか」
数秒の間があった。
『指示ですか?』
「いいえ」
NoNameは即座に否定する。
昔なら、最適な位置へ彼女を置くために理由を説明したかもしれない。
今は違う。
「お願いです」
『何をしたいですか?』
「ECHOから取り返したいです」
自分で言ってから、少し可笑しくなる。
戦術的な説明になっていない。
ECHOを落とせばこの先有利だからでも、右側を制圧したいからでもない。
さきほど自分を読んで倒した相手だから、取り返したい。
それだけだ。
VOIDは短く答えた。
『分かりました』
「いいんですか?」
『私もECHOに勝ちたいです』
NoNameが笑う。
「では、目的は同じですね」
『はい。ただし』
「何でしょう」
『先に取った方の一点です』
「……それは」
NoNameは少し考える。
「譲りたくありませんね」
『私もです』
二人は合流した。
味方なのに、同じ相手から一点を奪い合っている。
それでも不思議と悪くなかった。
むしろNoNameには、その状態が今まで以上に自然に思えた。
二人でECHOを探す。
当然、ECHOもそれを察していた。
『来ます』
通信の向こうから声がする。
おそらくCrownless側へ伝えているのだろう。
NoNameには内容までは聞こえない。
それでも、何を言っているかは想像できた。
NoNameが来る。
VOIDもいる。
狙いは自分。
「読まれていますね」
NoNameが言う。
「はい」
VOIDは淡々と返した。
「どうしますか」
「そのまま行きます」
「隠さない?」
「もう知られていますから」
NoNameは前を見る。
「なら、知られたまま勝ってみたいです」
VOIDが一瞬だけNoNameを見る。
「今日のNoNameは、かなり面倒です」
「すみません」
「褒めています」
「ありがとうございます」
通路の先にECHOが見えた。
しかも一人ではない。
ユイがいた。
「やはり来ましたね」
ユイはまったく驚いていなかった。
「そんなに分かりやすかったでしょうか」
「今のNoNameさんは、かなり」
「皆さん、同じことを言いますね」
「自覚してください」
ユイはそう言いながらも、わずかに笑っていた。
「ただし、分かっているから止められるとは限りません」
「はい」
「こちらも勝ちます」
「私もです」
NoNameとVOID。
ユイとECHO。
二対二。
誰も指揮を取らなかった。
NoNameはVOIDへ「右へ」と言わない。
ユイもECHOへ細かな行動を指定しない。
四人とも、それぞれが目の前を見て、自分で選ぶ。
最初に動いたのはECHOだった。
NoNameへ向かう。
さきほどと同じように、自分が狙われていると理解した上で真正面から来る。
NoNameも迎える。
しかし、その横をVOIDが抜けた。
ECHOが反応する。
NoNameも分かる。
VOIDがECHOを狙っている。
当然だ。
彼女もECHOに勝ちたいと言った。
ならばNoNameに合わせる必要はない。
「NoNameさん」
ユイが横から入る。
「私を無視しないでください」
「していません」
「では、こちらを見てください」
「今は難しいです」
「ECHOさんが欲しいから?」
「はい」
「随分素直になりましたね」
「最近よく言われます」
ユイの攻撃を避けながら、NoNameはECHOへ近づこうとする。
しかしユイはそれを許さない。
進路を塞ぐ。
攻撃で止めるだけではない。
NoNameがECHOへ行きたがっていることを利用して、その途中へ自分を置く。
やはり読まれている。
NoNameは一度だけ足を止めた。
「どうしました?」
「少し考えています」
「何を?」
「どうすればユイを抜けられるかです」
「本人へ言うんですか?」
「隠しても分かっていますよね?」
「そうですが」
ユイが一瞬だけ言葉に詰まった。
その隙にNoNameが動く。
「あ」
「今です」
「それは少し卑怯では?」
「勝ちたいので」
「……本当に変わりましたね」
NoNameがユイの横を抜ける。
前ではECHOとVOIDが接近戦へ入っていた。
ECHOの耐久が削れている。
VOIDも同じ。
あと一撃。
どちらが先でもおかしくない。
NoNameは距離を詰める。
自分が取りたい。
今度こそ。
ECHOもNoNameに気づく。
「来た」
「はい」
「次も読みます」
「今度は外してください」
NoNameが攻撃する。
ECHOがかわす。
VOIDも同時に踏み込んだ。
三人の位置が一瞬だけ重なる。
ECHOはNoNameを見る。
NoNameもECHOを見る。
互いに、次の一撃を自分たちのものだと思っていた。
だから。
ほんの一瞬だけ。
VOIDが視界から外れた。
「私もいます」
静かな声。
VOIDの攻撃がECHOへ届く。
撃破判定。
スコアが変わった。
四対四。
NoNameの動きが止まる。
「……取られました」
VOIDが振り返る。
「私の一点です」
「そうですね」
「嫌ですか?」
NoNameは少しだけ考えた。
同点に戻った。
味方が一点を取った。
喜ぶべき場面だ。
実際、嬉しい。
けれど。
「少し」
VOIDが瞬きをする。
「少し、嫌です」
「なぜですか」
「私が取りたかったので」
自分でも驚くほど、すんなり言えた。
VOIDは数秒NoNameを見てから。
ほんの少し。
笑った。
「では、次は競争です」
「はい」
「譲りません」
「私もです」
味方同士なのに。
二人は次の一点を奪い合う約束をした。
◇
四対四。
試合は完全に振り出しへ戻った。
けれど開始時と同じものは、もう何一つなかった。
NoNameは読まれるようになった。
レナはそれを追いかける。
ミカはNoName本人へ勝ちたがる。
ユイは彼の欲まで盤面の情報として扱う。
ECHOは、その欲からNoNameの進路を当てた。
そしてNoName自身も。
それを嫌がって隠れるのではなく。
読まれたまま、なお勝ちたいと思っている。
「面白くなったな」
中央でORIGINATORが呟いた。
向かいにいるユイが視線を戻す。
「何がですか?」
「あいつ」
ORIGINATORは四対四の表示を見てから、復帰してくるNoNameへ視線を向けた。
「昔より、ずっと読める」
「はい」
「でも」
ORIGINATORが構える。
「だから今度は、俺が取れる」
NoNameが復帰する。
ほぼ同時に通信が入った。
『NoName』
「はい」
『次、俺がお前から一点取る』
NoNameは足を止めた。
昔の仲間。
自分が人を盤上から消すような戦い方をしていた時代を知り、三度の匿名対戦で自分の間違いを突きつけた相手。
そのORIGINATORが。
今の自分を見て。
自分から来ると言っている。
「そうですか」
『嫌か?』
NoNameは少しだけ笑った。
「はい」
ORIGINATORが一瞬黙る。
「取られたくありません」
そしてNoNameは、自分から中央へ向かった。
「なので、私が先に取ります」
通信の向こうで。
ORIGINATORが、声を上げて笑った。




