執拗な圧力4
美穂は、由香をソファに座らせたまま、口を開いた。
「奴ら、由香ちゃんの名前まで知ってる……。恐らく、今日の接触は様子見。またすぐに何か仕掛けてくるだろうね。」
由香の顔が再び青ざめたが、美穂は由香の両手を優しく握り、落ち着いた声で続けた。
「由香ちゃん、ちょっとお願いがあるの。今すぐ、全てのSNSのアカウントの鍵を外しておいてくれる?公開アカウントにしておいて。そして、見覚えのない人からのDMやコメント、フォロー申請があったら、すぐに私に教えて。スクショ撮っておいてくれる?」
由香は小さく頷き、震える指でスマホを取り出した。
「……わかった。今、全部外す……」
美穂は由香の頭を撫でながら、高木の方を見た。
高木は腕を組んでいたが、ふと口元に小さな笑みを浮かべ、楽しそうに提案した。
「美穂ちゃん。久しぶりに変装して外歩いてみるって、どう? 背格好が似てる由香ちゃんになら、すぐ変装できるんじゃない?」
美穂は一瞬目を細め、それからゆっくりと頷いた。
「いいね! それ、やってみよう。」
そう言って、美穂は事務所の奥——普段は健一の私物や変装道具が置いてある小部屋——へ入っていった。
残された由香、仁、画面越しの佐々木の3人は、ぽかんとした顔で互いを見合わせた。
由香が小声で呟く。
「え……何を言ってるの?」
数分後、奥のドアが開いた。
そこに立っていたのは——まさしく由香だった。
髪型は由香のいつものボブヘアを再現し、色味も微妙に調整。
服装は由香の私服に似た服を事務所のストックから引っ張り出して着用。
メイクは由香のナチュラルメイクをトレースし、瞳の色までコンタクトで合わせている。
身長148cmの小柄さも、ヒールの調整で完全に一致。
仁が椅子から立ち上がり、目を丸くした。
「け、健一君……!? いや、美穂さん!?」
佐々木の画面から、珍しく動揺した声が漏れた。
「……これは……すごいですね。由香さんご本人と並べば、双子としか思えません。」
由香自身も、口をぽかんと開けて自分の「もう一人の自分」を見つめていた。
「え……えええ!? 私!? 美穂さんが……私!?」
偽由香に扮した美穂は、由香と同じ声色・話し方で微笑んだ。
「どう? 由香ちゃんそっくりでしょ?これで、奴らの目を引きつけられる。本物の由香ちゃんは事務所で安全に待っててね!」
高木が満足げに頷いた。
「隠しカメラとマイクは全部仕込んでる?」
偽由香は青いリボンを指で軽く触りながら答えた。
「もちろん。リボン、ネックレス、スマホケース、鞄のチャーム……全部に仕込んでる。映像と音声、リアルタイムで悠斗と佐々木さんに共有するね。」
仁が心配そうに言った。
「でも……危なくないか? もし奴らが本気で手を出してきたら…」
偽由香は静かに、しかし力強く答えた。
「それが狙いです。奴らが動けば、決定的な証拠が取れる。 それに、暴力で来られても対応は可能ですし。 由香ちゃんを守るためなら、何だってします。」
由香は涙目になりながら、偽由香に扮した美穂の手を握った。
「……美穂さん……ありがとう。でも、絶対に無茶しないでね?」
偽由香は由香の額にそっと触れ、優しく言った。
「約束する。すぐ戻ってくるから。」
そして、偽由香は鞄を肩にかけ、事務所のドアを開けた。
「じゃあ、原宿に行ってきます。竹下通りで、奴らの目を引いてくるよ。」
ドアが閉まり、足音が遠ざかる。
残された本物の由香は、ソファに座り直し、スマホを握りしめた。
「……美穂さん、がんばって……」
その頃、原宿・竹下通り。土曜の午後、いつものように人で溢れかえっていた。
カラフルなファッションの若者たち、観光客、クレープの匂いと音楽が混じり合う喧騒の中——
由香に扮した美穂が、ゆっくりと歩いていた。
隠しカメラが捉える視界に、すぐに異変が映った。
数メートル後ろから、黒いセダンが低速で並走し始め、歩道の端に停車。
降りてきたのは、朝とは別の男——30代前半、黒のジャケットにサングラス。
男はスマホを耳に当てながら、偽由香に近づいてくる。
そして、声をかけた。
「お嬢さん、ちょっとお時間いいですか?K-joyfulのスカウトです。今日、すごくいいタイミングで会えたと思って。」
隠しマイクが、男の声をクリアに拾う。
映像はリアルタイムで事務所と佐々木の画面に流れていた。
原宿・竹下通りの喧騒の中、偽由香はゆっくりと歩みを進めていた。
もう一人の男が数メートル後ろから近づいてきた。
金泰浩だ。
そして、少しなれなれしい、親しげなトーンで話して来た。
「おーい、由香ちゃん? 今朝は驚かせちゃってごめんね〜。今は一人なんだ? お友達は?」
美穂は振り返り、由香そっくりの可愛らしい笑顔を浮かべて、わざとテンションを上げた。
「えへへ、今朝はびっくりしちゃったけど……実はちょっと後悔してたんだよね。アイドル、興味あるかも!って思ってて……」
男の目が一瞬、輝いたが、すぐに柔らかい笑みに戻る。
「マジで? よかった〜! じゃあ、ちゃんと話そうよ。うちの事務所、すぐ近くにあるんだ。由香ちゃんみたいな可愛い子、絶対売れるって!」
美穂は少し照れたふりをして、指をくるくる回しながら言った。
「でもさ、この古着屋、前から気になってた店なんだよね〜。ちょっと見てからでいい? 待っててくれる?」
男は即座に頷いた。
「もちろん! ゆっくり見ててよ。俺ら、ここで待ってるから。」
美穂は店内に入り、色とりどりの古着を眺めながら、ゆっくりと棚を回った。
耳に仕込んだ小型無線で、高木に短く伝える。
「……さらに深く探りを入れてくる。今から事務所に連れて行かれてみる。」
事務所の高木は、即座に答えた。
「了解。そのまま行け。証拠は全部取ってる。」
高木は画面越しに佐々木に伝えた。
「佐々木さん、美穂は今からK-joyfulの事務所に連れて行かれます。これがGuardeanの常套手段なので、心配は無用です。」
佐々木は一瞬沈黙し、それから静かに息を吐いた。
「……高木君が『心配無用』と言うなら、間違いはないでしょう。これこそが、Guardeanの調査の信じられない速さの秘訣なのか……」
佐々木は画面の前で、襟を正した。
国際弁護士として数々の修羅場をくぐってきた彼だが、
この「潜入のために連れていかれる」作戦の潔さには、改めて敬意を抱いていた。
一方、事務所のソファでは、本物の由香と仁が、ただ呆気に取られていた。
由香がぽつりと呟く。
「……美穂さんが、私のふりして……事務所に連れてかれるって…危なくないの!?」
仁も顔を青くして、高木にすがるように言った。
「高木君! 本当に大丈夫なのか!?由香の代わりに健一君が……もし何かあったら!」
高木は冷静に、しかし優しく答えた。
「仁さん、由香ちゃん。我々はプロです。連れて行かれた先で何をされるか、何を言われるか……全部記録して、決定的な証拠にするんです。これで奴らの本当の目的がわかる。何の心配も要りません。」
由香はスマホを握りしめ、画面に映る偽由香の映像を見つめた。
「……美穂さん……がんばって……」
古着屋の外で待っていた男は、偽由香が店から出てくると、にこやかに手を差し出した。
「よし、じゃあ行こっか!事務所まで車で10分くらいだよ。由香ちゃん、楽しみにしててね〜!」
美穂は由香そっくりの笑顔で頷き、男の車に乗り込んだ。
隠しカメラが、男の横顔、道順、周囲の建物、すべてを克明に記録していく。
事務所では、高木が画面を拡大しながら言った。
「位置情報もリアルタイムで取れてる。佐々木さん、事務所の住所が特定できたら、すぐに不動産登記と所有者情報を洗ってください。」
佐々木は即答した。
「了解しました。すでに周辺のビル情報をクロスチェック中です。これで、奴らの尻尾を掴めます。」
仁と由香は、ただ祈るように画面を見つめていた。
偽由香は、車を降り、男に連れられて路地を曲がり——
K-joyfulの「事務所」の扉が、ゆっくりと近づいてきた。




