笑いという誇り1
夜の公園は、街灯の淡い光だけが頼りだった。
マンションの裏手、Guardean事務所から徒歩三分の距離にある小さな公園。
普段なら深夜でもジョギングするサラリーマンや、犬の散歩をする近所の住人がちらほらいる場所だが、今夜は違う。
黄色い規制線が張られ、赤と青の回転灯が木々の間を不規則に染めていた。
刑事たちが低い声でやり取りし、鑑識の白い防護服が懐中電灯の光を反射しながら動いている。
健一は、マンションの非常階段からそっと降りてきた。
黒いパーカーのフードを深く被り、両手をポケットに突っ込んだまま、公園の外周をゆっくり歩く。
視線は規制線の中ではなく、周辺の茂みやベンチ、街灯の死角に注がれていた。
「健一」
背後から静かな声がした。
高木だった。
長身のシルエットが闇に溶け込みながら近づいてくる。
いつものように無駄のない足取りで、健一の隣に並んだ。
「もう鑑識は終わったみたいだね。 遺体は運び出される直前か。」
高木の声は低く、抑揚がほとんどない。
仕事モードの彼はいつもこうだ。
健一は小さく頷き、視線を規制線の中に向けた。
そこにシートに覆われた遺体があった。
だが、シートの下から不自然に突き出た一本の透明ビニール傘の柄が、街灯の光を屈折させてキラキラと光っているのが見えた。
傘の先端は、被害者の口から後頭部まで一直線に貫通しているらしい。
シート越しでも、その異様な形状ははっきりと分かった。
「…あれ、ほんとに突き刺さってるんだ。」
高木が答えるように続けた。
「鑑識の話だと、後頭部を花壇の縁石で強打した痕がまずあって、そこから脳損傷で即死に近い状態。その後に傘を口から突っ込まれた、と。生きてたら絶叫ものだけど……死後すぐの犯行だろうね。」
高木は淡々と説明しながら、スマホの画面をちらりと見せた。
非公式に刑事から送られてきた現場写真のサムネイルが、一瞬だけ光った。
「死因は頭蓋骨骨折による脳髄損傷。 傘は……演出、かな。 猟奇殺人って線で動いてるみたいだけど。」
健一はフードを少しずらし、顔をわずかに上げた。
「俺たちに何を期待してるんだろうね。 刑事課が非公式に頼んでくるってことは、表沙汰にしたくない何かがあるってことだろ?」
高木は小さく息を吐いた。
「被害者は江口政吉。 28歳、無職。 前科は無いけどネット上では結構荒れてたらしい。 詐欺まがいの転売とか、炎上狙いの晒しアカウント運営とか……恨みを買うタイプではあるようだ。」
二人は規制線の少し離れたベンチに腰を下ろした。
刑事たちの声が遠くに聞こえる。
鑑識が遺体をストレッチャーに移す音が、金属的に響いた。
「依頼内容は『内密に周辺の動きを洗ってほしい』だけ。 表向きは事故死扱いにするつもりみたいだ。でも、あの傘の刺し方は……明らかに異常だ。」
高木の視線が、公園の出口の方へ向く。
そこには、マンションの明かりがぼんやりと見えていた。
健一は膝に肘をつき、顎を乗せた。
「とりあえず、明日から動く?」
高木は表情を崩さずに言った。
「今回は、まず僕がデジタル足跡を追うよ。 江口のSNS、メール、チャット履歴……全部洗う。 健一は現場周辺の防犯カメラと、目撃者探しを頼む。」
健一は小さく頷き、立ち上がった。
「了解。……でもさ、悠斗 この傘、ただの安物ビニ傘だよね。コンビニで売ってるやつ。 犯人がわざわざそんなもん持ってきて死体に刺す意味って……」
高木も立ち上がり、健一の肩に軽く手を置いた。
「それが分かれば、犯人の『メッセージ』が読める。 だから僕たちは、ここにいるんだ。」
二人は闇の中、並んでマンションの方へ歩き始めた。
背後では、遺体を乗せたストレッチャーがゆっくりと運ばれていく。
透明なビニール傘の柄が、最後に街灯の光を反射して鋭く光った。
翌日の昼下がり。
Guardean事務所の窓からは、昨夜の事件現場である公園がよく見えた。
カーテンを半分だけ開け、室内の照明を落としたまま、二人はモニターに向かっていた。
健一は椅子に浅く腰掛け、顎を手に乗せて画面を睨んでいる。
普段の黒パーカーではなく、今日はシンプルな白いTシャツにデニム。
髪は少し乱れていて、頰に疲れの影が薄く落ちていた。
高木は隣のデスクで、複数のウィンドウを同時に開きながらキーボードを叩いている。
長身を少し前傾させて、画面の細部を追う視線は鋭い。
「刑事課の聞き込みはもう始まってるみたいだね。 近所の住人から『昨夜、公園の方から大声が聞こえた』って証言がいくつか取れてる。」
高木の声はいつも通り落ち着いている。
「大声ね……。言い争いしてたって映像で分かったし、そりゃ聞こえるだろうな。」
二人が見ているのは、公園管理組合が設置している防犯カメラの映像。
非公式ルートで刑事から提供されたデータだ。
画質はそれほど高くないが、広角レンズでゆっくりパンするタイプのカメラ。
事件発生時刻付近の映像を、何度も巻き戻しては再生している。
画面に映ったのは、まず江口政吉の姿。
夜の公園のベンチに座り、スマホをいじっている。
やがて、もう一人の男が近づいてくる。
背格好は中肉中背、黒いジャケットにキャップ。
顔は角度的にほとんど見えない。
二人はすぐに言い争いを始めたらしい。
江口が立ち上がり、男に向かって身を乗り出す。
男も負けじと声を荒げ、手を振り上げている。
だが、カメラがゆっくり右にパンした瞬間、二人の姿はフレームアウト。
そのまま数秒、誰も映らない暗い芝生と街灯だけが映る。
次にカメラが戻ってきた時――江口は地面に倒れていた。
後頭部から血が広がり、花壇の縁石に頭をぶつけた痕が、暗視モードの映像でもはっきり分かる。
そして、その横に立っている男。
俯瞰するように江口を見下ろし、動かない。
数秒後、またカメラが左に動き始め――フレームアウト。
再び戻ってきた時には、男の姿はもうなかった。
ただ、倒れた江口の口元に、何か細長いものが突き刺さっているのが、遠目にも分かった。
あの透明ビニール傘だ。
健一はため息をつき、背もたれに体を預けた。
「こいつだ。 言い争って、突き飛ばして頭打たせて、死んだ後に傘刺した。 間違いない。 でも顔が分からない。」
男の顔はキャップのつばで隠れてるし、画質も粗い。
ズームしてもモザイクみたいになるだけだった。
高木はマウスをクリックして、拡大した静止画を表示した。
確かに、男の顔はぼやけて判別不能。
体格や服装の特徴も、夜の闇と平凡な黒ジャケットでは目立たない。
健一は立ち上がり、事務所の隅にある工具箱から小型の監視カメラと盗聴器を取り出した。
手のひらサイズのバッテリー駆動型で、Wi-Fi接続可能。
ズーム機能付きの高解像度レンズだ。
「犯人がまた現場に戻ってくる可能性に賭ける。 見せしめみたいに傘を突き刺したって事は何かメッセージ性がある。 だったら、死体が運び出された後でも現場を確認しに来るかもしれない。」
高木は頷きながら、ノートパソコンにUSBを挿した。
「賛成。 僕が遠隔でコントロールできるようにセットする。 映像はリアルタイムで事務所に飛ばして、音声も拾う。 バッテリーは48時間持つし、暗視もIR対応だから夜間も大丈夫だろう。」
二人はすぐに動き出した。
健一はカメラと盗聴器を小型のケースに収め、高木が接続テストを行う。
事務所のモニターに、テスト映像が映し出される。
公園のベンチ、花壇、昨夜の血痕がまだ薄く残る地面――すべてクリアに捉えていた。
健一はケースを閉じ、フード付きのパーカーを羽織った。
「俺が仕掛けに行く。 ジョギングでもしてる風に装って置いてくるよ。」
高木は画面から目を離さず、軽く手を上げた。
「了解。 僕はここで待機して映像の解析続ける。」
健一は小さく笑って、ドアに向かった。
「よろしく!」
高木の口元に小さな笑みが浮かんだ。
健一は階段を降り、マンションの裏口から公園へ。
陽射しは穏やかで、散歩する老夫婦やベンチで本を読む学生がちらほら。
誰も昨夜の惨劇など知らないような、平和な昼の風景だ。
健一はジョギングのふりをして、花壇の近くの茂みに近づく。
しゃがんで靴紐を結び直す動作で、カメラを木の根元に固定。
盗聴器はベンチの裏側に磁石で貼り付けた。
立ち上がり、軽くストレッチをしてから、ゆっくりと公園を一周。
視線を周囲に走らせながら、怪しい影を探すが――誰もいない。
マンションに戻り、事務所のドアを開けると、高木がすでに映像を受信していた。
モニターに、鮮明な公園の様子が映っている。
風に揺れる木の葉、遠くを歩く人影、すべてリアルタイムだ。
高木がヘッドホンを片耳に当てながら言った。
「完璧。音もクリアに拾えてる。」
健一は椅子に座り直し、モニターを睨んだ。
「これで、奴が戻ってきたら……顔も声も、全部取れるな。」
二人は黙って画面を見つめた。
静かな公園の映像が、ゆっくりと流れる。
まるで、何かを待っているかのように。Guardeanの監視は、こうして始まった。
犯人が再び現れるのを、ただ、静かに待ちながら。




