第12話 下水のような悪口を垂れ流す受付嬢
そのギルドの扉を開けた瞬間、レオンは言い知れぬ居心地の悪さを感じた。
壁には『シナジーの創出』『冒険のリテラシーを最大化せよ』といった、耳慣れない言葉によるスローガンが掲げられていた。
レオンは違和感を横目で流し、まずは冒険者登録のために受付へと向かう。
「新規の登録をお願いしたいんですが」
「はい、ではこちらの『プロトコル・シート』にご記入をお願いします」
営業スマイルで書類が差し出された。
そこには冒険者個人の好きな食べ物や、休日の過ごし方などといった、何の役に立つか分からない質問が並んでいた。
「これって記入は必須ですか?」
「冒険者の『パーソナリティの可視化』は当ギルドのコンプライアンスに関わりますので」
受付嬢は、一切の疑問を差し挟ませない強固な笑顔で断言した。
「当ギルドでは、冒険者とクライアントの『マッチング精度』を最大化するために、ライフスタイルや価値観の共有を重視しておりまして。いわば冒険者の『ブランディング』ですね」
「ブランディング?」
「はい。昨今のクエストは、ただ魔物を倒せばいいというものではありません。依頼主とのエンゲージメントを高めるために、趣味の合う冒険者をアサインするのが、我がギルドのバリューなんです」
「そうですか」
レオンは『好きな枕の硬さ』という欄を眺めて途方に暮れた。
低反発か高反発かでゴブリンの首の飛び方が変わるとでも言うのだろうか。
レオンが(めんどくせー)と思いながらしぶしぶペンを手に取ると、隣の窓口から別の受付嬢が、まるで休憩時間に入ったかのような緩い動作で顔を出した。
<<ね知ってる?>>
その言葉は普段使っている共通語とは違って、歌うような美しい言葉の響きがあった。
<<ウサギって自分の糞食べるんだって>>
<<え? てかなんでエルフ語? マジ草なんだけど>>
二人はレオンの存在を空気のように扱いながら、その『エルフ語』でおしゃべりを始めた。
<<せっかく給料上がるからって資格取ったんだもん。使わないと損じゃん。どうせこの辺の田舎者に分かるわけないし>>
<<そだね。多分一生使うことないよね。都会行きたいわ~>>
レオンが二人を見ていると、受付嬢はにっこりと微笑んで言った。
「分からないところがあったら言ってくださいね」
「え? あ、はい。ありがとうございます」
レオンは再び記入欄に目を落とす。
すると、レオンの前の受付嬢が、隣を向いて話し始めた。
<<……てかさ、ギルドマスター最近マジ臭くない? 異臭騒ぎレベルなんだけど>>
<<わかる。ぬか床香水にしてんのかと思った>>
<<風呂の存在とか知らないのかな。そんなだからハゲるんだよ>>
<<ハゲのくせに頭頂部にちょとだけ残ってるのが腹立つわ>>
<<ギルドマスターと喋るの辛いんだよね。目が毛に行っちゃうの。吸引力が凄いのよ求心力はないくせに>>
<<剃ったらいいのに『まだいます(汗)』ってね。いなくていいんだよ>>
<<腹もヤバいよね。ベルトが肉に抱きしめられてる。純愛かよ。ズボンも『もう無理……死んじゃうっ……』って悲鳴上げてるよ>>
二人はエルフ語特有の優雅な発音で、下水のような悪口を垂れ流していた。
その様子はまるで、高級レストランの皿に盛り付けられた生ゴミのようだった。
<<あ、でも筋肉はすごいよ。意外とマッチョじゃない?>>
<<マッチョマッチョ。だけどチビだからねw>>
<<マッチョでチビで割りと天然ボケでしょ。バケモンじゃん。一人称『おで』にしろよって思う>>
<<『おで』www>>
<<『お、おで、お山、帰る』www>>
<<帰れよ!www 二度と来るなよ!>>
レオンは『猫派』か『犬派』か悩んだ。
『鳥派』だったからだ。
<<怒ったときの顔がまたひどいじゃない。目ん玉ひん剥いてさ>>
<<あれ面白すぎ。しかも興奮してくると声高くなるんだよね>>
<<マッチョが裏声で怒鳴ってんだよ? こっちが震えてるの、怒られて泣いてんじゃなくて面白すぎて耐えてんだわ>>
<<太もも抓って耐えてる、わたし>>
<<わかる。わたし唇噛んでる>>
<<この前の会議なんかずっと課長のこと叱ってたでしょ。二時間くらい。最後カラスみたいな声になってたからね>>
<<あったあった、あったねw 怒って出ていったと思ったらうがいして戻ってきたからね。もういいってw>>
そこへ、奥の扉から大きな足音が近づいてくる。
「やあ、二人とも。精が出ているようだね」
はち切れんばかりの肉をシャツに押し込めた男――ギルドマスターが現れた。
彼は満足げに鼻の下を伸ばし、新調したらしい独特なカッティングのジャケットを誇示するように胸を張る。
「どうかね? 本場エルフの仕立て屋に発注した、最新のトレンドを取り入れた一着なんだが」
受付嬢二人は、一瞬で「聖母のような微笑み」を顔に貼り付けた。
「まあ、素敵ですわ! 非常に都会的なシルエットで……」
「ええ、ギルドマスターの若々しさがより強調されて、とてもお似合いですよ」
「そうか。はっはっは、グローバルな視点は常に持っていたいからね」
ギルドマスターがズボンを揺らしながら去っていく。
彼が見えなくなった瞬間、二人の表情が嗜虐的な笑みに染まる。
<<……見た?>>
<<見た。控えめに言って地獄>>
<<若作りが痛すぎて見てられなかったわ……。あんなの、エルフの里じゃ家畜でも着ないよ>>
<<あんた、エルフの里行ったことあったっけ?>>
<<ございやせんが?>>
<<左様でございますか>>
<<ギルドマスターもずーっと言ってるよね、エルフの里留学したいって>>
<<言う言うwww もう三年は言ってるよ>>
<<行けよ!! 勝手に!!>>
<<二度と帰ってくんな>>
<<てかさ、前に忘年会で『エルフの舞』つってダンス披露してたでしょ>>
<<したした。あれはやばかった>>
<<チビマッチョがタコ踊りしてんの>>
<<あたし――虫?って思った。あの壁に向かって飛んでるデカい蚊みたいなの>>
<<ガガンボ>>
<<それ>>
<<あーあとね、顔でかいよね>>
<<でかいね~>>
<<顔が歩いてるみたいだもんね>>
<<どうやってシャツ着てるんだろうね>>
<<首通らないよね>>
<<前開きしか着れないよね>>
<<クローゼット開けたら、全部、前開き>>
<<前開き専門店>>
<<www>>
<<www>>
<<この前さ、ぼそっと独り言言ってたんだけど……>>
<<え、なに?>>
<<『なんで結婚出来ないんだろう』って>>
<<www>>
<<www>>
<<そういうとこやぞwww>>
<<し、死ぬwww>>
二人がエルフ語でいうところの『草』を生やしていると、またもやギルドマスターが肉を揺らしながら登場した。
「熱心にエルフ語の訓練をしているようだね。感心感心」
受付嬢たちは「ありがとうございます」と会釈で返す。
「常にグローバルなアジャストを忘れないでくれ。期待しているよ」
ギルドマスターが、またズボンを揺らしながら去っていく。
受付嬢二人は、プロの嘘つきの顔でしおらしく頭を下げ、彼が見えなくなると同時に<<ヤバすぎ>>と、ほくそ笑んだ。
「書き終わりました」
レオンは淀みのない動作で書類を提出する。
「ありがとうございます。すぐ依頼に向かわれますか?」
「そうします」
レオンがいなくなった後、受付嬢はプロトコル・シートをチェックしていた。
不備はない。完璧だ。
しかし、ふと書類の枠外に、流麗で美しいエルフ語でこう書かれていた。
<<正直、『おで』は面白かった>>
「…………っ!?」
それを見た瞬間、彼女の顔面は一秒で沸騰した。
自分たちの「下水のような悪口」がすべて完璧に筒抜けだったという事実が、頭の中で爆発する。
「え、うそ……!? やだ、ちょ待って……!!」
隣の受付嬢に今の惨状を伝えようとしたのか、あるいは羞恥心からその場を逃げ出そうとしたのか。
真っ赤になった彼女は、パニックで自分の足をもつれさせた。
「あ、ちょ、」
彼女は抱えていた書類の束もろとも前方へとダイブした。
派手な音を立てて棚に激突した体は、そのまま棚を道連れにして倒れる。
書類やらバインダーやらが容赦なく降り注いだ。
隣の受付嬢は口を両手で押さえて固まっていた。
ただ一人、書類の山から真っ赤な顔だけをのぞかせた彼女が、呆けたように虚空を見つめていた。




