第6話 人狼が童貞のまま死ぬ
森の奥の小さな村に、鐘の音が響いた。
宿の使われてない一室に、白いローブの少女が倒れている。胸元には、深く刻まれた爪痕が四本……。
彼女の指先は血に濡れた地面へと伸び、死の間際の文字を残していた。
『レオン』と。
それを見下ろし、青年は心の中で舌打ちした。
(ちっ、トドメを刺し損なっていたか……)
彼は人狼。
人に擬態し、人を捕食する化け物。
人狼の里を飛び出し、"初めての単独狩り"に胸を躍らせていた若きオオカミである。
ありがちな人間としての身分――冒険者、そしてありがちな名前――レオンを名乗り、誰にも疑われることなく冒険者パーティーに潜り込んだというのに、一発目から致命的な失敗を犯したようだ。
(やべえよ……、俺の名前ピンポイントかよ!)
「この傷跡は……人狼のものだな」
同じパーティーで前衛を務める戦士・バルディンの厳しい声が妙に響く。
「レオン、ねえあなた、何か知ってるの?」
そして後衛を務める魔法使い・リースが問いかける。
「これは何かの間違いですよ! レオンさんはそんなことをする人ではありません!」
村人のマルスがレオンをかばう。
彼は既に人間を裏切り、人狼陣営についた、狂人である。
彼は昨夜、レオンが聖女を殺害する現場に同席している。
聖女が殺されるのを、その目で見ていたのだ。
マルスはレオンに合図を送る。
「(レオンさん、ここは俺に任せてください)……レオンさんに遺言を残そうとしたのでは? きっとそうですよ!」
「むう……」
「でもそんなにレオンと仲良かったかしら?」
レオンは平静を装いながらも内心で(いけっ! もう一押しだ!)とエールを送る。
(まだだ、まだ終わらんよ。正体がバレた訳じゃない。ここから起死回生の妙案をひねり出せ!!)
往生際の悪いレオンである。
これまで冒険者として依頼をこなし、立ち寄った村の生活に潜り込むことに成功、そしてマルスという協力者を得ることも出来た。
この村で聖職に付いていた少女は人狼を看破する能力があるが、彼女さえ仕留めれば、最早怖いものなど無いはずだ。
そして、ここぞというタイミングで呼び出し、殺したはずだが……その結果はお粗末だった。
ほぼ詰んでいるこの状況、しかし神の一手はすぐそこまでやってきていた。
トントン、と開きっぱなしになっていた扉がノックされる。
そこからひょっこりと顔を出したのは、どこにでもいるような、どこか愛嬌のある、まだあどけなさの残る少年だった。
「朝からどうかしましたか?」
「君は?」
「昨日からこの宿に泊まっている、冒険者のレオンといいます」
バルディンとリースは驚愕した。
「なっ!?」
「えっ!?」
「なんですか?」
そして一人、神に感謝する化け物がいた。
(あああー! ありがとうございます神様ー! たまたま、偶然、もう一人のレオンを寄越してくれるなんてー!!!)
◯
少女の埋葬が終わった。
村人たちには、墓には近寄らないように言い含めておいた。
なぜなら――この村に、人狼がいるからである。
固く扉を閉ざし、誰か訪ねてきても開けてはいけない。
肉親も肉親と思うな、と。
戦士バルディンが、二人のレオンを前にして睨めつける。
「どっちのレオンも人間にしか見えんな……」
「当たり前だろ! 俺達ずっと一緒に旅してきた仲間じゃないか! それなのに疑うなんて……」
人狼レオンは精一杯弁明するが、冒険者レオンは他人事のように話を聞いていた。
「ねえ、レオン。昨夜はどこにいたの?」
「え? え、えーと……」
魔法使いリースは物憂げに尋ねる。
仲間を探るなんて、したくないのだろう。
「レオンさんは私といましたよ」
狂人マルスがすかさず援護に入る。
「故郷の話を聞いていたらつい遅くなってしまったので、そのまま寝落ちしたんです」
「そ、そうそう! 盛り上がったよな、マルス!」
「そう……じゃあレオンというのはやっぱり……」
リースの目は、自然と少年・レオンに向いた。
「俺ですか? 俺は部屋で寝てましたよ。夜ですから」
本人はそれが当然だ、だとでも言いたげだが、バルディンはその巨体を更に大きく見せ、彼を威圧した。
「レオンという名で、アリバイがない。犯人はお前以外に考えられない」
レオンは手を打ってこう答えた。
「それじゃあ俺がそっちのレオンと戦いましょう」
「は?」
「俺は人狼じゃないので、そっちが人狼なのは確定的に明らかです。首を落として皮を剥げば正体が分かりますよ」
――えええッッ!!?
「何を言ってるんだお前は! そんな事させられるか!」
「俺はいつでもいいですよ、人狼如きに負けるつもりはないので」
レオンは異常に鋭い目つきでレオンを睨む。
人狼のレオンは初めて会うタイプの人間に慄いた。
(こいつの頭の中どうなってんだ!)
慌ててマルスが割り込んだ。
「ちょっと待ってください! それでどちらかが人狼だと判明しても、生き残った方が人狼ではない証拠にはなりませんよ! 複数いるかも知れないじゃないですか!」
「そうだそうだ!」
(マルス! ナイスアシスト!)
「……それもそうですね。まあ俺はやってもやらなくても構いませんが」
レオンはどこまでも他人事で、肩をすくめた。
「じゃあどうします? 俺はギルドの依頼達成を報告しに町まで帰る途中なんですが、素直に行かせてくれるんですか?」
またもバルディンが立ちはだかる。
「それは許可できん。殺人鬼を野に放つことになりかねんからな」
「バルディン、まだ『かも知れない』という段階よ。あまり無礼な態度を取るべきではないわ」
「リース……」
「ではこうしましょう。私たちも一緒にギルドへ向かいます。そこで人狼を調べられる聖職者を探し、正体を見抜いてもらいましょう」
「むぅ……そうする他ないか……」
「ではそちらのレオンさんも、少し窮屈な思いをするかも知れませんが、よろしいですか?」
リースの提案に、冒険者レオンも異論ないようだ。
「はい、それぐらいなら」
(うっ、それはそれでやばい……)
衆人環視のもと、正体が露見すればその場で討伐されるのは明白である。
(なんでこうも上手くいかないんだ?? もっとこう、かっこよく人間を次々消していくはずなのに!?)
一人アワアワしていると、マルスが耳打ちする。
「(ここから町まで五日は掛かります。その間に邪魔者を排除すればいいんですよ……)」
「(おお、マルスよ。お前天才か? いやお前天才か!)」
マルスは挙手して宣言する。
「私も居合わせた一人として、付いていきます。アリバイの証言など、必要なことがあればお手伝いしますよ」
こうして、二人のレオン、戦士バルディン、魔法使いリース、村人のマルスは、村を旅立ったのである。
人狼は決意を固める。
――この旅の間に、三人殺る。
マルスとなら、出来るはずさ――
そして――次の日の、朝。
二人目の犠牲者が出る。
「マ、マルス……どうして……」
人狼のレオンは膝をついて絶望した。
焚き火を囲んで野営をしていたはずが、朝起きるとマルスの姿がない。
代わりに、マルスが寝ていたところに、粘液にまみれた服と、赤黒い肉片が散らばっていた。
冒険者のレオンはその肉片をつまみ上げ、じっと観察したあと所見を述べた。
「これは……溶かされていますね。スライムの食い痕です。人狼の仕業とは考えにくい」
「こんなところで魔物に襲われるなんて、運の悪い奴だな」とバルディン。
「良い方だったのに残念です」とリース。
だがそこに待ったがかかる。
「魔物に襲われたと決めつけるのは早計ですよ」
若いながらも、死線を潜ってきた冒険者としての知見が、レオンの推理を導く。
「周りを見てみてください」
「周り?」
バルディンは目を凝らすが、特に何もない。
獣道のようなものが薄っすらと見える平原。
遮蔽物は特になく、寂しげに立木が風に揺れている。
「何もないが?」
「そう、何も無いんです。スライムがどこかからやってきたなら、必ず這った跡が残るはずです。粘液のね。でもそれが無い」
リースがハッと顔を上げる。
「スライムは元から居た?」
「おいおいちょっと待てよ、じゃあ何か? この中に人狼だけじゃなく、スライムが隠れてるってのかよ!!」
「はい、その可能性が高いです。お互いに、出来るだけ目を離さないようにしましょう。夜寝る時も監視しあうんです」
(冗談じゃないっ! マルスは死んでしまったし、擬態するスライムまでいるなんて、命が幾つあっても足りないぞ!)
人狼のレオンはおもむろに立ち上がると、慌ただしく旅支度を始めた。
「こんな危ないところに居られるか! 俺は一人で町に戻るぞ!」
「待て!!」
バルディンの大きな手が胸ぐらを掴んだ。
「お前は人狼か? スライムか?」
「は、はあ? 俺は人間だぜ、バルディンよぅ……」
「ダメだ、信用できない。俺が許可するまで、どこにも行かせない。誰もな」
据わった目でそう言われれば、レオンは黙るしかなかった。
そして――翌朝。
昨夜遅くまでバルディンがブツブツと呟く声を聞きながら、うっかり寝てしまった人狼のレオン。
意識が覚醒した瞬間飛び上がると、奇妙な死体を見つけた。
「リ、リース……なのか……?」
首と胴体が泣き別れになっていた。
しかしその死体は人間のものではなく、濁った半透明のゼリー状を保っていたが、
とてつもない力で引きちぎられたように、奇妙に引き伸ばされていた。
「くっくっくっく……」
レオンが振り返ると、バルディンが岩を背もたれにして座り込んでいる。
「見たかよ、リースが、スライムだ……。俺達、ずっと、騙されてたんだ……」
その表情は、泣いているような、笑っているような、どこか狂気を孕んでいた。
「お前がやったのか?」
それからバルディンは、一言も話すことはなくなった。
三人に減ってしまった一行は、それでも無言でギルドを目指す。
そこにたどり着ければ、この地獄の釜の縁を歩くような旅も終わる。
そして四回目の夜を迎える――
人狼は極限状態に置かれて疲労困憊していた。
普段なら三日徹夜しても余るほどの体力を持っていたが、実は初日の少女殺しの前からあまり寝ていなかったのが祟った。
(殺しが楽しみ過ぎて寝られなかったんだよなぁ……)
夜になると、うつらうつらと船を漕いでしまう。
右手には静かに目を瞑る、人間のレオン。
左手には血走った目で監視するバルディン。
この状況で、限界とはいえ寝られる人狼も中々図太かった――。
そして翌朝、またしても犠牲者が出る。
「なんで? なんでバルディン? 死んでんのおおおおっ!!!!?」
バルディンの死体が転がっていた。
まるでミイラのように肌が骨に張り付き、縮んでいた。
その表情は恐怖に引き攣ったまま固まっている。
レオンは恐る恐るレオンに顔を向けた。
「……お前がやったのか?」
「俺が? どうやって? 何のために?」
「知らねえよ! なあもういいだろ!? みんな死んじまったんだ! こんな旅、続ける意味ねーよ! もう終わりにしようぜ!」
「お前は馬鹿か?」
「あぁ? なんだと!」
「俺は人狼じゃないんだから、お前が一番怪しいだろ。逃がすと思うのか?」
人狼はぎくっとする。
「確かに……あ、イヤイヤイヤ! 俺は人狼じゃないって! 絶対の絶対ッ!」
「……お前は面白い奴だけど、そろそろ潮時かな」
(殺らなきゃ殺られる)
レオンとレオンの間に、触れれば弾けるような空気が流れた。
レオンは腰に下げた剣に手を掛ける。
また対峙するレオンも剣の柄を撫でる。
が、その緊張はレオンが剣から手を離したことで弛緩した。
「まあ、ここまで来たんだ。お前をギルドまで連れて行く。明日には着くだろうし、そこで潔白を証明すればいいんじゃないかな。人狼じゃないならね」
「く、下らねぇこと言ってんじゃねぇよ。お、俺は、人間に決まってるだろ……」
既に導火線に火は付いている。
(今はまだ早い。夜こそ人狼の力が最も発揮される時間だ。その時こそ、こいつの喉笛を掻っ切ってやるぜ……!)
◯
太陽が地平線に沈む。
空は青から黄色に変わり、やがて蒼黒の闇を落とした。
来た――ッ!
人狼のレオンは心臓の奥底から湧き上がる力の奔流を感じた。
「グオオオオオオオッ!!! アアアアアアッッッ!!!」
獣が吠えた。
指先が裂け、内側から押し出されるように黒い爪が鋭く伸びる。
全身の骨が凄まじい音を立てて組み変わり、筋肉が服の繊維を引き裂きながら膨張する。
熱湯のような汗を流しながら、肌から漆黒の剛毛が噴き出し、レオンとしての肉体を覆い隠した。
黄金の瞳に飢えを宿した怪物が、ただ月に向かって咆哮を上げていた。
「漲ってきたぜえええええ!!!!」
ザッ――レオンが土を踏みしめる。
「ようやく正体を現したな」
今や自分を見下ろす存在となった化け物に冷たく言い放つ。
レオンは左手には松明を掲げ、右手で音もなく剣を引き抜くと構える。
「冒険者レオンの、人狼退治です」
刹那――ずぶりっ……と湿った音がした。
「あ……あれぇ……?」
人狼の胸から腕が生えている。
細く白い指が、彼の大きな心臓を掴み取っている。
「なんれ……おいらの……心臓が……」
呂律の回らない舌で不思議そうに呟く。
次の瞬間、ぐちゃり、と握りつぶされた。
「ごぶッ――」
膝から崩れ落ち、顔から着地する。
クスクス……。
血の匂いにそぐわない、鈴をころがすような笑い声が聞こえた。
「あなた、自分が一番の悪党だと思ってたんでしょ? 自意識過剰よ、ワンちゃん」
人狼の大きな体を踏み越えて、白いローブを着た少女が姿を現した。
「バルディンを殺したのは、お前だったのか」
「ええ、そう。一滴残らず吸っちゃったわ。精力の強い男って、最高の食材よねぇ」
少女は頬を赤らめ、うっとりと目を細めた。
レオンは警戒を解かず、剣を構えている。
「あのカラカラになった死体……お前、吸血鬼か?」
「御明答! 人間に化けるのは、人狼の専売特許じゃないのよ? オホホ」
「死んでなかったんだな」
「そうね、吸血鬼は死なないのよ、心臓に杭を打って首を断たない限りね。可愛いあなたにそれが出来るかしら?」
少女は赤く爛れた舌で、ゆっくりと唇を舐めた。
「あなたはデザートにしてあげるわ」
「こっちだって、女の子でも容赦しませんよ」
――へ?
「ア、アはは、女の子って……あなた最高だわ――!!」
両者、激突――!
◯
今日も喧騒に満ちたギルドに、どこにでもいるような、どことなく愛嬌のある、まだあどけなさの残る少年がやってきた。
カウンターに大きな袋をごろりと転がすと、一言。
「換金お願いします。吸血鬼の首です」
「はい、少々お待ち下さい」
「あ、あとこれ、依頼達成書です」
「承りました」
「すいません、追加で報告です。ここから五日ほどかかる、森の奥の小さな村に人狼が出たんですが、既に死亡を確認しています。村には厳戒態勢を解除するように伝えて下さい」
「人狼ですか? 誰か被害にあった方はいますか?」
レオンは少し考え込み、やがて首を振った。
「いえ、彼だけは、誰も殺していませんでした」
そう、彼だけは……。
人狼のレオン、童貞のまま死す――。
fin




