見栄の罪を数えろ5
昭和製薬本社、社長室。
安達の怒りがようやく収まった後、部屋の空気はさらに重く、静まり返っていた。
田辺は壁際に座り込み、ただ俯いている。
健一と高木は、モニター越しではなく、今は直接社長室に残り、佐々木からの最新報告を待っていた。佐々木蔵之介からのメールが、安達のPCに届く。
件名:テウン薬品工業側・最新進捗(インターポール経由)
「安達社長、佐藤君、高木君。
田辺正司の自白に基づき、国際郵便の受取人を特定しました。
受取人:イ・パクソン(李朴成、38歳)。
テウン薬品工業の営業部所属、社長・イ・テヒョンの甥。
社内では『卯建の上がらない万年課長』と陰口を叩かれ、社長の血縁ゆえに干されていた人物です。
しかし、今回の『PAIN ERASER』の爆発的売り上げにより、急遽評価が逆転。
営業部と開発部を統括する取締役に抜擢され、社内での地位を一気に固めた。
……まさに、漏洩した機密データが彼の『出世の切符』だったわけです。」
健一は画面を読みながら、苦々しく呟く。
「甥っ子が、叔父さんの会社で……見栄と金で繋がった連中か。田辺のフェラーリ嘘と、イ・パクソンの出世欲。似たような臭いがするな。」
高木は冷静に続ける。
「インターポールと韓国当局の連携で、イ・パクソンはすでに身柄を確保されました。取締役数名と共に、国外逃亡を図ったところを仁川国際空港で拘束。偽造パスポート、使用済みの現金、機密データのバックアップUSB……すべて押収済みです。」
安達は拳をテーブルに軽く叩きつける。
声は低いが、怒りが再燃している。
「イ・パクソン……。お前が受け取った書類で、5人も死んだんだぞ。その出世の代償に5つの命を踏み台にしたのか。」
佐々木のメールは続く。
「テウン薬品工業の株価は、事件発覚後、急落を続けています。
取引停止寸前で、現在は『ただの紙切れ』状態。
回収中の『PAIN ERASER』は、韓国国内でほぼ回収完了の見込みですが、一部の並行輸入品が東南アジアに流出している可能性もあります。
引き続き、追跡を続けます」
城崎が静かに息を吐く。
「これで……一応の決着か。だが、5人の遺族には、何も返せない。」
健一は立ち上がり、窓の外の街を見つめる。
「決着じゃない。佐々木さんに、国際的なクラスアクション訴訟の準備もお願いしよう。テウン側が逃げられないように、徹底的に。」
高木はノートPCを閉じ、静かに頷く。
「……イ・パクソンが空港で捕まった瞬間、どんな顔をしていただろうな。出世の階段を駆け上がったつもりで、結局、奈落に落ちた。」
安達は深く頭を下げる。
「Guardean……本当にありがとう。君たちがいなければ、この薬はまだ流通を続けていた。5人の命は取り戻せないが……これ以上増えなかった。それだけでも、救いだ。」
田辺は、床に額を押しつけたまま、動かない。
誰も声をかけない。
彼の罪は、もう数え終わった。
昭和製薬本社、社長室。
夕暮れの光がカーテンを透かし、部屋を橙色に染めている。
安達社長はデスクに肘をつき、疲れきった表情で佐々木蔵之介からの最新報告書を読み進めていた。
健一と高木はソファに腰を下ろし、静かに待つ。
報告書は、インターポール経由で韓国当局から送られてきた、イ・パクソンの取り調べ内容の翻訳版だった。
佐々木の添え書きメールが、簡潔に要約している。
「安達社長、佐藤君、高木君。
イ・パクソンの自白内容が届きました。
田辺正司の供述と完全に一致しています。
二人が出会ったのは、上野の居酒屋。
詳細は以下にまとめました。
これで、漏洩の全経路が明確になりました。」
報告書のページをめくる。
そこに記されていたのは、予想以上に人間臭い出会いの物語だった。
――3ヶ月前、夏の終わり頃。
イ・パクソンは単身で日本旅行中だった。
テウン薬品工業の万年課長として、社内で「社長の甥なのに使えない奴」と陰口を叩かれ、肩身の狭い日々を送っていた彼は、ストレス発散も兼ねて東京を訪れていた。
ホテルの近く、上野の路地裏にある小さな居酒屋。
カウンター席に座ったパクソンは、ビールと焼き鳥を注文し、ぼんやりとテレビを眺めていた。
隣に座ったのが、たまたま残業帰りの田辺正司。
田辺もまた、昭和製薬の万年主任として、昇進の見込みが薄い日々に疲れ果てていた。
最初は世間話。
話しかけたのは田辺からだった。
「日本、初めてですか?」
パクソンは慣れない日本語で返した。
「ええ、観光です。韓国からです。」
酒が進むにつれ、互いの愚痴が零れ始めた。
先に愚痴り始めたのも田辺からだった。
「うちの会社、俺みたいな古株はもう使い物にならないってさ。出世コース? そんなのとっくに外れたよ!」
パクソンも頷きながら言った。
「僕も同じ。社長の甥だってのに課長止まり。実績が無いと誰も見向きもしない!」
やがて、本音が零れ落ちる。
パクソンは「出世のためなら、何だってするよ。功績さえあれば……一発逆転できるのに!」
田辺は「……俺は、もう出世より金がほしい。娘の学費、ローン、フェラーリの夢……全部、金だよ。」
二人は笑い合い、グラスを合わせた。
そして、連絡先を交換。
LINEではなく、国際電話でも使える古風なメールアドレスと、予備の連絡用に国際郵便の宛先まで。
その後、田辺が最初に送ったのは「サンプルデータ」だった。
ペインハンターの初期配合表。
パクソンはそれを韓国に持ち帰り、叔父である社長に「面白い情報が入った」と売り込んだ。
社長は目を輝かせ、即座に「もっと持ってこい」と指示。
見返りの金は、毎回国際郵便で現金で渡された。
田辺の自白と、イ・パクソンの自白は、細部までぴたりと合致していた。
出会いの日時、上野の居酒屋の店名、注文したメニュー、交わした言葉……
すべてが一致。
高木は報告書を閉じ、静かに呟く。
「……偶然の相席から始まった、くだらない共犯関係か。万年課長と万年主任が、酒の席で意気投合して、互いの欲を満たすために…か。」
健一は天井を見上げ、ため息をつく。
「上野の居酒屋か……ヨタ話で終わってるはずの話が、5人の命を奪うことになったとはな。」
安達は報告書を握りしめ、声を低くする。
「二人の自白が揃った以上、国際捜査は最終段階に入った。イ・パクソンは拘留中、田辺も日本で逮捕手続きが進む。蔵之介さんがクラスアクションの準備を進めている。遺族への補償……テウン側が払わなければ、うちも可能な限り負担する。」
社長室に、重い沈黙が落ちる。
外はすっかり夜。
健一は立ち上がり、ジャケットを羽織る。
「これで、事件の全貌は明らかになった。後は、法が裁くだけだ。……社長、俺たちは一旦事務所に戻ります。何か動きがあれば、すぐに連絡します。」
安達は深く頭を下げる。
「本当に……ありがとう。Guardeanがいなければ、この5人の死は、ただの『事故』として闇に葬られていたかもしれない。」
高木も静かに礼を述べ、二人は社長室を後にする。
車中で、健一がぽつりと呟く。
「上野の居酒屋で、たまたま隣に座った二人が……ここまで繋がるなんてな。人生って、ほんとに予想外だ」
高木はハンドルを握ったまま、短く答える。
「……たまたまの出会いが、予想外の罪を生む。探偵の仕事は、そういう『たまたま』を、数える事なのかもな。」
5人の遺族の痛みが、まだ胸に残っている。
夜の街に静かに車が溶け込んでいった。




