欲望の代償2
郊外のマンションのエントランスは、夜の8時を過ぎるとさらに静かになる。
蛍光灯のちらつきが、郵便受けの列をぼんやり照らしていた。
健一は事務所に戻る途中で、いつもの習慣で自分の郵便受けを開けた。
いつものようにチラシが数枚、くしゃっと詰め込まれている。
スーパーの特売、引っ越し業者、不動産屋……そして、最近増えているチラシ。
今日も入っていた。
手に取った瞬間、指先がわずかに止まる。
表面はピンクと白を基調にした派手なデザイン。
文字は太く、親しげに並んでいる。
女性専門キャッシング
ブラックOK
他店からの借入金あってもOK
貴女の誠意だけでOK
スタッフは全員女性です♪
下部に、爽やかな笑顔の女性スタッフの写真。
肩までかかる髪、柔らかなメイク、制服の襟元に控えめなロゴ。――CLAVATA。
美穂の瞳が細くなった。
あのハイブランドの特徴的なステッチ、独特の生地の光沢、襟の形状。
間違いない。
今日エレベーターですれ違った二人の男たちが着ていたスーツと同じブランドの女性用制服バージョンだ。
「ふざけてる……」
小さく呟きながら、美穂はチラシの裏を返す。
電話番号と、簡素なURL。
QRコードも付いている。
違法高利貸し特有の胡散臭さは隠しようがないが、制服だけは妙に高級感がある。
まるで「ここは安心ですよ」とアピールしているかのように。
事務所に戻ると、高木はすでにモニターに複数のウィンドウを開いていた。
健一が送ったエレベーターの映像をループ再生し、二人の男の顔を拡大処理している最中だ。
「悠斗、これ。 またあった。」
美穂はチラシを机に広げた。
高木が顔を上げ、すぐに視線を落とす。
「……CLAVATAか。」
健一は頷きながら続けた。
「制服だけじゃない。 今日の二人も同じブランドのスーツだった。 偶然な気がしない。」
高木はチラシを手に取り、写真の女性を凝視した。
笑顔は完璧すぎて、逆に不自然に見える。
「このチラシ、いつから入るようになった?」
健一は思い出しながら答えた。
「最近。1ヶ月前くらいからな気がする。 このところは連日入るようになったな。 今まで普通のチラシと一緒に捨ててたけどね……」
高木はキーボードに指を走らせた。
「URLを追ってみる。……ふむ、ドメインは海外サーバー経由の匿名登録。 電話番号も使い捨てのIP電話っぽい。 典型的な闇金の手口だけど、制服にここまで金をかけるのは珍しい」
健一は腕を組んで、ゆっくりと言った。
「被害者21人、全員がSNSで急にキラキラ生活を始めた子たち。 行動場所に共通点はなかったけど……もし、彼女たちがこの『女性専門キャッシング』に手を出して、急に使えるお金が増えたとしたら?」
高木の目が鋭くなる。
「借金でブランド品を買って、海外旅行、高級ディナー……それをSNSに上げてバズる。 フォロワー増えて、承認欲求が満たされて、さらに借りて、さらに上げる。 そんなスパイラルかもな。」
二人は同時に言葉を止めた。
21人目の被害者――このマンションの8階の女の子。
由香が「最近バズってた子」と言っていた子。
飛び降りる直前まで、彼女のインスタはキラキラで溢れていた。
美穂はチラシを指で叩いた。
「このチラシを撒いてるなら……ターゲットは若い女性たちだ。 しかも『スタッフは全員女性』って書いてある。 安心感を与えて、女性同士で借金相談に乗るフリをして、深みに嵌める。」
高木は頷き、モニターに新しい検索窓を開いた。
「CLAVATAの正規取扱店を調べる。……このブランド、日本国内の直営店は都心に3店舗しかない。 こんな郊外の古いマンションに、こんな高級スーツを着た男が二人でうろつくのはおかしいしな。」
健一はため息と共に呟いた。
「それとも、CLAVATA自体が関わってる?」
高木は首を振った。
「ブランドが直で闇金やるのはあり得ない。 でも、ブランドの『イメージ』を借りるつもりでCLAVATAの制服・スーツを大量に仕入れて、スタッフに着せてるって所だろう。」
健一は立ち上がって言った。
「このチラシの電話番号、俺が美穂でかけてみる。どんな対応か、声のトーン、誘導の仕方……それで手口の輪郭がつかめるかも。」
高木は小さく笑った。
「美穂ちゃん、また女装か。……でも、今はそれが一番効くかもね。」
事務所の明かりが、二人の影を長く伸ばした。
外では、夜風が郵便受けのチラシをわずかに揺らしている。
事務所の空気が、いつもより重く淀んでいた。
机の上に広げられたチラシの裏面を、美穂はもう一度じっくりと見つめた。
スタッフ大募集!
日給3万円(日払い可)
CLAVATAブランドの制服を貸与
未経験・学生歓迎
女性専用のお仕事です♪
詳しくはお電話を!
電話番号は表と同じ。
ピンクのハートマークが散りばめられたフォントが、妙に無邪気で、逆に寒気を覚える。
健一は棚から予備のプリペイド携帯を取り出した。
SIMは使い捨て、発信元追跡はほぼ不可能なやつだ。
高木がすでに番号をトレースできないよう、念入りに設定を済ませている。
健一は声だけ美穂になって、番号を押した。
呼び出し音が3回鳴ったところで、明るい女性の声が飛び込んできた。
「はい、ホワイトステートでございます♪ お電話ありがとうございます!」
声は甘く、親しげ。接客のトレーニングをしっかり受けたような、完璧なトーン。
美穂はわざと声を震わせ、20歳そこそこの女の子らしいおどおどした演技を始めた。
「あ……あの、スタッフ募集のチラシを見て……電話したんですけど……」
電話の向こうの声は明るく答えた。
「わあ! ありがとうございます! ぜひぜひお話聞かせてくださいね♪ 私、大場佳代と申します。よろしくお願いします!」
大場佳代。名前を名乗る声に僅かな抑揚の癖があった。
美穂はそれを頭の隅に刻み込んだ。
「えっと……私、美穂って言います……」
電話の向こう、大場佳代と名乗った女性は更に明るいトーンで言う。
「美穂ちゃん、かわいいお名前! それじゃあ早速、簡単なプロフィール聞かせてもらってもいいかな?」
矢継ぎ早に質問が飛んできた。
「生年月日は?」
「えっと……平成……18年の……5月12日です……」
「住所は? 今お住まいのところ、教えてくれる?」
「郊外の……古いマンションの……8階に住んでます……」
先日の男の言っていた階を意図的に出した。
反応を確かめるためだ。
「教えてくれてありがとう! じゃあ連絡先の電話番号と、LINEのIDとかも教えてもらえる? 面接の日程が決まったらすぐ連絡するから♪」
美穂はさらに声を小さくして、用意していた偽のLINE IDを伝えた。
番号はもちろん、このプリペイドのもの。
大場佳代はすべてをメモするような音を立てながら、明るく続ける。
「うんうん、了解! 美穂ちゃん、すごくいい感じだよ〜。 近日中に面接の日時の連絡するね! 制服もCLAVATAの可愛いデザインだから、着てみたら絶対似合うと思う♪ 楽しみにしててね!」
「は、はい……ありがとうございます……」
大場佳代は呆れるほどの明るいトーンで〆の言葉を告げた。
「じゃあ、またすぐ連絡するから! バイバーイ♪」
電話はあっさり切れた。
美穂はプリペイドを机に置き、ゆっくりと息を吐いた。
声の演技は完璧だったはずだ。
おどおどした、借金に困った女の子。
まさにホワイトステートが狙うタイプだろう。
高木が隣で録音データを再生しながら、静かに言った。
「大場佳代、か。 声のトーン、標準語だけど微妙にイントネーションが関西寄り。 ……あと、8階って言った瞬間に、1秒だけ間が空いた。 反応したな。」
健一は頷く。
「このマンションの8階の被害者と何か関係がある証拠かもな。」
高木はモニターに新しいウィンドウを開いた。
「ホワイトステートで検索かけてみたけど、表向きの店舗はゼロ。 ネットにも口コミらしい口コミはない。 ただ、チラシの番号はさっきと同じ海外経由のIP電話。 ……でも、スタッフに日給3万+CLAVATA制服ってのは、普通の闇金じゃありえない。」
健一は美穂になる準備をしながら言った。
「面接の連絡が来たら、美穂として潜入する。 内部から仕組みを暴くのが一番早いからな。」
高木の目がわずかに曇る。
「今回は危ないぞ。 日払い3万ってことは、初日から金を渡して依存させる手口の可能性が高い。 借金漬けにした子たちに、SNSでキラキラ投稿させてバズらせて……さらに次の子を勧誘させる、完全なピラミッド型かも。」
美穂は青いリボンを指で軽く弾いた。
「いずれにしたって、放っておけない。」
隠しカメラは、まだ生きている。
「大場佳代が連絡してきたら、すぐ動く。 俺たちはこのホワイトステートの『白い仮面』を剥がす準備をしておかないとな。」
事務所の時計が、静かに時を刻む。
プリペイド携帯の画面は暗いままだが、いつ鳴ってもおかしくない。
外では、古いマンションの郵便受けに、また新しいピンクのチラシが、誰かの手でそっと入れられていた。




