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第9話 悪徳貴族の気が狂う


 レオンが街道を歩いていると、けたたましい悲鳴と怒鳴り声が耳に飛び込んできた。


 視線を向けると、街道脇の遠くで馬車が横転しており、その傍らでは、ごろつきたちが馬車の中の人間を襲っていた。


 思わずため息が出る。


 どこにでもいるな、こういう連中は。


 レオンは地を蹴った。駆けながら、呼吸を整えるように剣を抜いた。


 切っ先が地面をかすめ、かすかな金属音が響いた。


 気づいた盗賊が「なんだ、てめえ!」と叫んだが、数呼吸後にはうめき声を上げて地面に転がっていた。


「命までは取りません。もう動けないでしょうし」


 馬車の主であるバシュタール男爵は、震える手で窓枠を掴み、恐る恐る外を覗いた。

 そこに見えたのは、地に這いつくばる下卑た男どもと、その中でただ一人静かに立つ

少年の姿だった。

 それはまるで叙事詩の一節に謳われる、若き英雄の降臨を目の当たりにしたかのようだった。


「ああ……た、助かったのか……」


 掠れた声でそう漏らした後、男爵はすがるように身を乗り出した。


「私を救ってくれたのは君か。名前を聞いてもいいだろうか」

「冒険者のレオンです」


 『さて、このバシュタール男爵は、領民から皮まで剥ぎ取る勢いで税をむしり取る筋金入りの悪徳貴族である。


 ところが、己の命を救った天才冒険者に見えるその少年に対し、男爵は全幅の信頼を寄せてしまったのだ。


 しかし、その少年こそが、自分を破滅に導く死神だとは知る由もない。』


 ◯


 感激した男爵に招かれ、レオンは彼の屋敷にやってきた。

 そこで、民の涙を隠し味にした晩餐とはつゆ知らず、悪徳貴族の自重しないご馳走をペロリと平らげた。

 その後の、ティータイムのことである。


「どうだね、満足したかね?」


「信じられないぐらい美味しかったです!」


「私はこう見えても美食家でね。今日はたまたま、王都の三つ星レストランから有名シェフを招いていたんだよ」


「道理で。空前絶後の美味しさだったんですね!」


「特に好きだったのは何だったかね?」


「途中で出た赤いやつが、一番美味しかったです!」


「ふむ、何だったかな。執事、赤いやつとは?」


「確認してまいります」


「グズが! 早く行け!」


 飛んできたティースプーンを顔で受けた執事は、慌てて出ていった。


「さて、レオン君。実は相談に乗ってほしいことがあってね」


 お茶請けのクッキーを頬張っていたレオンは、口の中のものを慌てて飲み込んだ。


「相談ですか? 俺に?」


「なぁに、雑談のようなものだ」


「はあ……俺にわかることならいいんですが……」


 男爵はティーカップを持つと立ち上がり、窓際まで歩いて行って外を見ながらつぶやいた。


「最近、我が領地の民たちが反抗的なのだ。奴らは貴族に飼われる家畜の分際で、医者にかかりたいだの、毎日飯が食いたいだの、我儘ばかり。

 挙句の果てには税金を下げろと言い出した。領内の税率が高いのは、奴らが怠けていて穫が少ないためだというのに、それを私のせいだと言って不満を漏らしている。

 レオン君、どう思う?」


 話を振られたレオンは、先程投げられたティースプーンを足元から拾うと、


「家畜? 家畜が文句を言っているのですか?」


 と聞き逃した。

 完全に、話を聞き逃していた。


 しかし、社会人経験のあるレオンは、目上の人に聞き返すのは失礼だと思い、うなずいた。


「ああ、なるほど。彼らを大人しくさせて、効率よく収穫を得る方法、ですね?」

「おお! さすがは察しが良い。何かいいアイデアはないだろうか?」


 かつて故郷で羊を追って暮らしていたレオンは、自信満々に微笑んだ。


「簡単ですよ。鞭で叩いて、一日中監視すればいいんです」


 カシャン!

 男爵は手に持っていたカップを落とした。


「そ、それは……いくらなんでも過激すぎないか?」

「いえいえ。言ってわかるほど賢くないですからね。体に覚え込ませないと」


(ヒッ……! 英雄というのは、これほどまでに苛烈な思想の持ち主なのか……!)


 そのとき、執事が戻って来てこう告げた。


「三つ星シェフはもう王都に帰ってしまったそうで、確認のために伝書鳩を飛ばしました。どうかされましたか?」


「う、うるさい! ……レオン君、そういうわけだ。伝書鳩が戻ってくるまで、滞在してはどうかな?」


 レオンはどちらでもよかったが、赤いやつの名前が知りたいので残ることにした。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 ◯


 翌日、また食後のティータイムである。


「レオンくん、君のアドバイスを早速試したところ……」

「試したところ……?」


「大成功だったよ! 家畜どもは泣いて逃げ出した!」

「鳴いて逃げ出したんですか? 良かったですね!」


「だが、やはり数が多くてな。人手が足りんのだ」

「それなら、犬を使えばいいんですよ」

「……犬?」

「ええ。彼らは家畜の扱いにかけてはプロですからね。言うことを聞かないやつは、追い立てて噛ませる。それが一番です」


「なるほど、プロの猟犬に任せるわけか。プロといえば……冒険者だな?」

「冒険者? 俺ですか?」

「いや、君はここにいてくれ。執事! 依頼書を書く! 冒険者ギルドに持っていけ!」


 ◯


 また翌日のティータイム。


「レオン君、荒事に慣れた犬を大量に雇うことができた。これで監視の目は、我が領内の隅々まで届くはずだ」

「おお、良かったですね。お役に立てたようで幸いです」

「それで……だね、レオンくん。最近、ネズミたちが集まって何か囁いている。あれは何だと思う?」


 レオンは即答した。


「発情期じゃないですか?」


 男爵は紅茶を噴いた。


「ブほぉっ――!? は? いや、違う、違うだろう!」


「違うんですか?」


「……いや、いい。もしそうなら、私はどうすればいいのか」


「ネズミは増えすぎる前に間引いた方が良いですよ」


 男爵は震える手で額を押さえた。


「……レオン君は……恐ろしいな……」

「そうですか?」

「いや、君が言ってくれてよかった。これで決心がついた! 我が領は今より大粛清を始める!」


 バシュタール男爵は鼻をブゴブゴ鳴らして駆け出していった。


「仕事熱心な人だなあ……」


 レオンは紅茶をすすった。


 ◯


 翌日。


「レオン君、無事ネズミの巣を発見し、反抗的な者どもを一網打尽にすることができた! これもすべて、迅速な対処を進言してくれた君のおかげだ!」


「いえいえ、バシュタール男爵の優れた手腕の賜物ですよ」


 と、そこへ、執事が小さな手紙を持ってやって来た。


「男爵様、王都の三つ星シェフから返信が届きました」


「おお! そうか! レオン君が美味しいと言っていた赤いやつの正体が、ついに分かるな!」

「わあ! 焦らされた分、すごく気になってたんですよ!」


 そう言って手紙を広げると、そこに書かれていたのは――


『赤いやつ? 何だったかのう』


「……」

「……」


 執事が困ったように言う。


「シェフは御年102歳。恐らくもう思い出すことは……」


   ・


   ・


   ・


 結局、赤いやつの正体は分からずじまいだったが、レオンはとても居心地の良い数日間を過ごすことができた。


 旅支度を済ませ、バシュタール男爵に屋敷を立つことを伝えに行った。


「失礼します」

「やあ、レオン君」


 今日も日課のティータイムだ。


「またいつでも我が屋敷を訪ねてくれ。歓迎するよ」

「ありがとうございます。男爵のご厚意は決して忘れません」


 そう言って退出しようとするレオンを、男爵は引き止めた。


「そうだ、レオン君。もう一つ懸念があったのだ。最後に引き止めて悪いが、聞いてくれるか?」

「もちろんです。どうしましたか?」


「うむ、実に腹立たしいことがあってね。

 とある晩餐会で、友人たちに税金を搾り取る方法をレクチャーしていたら、我がバシュタール領に隣接するグランディス領の男爵が横から入ってきて、『民を虐げるとは言語道断。貴族の義務を放棄したその驕り高ぶりに反吐が出る』と公衆の面前で私を侮辱したのだ!

 最近では、私が領地から逃げ出した民が、隣のグランディス領に流れ込んでいるという。

 私の民を盗む泥棒猫のくせに、自分のことは棚に上げて調子に乗っているようだ。

 レオン君、どう思う?」


 話を振られたレオンは、青い空の見える窓から視線を戻すと、


「泥棒猫? 猫が調子に乗っているのですか?」


 と聞き逃した。

 完ッ全に、話を聞き逃していた。


「それなら、首根っこを掴んで押さえつければいいんですよ」

「そ、そんなことして大丈夫かい!?」


 動物の扱いには慣れているレオンは、自信満々に微笑んだ。


「そこを掴まれると、すぐ大人しくなりますよ。もし効かなかったら――」

「効かなかったら……?」

「首の後ろに噛みついてください」

「ええッ! 私が!?」

「軽く噛むだけでいいんです。俺はそれで群れのボスと認められて、いつも集会の真ん中にいたんですから」


 集会というのはもちろん猫の集会だ。


「ほ、ほおー、集会の真ん中か。晩餐会みたいなものかな?」

「そうですね。たくさん集まって、みんな俺に贈り物を持ってきてくれるんですよ! 足とか手とかなめてくれて、かわいかったですね」

「な、なるほどぉ……。それはすごい効果だねぇ……」


 バシュタール男爵は、貴族たちに囲まれ、自分の靴をなめるグランディス男爵の姿を思い浮かべ、ブルリと体を震わせた。


「いや、実にためになった。さっそく次の晩餐会で試させてもらうよ」


 こうして、レオンはバシュタール男爵の屋敷を旅立っていった。


 ◯


 一カ月後、レオンは、街頭に立つ瓦版屋の話に耳を傾けていた。


「えー、お立ち会い、お立ち会い!

 これより語るは、華やかなる晩餐会にて起きた、世にも恐ろしき一幕でござーい!


 さてさて、居並ぶ紳士淑女が美酒に酔いしれるその最中、突如として獣のような咆哮を上げたのは、かの『血の大粛清』で悪名高き『猟犬使い』のバシュタール男爵。

 あろうことか、目の前のグランディス男爵に猛然と掴みかかって、さらにその白き喉元に……ガブリと! 牙を剥いて噛みついたというから、さあ大変!


 晩餐会は悲鳴の嵐、血の気が引く大騒ぎ。

 取り押さえられたバシュタール男爵のその口から漏れるのは、正気とは思えぬ謎の言葉。


「私をなめろ! 鞭で叩いてやる!」


 ……と、何度も何度も繰り返すばかり。

 治安判事様も事情を聴こうと躍起になっておりますが、当の本人は虚空を見つめて錯乱状態。お話になりません。


 いったい全体、男爵の身に何が取りついたのか?

 はたまた、隠された愛憎の果てか?

 事の詳細、この一枚に克明に記してござい!


 さあ、読んで損はない、『晩餐会の吸血奇譚』!

 早い者勝ち、一冊いかがですかなー!」


 レオンは物思いにふける。


「赤いやつの名前って、何だったのかなぁ……」

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