第八十二話 師匠が、自分から戦いたいと言った
大会翌日の午前十一時十二分。
NoNameは目を覚ましたあと、枕元の端末へ手を伸ばしかけて止めた。
昨夜、レナから「明日は絶対休み」と念を押され、ユイにも「少なくとも午前中は大会関係の連絡を確認しないでください」と言われている。
ミカからは、もう少し穏やかに「急ぎの連絡はこちらで確認します」と伝えられ、ECHOは最後まで端末の電源が切れていることを確認していた。
四人とも言い方は違ったが、内容は同じだった。
休め。
NoNameは時計を見る。
十一時十二分。
「……かなり休みましたね」
誰もいない部屋で呟く。
普段なら、とっくに起きている時間だった。
もう午前中もほとんど終わっている。これなら電源を入れても怒られないだろうかと考え、また手を止めた。
正確には十二時まで午前中だ。
約束は約束である。
NoNameは端末を置き直し、先に朝食とも昼食ともつかない食事を用意することにした。
その頃。
◇
「まだ電源入れてない」
レナが自分の端末を見ながら言った。
Crownlessの共有チャット。
既読。
四。
NoNameだけが、ついていない。
「良いことではありませんか」
ユイが返す。
「ちゃんと休んでいるということです」
「わかってるけど」
「黒瀬さんは昨夜、切れと言った側ですよ」
「言ったよ。でも本当に切ったままだと気になるじゃん」
「なぜですか」
「師匠だから」
ユイは反論しようとして諦めた。
ミカからメッセージが入る。
《午後からの公式予定、一部変更になりました。十五時開始です》
続けて。
《それまでは自由時間とのことです》
ECHO。
《確認しました》
レナ。
《じゃあ師匠まだ寝ててもいい?》
ユイ。
《本人が寝たいなら》
レナ。
《起こしに行く?》
ミカ。
《行きません》
ユイ。
《行きません》
ECHO。
《住所を知りません》
数秒。
レナ。
《そういう問題?》
ECHO。
《重要です》
その直後。
五つ目の既読がついた。
全員の入力表示がほぼ同時に出る。
しかし、最初に送信したのはNoNameだった。
《おはようございます》
レナ。
《遅い!》
ミカ。
《おはようございます。よく眠れましたか?》
ユイ。
《午前中は連絡を見ていませんね?》
ECHO。
《端末の電源は何時に入れましたか》
NoNameは数秒返信しなかった。
質問が多い。
《今です》
レナ。
《えらい》
ユイ。
《ありがとうございます》
ミカ。
《よかったです》
ECHO。
《遵守を確認しました》
NoNameは画面を見ながら、少しだけ笑った。
その直後。
大量の通知が一斉に入ってきた。
昨夜から止まっていたメールや大会連絡、取材申請、対戦希望、契約打診。
表示件数が三桁を超え、さらに更新されていく。
NoNameは数秒眺めてから。
端末を伏せた。
《もう一度電源を切ってもいいでしょうか》
レナ。
《いいよ》
ユイ。
《必要なものはこちらで確認します》
ミカ。
《午後の集合時間だけ覚えていれば大丈夫です》
ECHO。
《切ってください》
《今すぐ》
NoNameはまた少し笑った。
◇
午後二時。
公式予定より一時間早く、五人は大会施設の選手ラウンジへ集まっていた。
誰が早く来ようと言ったわけでもない。
ミカが着いた時にはユイがいて、その数分後にECHOが来た。レナが少し遅れて入り、最後にNoNameが現れた。
「全員いるじゃん」
レナが笑う。
「黒瀬さんも予定より早いですよ」
「家いても落ち着かなかった」
「優勝翌日くらい休めばいいのでは」
「ユイもいるじゃん」
「私は大会から届いた資料を確認するためです」
「それ休んでないから」
ユイは答えなかった。
NoNameが空いている席へ座る。
「皆さんも、あまり休んでいないようですね」
四人の視線が集まった。
「師匠に言われたくない」
「今日は休みました」
「今日だけじゃなくて!」
いつものやり取りが始まりかけたところで、ミカが端末をテーブルへ置いた。
「ちょうど全員揃ったので、一つ確認しておきませんか」
「何?」
「昨夜のランキングについてです」
NoNameの表情が少しだけ困ったものになる。
「必要でしょうか」
「NoNameさんには必要なくても、外ではかなり大きな話になっています」
ユイが資料を開く。
「正確には、昨夜表示されたものは正式な個人世界ランキングではありません。大会システムが算出した《競技影響参考値》です」
「やっぱ参考だったんだ」
レナが画面を覗き込む。
「はい。公式ランキングへ登録されるには、本人の参加申請と規定数の試合が必要です」
「では、NoNameはまだ世界三位ではない」
ECHOが確認する。
「正式には違います」
ユイが頷いた。
「ORIGINATORさんも同様です。ただ、参考値が公開されたことで、世界上位選手と同等以上の評価を受けている事実だけが広がってしまいました」
レナがNoNameを見る。
「正式ランキング、入る?」
「今のところ考えていません」
「即答」
「ランキングを上げたいと思っていませんので」
ミカが尋ねる。
「競技自体には出たいと思いませんか」
そこでNoNameは少しだけ考えた。
以前なら、ここでもすぐに「特には」と答えていたかもしれない。
四人も、それを予想していた。
ところが。
「それは」
一度言葉を止める。
「少し、あります」
四人の反応が止まった。
レナが最初に身を乗り出す。
「あるの?」
「はい」
「師匠から?」
「はい」
「誰と?」
レナの質問が早い。
ミカも気にしているのが表情でわかる。
ユイは黙って待つ。
ECHOはまっすぐNoNameを見る。
NoNameは四人を順番に見た。
「皆さんと」
今度。
完全に。
静かになった。
「……私たち?」
ミカが確認する。
「はい」
「昨日の続き?」
レナが聞く。
「少し違います」
「どう違うの?」
NoNameは説明する言葉を探した。
今まで。
四人と戦う時。
目的があった。
何かに気づいてほしい。
何かを確認したい。
その選択を見たい。
エキシビションでは、彼女たちが自分を中心にしなくても戦えるかを見ていた。
師匠として。
観察する側として。
相手を知る側として。
ずっと戦ってきた。
「今度は」
NoNameがゆっくり言う。
「教えるためでも、確認するためでもなく」
四人が聞く。
「普通に、勝ちたいと思いました」
レナの目が大きく開いた。
ミカも。
ユイでさえ、一瞬返事を忘れていた。
ECHOが最初に意味を確認する。
「NoNameが、私たちに?」
「はい」
「勝ちたい?」
「はい」
レナが立ち上がった。
「やる!」
「黒瀬さん」
ユイが止める。
「まだ形式も日時も決まっていません」
「いつでもいい!」
「昨日大会が終わったばかりです」
「じゃあ明日!」
「休んでください」
「じゃあ明後日!」
ミカが笑う。
「少し落ち着きましょう」
「でもミカもやりたいでしょ?」
「……はい」
ほんの少し間はあった。
しかし否定しない。
「かなり」
レナが満足そうに頷く。
「ほら」
ユイもNoNameへ尋ねた。
「四対一ですか。それとも、個別に?」
「まだ決めていません」
「NoNameさん自身が決めたいことはありますか」
NoNameは考える。
以前なら。
相手の希望を先に聞いた。
今も、それが悪いとは思っていない。
でも。
今回は。
「四人と」
一度、言葉を選ぶ。
「同じチーム戦をしたいです」
「同じチーム?」
レナが首を傾げる。
「敵じゃなくて?」
「敵です。ただ、一対一ではなく」
ユイが理解した。
「NoNameさん側にもチームメンバーを入れる?」
「はい」
「以前のエキシビションと同じ形式」
「形式は近いです。ただ」
「目的が違う」
ミカが続けた。
NoNameは頷く。
「はい」
以前はCrownlessを試していた。
今度は違う。
自分も。
一人の選手として。
勝ちたい。
「誰と組むんですか」
ECHOが尋ねる。
「それも決めていません」
レナがすぐに候補を挙げる。
「VANTA、NOVA、BRICK?」
「同じだと前と変わらないかもしれません」
ユイが言う。
「ではZERO?」
ミカ。
「ORIGINATORさんと組むNoNameさんは、少し見てみたいです」
NoNameの表情が微妙に変わった。
「それは私も想像できません」
「じゃあ余計見たい!」
レナが笑う。
ECHOが静かに別案を出す。
「QUEEN」
四人。
少し止まる。
「NoNameとQUEENが同じチーム」
レナ。
考える。
「……強そう」
ミカ。
微妙な顔。
「強そうですね」
ユイがミカを見る。
「嫌ですか」
「嫌ではありません」
「間がありました」
「気のせいです」
レナ。
「嫉妬?」
「違います」
ECHO。
「私も少し嫌です」
「ECHOさん」
「はい」
「正直すぎます」
「改善しますか」
「そこは必要ありません」
NoNameは四人の会話を聞きながら困ったように笑った。
「まだ誰にもお願いしていません」
「なら先に決めよ」
レナが椅子へ戻る。
「師匠が組みたい人」
「私が?」
「うん」
「勝ちたいんでしょ?」
「はい」
「なら、勝つために誰と組みたい?」
質問を返された。
NoNameが。
少し。
止まる。
いつも。
自分が他人へしてきたことだった。
何をしたいのか。
誰とやりたいのか。
本人へ聞く。
今は。
自分が聞かれている。
四人は待った。
答えを急かさない。
NoNameはしばらく考えてから。
「ORIGINATORさんと」
最初に一人。
「QUEENさん」
ミカの眉がほんの少し動く。
そして。
「もう一人は」
さらに考える。
「VOIDさんがいいです」
ECHOが目を開く。
「理由を聞いても?」
「はい」
NoNameは一人ずつ考えた理由を、そのまま言った。
「ORIGINATORさんとは、昔一緒に戦っていました。でも今の彼と同じチームで戦ったことはありません」
四人が聞く。
「QUEENさんは、私はほとんど知りません。ですが、皆さんとの試合を見て、一緒にやってみたいと思いました」
ミカは少しだけ唇を尖らせたようにも見えたが、何も言わない。
「VOIDさんは」
ECHOが待つ。
「私と似ていないからです」
ECHOの表情が少し柔らかくなる。
以前。
VOIDはNoNameと似ているように見えた。
役割がない。
何もしない。
でも実際には違った。
VOIDは選ぶことを消そうとしていた。
NoNameは見てから選んでいた。
今ではVOID自身も、自分が何をしたいかを選ぶようになった。
「面白そうです」
ECHOが言った。
「はい」
NoNameも笑う。
その瞬間。
レナが急に立ち上がった。
「それ絶対やろう!」
「黒瀬さん」
「だって相手やばいよ!」
指を折る。
「ORIGINATOR。参考世界二位」
「参考値です」
「QUEEN。正式世界一」
「はい」
「VOID。意味わかんない」
「その分類はどうかと思います」
「師匠。参考世界三位!」
「ですから参考値です」
「強い!」
レナの目が完全に戦う時のものになっている。
ミカも、すでに頭の中で相手の組み合わせを考え始めていた。
「かなり厳しいですね」
「嫌?」
レナが聞く。
「まさか」
ミカは笑う。
「勝ちたいです」
ユイも静かに息を吐く。
「昨日、世界一とZEROを倒したばかりなのですが」
「休む?」
レナ。
「いいえ」
ユイの口元が上がる。
「やるなら、勝ちます」
最後。
ECHO。
「私は」
三人が見る。
「NoNameに、負けたくありません」
NoNameが少し驚いた。
「私個人にですか」
「はい」
「以前もそうでしたか」
「以前は、勝てるか試したかったです」
「今は?」
「勝ちたいです」
ECHOははっきり答えた。
NoNameが自分から「勝ちたい」と言ったから。
こちらも。
同じ言葉で返せる。
「では」
NoNameも頷く。
「私も負けたくありません」
レナが笑った。
「やっと師匠が選手っぽい!」
「今までも一応選手ですが」
「違う違う。そうじゃなくて」
レナは言葉を探す。
「今までの師匠って、勝っても負けても相手が何か見つけたら満足そうだったじゃん」
「はい」
「今度は?」
NoNameは少し考える。
「負けたら」
四人が聞く。
「悔しいと思います」
レナの笑顔がさらに大きくなる。
「それ!」
◇
午後三時。
大会側との公式打ち合わせが始まる前。
五人は一つだけ連絡を送った。
大会ではない。
ランキング運営でもない。
公開イベントの申請でもない。
単なる対戦の誘いだった。
宛先。
ORIGINATOR。
QUEEN。
VOID。
文面はNoNameが自分で書いた。
《今度、私と同じチームでCrownlessと対戦しませんか》
レナが横から画面を見る。
「短い」
「十分だと思います」
「勝ちたいって入れない?」
「必要でしょうか」
「絶対入れた方がいい!」
ユイ。
「本人が書きたい内容でいいでしょう」
ミカも頷く。
「はい」
ECHO。
「ただし」
「何でしょう」
「NoNameが誘ったことは明確です」
「私が送りますので」
「重要です」
NoNameは送信ボタンを押した。
一分も経たず。
最初。
返信。
QUEEN。
《やる。ミカに言わないで先に私誘ったの面白いね》
ミカ。
「……」
レナが横を見る。
「ミカ?」
「何でもありません」
二件目。
VOID。
《やりたいです。今回は最初から自分で出たいと思いました》
ECHO。
少し笑う。
「VOIDらしいです」
三件目。
ORIGINATOR。
少し。
遅い。
そして。
《やっと、お前から誘ったな》
NoNameが止まる。
続いて。
《やるよ。今度は俺たちが同じ側か》
さらに。
《勝ちに来い》
NoNameは画面を見る。
昔。
一緒に戦っていた時。
自分は。
他の四人を勝たせようとしていた。
自分が勝ちたいのではなく。
正しい盤面を作り。
最適な位置へ人を置き。
結果を得ようとしていた。
今度は。
違う。
自分が。
戦いたい相手を選び。
一緒に戦いたい人を選び。
そして。
勝ちたい。
「師匠」
レナが呼ぶ。
「はい」
「楽しみ?」
NoNameは画面から顔を上げた。
四人を見る。
「はい」
「かなり?」
少し。
笑う。
「かなり」
四人の表情が変わった。
レナは満足そうに笑い、ミカは静かに目を細める。ユイはすでに対戦形式を考えているようだった。
ECHOだけはNoNameを見たまま、もう一度言う。
「負けません」
NoNameも。
今度は。
いつものように「皆さんなら大丈夫です」とは言わなかった。
「私もです」
大会は終わった。
王座も手に入れた。
帰る場所もできた。
だからこそ。
その次にNoNameが初めて自分から選んだのは。
誰かを教えることでも。
誰かを見守ることでもなく。
大切な四人へ。
本気で。
勝ちに行くことだった。




