執拗な圧力5
K-joyfulの「事務所」の扉をくぐると、そこは殺風景な部屋だった。
コンクリートむき出しの壁、古びたソファが二つ、テーブルに散らばったタバコの灰皿と空のビール缶。
窓は厚いカーテンで閉ざされ、蛍光灯の白い光だけが冷たく空間を照らしている。
アイドル事務所とは到底思えない、ただの「空き部屋」だった。
偽由香は無邪気な声で、わざとらしく首を傾げた。
「ここで……アイドルの管理とかするんですか?」
金は、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
ゆっくり煙を吐き出しながら、勝ち誇った顔で偽由香を見下ろした。
「世間知らずのお嬢ちゃんなんてチョロイもんだよな。」
男はもう一人の仲間と目配せし、笑みを深めた。
「これからアンタは人質になって、アンタのパパにあの土地を売らせるんだよ。助かりたかったら大人しく協力してくれよな。それが終わったらアイドルにでも何にでもしてやるよ。薬漬けの俺達の人形としてな。」
最後の言葉で、男は下卑た笑いを漏らした。
タバコの煙が、部屋にゆっくりと広がっていく。
偽由香は顔を少し伏せ、耳に仕込んだ無線に小さく囁いた。
「今の、録れてるな?」
高木の声が、即座に返ってきた。
いつものクールなトーンだが、どこか満足げだ。
「もちろん。映像も音声も、全部クリア。佐々木さんの画面にもリアルタイム共有済みだ。」
その瞬間、偽由香の目が——由香の瞳を完璧に模したはずの瞳が——鋭く変わった。
戦闘モード。
金が美穂に手を伸ばした瞬間——美穂は動いた。
合気道の流れるような動きで、金の腕を捻り上げ、急所を正確に突く。
金は「ぐっ!」と短く呻き、膝から崩れ落ちた。
もう一人の男が慌てて殴りかかってきたが、美穂は体を沈めてかわし、首筋に掌底を叩き込む。
男の体がびくりと痺れ、床に倒れ込んだ。
二人は数秒で無力化されていた。
美穂は息一つ乱さず、無線に伝えた。
「迎え、よろしく。」
高木の返事は、にこやかな声だった。
「ちょっと混んでるから、40分くらい待っててくれ。」
事務所では、仁と由香が口をぽかんと開けていた。
画面に映っていたのは、由香そっくりの少女が、二人の大男を瞬時に倒してしまった光景。
由香は自分の「もう一人の自分」が戦っている姿に、ただただ呆然としていた。
「……美穂さんって………あんなに強い……の?」
仁も震える声で呟いた。
「健一君……本当に……」
佐々木の画面から、静かな感嘆の声が漏れた。
「……これが、Guardeanの『潜入と制圧』の本領なのですね。私もにはとても…」
美穂は倒れた二人にヒモで簡易手錠をかけ、無線に提案した。
声は由香のまま、だが中身は完全に健一だった。
「悠斗、まだ警察は入れずに、こいつら引っ張って情報を聞き出そう。あの聞き出しルーム……ちょっと久しぶりだな。」
高木は即答した。
「了解。今から迎えに行く。 佐々木さん、引き続き映像記録お願いします。 仁さん、由香ちゃん——もう少しだけ待っててください。」
美穂は部屋の隅にあった古い椅子に座った。
金を見下ろしながら、由香そっくりの可愛い笑顔で言った。
「ねえ、おじさん達。 これから、ゆっくりお話しようねー!」
金は痛みに顔を歪めながら、恐怖に染まった目で偽由香を見上げた。
——その瞳に映るのは、世間知らずのお嬢ちゃんの姿をした猛獣のような存在だった。
事務所の外では、高木が車を発進させていた。
Guardean事務所から車で15分ほど離れた、郊外の寂れた工業団地の一角。
そこにひっそりと佇むプレハブ小屋——通称「聞き出しルーム」。
外見はただの古い物置小屋だが、中はGuardeanが独自に改造した、完全防音・監視カメラ付きの「特別室」だった。
壁は厚い吸音材で覆われ、窓はなく、照明は冷たい蛍光灯が一つ。
逃げ場のない、ただの「対話」の場。
偽由香は、二人の「客人」を引きずって小屋の中に放り込んだ。
金泰浩と、もう一人の大柄な男は、まだ急所攻撃の痺れが完全に抜けず、手足が思うように動かない。
床に転がった二人は喘ぐように息を吐くだけだった。
美穂は鍵をかけなかった。
必要ないからだ。
逃げようとしても、外で待機している戦闘モードの高木と、室内には偽由香がいる。
二人が動けば、逃げるどころか、呼吸すら奪われると思えた。
美穂は由香そっくりの小さな体で、ゆっくりと椅子を引き寄せ、座った。
しかし目は完全に冷たい。
「おじちゃんたち、どこの誰に雇われてるの?あと、パパの土地で何するつもりなの?中国ファンドと何するつもりなの?」
金は床にうつ伏せのまま、顔を歪めて睨み上げた。
だが、抵抗する気力はもう残っていない。
もう一人の男も、ただ震えるだけだった。
「……抵抗してもムダなんだろ? お前みたいなガキに……何がわかるんだよ。」
美穂は由香の笑顔を崩さず、静かに首を傾げた。
「わかるよ。だって、今のおじちゃんたちはさぁ。」
偽由香はウィッグを外し、健一に戻って続けた。
「俺の手のひらで転がってる虫みてぇなもんだからな。」
金は驚愕の表情をしたが、すぐに観念したように、息を吐いた。
「……俺たちは、K-joyfulの『脅迫班』として雇われてるだけだ。上からの指示で動いてる。今回のターゲットは片桐ファーマシーの持ってるあの土地。買いたたいて、そこに自社ビルを建てる。K-joyful東京支社にするって計画だよ。アイドル事務所の看板で、表向きはエンタメ企業……でも本当は、土地転売と開発で儲けるためのフロント企業だ。」
健一は無言で聞き続けた。
「中国ファンドのことは……俺は何も知らねえ。上から『中国マネーが入ってるから、絶対に土地を手に入れろ』って言われただけだ。詳しい話は幹部クラスしか知らねえよ。俺たちはただ、金をもらって脅すだけ……」
健一は小さく頷いた。
「それだけか?」
金はもう抵抗する気力もなく、ただ床に額を押しつけた。
「……それだけだ。もう……勘弁してくれ。」
健一は立ち上がり、無線に短く伝えた。
「悠斗、全部ちゃんと撮れてるな?」
高木の声が返ってきた。
「完璧。映像・音声、佐々木さんの画面にも共有済み。そいつら、警察に引き渡す前にもう少しだけ『お礼』を言っておく?」
健一は笑顔で微笑んだ。
「もういいだろ。これ以上は、佐々木さんに任せよう。」
小屋の外の車では、高木が静かに待っていた。
事務所では、仁と由香が画面越しにすべてを見守っていた。
由香は自分の「もう一人の自分」が、怖い男たちを瞬時に制圧し、情報を引き出した姿に驚きと、誇らしさが入り混じった表情を浮かべていた。
仁は震える声で呟いた。
「……健一君……本当に、ありがとう……」
佐々木の画面から、静かな声が響いた。
「これで、K-joyfulの目的が明確になりました。土地取得の裏に中国マネー……私の方で、すぐに内容証明と警察への告訴準備を進めます。由香さんの安全は、もう揺るぎません。」
健一は再びウィッグを被り、偽由香となって金を見下ろした。
そして、由香の可愛い声で、しかしはっきりと言った。
「おじちゃんたち、今日はありがとうね。これで、パパの土地は守れるよ。」
金はただ、床に顔を埋めて震えるだけだった。
高木は車のエンジンをかけ、美穂はニセ由香の姿のまま、「客人」を後部座席に放り込んで出発した。
「客人」たちは、後で警察に引き渡される。
K-joyful Global Inc.の社長の正体が、ついに明らかになったのは——聞き出しルームでの「お話し」から数時間後、佐々木の調査が決定的な一撃を加えた時だった。
Guardean事務所に戻った美穂は偽由香の変装を解き、健一に戻ってソファに座った。
高木はノートPCを叩きながら、頷いた。
「録画は充分だな。佐々木さんが今、韓国側の企業登記と資本ルートを深掘り中だ。」
画面越しの佐々木は、眼鏡を押し上げ、静かに——しかし重い声で言った。
「皆さん、K-joyful Global Inc.の代表取締役社長の名前が判明しました。表向きの登記情報では、韓国籍の『李尚浩』という人物が社長として登録されています。年齢は45歳、過去に複数の小規模エンタメ会社を経営していた履歴がありますが……すべて短命で、倒産か解散を繰り返しています。」
仁が眉を寄せた。
「それが本物か?」
佐々木は首を横に振った。
「いえ……これはフロントです。私の韓国ネットワークと、インターポール経由の照会で、実際の支配権は別の人物にあります。李尚浩は『名目上の社長』——実質的な指示を出しているのは、中国系投資ファンド『華盛投資集団(Huasheng Investment Group)』の幹部の一人、**陳偉**という男です。」
佐々木は続けた。
「陳偉、48歳、中国国籍。華盛投資の東京駐在代表を務めていますが、過去に不動産投機で韓国・東南アジアの土地を複数買収した前歴があります。すべてフロント企業を使い、表向きはエンタメやホテル開発を謳いながら、実際は土地の再開発権を握って転売で巨額利益を得る手口。K-joyfulは彼の『最新の玩具』——アイドル事務所の看板で資金洗浄と合法的な土地取得を狙っていたようです。」
高木が画面に陳偉の写真をポップアップさせた。
スーツ姿の厳つい男、笑みを浮かべているが目は冷たい。
「こいつが黒幕か……由香ちゃんの個人情報を握っていたのも、陳の指示からだろう。」
健一は静かに言った。
「陳偉が直接動いてくるなら、迎え撃つだけ。」
仁は拳を握りしめ、震える声で言った。
「佐々木君……これで、告訴できるのか?」
佐々木は穏やかに、しかし確信を持って答えた。
「はい。脅迫罪、強要罪、ストーカー規制法違反に加え、企業ぐるみの組織犯罪の可能性も浮上しました。陳偉の華盛投資との繋がりを証拠として固め、韓国・中国両方の当局に通報可能です。私の方で、内容証明を即時発送し、警察への追加告訴状を準備します。……これで、K-joyfulは終わりです。由香さんの安全は揺るぎません。」
由香は健一にぎゅっと抱きつき、涙声で言った。「健一さん、パパ、悠斗さん、佐々木さん……ありがとう。私、もう怖くないよ。みんながいるから……」
健一は微笑んで言った。
「うん。これで、みんなで普通の日常に戻れるね。由香ちゃんの大学生活も、コスプレイベントも……全部、守ってみせるよ。」
事務所に、長い戦いの終わりを告げるような、静かな安堵が広がった。
陳偉と華盛投資の影は、まだ完全に消えたわけではない。
だが、Guardean+佐々木のチームは、もう一歩も引かない。
——K-joyfulの闇は、今日、完全に暴かれた。




