第二十九話 ゼロ撃破の女王が、勝敗を決めた
試合終了後。
星野ミカは、しばらく選手席から立てなかった。
大型スクリーンには、まだ結果が表示されている。
WINNER
CROWNLESS
最終撃破数。
星野ミカ、二。
黒瀬レナ、二。
月城ユイ、ゼロ。
Rogueチーム、合計二。
数字だけを見れば、ミカとレナが勝利を作ったように見える。
撃破条件だけが有効になった最後の三分。
相手を二人ずつ落としたのは、ミカとレナだった。
ユイは、一人も倒していない。
けれど、ミカにはわかっている。
ユイが自分の体力を託さなければ、最初の二人同時撃破はなかった。
ユイが復帰後に戻り場所を作らなければ、Rogueチームを細い通路へ誘導できなかった。
ユイがRogue本人を勝利条件から外さなければ、三人とも彼を倒すことへ引っ張られていた。
撃破数ゼロ。
それでも。
最後の三分を最も大きく動かしたのは、ユイだった。
実況の声が、まだ会場に響いている。
Crownless、Rogueチームとの激戦を二対一で制しました! 個人の強さを問われ続けながら、最後まで誰が一番強いかを決めなかった!
解説も興奮が収まっていない。
最終ラウンドの数字だけなら星野選手と黒瀬選手が二撃破ずつです。しかし月城選手の判断がなければ、その撃破は生まれていません。非常に面白い結果です。
ミカは、その言葉を聞きながらヘッドセットを机へ置いた。
隣ではユイが、ゆっくり深呼吸している。
レナは両手を上へ伸ばし、椅子の背にもたれた。
レナ。
疲れた。
ミカ。
私もです。
ユイ。
かなり消耗しました。
レナ。
Rogue、もう二度とやりたくない。
ミカ。
でも、また申し込まれたら受けそうですよね。
レナ。
受ける。
ユイ。
即答ですね。
レナ。
次はもっと綺麗に勝つ。
ユイ。
それは危険です。
レナ。
わかってる。
今のは本番後だから言っていいやつ。
ミカは笑った。
ついさっきまで、あれほど重い試合をしていた。
一つの判断をするたび、誰かとの関係まで試されているような気持ちになった。
それでも終われば、こうして三人で笑える。
戻る場所。
それは、ゲームの中だけではないのかもしれない。
スタッフが選手席の近くへ来る。
Crownlessの皆さん、勝利チームインタビューをお願いします。
三人の表情が同時に少し固まった。
レナ。
まだあるの?
ユイ。
あります。
ミカ。
事前に聞いてましたよね。
レナ。
今は忘れたかった。
インタビュー。
Rogueとの試合を終えた直後。
まだ感情も整理できていない。
そこへ質問が飛んでくる。
誰が一番強かったか。
Rogueを倒さなかった理由。
NoNameからの指示はあったのか。
撃破数ゼロのユイは、本当に必要だったのか。
聞かれる内容は想像できる。
ミカはディスコードを確認した。
NoNameからメッセージが来ている。
NoName。
インタビューでは、試合を説明しすぎないでください。
レナ。
来た。
ユイ。
説明しすぎない。
NoName。
はい。
勝利直後は、意味を完成させようとしやすくなります。
ミカ。
私たちの勝ち方を、綺麗に説明したくなる。
NoName。
はい。
ですが、今の三人は疲れています。
すべての判断へ正しい意味を与えようとしないでください。
ユイ。
理解しました。
レナ。
わかんない時は、わかんないって言っていい?
NoName。
はい。
ミカ。
師匠のことを聞かれたら?
NoName。
事前に決めた範囲で。
試合中の指示はなかった。
見ていることは知っていた。
それ以上は不要です。
ミカ。
わかりました。
NoName。
月城ユイさん。
ユイ。
はい。
NoName。
個人撃破数について聞かれます。
ユイの指が一瞬止まった。
やはり。
誰が見ても、そこが質問になる。
最終ルールは撃破数のみ。
その試合でゼロ撃破。
数字だけなら、一番成果が少ない。
NoName。
説明したいと思います。
ユイ。
はい。
NoName。
説明しすぎないでください。
ユイは少し黙った。
ユイ。
では、何を答えるべきでしょうか。
NoName。
私には決められません。
ミカは画面を見つめた。
NoNameが、決められませんと言った。
珍しい。
だが、その理由はすぐにわかった。
これはユイ自身の言葉で答えるべき質問なのだ。
NoNameの分析でも。
Crownlessの戦術説明でもなく。
月城ユイ自身が、ゼロ撃破をどう受け取っているのか。
ユイ。
わかりました。
NoName。
ただし、一つだけ。
ユイ。
はい。
NoName。
数字を否定しないでください。
ユイはしばらく返事をしなかった。
やがて、短く答えた。
ユイ。
受け取りました。
三人はステージ中央へ移動した。
司会者が待っている。
背後のスクリーンには、Crownlessのチームロゴ。
冠のない円と、三本の線。
歓声がまだ続いている。
ミカは、三人で横に並んだ。
左にユイ。
右にレナ。
いつもの配置とは違う。
だが、それでいい。
司会者が笑顔でマイクを向けた。
Crownlessの皆さん、勝利おめでとうございます。
ミカ。
ありがとうございます。
ユイ。
ありがとうございます。
レナ。
ありがとうございます。
三人の返事が少しずれた。
完璧には揃わない。
でも、妙にそれが自分たちらしかった。
司会者。
まずは率直に、今の気持ちを教えてください。
レナがマイクを取った。
疲れました。
会場から笑いが起きる。
レナ。
本当に疲れました。
Rogue選手、試合中ずっと喋るので。
さらに笑いが広がる。
離れた選手席で、Rogueが肩をすくめているのがスクリーンに映った。
レナは続ける。
でも、勝てて嬉しいです。
最後は三人とも、ちゃんと自分のやることへ戻れたと思います。
司会者。
星野選手はいかがですか?
ミカはマイクを持つ。
嬉しいです。
少しだけ声が震えた。
ミカ。
途中、自分の判断で失敗した場面もありました。
一人で何とかしようとして、罠に入ってしまって。
第二試合。
追うなと言われたのに追った。
自分が役に立てると証明しようとした。
ミカ。
でも、二人が戻る場所を作ってくれました。
最終試合では、私も二人から託されたものを受け取れたと思います。
司会者。
月城選手は?
ユイはマイクを持った。
勝てて嬉しいです。
それだけ言って、一度止まった。
以前のユイなら、ここから説明を始めていただろう。
勝利条件の変化。
移動床。
緊急ルール変更端末。
Rogueの心理誘導。
三人の役割移動。
すべてを順番に並べ、なぜ勝てたかを完成させる。
だが今日は、少しだけ言葉を減らした。
ユイ。
また三人で戻れたことが、一番嬉しいです。
短い。
でも、会場から大きな拍手が起きた。
司会者が頷く。
続いて、試合内容について伺います。まず非常に印象的だったのが、最終盤でRogue選手を倒さなかった判断です。三人で囲んでいましたよね。
レナ。
倒せました。
司会者。
やはり、倒せる状況だったと。
レナ。
たぶん。
ミカ。
かなり有利な状況だったと思います。
司会者。
それでも倒さなかった。なぜでしょうか。
三人は一瞬だけ顔を見合わせた。
この質問は、誰が答える。
最終判断をしたのはユイ。
だが、三人の選択でもある。
ユイがマイクを取った。
必要がなかったからです。
会場が少しざわつく。
ユイ。
あの時点では、Rogue選手を倒しても一点でした。
他の選手を倒しても一点です。
私たちはRogue選手との因縁に勝つためではなく、試合に勝つために来ました。
離れた場所で、Rogueが少しだけ笑った。
司会者。
最後にRogue選手本人を倒せば、非常に劇的な決着になったと思います。それでも?
ユイ。
劇的な決着を作ることは、勝利条件ではありません。
会場から声が上がった。
実況席の解説者も、感心したように頷いている。
レナが横から付け加える。
レナ。
私は殴りたかったですけど。
会場が笑う。
ユイ。
私も止めたかったです。
ミカ。
私も撃ちたかったです。
司会者。
三人とも、かなり倒したかった?
三人。
はい。
今度は返事が揃った。
会場がさらに沸いた。
ミカも笑った。
倒したかった。
本当に。
それを隠さなくていい。
欲はあった。
でも、行動は選んだ。
司会者は次の質問カードを見る。
ここで少し、個人記録について伺います。
来た。
ミカは横にいるユイを見そうになり、止めた。
ユイは自分で答える。
ミカが先に守ろうとすれば、それはユイの言葉を奪うかもしれない。
司会者。
最終ラウンドの個人撃破数は、星野選手が二、黒瀬選手が二、月城選手がゼロでした。
大型スクリーンへ個人スコアが表示される。
MIKA HOSHINO 2
RENA KUROSE 2
YUI TSUKISHIRO 0
大きい。
数字だけが、はっきり並ぶ。
司会者。
撃破数だけが勝敗を決める特殊ルールの中で、月城選手はゼロ撃破です。この結果について、ご自身ではどう評価していますか?
会場が静かになった。
直接的な質問。
悪意があるわけではない。
だが、鋭い。
撃破数だけのルール。
ゼロ。
その数字を、どう受け取る。
ユイはスクリーンを見た。
ゼロ。
消せない。
説明で埋めることはできる。
自分の支援によって二人の撃破が生まれた。
Rogueを止めた。
資源を取った。
勝利条件を切り替えた。
自分の体力を託した。
いくらでも説明できる。
だがNoNameは言った。
数字を否定しないでください。
ユイは、少しだけ息を吸った。
ユイ。
ゼロです。
司会者も、会場も、少し待つ。
ユイ。
私は、最終ラウンドで一人も倒していません。
言い訳しない。
否定しない。
ユイ。
撃破数だけを見れば、ミカさんとレナさんの方が上です。
ミカの胸が動いた。
レナも、少しだけユイを見る。
ユイは続ける。
ユイ。
ですが、私は自分の撃破数を増やすために戦っていませんでした。
司会者。
では、どのような役割を?
ユイ。
二人が撃破できる場所を作ることです。
短い。
説明しすぎない。
ユイ。
私が一人倒そうと動けば、二人の撃破が消えていた場面もあったと思います。
だから、私は倒しませんでした。
司会者。
ゼロ撃破でも、役割を果たしたと。
ユイは少し考えた。
この言い方にも危険がある。
役割を果たした。
自分の正しさを証明する言葉。
ゼロでも価値があると、強く主張したくなる。
だが、ユイはその言葉を選ばなかった。
ユイ。
すべて果たせたとは思っていません。
会場がまた静かになる。
ユイ。
判断が遅れた場面もありました。
Rogue選手を止め切れず、ルール変更も許しました。
私の失敗です。
ミカは、胸の奥が少し痛んだ。
ユイは数字を否定しない。
失敗も否定しない。
でも、自分を不要にはしない。
ユイ。
それでも、二人が私へ託したものを受け取りました。
私も二人へ託しました。
その結果、三人で勝ちました。
ユイは一度、ミカとレナを見る。
ユイ。
私の撃破数はゼロです。
Crownlessの勝利数は、一です。
会場が爆発した。
大きな拍手。
歓声。
スクリーンには、個人撃破数の横に試合結果が表示される。
CROWNLESS WIN
ミカは、自分の目が少し熱くなるのを感じた。
私の撃破数はゼロ。
Crownlessの勝利数は一。
それで十分だった。
レナがマイクを取る。
レナ。
あと、ユイがいなかったら、私たち二人とも二撃破してないです。
ユイ。
レナさん。
レナ。
説明しすぎてない。
事実。
ミカも頷く。
ミカ。
私も同じです。
私が撃った相手を動かしたのは、ユイさんとレナさんでした。
表示では私の撃破ですけど、私一人の一点ではありません。
司会者。
つまり、個人撃破数では測れない勝利だったと。
レナ。
でも数字は数字でしょ。
レナが先に言った。
ユイも、ミカも少し驚く。
レナ。
ミカ二。
私二。
ユイゼロ。
そこは変えなくていい。
レナはスクリーンを見る。
レナ。
でも、数字の意味までRogueとか周りに決められる必要はない。
会場の空気が、少し変わった。
強い言葉だった。
数字は消さない。
でも、その数字を使って誰が必要かを決めさせない。
司会者は頷き、次の質問へ移る。
試合中、Crownlessの三人は何度も短い言葉を交わしていました。外から見ると、誰かが判断を伝え、他の二人がすぐ従っているように見える場面もありました。チームリーダーは月城選手なのでしょうか?
ユイはすぐには答えなかった。
ミカもレナも。
チームリーダー。
誰が一番上か。
形を変えた、同じ問い。
ユイ。
固定のリーダーはいません。
司会者。
状況によって変わる?
ユイ。
はい。
射線ならミカさん。
資源や勝利条件なら私。
近距離の待つ、入るという判断ならレナさんです。
レナ。
私が熱くなってる時は、二人が止めます。
ミカ。
私が証明しようとしている時も、二人が戻してくれます。
ユイ。
私が整えすぎている時も、二人が止めます。
司会者。
互いに指示を出し、互いに止めると。
ユイ。
はい。
誰か一人が正しいチームではありません。
離れた席で、Rogueが腕を組んで聞いている。
笑っている。
だが、もう挑発するような笑いではなかった。
自分の問いに、三人がどんな答えを出すか見ている。
司会者は、ついに最も注目されていた話題へ入った。
そして、もう一つ。Crownlessを語る上で、多くの視聴者が気にしている存在があります。
会場がざわつく。
言われなくてもわかる。
NoName。
司会者。
公式映像で流れた、匿名のメッセージ。
大型スクリーンに、あの一文が表示される。
戻る場所は、もうあります。
司会者。
これは、三人が師匠と呼ぶNoNameさんからのメッセージなのでしょうか。
ミカはマイクを持った。
事前に決めた範囲。
個人情報は答えない。
関係を物語として消費させない。
ミカ。
誰からのものかは、私たちからは答えません。
会場から、少し残念そうな声が出る。
ミカは続けた。
ミカ。
でも、私たちにとって大事な言葉です。
司会者。
試合中、NoNameさんから指示はあったのでしょうか。
ユイ。
ありません。
即答。
ユイ。
試合中の判断は、すべて三人で行いました。
司会者。
では、NoNameさんは見ていただけ?
レナがマイクを取る。
レナ。
見てました。
司会者。
それだけですか?
レナ。
それで十分です。
ミカは胸が温かくなる。
見ていた。
それだけ。
でも、十分だった。
司会者。
NoNameさんが見ていることで、判断に影響はありませんでしたか。
ミカは少し考えた。
ある。
当然ある。
見ていてほしいと思った。
認めてほしい。
褒めてほしい。
良い勝利ですと言ってほしい。
その気持ちは消えていない。
ミカ。
影響はありました。
正直に答える。
ミカ。
見ていてほしかったです。
勝ったところを見せたい気持ちもありました。
会場が静かに聞いている。
ミカ。
でも、師匠に褒められることを勝利条件にはしませんでした。
言えた。
以前の自分なら。
NoNameに勝ちを認めてもらうことが、中心になっていたかもしれない。
だが今日は違う。
見ていてほしい。
でも、そのためだけに勝たない。
司会者。
試合後、何か言葉はありましたか?
三人は一瞬、顔を見合わせた。
おかえりなさい。
あの言葉は、Crownlessだけのものにも思える。
公開する必要はない。
ミカが答えようとした時、レナが先にマイクを持った。
レナ。
秘密。
会場が笑った。
司会者も笑う。
秘密ですか。
レナ。
はい。
そこまで全部言う必要ないので。
ユイが静かに付け加える。
ユイ。
私たちだけで持っていたい言葉もあります。
ミカも頷いた。
その答えでいい。
おかえりなさい。
NoNameが初めて三人へ渡した言葉。
それは、視聴者のための名場面ではない。
三人が戻るための言葉だ。
司会者。
では最後に、次の試合への意気込みをお願いします。
次の試合。
この勝利で終わりではない。
QUEENS' CROSS BATTLEはトーナメント形式。
Crownlessは初戦を突破しただけ。
次の相手がいる。
ミカはマイクを持った。
ミカ。
次も、三人で勝ちます。
ユイ。
今回の勝ち方を守ろうとせず、次の相手を見ます。
レナ。
次も殴ります。
ユイ。
変換してください。
会場から笑いが起きる。
レナは少しだけ考えた。
レナ。
次も相手を急がせます。
必要なら殴ります。
司会者。
ありがとうございます。Crownlessの皆さんでした!
三人は頭を下げた。
大きな拍手。
歓声。
Crownless。
ミカ。
ユイ。
レナ。
三人の名前が呼ばれる。
NoNameの名前も、ところどころから聞こえる。
だが、ステージに立っているのは三人だ。
ミカは、それをしっかり感じながらステージを降りた。
廊下へ入った瞬間。
レナが大きく息を吐く。
レナ。
インタビューの方が疲れた。
ミカ。
わかります。
ユイ。
試合の判断は、目の前の状況だけを見ればよいです。
インタビューは、言葉の受け取られ方まで考える必要がありますから。
レナ。
やっぱりユイ説明長くなってる。
ユイは止まった。
ユイ。
疲れていますね。
ミカ。
戻りましょう。
レナ。
控室に?
ミカ。
はい。
レナ。
普通の意味で戻るんだ。
三人は少し笑った。
控室へ戻る。
そこには飲み物と、簡単な軽食が用意されていた。
ミカは、すぐに甘いものへ目が行った。
小さなチョコレート。
一つ取る。
レナが気づく。
レナ。
やっぱ取るんだ。
ミカ。
今日はいいと思います。
ユイ。
消費量を考えれば、問題ないと思います。
レナ。
ユイが許可出すんだ。
ユイ。
許可ではありません。
レナは辛そうなスナックを探したが、見つからず少し不満そうな顔をした。
ユイは紅茶を受け取り、椅子に座る。
ようやく、少し静かになった。
ディスコードにNoNameからメッセージが来る。
NoName。
インタビュー、お疲れさまでした。
レナ。
見てた?
NoName。
見ていました。
ユイ。
説明しすぎていませんでしたか。
NoName。
少し。
ユイ。
やはり。
NoName。
ですが、問題ありません。
ユイ。
問題がある時の問題ありませんではなく?
NoName。
今回は、本当に問題ありません。
レナ。
信用五割。
ミカ。
少し上がりましたね。
NoName。
ありがとうございます。
ミカはチョコレートを一つ食べた。
甘い。
緊張が少しほどける。
ミカ。
師匠。
NoName。
はい。
ミカ。
ユイさんの答え、どうでしたか。
NoNameの返事は少し遅れた。
NoName。
良かったです。
ユイ。
ありがとうございます。
NoName。
数字を否定せず、数字だけで価値を決めませんでした。
ユイは紅茶のカップを持ったまま、少しだけ目を伏せた。
褒められた。
たぶん、かなり嬉しい。
ミカにはわかる。
レナにもわかったのか、口元を少し上げる。
レナ。
ユイ、今嬉しいでしょ。
ユイ。
はい。
即答だった。
レナが少し驚く。
ミカも。
以前のユイなら、少し誤魔化したかもしれない。
ユイ。
かなり嬉しいです。
NoNameの返事が止まる。
レナ。
ノー、困ってる。
NoName。
困ってはいません。
ミカ。
では?
NoName。
受け取り方を確認しています。
レナ。
戻り言葉出た。
NoName。
違います。
ユイ。
近いと思います。
NoName。
そうかもしれません。
三人は笑った。
NoNameが少しずつ、逃げ切れなくなっている。
それが嫌ではなかった。
しかし、穏やかな時間は長く続かなかった。
控室のモニターで、次の試合が始まっていた。
Crownlessの次の対戦相手を決める試合。
出場チーム。
Aegis。
対するは、国内人気混合チーム。
Aegisは、三人とも現役プロ。
同じ組織に所属し、複数ジャンル混合ルールの招待戦で何度も優勝している。
派手な肩書きはない。
世界女王でも。
人気配信者でもない。
だが。
強い。
試合開始から、相手へ一度も全体チャットを送らない。
煽らない。
感情を揺らさない。
無駄な動きもしない。
中央を取る。
資源を取る。
近距離へ入る。
下がる。
戻る。
すべてが静かだった。
ミカはチョコレートを食べる手を止めた。
レナも、画面を見る。
ユイは紅茶を机へ置いた。
Aegisの三人は、ほとんど同時に動いている。
誰かが指示を出してから動くのではない。
一人が動けば。
残り二人も、同じ判断をすでに終えている。
Rogueのような心理戦はない。
問いもない。
比較もしない。
ただ、最も正確な動きを置いてくる。
相手チームが一人前へ出た。
Aegisは、誰も慌てない。
一人が射線を置く。
一人が退路を閉じる。
一人が近距離で止める。
撃破。
その間に、中央制圧も進んでいる。
ミカ。
速い。
ユイ。
いいえ。
ミカはユイを見る。
ユイ。
判断が速いのではありません。
判断する必要がないほど、事前共有されています。
レナ。
迷ってないってこと?
ユイ。
はい。
状況ごとの初動が、三人とも同じです。
NoNameからメッセージが来る。
NoName。
見ていますか。
ミカ。
はい。
ユイ。
見ています。
レナ。
嫌な強さ。
NoName。
はい。
Rogueは、三人の感情を動かしました。
Aegisは、感情が動く前に盤面を終わらせます。
ミカの胸が少し冷える。
感情を揺らす相手。
それには対策した。
危険ワードを共有する。
一秒を作る。
変換する。
保留する。
だがAegisは。
その一秒を与えない。
ミカが撃ちたいと思う前に、射線を潰す。
ユイが整えたいと思う前に、中央を完成させる。
レナが殴りたいと思う前に、間合いから消える。
Rogueとは正反対。
言葉で動かさない。
盤面だけで動かす。
Aegisの試合は、開始から六分で終わった。
中央制圧。
資源端末。
撃破。
すべてで上回る。
大差。
相手チームは、最後まで何もできなかった。
勝利表示。
WINNER
AEGIS
実況が声を上げる。
完勝! Aegis、ほぼ相手に勝ち筋を与えませんでした!
解説。
Crownlessとは全く違う強さですね。Crownlessは揺れた後に戻るチーム。Aegisは最初から揺れないチームです。
その言葉が、控室にも届く。
最初から揺れない。
ミカはモニターを見た。
Aegisの三人は、勝っても大きく喜ばない。
短く拳を合わせる。
それだけ。
インタビューでも、答えは簡潔だった。
次戦の相手はCrownlessです。Rogueチームとの試合をどう見ましたか?
Aegisの代表選手が答える。
強いチームです。
それだけ。
司会者が続ける。
特に警戒する選手は?
三人全員です。
誰が一番重要だと思いますか?
判断しません。
Crownlessの戻る場所という考えについては?
必要になる前に終わらせます。
控室が静かになった。
レナ。
腹立つ。
ユイ。
挑発ではありません。
レナ。
わかってる。
本気で言ってるから腹立つ。
ミカも同じだった。
Rogueの言葉には、狙いが見えた。
怒らせたい。
証明させたい。
戻れなくしたい。
だがAegisは違う。
挑発していない。
ただ、事実として言っている。
Crownlessが戻る前に終わらせる。
失敗後に復帰する時間を与えない。
戻る場所を作る前に取る。
それが彼らの勝ち方。
NoName。
次の相手が決まりました。
ユイ。
はい。
NoName。
今日の勝利を、そのまま使えません。
レナ。
わかってる。
ミカ。
Rogueとは違います。
NoName。
はい。
ユイ。
Rogue選手は、私たちの判断へ意味を与えました。
Aegisは、判断する時間そのものを奪います。
NoName。
良いです。
ミカは、少しだけ考えた。
Rogue戦で、自分たちは強くなった。
感情を共有できる。
役割を託せる。
戻るタイミングを選べる。
誰かを不要にしない。
でも。
それだけではAegisに間に合わない。
戻る前に終わる。
一秒を作る前に取られる。
なら。
もっと速く判断するのか。
Aegisのように、初めからすべて決めておくのか。
ユイが整えたくなる形。
完璧な事前設計。
それは、ユイの昔の弱点でもある。
NoNameも同じことを考えたのか、すぐに打った。
NoName。
Aegisの真似はしないでください。
ユイの指が止まる。
ユイ。
考えていました。
NoName。
はい。
レナ。
ばれてる。
ミカ。
私も、もっと事前に決めるべきかと思いました。
NoName。
それでは負けます。
レナ。
でも向こうは、それで勝ってる。
NoName。
Aegisは、長期間同じ三人で戦っています。
積み上げた共有量が違います。
残り時間で表面だけ真似れば、Crownlessの判断が遅くなります。
ユイ。
決めた形と実際の状況が違った時、修正できなくなる。
NoName。
はい。
ミカ。
では、どうするんですか。
NoNameの返事は、少し遅れた。
NoName。
戻らない練習をします。
三人は黙った。
レナ。
この前もやった。
NoName。
意味が違います。
ユイ。
失敗後に戻らない、ではなく。
NoName。
最初から、戻る前の位置を作らない。
ミカは眉を寄せた。
戻る前の位置を作らない。
NoName。
Crownlessは、崩れた後に戻ることが強くなりました。
ですが、その分、無意識に基準位置を作っています。
ユイ。
中央後方。
左高所。
右入口。
NoName。
はい。
Aegisは、その基準位置を先に奪います。
レナ。
じゃあ、最初から帰る場所を決めない?
NoName。
はい。
ミカ。
でも、それだと三人がばらばらになります。
NoName。
なる可能性があります。
レナ。
怖い。
NoName。
はい。
ユイは画面を見ながら、静かに言った。
ユイ。
戻る場所ではなく、進む先を共有する。
NoName。
良いです。
ミカは、その言葉を受け取った。
これまでは。
崩れたら、どこへ戻るか。
誰が戻る場所を作るか。
それを考えていた。
次は違う。
戻る前提ではなく。
三人が次にどこへ進むか。
その方向だけを共有する。
固定した場所を持たない。
Aegisに奪われる前に、場所そのものを捨てる。
レナ。
次は、帰るチームじゃなくて進むチーム?
NoName。
帰ることもあります。
レナ。
どっち。
NoName。
選びます。
レナ。
またそれ。
ミカは少し笑った。
だが、胸の奥には新しい緊張があった。
Rogue戦は終わった。
勝った。
誰が一番強いかを決めずに。
けれど次の相手は、そんな問いを投げてこない。
NoNameを呼ばない。
女王という肩書きを笑わない。
誰が必要かも聞かない。
ただ。
Crownlessが戻るより早く。
すべてを取る。
控室の扉がノックされた。
運営スタッフが顔を出す。
Crownlessの皆さん。次戦は一時間後です。
一時間。
短い。
レナ。
休む時間ある?
ユイ。
三十分休みます。
二十分確認。
残り十分で移動と機材調整。
NoName。
良いです。
ユイは少し止まった。
また整えすぎたかと思ったのかもしれない。
NoNameから続く。
NoName。
今の時間配分は必要です。
そのままで。
ユイ。
はい。
ミカはチョコレートをもう一つ取った。
レナはようやく見つけた辛いスナックを一枚食べる。
ユイは紅茶を飲む。
三人とも、少し疲れている。
だが、目はもう次を見ていた。
NoNameから最後のメッセージ。
NoName。
三十分、試合のことを考えないでください。
レナ。
無理。
NoName。
可能な範囲で。
ミカ。
師匠も休みますか?
NoNameの返事は少し遅れた。
NoName。
確認する映像があります。
レナ。
休め。
ユイ。
三十分後でも確認できます。
ミカ。
師匠も戻ってください。
NoName。
どこへですか。
三人は少し黙った。
ミカは、画面を見ながら考える。
NoNameの戻る場所。
まだ、はっきりした場所はない。
でも。
ミカ。
私たちとの通話に。
ユイ。
三十分後、ここへ戻ってください。
レナ。
遅れたら怒る。
NoNameの返事は、しばらく来なかった。
そして。
NoName。
確認します。
戻り言葉。
三人は顔を見合わせた。
レナが少し笑う。
ユイも。
ミカも笑った。
レナ。
じゃ、三十分後。
ユイ。
はい。
ミカ。
待っています。
NoName。
わかりました。
四人は一度、ディスコードから離れた。
勝利を喜ぶ時間は終わった。
だが、勝利を捨てたわけではない。
受け取った。
数字も。
失敗も。
嬉しさも。
そのすべてを持ったまま。
次へ進む。
Crownlessの次の相手は、Aegis。
揺れない三人。
言葉を使わない三人。
戻る時間を与えない三人。
Rogueが心を狙う相手だったなら。
Aegisは、時間を狙う相手だった。
そしてCrownlessには、次の試合まで一時間しか残されていなかった。




