執拗な圧力1
翌月、片桐ファーマシーの社長室に、一通のメールが届いた。
送信元:K-joyful Global Inc.(公式アドレス:contact@kjoyfulglobal.co.kr)
タイトル:そろそろ決断を。
本文:かねてより売却を求めている土地について、我々としても御社の決断を待ち続けてきましたが、そろそろ限界と言わざるを得ません。
お嬢様の由香さんは首都中央大学の学生ですか?
将来が楽しみですね。
無事に健康に過ごされる事をお祈り申し上げます。
弊社としてお手伝い出来る事がありますので、由香さんと面談させていただければと存じます。
仁は画面を凝視したまま、凍りついた。去年から続く執拗な売却圧力。
表向きは「韓国を拠点とするアイドル事務所兼エンターテインメント企業」——K-joyful Global Inc.。
アイドル育成、ライブ運営、グッズ販売をメインに謳っているが、具体的な所属タレントの名前はほとんど公表されておらず、ウェブサイトも簡素で更新が遅い。
そんな会社が、なぜ片桐ファーマシーが都内に所有する、将来の共同薬品研究所用地、つまり、実験や治験対応の医薬品開発特化ビル予定地を執拗に欲しがるのか。
使用目的を一切明かさず、「売却しろ」の一点張り。
仁は毎回丁寧に断っていたが、今回は違う。
明確に由香の名前を出し、健康を「お祈り申し上げる」形で脅しをかけてきた。
仁は震える手でメールを印刷し、すぐにGuardean事務所へ車を飛ばした。
事務所に駆け込んだ仁は、息を切らしながらテーブルに紙を叩きつけた。
「健一君、高木君……これを見てくれ!これは脅迫だ。由香に危害を加える気だ!」
健一は即座に紙を受け取り、目を走らせる。
高木は無言で隣に立ち、同じく読む。
「……確かに、脅迫に見えますね。『無事に健康に過ごされる事をお祈り申し上げます』という文言が、由香ちゃんの安全を暗に脅している。」
高木が冷静に言った後、すぐにノートパソコンを開いた。
「佐々木さんに今すぐ連絡します。現時点での法的見地を聞いてみましょう。」
高木はメールの文面を添付し、件名は「緊急:脅迫めいたメール受信について(K-joyful Global Inc.より)」とし、佐々木国際法律事務所の専用アドレスへ送信。
続けて、共有サーバー経由で佐々木の「Guardean専用デスク」画面にリアルタイム共有を開始した。
数分後、佐々木からの返信が届く。
佐々木:高木君、佐藤君、片桐社長。
メールを拝見いたしました。
これは刑法第222条の脅迫罪の構成要件に該当する可能性がありますが、決して高い可能性ではないと判断いたします。
「娘さんの将来が楽しみですね」「無事に健康に過ごされる事をお祈り申し上げます」という表現は、相手が由香さんの個人情報を把握していることを示唆しつつ、危害を加える可能性を匂わせるもので、「面談させていただきます。」という締めが、強要の意図を強めています。
しかし、このまま警察に相談しましても、良い反応は期待できないと思います。
あからさまな脅迫文言が無く、あくまでも脅迫とも解釈できるという範囲に留められているからです。
一応、内容証明郵便で相手企業に「本メールは脅迫と受け止め、警察に相談済みであること」を通知し、抑止効果を狙うのも手だとは思いますが、期待は薄いかと思います。
しかし、由香さんの安全確保は最優先事項です。
Gurdeanのお二人による現在の一人暮らしマンションの警備強化と登下校時の護衛が現状の最善策かと。
私はK-joyful Global Inc.の企業実態調査をしてみます。
表向きアイドル事務所だが、土地取得の動機が不明瞭。
韓国企業登記情報、資本構成、過去の訴訟・トラブル履歴を洗い出す。
私の方で、韓国側弁護士ネットワークを活用して即時照会を開始します。
土地の重要性再確認。
昭和製薬との共同研究所予定地である以上、売却は戦略的に不可能。
昭和製薬側にも情報を共有します。
由香さんの安全が、何より第一です。
仁は画面を読みながら、拳を握りしめた。
「ありがとう……佐々木君。由香には、まだ何も言っていない。心配させたくないんだが……もう隠しきれないかもしれないな。」
健一が静かに言った。
「仁さん、まずは由香ちゃんの安全を固めましょう。俺と悠斗で、今日から護衛を強化します。」
Gurdean事務所に、重い空気が流れる。
しかし、それは恐怖ではなく、「守る」覚悟が固まった静けさだった。
警察署での反応は、予想通りだった。
仁が健一と高木を伴って相談に行ったが、担当の刑事はメールのコピーを受け取り、淡々とメモを取っただけで、「確かに脅迫めいた文言ですが、具体的な危害の予告とは言いにくい。『健康に過ごされる事をお祈り申し上げます』は、脅迫の境界線上です。またこれ以上の明確な脅迫や、実際に何か動きがあったら、すぐに連絡してください。」
それだけだった。
仁は唇を噛みしめ、健一と高木は無言で署を出た。
車に戻ってすぐ、高木が言った。
「…思った通りだ。奴らの動きを待ってる暇はない。先に動けることを全部やる。」
Guardean事務所に戻った3人——仁、健一、高木、そして専用デスクの画面越しに常時参加の佐々木——は、すぐに作戦会議を開いた。
健一が最初に口を開いた。
「まず、由香ちゃんの安全を最優先。俺が美穂として、由香ちゃんの友達として外出の全てに同行する。大学も、買い物も、友達との遊びも。怪しい影、近づいてくる人物は全部チェック。言動は隠しマイクで録音して、リアルタイムで悠斗と佐々木さんに共有する。」
高木が頷き、補足した。
「由香ちゃんには、しばらくGuardean事務所で生活してもらった方が良い。ここならセキュリティが一番固い。 由香ちゃんの側に誰かが常にいる状態にしよう。 僕たちが不在の時には仁さんが車で自宅から通う形になるけど。」
佐々木の画面から、落ち着いた声が響いた。
「賛成です。由香さんの生活圏を一時的に事務所内に限定すれば、K-joyfulの動きを観察しやすくなります。私の方では、メールのヘッダー解析を進めています。送信元IPは韓国国内ですが、VPN経由の可能性が高い。企業の実態調査も並行して——表向きのアイドル事務所ですが、資本の一部に中国系の投資ファンドが絡んでいる兆候が出てきました。土地取得の裏に、何か表沙汰に出来ない目的がある可能性があります。」
仁は深く息を吐き、拳を握った。
「由香に……全部話すしかないな。最低限の引っ越し作業も必要だ。」
四人は頷き合い、由香を事務所に呼ぶことにした。
夕方、由香がいつものように明るく事務所のドアを開けた。
「パパ! 健一さん、悠斗さん! お邪魔しますー!」
部屋の空気が少し重いことに気づき、由香の笑顔が少し曇る。
高木が静かに立ち上がり、由香をソファに座らせた。
「由香ちゃん、ちょっと大事な話がある。座って聞いてくれ。」
高木は淡々と、しかし優しく説明した。
片桐ファーマシーが所有する土地を狙う韓国企業のこと。
去年からの執拗な売却圧力。
そして、今回の脅迫めいたメール——由香の名前を出し、健康を「願う」形で脅してきたこと。
由香は最初、目を丸くして聞いていたが、途中から顔を青ざめさせた。
「……私、狙われてるの?」
仁が慌てて由香の手を握った。
「由香、心配させるつもりはなかったんだ。でも、もう隠せない。だから、しばらくここで生活してくれ。Guardeanの事務所は安全だ。パパも毎日来るし……」
由香は少し震えながらも、すぐに顔を上げた。
「美穂さんは……?」健一が静かに前に出た。
いつもの「俺」モードから、青いリボンを付けたロングヘアの美穂に変わるのは一瞬だった。
「美穂として、由香ちゃんの外出の全てに同行するよ。大学も、どこに行くときも、ずっと一緒にいる。怪しい人は絶対近づかせない。」
由香の目が、ぱっと輝いた。
「え……美穂さんが、毎日一緒にいてくれるの!?美穂さんと一緒に暮らせるってこと!?」
由香は立ち上がり、美穂に抱きついた。
「やったー! 美穂さん大好き!怖いけど……美穂さんがいてくれるなら、全然大丈夫!」
仁は苦笑し、高木は小さくため息をつき、画面越しの佐々木は穏やかに微笑んだ。
「由香ちゃん……本当に怖かったら、いつでも言ってね?」
由香は美穂の腕の中で、こくこくと頷いた。
「うん! でも今は、ちょっとワクワクしてるかも……美穂さんとコスプレの練習もできるし!」
部屋に、ほんの少しだけ明るい空気が戻った。
その夜から、由香は8階の自分の部屋ではなく、事務所の奥にある部屋に移った。
美穂は由香の外出時には常に同行し、隠しマイクで録音した音声を高木と佐々木に即時共有。
佐々木は韓国側の調査を加速させ、K-joyfulの資本ルートを少しずつ掘り下げていく。
仁は毎晩、車で事務所に通い、由香を抱きしめて「ごめんな」と繰り返した。
——しかし、K-joyfulからの次の動きは、予想より早く訪れた。




