欲望の代償5
翌朝、8時ちょうど。
美穂はホワイトステートの店舗ドアの前に立っていた。
青いリボンを丁寧に結び直し、昨日支給された制服を着ている。
ピンクのブラウスは肌に優しく、白いスカートは膝丈で動きやすい。
鏡で確認した限り、完璧に「可愛い新人スタッフ」だ。
だが、鏡の中の目は、いつもの佐藤健一のものだった。
ドアはまだ施錠されている。
店内は暗く、誰もいない。
美穂は周囲を見回し、隠しカメラの録画を再確認。
高木からのメッセージは朝6時に届いていた。
昨日のスタッフ3名、顔照合結果:全員SNSで『キラキラ生活』を投稿していた過去あり。
共通点は、投稿開始時期が約3ヶ月前。
借金スパイラルの可能性あり。
美穂は小さく息を吐き、ドアの前に立ったまま待った。
8:15頃、小走りの足音が響く。
「美穂ちゃーん! おはよー!」
大場佳代が息を弾ませて現れた。
鍵束をジャラジャラ鳴らしながら、笑顔でドアを開ける。
「早いね〜! 真面目すぎ! 社長が『美穂ちゃんは本物だ』って見抜いたのもわかるよ。 ふふ、いい子が入ってくれてほんと嬉しい!」
大場は美穂の肩を軽く叩きながら、中へ招き入れる。
店内は昨日のまま。
明るい照明がつくと、ピンクの壁が一気に華やかになるが、空気はどこか淀んでいる。
「とりあえず座っててね。 みんな来るまでお茶淹れるよ〜」
美穂は控えめに頷き、デスクの端に座った。
制服の袖をそっと撫でる。
CLAVATAの本物。
タグの縫い目まで完璧だ。
8:30が近くなり、残りのスタッフ3人が続々と到着した。
昨日と同じ顔。
化粧は丁寧だが、目元に薄い影。
笑顔は作っているが、声に張りがない。
全員が揃うと、大場が手を叩いた。
「じゃあ、朝礼始めよっか!」
全員がデスクの前に並ぶ。
美穂も慌てて立ち、列の端に並んだ。
大場がリードする。
「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」「またお越しください!」
全員の声が重なる。
だが、揃っているのは音量だけ。
感情は薄い。
それを5回繰り返す。
機械的なリズム。
5回目が終わると、奥の扉がゆっくり開いた。
宇都宮淳が、にこやかな笑顔で出てくる。
今日もCLAVATAのフルオーダースーツ。
朝から完璧な身なりだ。
「おはよう、みんな。……美穂ちゃん、来てくれたな。嬉しいよ。」
宇都宮は美穂に視線を向け、優しく頷く。
美穂は目を伏せて小さく頭を下げた。
「……おはようございます……」
宇都宮は満足げに手を叩いた。
「よし、今日もがんばろうな。美穂ちゃん、わからないことあったら何でも聞いてくれよ?」
朝礼はそれで終了。
その日、来客は一人もなかった。
スタッフたちはデスクに座り、スマホをいじったり、軽い雑談をしたりするだけ。
話題は天気、ドラマ、最近のスイーツ。
誰も「仕事」の話はしない。
美穂は静かに聞き役に徹し、時折相槌を打つ。
17時の閉店時間になった。
先輩スタッフ3人は、制服のままカバンを肩にかけ、明るい笑顔で「お疲れさま〜」「また明日ね」と手を振って帰っていく。
疲れた顔に無理やり張り付けた笑顔が、妙に痛々しい。
大場は美穂の隣で、満足げに言った。
「ウチの制服ってカワイイでしょ? だからみんなこのまま通勤しちゃうんだよね〜。美穂ちゃんも明日から制服で来てね! 通勤中もキラキラできるよ♪」
美穂は少し困ったふりで訊いた。
「……毎日着るのに、洗濯はどうしたらいいですか……?」
大場は目を輝かせて即答した。
「天下のCLAVATAの服なんだから、洗濯機も乾燥機もバッチリだよ! 普通に洗えるし、型崩れしないんだから。あ、そうか! 近いうちに洗い替え用も渡すね。3着あれば余裕でしょ?」
大場はくすくす笑いながら、美穂の肩をポンと叩いた。
底なしの明るさ。
まるで何の闇もない世界にいるかのように。
美穂は小さく頷きながら、心の中で冷たく呟いた。
――この明るさ、全部が奇妙過ぎる。
美穂は紙袋に制服をしまい、エレベーターに乗り込んで高木に初日終了の報告をした。
エレベーター内の鏡の中の自分は、笑顔を浮かべていない。
だが、瞳は静かに燃えていた。
――この「キラキラ」の裏側を必ず暴く。
夕暮れの街を制服姿のまま帰途に就く。
青いリボンが、風に小さく揺れた。
美穂が初通勤した日の夜、23時を少し過ぎた頃。
Guardean事務所の固定電話が、静かに鳴った。
高木が受話器を取る。
相手は刑事課の担当者――声がいつもより低く、抑揚がない。
「高木君か。犠牲者21人、全員の検死結果が出揃った。 それが奇妙な事にな、全員に妊娠が確認された。」
高木の指が一瞬止まる。
健一はソファに座ったまま、高木の顔を見た。
「全員!?」
高木は表情を崩さずに静かに答えた。
「そうだ。 年齢も時期もバラバラだが、妊娠週数は3ヶ月前後でほぼ一致。 遺体は既に家族に引き取られ、葬儀も済んでいる。 遺伝子検査や詳細な再剖検はもう不可能だが…」
高木は静かに息を吐いた。
「異常すぎる。21人全員が……」
刑事の声が続く。
「これはもう偶然じゃない。だが、今はGuardeanの潜入が最優先だ。 何か進展があれば、すぐに連絡くれ。」
電話が切れた。
事務所に、重い沈黙が落ちる。
健一はゆっくり立ち上がり、青いリボンを指で軽く弾いた。
「妊娠か。 キラキラ投稿が始まった時期と、妊娠時期が重なる。 借金で無理やり……? それとも、別の何かか?」
高木はモニターを睨んだまま言った。
「まだ借金の線は確定してない。でも、ホワイトステートのスタッフたちが疲弊してるのは確かだ。」
美穂は小さく頷いた。
翌朝、美穂は8時ちょうどに店舗ドアを開けた。
制服の襟を直し、いつものおどおどした演技で中に入る。
朝礼は昨日と同じ。
全員で声を揃えての掛け声5回。
奥から宇都宮が出てきて、にこやかに挨拶。
「美穂ちゃん、2日目も元気そうだな。今日もよろしく頼むよ!」
午前中は来客なし。
雑談とスマホいじりだけ。
12時を回り、昼休みになった。
大場が手を叩いて明るく言った。
「美穂ちゃんの歓迎会がてら、みんなでランチ行ってきて! 『ちょこりえーる』とかさ! 」
美穂は目を伏せて、困ったふり。
「……そんな、お金持ってなくて……」
すると、先輩スタッフの一人――白井洋子(26)が、柔らかく笑って言った。
「これくらいおごるから大丈夫だよ。 美穂、気にしないで!」
白井の声は穏やかだが、目が少しだけ鋭い。
美穂は小さく頷いた。
「え?いいの?……ありがとう……」
4人で店舗を出る。
スタッフは美穂を含めて全員女性。
白井洋子(26)、山口彩花(24)、鈴木真由(24)。
大場は店舗に残って「留守番するね〜」と手を振った。
『ちょこりえーる』は、高級感のあるカフェだった。
テラス席に座り、彩花と真由がメニューを眺めながら軽く笑う。
白井は静かにコーヒーを注文し、美穂の隣に座った。
会話は他愛ない。
最近のドラマ、インスタのトレンド、甘いものの話。
だが、相変わらず誰も「仕事」の話はしない。
美穂は聞き役に徹し、時折小さく相槌を打つ。
ランチを終え、4人で店舗へ戻る途中。
白井が突然、美穂の手を引いた。
「ちょっと寄りたいところがあるの。 美穂、来て。」
古着屋の入り口。
白井は山口と鈴木に振り返り、笑顔で言った。
「美穂に雑貨コーナー見せたいから、先に戻ってて!」
山口と鈴木は、揃って作り笑顔で手を振った。
「りょ!」
「じゃあね〜」
二人は足早に去っていく。
白井は美穂の手を離さず、古着屋の中へ入った。
店内は薄暗く、古着の匂いがする。
白井は服を眺めるふりをして、棚の陰で美穂に顔を寄せた。
笑顔のまま、しかし声は低く、急いで囁く。
「この会社にいちゃダメ。 できるだけ早く逃げて。」
美穂の瞳が一瞬、鋭くなるが、演技を崩さない。
「え?」
白井は笑顔を崩さず、服の袖を触りながら続ける。
「今はこれ以上言えない。でも……信じて。ここにいると、絶対に後悔する。」
白井はすぐに笑顔に戻り、美穂の肩を軽く叩いた。
「ほら、可愛い雑貨あったでしょ? じゃあ、戻ろっか!」
二人は笑顔で古着屋を出て、店舗に戻った。
白井は最後まで明るく振る舞い、店舗のドアを開ける。
美穂は心の中で、高木に送るべき言葉を整理していた。
午後の店舗は、また静かだった。
美穂はデスクに座り、青いリボンを指で軽く触れる。
隠しカメラは、すべてを捉え続けている。
美穂は小さく息を吐き、明日への覚悟を新たにした。




