第八十一話 優勝した夜くらい、ただの五人でいたい
大会会場を出た頃には、すでに夜になっていた。
表彰式、合同記者会見、撮影、運営との確認。それだけでも十分に長い一日だったはずなのに、最後まで興奮が抜けなかったレナは、店へ向かう途中でも何度も優勝の話をしていた。
「でもさ、最後ほんと危なかったよね。あとちょっと遅かったらECHO取れてなかったでしょ?」
「はい。取得判定と被弾判定の差は、記録上〇・一八秒です」
ユイが端末を見ながら答えると、レナは立ち止まりそうになる。
「そんなギリギリだったの!?」
「映像を確認すると、かなり危険でした」
「聞かない方がよかったかも」
「聞いたのは黒瀬さんです」
「そうだけど!」
先を歩いていたECHOが振り返る。
「私は取れると思っていました」
「本当に?」
「いいえ」
「どっち!?」
「取れればいいと思っていました」
レナが数秒考え込んだあと、肩を落とした。
「最近ECHOの言ってること、師匠より難しくない?」
「それは困ります」
後ろを歩いていたNoNameが答える。
「本人が困るんだ」
ミカが小さく笑った。
大会会場を離れるにつれて、周囲の騒がしさは少しずつ薄れていく。
それでも完全に普段通りとはいかなかった。
駅へ向かう途中だけで三度、Crownlessだと気づかれた。
一度目はミカ。
二度目はレナ。
三度目はなぜかNoNameだった。
「……師匠が一番バレるようになってない?」
「気のせいではありませんか」
「帽子かぶってても『NoNameさんですよね』って言われてたじゃん」
「大会を見ていたそうです」
「だからバレてるんだって」
NoNameは困ったように帽子のつばを少し下げた。
その動作を見たユイが、かなり真面目な顔で提案する。
「次から移動方法を考えた方がいいかもしれません」
「そこまででしょうか」
「今日だけで終わるとは思えません」
ミカも同意した。
「会見の発言もかなり広がっているようです」
「何か言いましたか」
四人が同時にNoNameを見る。
レナが代表して答えた。
「『私が帰る場所です』」
「ああ」
「ああ、じゃない!」
「質問されたので」
「それで普通に言うから切り抜かれてるの!」
レナが自分の端末を見せる。
大会公式ではない動画が、すでに大量に投稿されていた。
《世界女王たちの師匠、移籍を完全否定》
《NoName「Crownlessは私が帰る場所です」》
《世界トップ級四人が一斉に固まった瞬間》
《黒瀬レナ、会見中に師匠へ年俸十億を提示》
「最後の私おかしくない!?」
「黒瀬さんが言いました」
「移籍するか確認しただけ!」
「十億で」
「数字は勢い!」
ミカが笑いながら画面を閉じる。
「これ以上見せると黒瀬さんが落ち着かなくなります。店へ着いてからにしましょう」
「店で見るの!?」
「見ない選択肢もあります」
「それなら見ない!」
そう言いながら、レナは端末をしまわなかった。
◇
店は、以前五人で来たことのある小さな洋食店だった。
大会会場のような派手さはない。
有名選手向けの個室があるわけでもない。
入口には少し古びたメニュー看板が置かれ、店内には仕事帰りらしい客と、家族連れが何組かいる。
NoNameがこの店を選んだ理由を、ミカはなんとなく理解していた。
特別だからではない。
以前来たことがあるから。
それだけなのだろう。
五人で入店すると、店員が一瞬だけ固まった。
ミカは嫌な予感がした。
「あの……」
若い女性店員が恐る恐るNoNameを見る。
「NoNameさん、ですか?」
レナが吹き出した。
「師匠だけ!?」
「星野ミカさんたちももちろんわかります!」
「後から足した!」
「す、すみません!」
店員は慌てて頭を下げる。
NoNameも困った顔になった。
「普通の客として扱っていただければ」
「はい! もちろんです!」
返事だけは完璧だった。
ただし席へ案内する途中、店員は厨房へ小走りで入り、何かを伝えていた。
レナがNoNameの隣で囁く。
「絶対普通じゃなくなるよ」
「そうでしょうか」
「なるって」
結果。
少しだけなった。
席へ着いて五分もしないうちに、店長が挨拶へ来た。
さらに料理を運んできた別の店員から「優勝おめでとうございます」と言われ、最後には小さなデザートプレートまでサービスされた。
《CROWNLESS 優勝おめでとうございます》
チョコレートでそう書かれている。
レナは一瞬黙ったあと、かなり嬉しそうに笑った。
「こういうのはいいね」
「先ほどまで普通に扱ってほしいと言っていませんでしたか」
ユイが聞く。
「これは別」
「判断基準が曖昧です」
「嬉しいものは嬉しい!」
ミカもプレートを見て微笑む。
「私も嬉しいです」
「ほら!」
「ただし、写真を撮る前に黒瀬さんが食べないことを祈ります」
「食べないよ!」
「以前、撮影前に一口食べました」
「覚えてるの!?」
「記憶しています」
「ECHOまで言わなくていい!」
NoNameは四人のやり取りを見ながら、静かに笑っていた。
大会中。
どれほど強い相手と戦っても。
優勝しても。
こういうところは変わらない。
「師匠」
レナがすぐ気づく。
「また笑ってる」
「はい」
「何が面白いの?」
「変わらないと思いまして」
「何が?」
「皆さんが」
レナは少しだけ考えた。
「褒めてる?」
「かなり」
「じゃあいい」
最近、このやり取りも増えた。
◇
料理が揃った頃には、五人ともようやく大会の緊張から解放され始めていた。
レナは最初から遠慮なく食べ、ECHOはメニューに書かれた料理名と実物を何度か見比べている。ユイは明日以降の予定を確認しようとして、ミカに端末を伏せられた。
「今日はやめませんか」
「ですが、明日連絡する必要があるものだけでも」
「優勝した日の食事中です」
「……」
「ユイさん」
「わかりました」
端末を置く。
レナが驚いた。
「早っ。ミカに言われると聞くんだ」
「合理的だと思っただけです」
「私が言っても?」
「内容によります」
「差がある!」
NoNameが静かに料理を食べている。
それを見たECHOが尋ねた。
「NoName」
「はい」
「楽しいですか」
ずいぶん直接的な質問だった。
ミカとユイが少しだけ動きを止める。
レナも。
NoNameはフォークを置き、少し考えた。
「はい」
「大会に勝ったから?」
「それも嬉しいですが」
NoNameはテーブルを見る。
四人。
料理。
飲み物。
さっきまでの笑い声。
「こうしていることが、です」
今度は。
四人とも完全に止まった。
NoNameは気づかない。
「以前来た時より、皆さんがよく話すようになりましたし」
レナが顔を覆う。
「師匠」
「はい」
「今日それ何回目?」
「何がですか」
「無自覚で変なこと言うの」
「変でしょうか」
「変!」
ミカは顔を伏せながらも笑っている。
ユイは水を飲んで誤魔化した。
ECHOだけが真剣だった。
「私も楽しいです」
「はい」
「また来たいです」
「そうですね」
レナが指を差す。
「ECHOだけ普通に会話進めるのずるくない?」
「何がですか」
「なんか!」
「黒瀬さんも言えばいいと思います」
「じゃあ言う!」
レナはNoNameを見る。
「私もまた来たい」
「はい」
「……それだけ?」
「では、また来ましょう」
レナ。
黙る。
数秒後。
「うん」
ミカがそれを見て小さく笑う。
「黒瀬さん、満足そうですね」
「うるさい」
◇
食事が半分ほど進んだ頃。
ミカがふとNoNameへ尋ねた。
「NoNameさん。今日、ORIGINATORさんと会えてよかったですか」
少しだけ空気が変わった。
重くはない。
ただ、全員が自然にNoNameを見る。
NoNameはすぐには答えなかった。
「はい」
短い。
でも、迷いのない返事だった。
「昔のことが、全部解決したとは思いません」
「はい」
「おそらく、向こうにも言いたいことがまだあると思います。私にもあります」
「では、また会う?」
ECHOが聞く。
「そうなると思います」
レナが嬉しそうに笑った。
「友達復活?」
「どうでしょう」
「そこはわかんないんだ」
「昔と同じ関係へ戻る必要はないと思いますので」
ユイが頷く。
「新しく作ればいい」
「はい」
「それ、いいね」
レナも素直に同意した。
NoNameは過去を取り戻したわけではない。
ZEROも昔へ戻ったわけではない。
それでも。
また会う。
次に話す。
それだけで十分なのかもしれない。
ミカは少し考えたあと、別のことを聞いた。
「では、Crownlessに戻るのが怖くなくなったのは、いつですか」
NoNameが止まる。
「いつ、でしょう」
「覚えていない?」
「はっきりとは」
レナが割り込む。
「『ただいま』言った時じゃないの?」
「その少し前だと思います」
「どの辺?」
NoNameは四人を順番に見た。
答えを探すように。
「皆さんが、私の言うことを聞かなくなった頃でしょうか」
四人。
沈黙。
レナが最初に反応した。
「それ褒めてる?」
「かなり」
「ならいい……の?」
ユイは意味を理解していた。
「NoNameさんが間違えても、私たちがそのまま従うことはないとわかった」
「はい」
「だから、昔と同じことにはならない」
「そう思えるようになったのかもしれません」
ECHOが少し考える。
「では、NoNameがCrownlessへ帰れるようになったのは、NoNameだけが変わったからではない」
「はい」
「私たちも変わったから」
「そうだと思います」
ミカは微笑んだ。
「それなら、少し嬉しいですね」
「私もです」
NoNameが答える。
レナがまた顔を覆った。
「師匠、今日ずっと強い」
「何がですか」
「言葉が」
「普通に答えているだけですが」
「だから強いの!」
◇
食事が終わる頃には、店内の客もかなり減っていた。
五人は最後のデザートを分けながら、明日のことを話していた。
公式の予定は午後から。
午前中は休み。
「寝る」
レナが即答した。
「私も少し遅く起きます」
ミカ。
「試合記録を確認します」
ユイ。
「休むんじゃないの?」
「趣味です」
「怖い」
ECHO。
「私は決勝をもう一度見ます」
「ECHOも似たようなもんじゃん」
「楽しかったので」
「それならわかる」
最後。
四人がNoNameを見る。
「私は」
NoNameは少し考えた。
「特にありません」
「じゃあ寝て」
レナ。
「はい」
「ちゃんと」
「努力します」
「努力じゃなくて寝るの!」
ユイが笑いながら会計を確認しようとした時。
NoNameの端末が震えた。
一件。
大会運営から。
NoNameは画面を見る。
「どうしましたか」
ミカが聞く。
「先ほど断ったものとは別の連絡です」
「何?」
NoNameが画面を四人へ見せる。
差出人。
《WORLD CROWN LEAGUE 選手管理部》
内容は短かった。
《公式ランキング登録確認》
レナが読んで首を傾げる。
「師匠、ランキング入るの?」
「私は希望していません」
「でもエキシビション出たから?」
ユイが詳細を開く。
大会規定上、一定条件以上の公式戦へ出場した選手は、本人がランキング参加を希望しなくても参考値だけが算出される。
そこまでは珍しくない。
問題は。
算出された参考順位だった。
「……」
ユイが止まった。
「何位?」
レナが覗く。
ミカも。
ECHOも。
NoName本人だけは、あまり興味がなさそうだった。
ユイが画面を見たまま答える。
「暫定」
一度、言葉を切る。
「世界三位です」
レナの目が開いた。
「は!?」
ミカもさすがに驚く。
「一試合で?」
「個人戦闘力ではなく、公式の試合影響評価を含む特殊算定のようです」
ECHOが画面を読む。
「一位、QUEEN」
「はい」
「二位」
ECHOが止まる。
「ORIGINATOR」
レナ。
「……え」
そして。
三位。
《NoName》
その下。
四位。
《星野ミカ》
五位。
《月城ユイ》
六位。
《黒瀬レナ》
少し離れて。
ECHO。
八位。
五人。
沈黙。
NoNameが最初に口を開いた。
「困りましたね」
「そこ!?」
レナが叫ぶ。
「師匠、世界三位!」
「参考値です」
「三位は三位でしょ!」
「私はランキングに興味がありません」
「知ってるけど!」
ミカが画面を見ながら、少しだけ笑った。
「一つ、面白いことがあります」
「何?」
「NoNameさん」
ミカが顔を上げる。
「私より上ですね」
NoName。
止まる。
「参考値です」
「はい」
「正式順位ではありません」
「はい」
「なので」
ミカの笑みが少し深くなる。
「一度、正式に戦いたくなりました」
レナ。
「ずるい! 私も!」
ユイ。
「ランキングのためではありませんが、私も興味はあります」
ECHO。
「私も戦いたいです」
NoNameは四人を見る。
「皆さん、今日かなり戦いましたよね」
「今日はやらない!」
レナが即答する。
「今度!」
「今度ですか」
「逃げないでね?」
「逃げません」
四人。
止まる。
NoNameも。
一瞬。
意味に気づいた。
以前なら。
こういう時。
曖昧に笑って。
外から見ていたかもしれない。
今は。
「はい」
もう一度。
答える。
「今度、やりましょう」
レナの笑顔が広がる。
ミカも。
ユイも。
ECHOも。
優勝した夜。
五人で食事をしただけのはずだった。
それでも。
世界は。
もう。
彼らを放っておいてくれないらしい。
そして。
世界ランキング参考値の公開から。
わずか三分後。
NoNameの端末に。
新着通知。
百件。
さらに。
二百件。
増えた。
レナが画面を見て。
深く息を吸う。
「……師匠」
「はい」
「明日、絶対休みね」
「はい」
「端末、切って」
「必要でしょうか」
「必要!」
ユイ。
「私も賛成です」
ミカ。
「今日はもう十分でしょう」
ECHO。
「電源を切りますか」
「私の端末です」
「ではNoNameが切ってください」
NoNameは四人に囲まれながら、少し困ったように笑った。
「わかりました」
端末。
電源。
切る。
世界三位。
その夜。
本人が一番最初にしたことは。
世界へ挑むことでも。
ランキングを見ることでもなく。
四人に怒られながら。
連絡を全部。
翌日へ回すことだった。




