執拗な圧力3
由香と美穂が一緒に通学するようになって、3日目。
朝の通学路はいつも通り、学生やサラリーマンが行き交う穏やかな道だった。
由香は美穂の手をぎゅっと握り、少しだけ足取りが軽くなっていた。
美穂がそばにいるだけで、恐怖が少し遠のく——そんな安心感が、由香の心に根付き始めていた。
でも、その日は違った。突然、黒いセダンが二人のすぐ前に滑り込むように停車した。
エンジン音が低く唸り、ドアが開く。
降りてきたのは、30代後半くらいのスーツ姿の男。
髪はオールバックで、笑顔を浮かべているが、目が笑っていない。
男は由香に視線を固定し、名刺を差し出した。
「こんにちは。お嬢さん、突然すみません。私、K-joyful Global Inc.のスカウト担当の者です。さっき通りかかった瞬間に、貴女のオーラにびっくりしちゃって。絶対にアイドル向きだと思ったんですよ。今すぐお話だけでも、事務所に来ていただけませんか?」
由香の体が、ぴくりと硬直した。
名刺に書かれた社名——K-joyful Global Inc.
由香の顔から血の気が引く。
男は美穂の方をちらりと見て、にこやかに続けた。
「お友達はもう帰って良いですよ。こちらのお嬢さんだけ、ちょっとお時間いただければ。」
由香は震えあがり、美穂の腕にしがみついた。
声も出ない。
ただ、首を小さく横に振るだけ。
美穂は静かに、しかしはっきりと言い放った。
「由香ちゃんは行きたくないって言ってますよ。それじゃ失礼します。」
美穂は由香の手を強く引き、男の横を通り抜けようとした。
その瞬間——男の手が、美穂の肩を強く掴んだ。
「ちょっと、邪魔しないでくれると嬉しいんだけどな。」
男の目は、笑顔のまま睨みつけていた。
声は低く、脅しが込められている。美穂は無言だった。
次の瞬間、男の首筋——急所を、正確に、鋭く突いた。
合気道の理を活かした一撃。
男の体がびくりと痺れ、力が抜ける。
膝がガクッと折れ、男は地面に崩れ落ちた。
美穂は一切振り返らず、由香の手を引いて走り出した。
そして、由香は涙目で必死についてくる由香に言った。
「由香ちゃん、少し走って! 今は事務所に戻ろう!」
美穂の青いリボン——そこに仕込まれていた隠しカメラが、すべてを捉えていた。
男の顔、名刺、車のナンバー、停車位置。
映像と音声はリアルタイムで、Guardean事務所の高木と、佐々木専用デスクの画面に共有されていた。事務所に戻った直後、由香は美穂に抱きついて泣き出した。
美穂は由香を優しく抱きしめ、背中を撫で続けた。
「もう大丈夫だよ……私たちがいるから。怖かったね。」
高木がノートPCを叩きながら、すぐに報告した。
「映像は佐々木さんに送った。今、男を顔認識で照会してもらってる。」
数分後、佐々木の画面から声が響いた。
いつもより、声に怒りが滲んでいる。
「男の身元を確認しました。氏名は金泰浩、35歳、韓国籍。K-joyful Global Inc.の社員として登録されていますが……去年の夏、都内で女性を襲おうとして逮捕歴があります。被害者は夜道で声をかけられ、車に引きずり込まれそうになったところを通行人に助けられ、未遂で終わりました。不起訴処分になりましたが、警察のデータベースにしっかり残っています。この男を由香さんに近づけたのは、偶然ではありません。K-joyfulが本気で動いてきた証拠です。」
仁が拳を握りしめ、震える声で言った。
「由香……もう大学は休ませるしかない。完全に事務所に籠もってもらう。」
由香は美穂の胸で小さく頷いた。
涙が止まらない。
美穂は由香の髪を優しく撫でながら、静かに言った。
「私、由香ちゃんのそばを離れないからね。今日のことは、全部証拠になった。」
高木が佐々木に確認した。
「佐々木さん、次の一手は?」
佐々木は即答した。
「 金泰浩の在留資格と入国履歴を追跡してみます。韓国籍ですが、日本での活動が長すぎる場合、ビザの不正利用も疑えます。私からK-joyful本社にメールして牽制してみます。『御社の社員による脅迫・強要行為を確認、刑事告訴を検討中』と明記します。あとは……私の方で、インターポール経由の韓国側照会も急ぎます。」
由香は美穂に抱きついたまま、小さく呟いた。
「……美穂さん、ありがとう……私、みんなに守られてるって、ちゃんとわかったよ。」
Guardean事務所の執務室は、午後の陽光が差し込む中、重い空気に包まれていた。
由香は美穂の膝に頭を預け、目を閉じて静かに呼吸を整えていた。
朝の事件から数時間——由香の震えはようやく収まりつつあったが、恐怖の余韻はまだ消えていない。
美穂は由香の髪を優しく撫で続け、時折「大丈夫だよ」と小さな声で囁く。
高木はノートPCの画面を睨みながら、ぽつりと口を開いた。
「今の段階じゃ、警察はアテにならない。経験則でわかるよ。映像と前科があっても、『スカウトのつもりだった』と言い逃れされたら、事件としては小さすぎて動けない。本当に脅迫じゃなかったら、俺たちが業務妨害したって逆ギレされる可能性すらある。」
佐々木の画面から、穏やかだが厳しい声が続いた。
「高木君のおっしゃる通りです。正直なところ、現時点では体よく帰されるだけになると思います。金泰浩の前科は未遂で不起訴、今回の接触も『名刺を渡しただけ』と主張されれば、立件は難しい。
由香さんの外出は極力避けたい——それが最優先です。」
仁がテーブルを叩き、悔しげに息を吐いた。
「由香をこんな目に遭わせて……許せん。でも、待つしかないのか。」
その時——佐々木のPCに、新着メールの通知音が鳴った。
画面に表示された送信元:K-joyful Global Inc.
タイトル:脅迫ですか?
本文:貴方がどなたなのかは不問とします。
『社員による脅迫・強要行為を確認、刑事告訴を検討中』と明記してありますが、当社が何かしましたか?
もし、これ以上の脅迫をしてくるようでしたら私どもとしましても、法的措置を考えざるを得ません。
佐々木が即座にヘッダーを解析し、皆に共有した。
「……かなり強気ですね。逆上せずに、こちらの文言を逆手に取って牽制してきています。金泰浩の件を『社員の個人的行動』と切り離し、当社全体の責任を否定する意図が明確です。恐らく、近いうちにまた何か仕掛けてくるでしょう。直接的な接触か、別の手口か……」
高木が目を細めた。
「挑発に乗らず、待つのが最良だ。由香ちゃんの安全が第一。次の動きを待って、決定的な証拠を掴む。
それまで、外出は完全にストップしてほしい。大学はオンライン授業に切り替えてもらえないか仁さんから手配をお願いします。」
美穂が由香を抱きしめながら、静かに言った。
「由香ちゃん……怖いよね。でも、私たちがずっとそばにいるよ。事務所で一緒に過ごそう。コスプレの練習も、映画も、なんでもいいから……一緒にいようね。」
由香は小さく頷き、美穂の胸に顔を埋めた。
「……うん。皆さんと美穂さんがいるなら……がんばれる。」
仁が立ち上がり、皆を見回した。
「わかった。由香の大学に連絡して何とかしてもらおう。 次に奴らが動いた瞬間、叩く準備は万全にしておいてほしい。」
佐々木が穏やかに、しかし力強く応じた。
「了解いたしました。中国系ファンドのルート追跡も加速させます。K-joyfulの強気は、裏に何か大きなものが控えている証拠です。次のメール、または次の接触——必ず証拠を残させます。」




