第七十話 世界女王だった私と、世界女王になった彼女
準決勝の対戦表に表示された《QUEEN》という名前を見た瞬間、ミカだけが反応できなかった。
世界チームランキング一位、《MONARCH》。
その中心選手であり、現個人世界ランキング一位。二年前までその位置にいた星野ミカを公式戦で破り、《世界女王》という呼び名ごと引き継いだ選手。
それが、QUEENだった。
「ミカ?」
最初に異変へ気づいたレナが顔を覗き込む。ミカはすぐに普段の表情へ戻そうとしたが、ほんのわずかに遅かった。
「……大丈夫です」
「大丈夫な人、今みたいな顔しない」
「どのような顔でしょうか」
「嫌な昔のこと思い出した顔」
あまりにも率直な指摘だったので、ユイまで否定できなかった。
ECHOは対戦表とミカを交互に見たあと、静かに尋ねる。
「因縁がありますか」
「因縁、と呼ぶほどではありません」
ミカはそう答えたが、NoNameは何も言わなかった。ただ待っている。
いつものことだった。
無理に聞かない。けれど、話すなら聞く。
その沈黙を知っているからこそ、ミカは少し迷ったあとで自分から口を開いた。
「私は二年前、QUEENに負けて世界ランキング一位から落ちました」
レナが眉を寄せる。
「知ってる。あの決勝でしょ」
「はい」
「でも、その後また戦ってないよね?」
「公式戦では」
その答えにユイが目を細めた。
「非公式では対戦した?」
「一度だけ」
三人の視線が集まる。
ミカは小さく息を吐いた。
「負けました」
レナが黙った。
世界女王だった頃のミカが、公式戦で敗れた。その後、誰にも知られていない再戦でも負けていた。
だが、ECHOが気にしたのは結果ではない。
「その時のミカは、今のミカですか」
ミカがECHOを見る。
少し考えて、それから首を横へ振った。
「違います」
「なら、今回は初対戦に近いです」
「……そう簡単に言いますね」
「はい」
「でも」
そこでECHOは一拍置いた。
「私も、昔の自分と今の自分を同じ扱いされたくありません」
ミカの目が少しだけ柔らかくなる。
「そうですね」
レナも腕を組み直した。
「じゃ、今のミカで殴り返せばいい」
「私は殴りません」
「わかってる。撃ち返せばいい」
「それも、必要なら」
「そこ!」
レナが指を差した。
「昔のミカなら絶対『撃ちます』って言った」
ユイが頷く。
「確かに」
「二対一ですね」
ミカが言うと、ECHOも静かに手を上げた。
「私も同意します」
「三対一」
「NoNameさんは?」
レナに振られ、NoNameはようやく口を開いた。
「今の星野ミカさんが、QUEENさんと何をしたいのかによると思います」
三人が一斉にNoNameを見る。
ミカだけは、その問いを受け止めるように少し俯いた。
「勝ちたいです」
「はい」
「かなり」
「はい」
「……一人で」
空気がわずかに変わった。
レナも、ユイも、ECHOも口を挟まない。
NoNameだけが、いつもの調子で聞いた。
「Crownlessで、ではなく?」
ミカはすぐに答えられなかった。
その沈黙自体が答えに近かった。
「……今、一瞬だけ」
「はい」
「私一人で勝たなければ意味がないと思いました」
「どうしてですか」
「奪われたからです」
世界一。
世界女王。
自分の名前とほとんど一体になっていたもの。
それを失った日の記憶は、思っていたより深く残っている。
「QUEENに負けてから、私はもっと撃てるようになろうとしました。もっと正確に、もっと速く、誰にも負けないように」
ユイが静かに言う。
「その頃ですね。あなたが一人で全部を決めるようになったのは」
「はい」
ミカは認めた。
「負けた理由を、自分が足りなかったからだと思っていました。だから、自分だけで足りるようになればいいと」
レナが小さく息を吐く。
「めちゃくちゃ昔のミカ」
「否定できません」
「今は?」
ミカは少しだけ考えたあと、三人を見る。
「今は……」
言葉が止まる。
ECHOが急かさない。
ユイも答えを補わない。
レナも、今回は待った。
だからミカは自分で続けた。
「今も、私自身でQUEENに勝ちたいです」
NoNameは頷く。
「はい」
「でも、それをCrownlessの勝利条件にはしません」
レナの口元が上がった。
ユイもわずかに笑う。
ECHOは静かに「受け取ります」と答えた。
NoNameだけは、もう一つ尋ねた。
「では、QUEENさんとの勝負と、準決勝は別ですか」
「はい」
「どちらを優先しますか」
今度は迷わなかった。
「Crownlessです」
「わかりました」
それだけだった。
褒めもしない。正解とも言わない。
けれど、その短い返事だけでミカの肩から少し力が抜けた。
◇
準決勝開始二十五分前。
大会側から提供されたMONARCHの直近データを、五人は控室で確認していた。
MONARCHは四対四を主戦場とする世界ランキング一位のチームで、QUEEN以外の三人も全員が個人ランキング二十位以内。
だが、特徴は個人の強さではなかった。
「固定役割が、ほとんどありません」
ユイが映像を止める。
画面ではQUEENが前衛に入り、その後ろで本来近距離を得意とする選手が射線を作っている。次の場面では完全に逆だった。
「CROWNEDよりさらに自然ですね」
ECHOが言った。
「うん。向こうは『自由にやった結果、噛み合う』まで行ったけど、MONARCHは……」
レナが言葉を探す。
ユイが引き取った。
「最初から、誰が何をしても成立する」
「そう、それ」
ミカは映像を見たまま黙っていた。
QUEENが画面の中央にいる。
以前のミカなら、QUEENだけを見ていた。
今は違う。
QUEENが前へ出た瞬間、別の一人がどこを空け、その空いた場所へ誰が入るのかまで見る。
「強いです」
ミカが言った。
「QUEENが?」
レナが聞く。
「MONARCHが」
その返答に、NoNameがほんの少し笑った。
レナがすぐ気づく。
「師匠、今笑った」
「少しです」
「何で?」
「星野ミカさんが、最初にチーム名を言ったので」
ミカも気づき、少し照れたように視線を逸らした。
「……試合なので当然です」
「はい」
「その顔やめてください」
「普通ですが」
「絶対普通じゃない」
レナが横から笑う。
重かった空気が少しだけ軽くなった。
そこでECHOが映像を巻き戻す。
「一つ、気になります」
「何でしょう」
「QUEENは強いです。でも、MONARCHの中心ではありません」
ユイがすぐに反応した。
「私もそう思います」
ミカも画面を見る。
QUEENが指示している場面は少ない。かといって、誰か別の指揮官がいるわけでもない。
中心がない。
全員が中心になれる。
「だからMONARCHなんでしょうか」
レナが言う。
「王が一人じゃなくて、全員?」
「可能性はあります」
ユイが答えた。
NoNameは何も言わない。
レナが見る。
「師匠は?」
「わかりません」
「絶対なんか見えてる」
「まだ、映像なので」
ECHOが首を傾げる。
「映像では不足ですか」
「はい。本人たちが今、何をしたいかは見えません」
ユイが小さく頷く。
「では、試合で見ます」
「はい」
ミカもQUEENの映像を止めた。
「私も見ます」
かつて、自分から世界女王の座を奪った相手。
けれど今度は、過去の答え合わせをするためではない。
今のQUEENを見る。
そして今の自分を見せる。
◇
選手入場。
Crownlessの四人がステージへ出ると、それまででも十分大きかった歓声が一段上がった。
対するMONARCH。
最初の三人が現れ、最後にQUEENが姿を見せる。
銀色の長い髪を後ろで束ねた女性。表情は穏やかで、世界一という肩書きから想像するような威圧感はない。
だがミカだけは知っている。
あの静かな顔のまま、相手が一番自信を持っている場所へ入ってくる。
そして、そこで勝つ。
QUEENがミカを見つけた。
少しだけ笑う。
「久しぶり、ミカ」
「お久しぶりです」
レナが横で目を丸くした。
「知り合い感ある」
ユイが小声で返す。
「二度戦っていますから」
「でもQUEEN、めっちゃ普通に呼ぶじゃん」
「聞こえていますよ」
QUEENが笑った。
レナが一瞬固まる。
「すみません」
「いいよ。黒瀬レナでしょ?」
「知ってるんですか」
「世界トップの選手を三人も集めたチームを、知らない方が難しいよ」
その視線がECHOへ移る。
「それと、最近一番読めない人」
「ECHOです」
「うん。あなた、面白いね」
「よく言われます」
「嫌じゃない?」
ECHOは少し考える。
「今は、嫌ではありません」
「そっか」
QUEENはそれだけで納得したように頷いた。
最後に、観戦席を見る。
NoNameがいる。
「……あれが?」
ミカの表情が変わる。
QUEENはすぐに気づいた。
「大丈夫。取りに行かないよ」
「何をですか」
「師匠」
レナ。
「本当?」
ユイ。
「確認が早いです」
ECHO。
「重要です」
ミカ。
「試合前です」
QUEENが吹き出した。
「思ってたより仲いいんだ」
「普通です」
四人がほぼ同時に答えた。
観戦席のNoNameが、少しだけ首を傾げている。
QUEENはその様子まで見てからミカへ戻った。
「変わったね」
ミカの目が細くなる。
「そうでしょうか」
「前は、私と会ったら最初に聞いてきた」
「何を」
「次はいつ一対一でやるか」
ミカは一瞬だけ黙った。
「今日は聞かないの?」
QUEENの問いに、ミカは三人を見る。
レナ。
ユイ。
ECHO。
そして答えた。
「今日は、Crownlessであなたたちに勝ちます」
QUEENの笑みが少し深くなった。
「それ、楽しみにしてた」
「知っていたんですか」
「あなたがチームを作った時から」
握手。
二人の手が離れる。
QUEENが最後に一つだけ言った。
「でも、ミカ」
「はい」
「私も変わったよ」
ミカが止まる。
「二年前の私に勝つつもりなら、たぶん負ける」
挑発ではなかった。
事実を伝える声音。
だからこそ、ミカは笑った。
「よかったです」
「え?」
「私も、二年前の私ではありません」
今度はQUEENが一瞬だけ目を見開いた。
そして楽しそうに笑う。
「うん。じゃあ、本当に楽しみ」
◇
マップは《ROYAL FIELD》。
中央制圧地点が一つ。外周に資源拠点が四つ。一定時間ごとに地形が変化し、最も長く保持しているチーム側が次の地形候補を一つ選べる特殊ルール。
勝っている側が、さらに盤面を自分好みに変えやすい。
MONARCHが得意とするマップだった。
「最初、どうしますか」
ECHOが聞く。
ユイは少し考え、首を振る。
「決めません」
レナが笑う。
「世界一相手に?」
「はい」
「いいね」
ミカも頷く。
「見てから」
「はい」
反対側。
MONARCH。
QUEENが三人を見る。
「最初、どうする?」
一人が肩をすくめる。
「見てから」
二人目。
「同じ」
三人目。
「好きに」
QUEENが笑った。
「じゃ、そうしよ」
両チーム。
誰も。
最初の形を決めない。
観戦席。
NoNameがその様子を見て、小さく呟く。
「似ていますね」
ただし。
似ているからこそ。
違いが出る。
五。
四。
三。
二。
一。
START.
八人が動く。
レナが前へ出る。
MONARCH側からも一人が前へ。
ミカは左へ。
QUEENも左へ。
ユイは中央外周。
相手の一人が中央へ。
ECHOは右。
残りの一人も右。
まるで最初から決めていたように、四組へ分かれる。
だが誰も驚かなかった。
ミカの正面。
QUEEN。
二人。
向き合う。
「やっぱりここ?」
QUEENが聞く。
「今は」
ミカが答える。
その返答にQUEENが少し笑う。
「いい答え」
ミカが撃つ。
一発目。
QUEENは避けない。
命中。
体力が削れる。
観客がどよめく。
レナ。
「当たった!」
ユイ。
「見えています」
ECHO。
「ですが」
ミカも同じことに気づいていた。
QUEENは一発を受ける代わりに、ミカの射撃後の硬直へ踏み込んでいる。
距離が縮む。
ミカが二発目を撃とうとする。
QUEENは撃たない。
さらに前。
「近い」
ミカが下がる。
「二年前も、そこだった」
QUEENが言う。
ミカの動きがほんの一瞬だけ硬くなる。
「撃てる距離を残そうとする」
QUEENが前へ。
「だから、私が入る」
ミカがさらに下がる。
昔。
同じ。
公式戦。
負けた時。
射撃の距離を守ろうとして、少しずつ盤面の端へ追い込まれた。
QUEENは覚えている。
ミカも。
覚えている。
「ミカ!」
レナの声。
ミカはそこで止まった。
後ろへ下がらない。
QUEENの目がわずかに動く。
ミカは武器を下げた。
「……撃たないんだ」
「はい」
「じゃあどうする?」
「まだ決めていません」
QUEENが、はっきり笑った。
「本当に変わったね」
次の瞬間、ミカはQUEENの横を走り抜けた。
逃げるのではない。
中央へ。
QUEENを置いていく。
「私と戦わないの?」
「今は」
ミカは振り返らない。
「中央の方が欲しいので」
QUEENが一瞬だけ立ち止まった。
過去のミカなら、絶対にしなかった。
自分に勝つ機会を自分から捨てる。
その選択。
QUEENは小さく笑い、ミカを追わなかった。
「じゃあ私も、別のことしよ」
左資源へ。
二人。
別れる。
観戦席。
NoNameの口元が少しだけ上がった。
開始二十秒。
まだ。
スコア。
ゼロ対ゼロ。
それでも。
二年前。
世界女王だったミカと。
世界女王になったQUEEN。
二人の再戦は。
最初の一発だけで。
もう。
過去とは。
違う試合に。
なっていた。




