見栄の罪を数えろ4
昭和製薬本社、社長室。
取締役会議が終わった直後、部屋の空気は重く淀んでいた。
安達社長はデスクに肘をつき、疲れた目で窓の外を見つめている。
城崎常務が静かにコーヒーを注ぎ直し、健一と高木にカップを渡す。
「田辺の社内での処遇は……追って決定するそうです。」
健一はソファの端に腰を下ろし、静かに頷く。
高木はタブレットを操作しながら、淡々と報告した。
「田辺の自白は、佐々木さんにも共有済みです。国際郵便の追跡番号も特定できたので、証拠は固まっています。」
高木は淡々と報告を続ける。
「問題は『PAIN ERASER』の流通です。韓国国内で既に数万箱が出回っている可能性が高い。回収が急がれる所ですが…」
その時、安達のデスク上のスマホが振動した。
画面を見た安達の顔が、瞬時に青ざめる。
「……ニュースが入った。韓国で、『PAIN ERASER』が原因と思われる死亡例が……5件、相次いで報告されているそうだ。」
部屋が凍りつく。
健一は目を見開き、「5件……?」
安達はスマホの画面を皆に見えるように傾ける。
韓国語のニュース記事が、翻訳アプリで表示されている。
見出しは「鎮痛剤『PAIN ERASER』関連死、5人確認――急性肝不全疑い」。
城崎は悲痛な表情で言った。
「副作用……。臨床データが不十分な段階で市販されたツケが、こんな形で……」
安達は青ざめたまま、記事をスクロールする。
「報道によると、テウン薬品工業のパッケージには製造販売者として同社の社名しか記載されていない。
昭和製薬の名前は一切出ていない。……今のところ、波及は免れた形だ。」
安達は深く息を吐く。
「テウンは嵐のようなクレームを受け、既に自主回収を発表したらしい。だが、遺族への補償は一切なし。別の騒ぎを起こして『臨床試験中の薬を盗用した』という事実を隠蔽するためだろう。」
健一は拳を軽く握りしめる。
「5人の命が……見栄と金のために失われた。田辺の見栄と嘘が、こんな結果を招いたのか。」
その頃、佐々木蔵之介の専用デスク。
佐々木はノートPCの画面を睨みながら、独り言のように呟く。
「……テウン薬品工業。酌量の余地は、無さそうですね。」
彼はすでに動いていた。
インターポールとのパイプをフル活用し、テウン薬品工業の幹部に対する逮捕・拘留請求を正式に提出済み。
国際的な産業スパイ行為、未承認薬の不正製造販売、死亡事故の隠蔽容疑……。
証拠は田辺の自白、郵便追跡記録、成分一致の分析データ、そして今、韓国で起きた死亡例の報道。
すべてが繋がり始めている。
佐々木はメールを打ち終え、送信ボタンを押す。
宛先は安達社長とGuardean事務所。
件名:テウン薬品工業に対する国際捜査進捗
「安達社長、佐藤君、高木君。
インターポール経由で、テウン薬品工業の社長および開発責任者に対する逮捕状請求を完了しました。
韓国当局も動き始めている模様です。
『PAIN ERASER』の回収が完了するまで、監視を続けます。」
社長室で、安達がメールを読んで小さく頷く。
「蔵之介にも本当に頭が上がらないな……」
健一は立ち上がり、窓辺に寄る。
「これで、少なくともこれ以上の被害は食い止められる。……でも、5人は戻らない。」
高木はタブレットを閉じ、静かに呟く。
昭和製薬本社、社長室。
ニュース記事の画面が、安達祐次の顔を青白く照らしている。
5件の死亡例。
急性肝不全。
被害者の顔写真が、記事の下部に並んでいる。
若い母親、建設現場の作業員、大学生……それぞれの人生が、たった一つの白い錠剤で途絶えた。
安達の目が、ゆっくりと見開かれる。
今まで見たことのない、獣のような怒りがその顔に浮かぶ。
「……もう一度、ここに田辺を呼べ。」
声が低く、震えている。
城崎が慌てて内線を入れる。
数分後、ドアが小さく開き、田辺正司がおずおずと入ってくる。
先ほどの自白で肩を落としていた男が、さらに小さく縮こまっている。
安達は立ち上がり、スマホを田辺の目の前に突きつける。
画面には、韓国語のニュースと被害者の遺影が映っている。
「これを見ろ、田辺!」
田辺の視線が画面に落ちる。
そして、凍りつく。
安達の声が、徐々に、荒々しく、大きくなっていく。
「5人だぞ! 5人も死んだんだ!たかだかお前のフェラーリごときの見栄で!お前の『フェラーリ待ち』の嘘で!5人も! その家族が泣き叫んでるんだ!この遺族の顔を見ろ!お前のフェラーリは、5人もの命より重いのか!?」
安達の目から、涙が溢れ出す。
怒りと悲しみが混じり、声が嗄れる。
「お前の命1つごときで償えると思うなよ。この人たちの痛み! お前はどうやって償うつもりなんだ!? どうやって!!」
安達の拳が、振り上げられる。
田辺は後ずさり、壁に背を押しつける。
拳が田辺の顔面を捉える寸前――健一が、安達の腕をしっかりと掴んだ。
「社長……今は、だめです。」
安達の肩が震える。
安達の涙がぽたぽたと床に落ちる。
健一は静かに、言い聞かせるように言った。
「今は、PAIN ERASERをこの世から無くすことの方が先決です。田辺の罪は、警察と裁判所が裁きます。
社長が手を汚しちゃいけません。……5人のためにも、まだやることがあるんです。」
安達は拳をゆっくり下ろし、息を荒げながら田辺から目を逸らす。
「……すまん。……佐藤君の言う通りだ。」
田辺は壁に寄りかかったまま、膝から崩れ落ちる。
嗚咽が漏れる。
だが、誰も慰めない。
誰も、許さない。
高木は静かにスマホを取り出し、佐々木蔵之介に状況を報告するメールを打つ。
「本件に起因すると思われる死亡例5件確認。安達社長は激昂しましたが、健一が止めました。国際捜査を最優先に進めましょう。」
健一は安達の肩に軽く手を置き、静かに言う。
「社長。絶対にこの薬を根絶しましょう。これ以上、誰も死なせないように。これ以上、誰も泣かないように。」
安達は深く頷き、涙を拭う。
「そうだな。……頼む。Guardean……頼んだぞ。」
部屋に、重い沈黙が落ちる。
外の街は、変わらず穏やかに輝いている。
だが、ここにいる者たちの心は、嵐の真っ只中だった。
PAIN ERASERの白い錠剤は、もう誰の痛みも消さない。
ただ、残された者たちの痛みを、深く刻みつけるだけだ。




