見栄の罪を数えろ3
昭和製薬本社、役員会議室の隣に設けられた小さなモニタールーム。
健一と高木は、暗くした部屋でヘッドセットを着け、壁に埋め込まれた大型モニターを睨んでいる。
音声はリアルタイムで流れてくる。
映像は、会議室の隠しカメラから捉えたものだ。
健一は腕を組んで、静かに呟く。
「急がなきゃな……。『PAIN ERASER』なんて名前で市販されてるけど、あのペインハンターはまだ実験段階。臨床データだって不十分だ。このまま不特定多数に使われたら……最悪、死亡例が続出する可能性だってある。」
高木は隣でノートPCを操作しながら、淡々と返す。
「副作用のリスクは未知数。鎮痛剤だからって甘く見ると、肝臓や腎臓への負担で重篤な症例が出る。テウン側がサクラ評価で水増ししてるのも、問題を隠蔽するためだろうな。」
健一は安達社長に事前に連絡を入れていた。
「緊急取締役会を開いてほしい。議題は『開発中の鎮痛剤に関する重大な情報漏洩疑惑』。田辺正司主任を呼び出して、直接事情聴取を。」
安達は即座に了承。
公にGuardeanの名前は出さず、「外部専門家による調査の結果」として、
取締役会で田辺を呼び出す形にした。
健一と高木は、あくまで「影」としてモニター越しに観察する立場だ。
会議室の映像が動き出す。
重厚なテーブルを囲む取締役たち。
中央に座る安達社長の隣に、城崎常務。
そして、ドアが開いて田辺正司が入室する。
50代半ば、眼鏡をかけた瘦せ型の男。
顔色が悪い。すでに何かを察しているようだ。
安達は重い口調で言った。
「田辺君、座ってくれ。今日は君に直接聞きたいことがある。開発中の『ペインハンター』についてだ。」
田辺は椅子に腰を下ろすが、背筋が固い。
「……はい」
安達は続けた。
「我々の新薬が、韓国のテウン薬品工業から『PAIN ERASER』として市販されている。成分、形状、すべて同一だ。まだ認可も臨床第3相も終わっていない段階でだ。これは明らかに漏洩だ。そして……君のプリントアウト履歴が異常な量で、しかも夜間帯に集中している。説明してくれ。」
田辺の額に汗が浮かぶ。
沈黙が数秒続く。
城崎は強い口調で言った。
「田辺君。我々はすでにログを押さえている。君のIDで出力された紙の量は、過去の平均の5倍以上だ。何を印刷していたのか、正直に話してくれ。」
田辺は視線を落とし、両手を膝の上で強く握りしめて言った。
「……すみません。私が……やりました。」
会議室に静かな衝撃が走る。
安達は田辺を見据えて言った。「続けてくれ。」
田辺は促されるがままに続けた。
「3ヶ月前……テウン薬品の韓国人研究員から、個人的に連絡が来たんです。『共同研究の提案だ』と言われて。最初は軽い気持ちで、資料の一部を見せただけだったんですが……次第に、金の話が出てきて。借金があって……家族の医療費が……」
声が震え始める。
「プリントアウトしたのは、ペインハンターの全配合データ、動物実験結果、中間臨床データ……それらを国際郵便で、テウン薬品の指定する住所に送っていました。毎週のように……」
健一はモニター越しに拳を握る。
「……やっぱりか。国際郵便か。デジタル痕跡を残さない、最も原始的な方法だな。」
高木は無言でメモを取っている。
表情は変わらないが、目が鋭い。
田辺は更に続けた。
「最初は『少しだけ』と思っていたんです。でも、向こうからの催促がエスカレートして行って…止まらなくなって……。『PAIN ERASER』が市販されたと知った時、もう取り返しがつかないと……」
安達の声が低く響く。
「田辺君。君の行為は、会社の機密漏洩、産業スパイ行為に該当する。しかも、人命に関わる薬だ。このままでは、死亡事故が起きてもおかしくない。」
田辺は頭を深く下げる。
肩が震えている。
「どうか……家族だけは……」
城崎は被せるように強く言った。
「それは裁判所が判断することだ。今は、君が知っているすべての詳細を話してくれ。テウンの連絡先、送った日時、受け取った金額、全てをだ。」
田辺はゆっくりと顔を上げ、頷く。
「……わかりました。すべて話します。」
モニタールームで、健一が息を吐く。
「これで突破口は開いた。田辺の自白を基に、テウン側の人間を特定して、国際的な告訴に繋げられる。あとは佐々木さんに引き継いでもらえるか。」
高木はヘッドセットを外し、静かに立ち上がる。
「次は、送付記録の追跡と、テウン側の受け取り担当者の特定だ。国際郵便の追跡番号があれば、証拠は揃う。」
健一は決意を込めて呟く。
「さぁ、お前の罪を数えろ……」
取締役会はまだ続く。
田辺の自白が、次々と詳細を吐き出していく。
Guardeanの仕事は、まだ終わらない。
昭和製薬本社、役員会議室。
隠しカメラのモニター越しに、田辺正司の自白が続いていた。
最初は借金と家族の医療費という、ありふれた理由を口にしていたが、次第に本当の動機が、ぽつりぽつりと零れ落ち始めた。
「……本当のことを言います。金のため……だけじゃなかったんです。」
安達社長の声が、低く響く。
「続けなさい。」
田辺は眼鏡を外し、指でこめかみを押さえる。顔が赤らみ、恥ずかしさと後悔が混じった表情だ。
「3ヶ月前、高校の同窓会があったんです。……須藤洋二。昔からの友人で、当時から『将来は一緒にフェラーリで爆走しようぜ』って、馬鹿みたいに夢を語り合ってた奴です。」
田辺は言葉を詰まらせながら続けた。
「あいつは今、IT企業の社長やってて……本当にフェラーリに乗って現れたんです。赤い488 Pista。駐車場でエンジン唸らせて、みんなの視線を集めて……」
田辺の声が震える。
「ただただ……羨ましかった。見栄を張りたかったんです。酔った勢いで、『俺もフェラーリ注文してあるよ。1年待ってるけど、まだ納車されないんだ。』って嘘をつきました。須藤は笑って『少数生産なんだから気長に待てよ』って肩を叩いてきて……」
健一はモニターを睨みながら、小さく息を吐く。
「……見栄か。結局、それだけのために……」
高木は無表情で、ただ淡々とメモを取っている。
田辺は更に続けた。
「その夜、家に帰ってから現実に戻りました。 娘の大学学費の督促状、住宅ローンの残高……軽自動車すら新車に買い替える余裕もない。 でも、須藤の前で『フェラーリ待ち』って言っちゃった手前、もう後戻りできなくて……。 テウン薬品の人間から連絡が来た時、『これで金が手に入る』って思ったんです。」
城崎常務が静かに口を開く。
「田辺君。君の嘘は、須藤君の前でだけじゃなかった。会社を、患者さんを、そして自分の家族を欺いたんだ。『PAIN ERASER』が市販されて、もし副作用で誰かが死んだら……それは君の『見栄』が殺したことになるとは思わんかね?」
田辺は両手で顔を覆い、肩を震わせる。
「……すみません。本当に……すみません…」
安達は深く息を吐き、ゆっくり立ち上がる。
「田辺君。君の自白は録音・録画されている。これから警察に引き渡す。家族の事は会社としてできる限りの配慮はする。だが、罪は罪だ。……友人の須藤君には、いつか本当のことを話すんだな。」
田辺は頷くことすらできず、ただ頭を垂れていた。
モニタールームで、健一がヘッドセットを外す。
「見栄か……。本当にくだらない理由だ、でも…実際にはよくある動機だ。」
高木はノートPCを閉じ、静かに立ち上がる。
「ああ。でも、くだらない動機ほど根深い。田辺の自白で送付記録の日時と宛先は特定できた。 国際郵便の追跡番号も本人が吐いた。これでテウン側の受け取り担当者まで辿れる。」
健一は苦笑しながらジャケットを羽織る。
「佐々木さんに連絡して、国際告訴の準備を進めてもらおう。……それと、須藤って友人にいつか真実を伝える日が来るのかな。フェラーリの夢は潰えたって。」
高木はいつもより無機質な表情を浮かべて言った。
「……夢より、現実の重さを先に知るべきだったな。」
二人はモニタールームを後にする。
廊下の窓から見える横浜の空は、午後の陽光に満ちていた。
だが、Guardeanの戦いは、まだ終わらない。
田辺の「フェラーリ待ち」という小さな嘘が、どれだけの命を危険に晒したのか――




