第8話 マナー講師が死ぬ
毎年、九月になると、泉に神が降りた。
村は泉の神に収穫物を供え、祝詞と舞を奉納してきた。
泉はその豊かな水で畑を潤し、村は農作物をもたらす神へと感謝を伝えてきた。
ここでは、それが何百年も続いた当たり前のことだった。
しかし、十年前、神事を担ってきた神主一家が流行り病で全滅し、神への接遇役がいなくなってしまった。
村人は手順を思い出しながら社を建て、見よう見まねで場を清め、いつもより多くの麦と酒を用意した。
しかし、夜な夜な泉から這い出してきた神は畑を荒らし、家畜をさらって家々を破壊した。
慰撫の仕方もわからず、万策尽き追い詰められた村は、ならず者の溜まり場である冒険者ギルドを渋々ながら利用することにした。
【求む・接遇のプロ】
泉の神をなだめ得る礼節・神事に精通した者を募る。
あるいは、神の怒りを鎮める具体的な手段を提示できる者。
報酬※最大1,000万ゴールド(寄与度により算定)
加えて、五年間にわたり収穫物の十パーセントを譲渡。
報酬額を一瞥するやいなや、ギルドマスターは即座に鐘を打ち鳴らした。
強制参加の緊急依頼発令である。
ギルドに所属する総勢30人の冒険者の前で、ギルドマスターは檄を飛ばした。
「いいか、野郎ども。今回の依頼主は、村の未来を丸ごと俺たちに預けてきた。
報酬は総額1000万。一人頭、丸々二月は一切働かずに酒を浴びてもお釣りがくる大金だ! さらには向こう5年分の飯まで付いてくるときた。
だが、相手は『神』だ、遊びじゃねえ。
一人も欠けずに村を守り、神を鎮める。これはギルドの命運をかけた『クエスト』だ!」
さらにギルドマスターは外部から助っ人を招聘した。
「ここに集まったのは、礼儀作法で世界を唸らせる七人の怪物たちだ!」
マナーコロシアム・チャンピオン――
参加者一万人を勝ち抜いた実力派。
伝説のマナー講師――
指導歴五十年、実戦経験に裏打ちされたサバイバル力が売り。
カワホリ接遇術家元――
お辞儀だけで魔物をテイムする礼節の魔術師。彼の前に出されたダンゴムシが背筋を伸ばした話はあまりにも有名。
エチケット甲子園優勝者――
皇室の信頼厚い礼法家。所作一つで相手の生い立ちまで丸裸にする観察眼の持ち主。
マナーコロシアム・永久出場禁止者――
鴨肉のローストを手づかみで食べた際、「古式に乗っ取ったまで」と言い放った悪童。
マナー仙人――
現在のマナーは全て仙人が作った。マナー界の始祖。
接遇界の美しきバラ――
えくぼを作るために自分の頬を刺した女傑。
村の命運は、七人のマナー講師たちに託された。
そして決戦の日――
泉の前に集まったのは百人のギルドメンバーと七人の講師、そして、村を代表してやって来た村長だった。
先手、マナー仙人。
泉の前に供え台が置かれ、粛然とした祝詞、玄妙な舞、紫の香を焚き、地面には菊の花びらが敷き詰められている。
「善きかな。祭壇の設え、大儀であった。……さて、これより先は礼節を以て死線を越える刻。凡夫が居れば障りとなろう。皆の衆、遠くへ退き、我が礼道の極致しかと見守るがよい」
人を遠ざけ、マナー仙人は泉の前で平伏して待つ。
「参られたか」
暗い水底で巨大な影が動いた。
水面がぬらりと盛り上がり、天を突くような巨体が勢いよく飛び出した。
「ギョギョー!!!」
現れたのは、黒曜石の鱗を持つ巨大な魚。
露わになった部分だけでも、十メートルはある。
神は濁った目で泉に集まった人間たちを見下ろす。
そして気に入らないことでもあるかのように、エラの下から伸びた細い腕で水面を叩いた。
泉からこぼれた水がマナー仙人をしとどに濡らしたが、彼はぴくりとも動かずひたすら声がかかるのを待った。
すかさず、エチケット甲子園優勝者が分析し始めた。
「エラとヒレが開いています。かなり怒っていますね」
「見りゃ分かる」
悪童からツッコミが入った。
「根拠を提示しただけですよ」
「そういうのは口を閉じてやれな」
カワホリ接遇術家元は扇子を一つ、パチリと閉じて言った。
「まぁまぁ、おふた方。お喋りは後になさったらよろしいわ。今は仙人さんの神業を見せてもらいましょうえ」
神の声が響いた。
「人間! 何ゆえ我を呼んだのか! 疾く、用件を言え」
マナー仙人は面を上げずに返答した。
「これより火急の儀、言上つかまつります。まずは、この地の無作法なる輩が尊き神域を土足で汚しました不調法について、この仙人が平身低頭してお詫び申し上げます」
神の気配が、一瞬の戸惑いを見せる。
「詫びだと? 形ばかりの祭壇を築き、小手先の戯れ言で余を謀れると思うたか!」
「仰せの通り、弁解の余地もございませぬ。なればこそ、これより私が、神慮を安んずるための接遇を尽くさせていただきます。泉の神よ、どうかお怒りのままにこの地を滅ぼされる前に、今一度だけ、この仙人の献じる礼節をお納め願いたく」
仙人はようやく顔を上げ、臆することなく神の威光を見据えた。
「神に礼を欠くは万物の恥。私がここへ参りましたからには、あなた様を、これ以上憤怒という感情に留まらせるわけにはまいりませぬ。さあ、不浄なるものは全て私が清めましょう。何なりと胸の内の濁りをお吐き出しくださいませ」
一言も淀まぬ言上には力があった。
敬意と真心と慈しみが込められていた。
これなら、と見守る面々は思った。
「人間、お前は見どころがあるな」
「過分なる誉れ、身に余る光栄」
それまで半身になっていた泉の神は、仙人に向き合った。
「ふん……では我の胸の内を聞かせてやろうか?」
「神慮の深淵、伏して拝聴いたしたく存じまする」
ニタリと神は笑い、牙の生えた口を開いた。
「これが我の胸の内じゃ!」
大量の粘液が濁流となって吐き出された。
「――ッ!?」
マナー仙人は咄嗟に逃げ出したが、そのブレスに巻き込まれてしまった。
「こ、これはッ!? ぐあああああ!!」
皮膚が泡立つ音がする。白い煙を出しながら、マナー仙人は溶けていく。
「あああああ!!!」
「ククク、人間如きが我を安んずる? おこがましいものよのう」
泉の主は、溶けゆく仙人を眺めながら「ギョギョー!」と咆哮した。
マナー仙人、死亡を確認。
さて二番手は誰だ?
「俺が行こう」
マナーコロシアムチャンピオンが手を上げた。
悪童が尋ねる。
「自信あんのかい?」
「ああいう輩とは何度も戦ってきた」
彼は何ら気負うことなく、泉の神の前に歩み出る。
「神よ、なぜそう荒ぶるのか」
声は真っ直ぐに届いた。
マナーコロシアム・チャンピオン。その瞳には一点の曇りもなく、ただひたすらに真実を見極めようとする澄んだ光が宿っている。
「また命知らずが来たようだなぁ? ギョッギョッギョッ」
泉の神が喉の奥で嘲笑う。
だが、チャンピオンは動じない。
「かつてはこころを通わせた神主も今はいない。あなたが感じているのは怒りではない、孤独だ」
「フハハ! 小僧! よくぞほざいた!」
神が猛然と巨大な腕を振り下ろす。
岩をも砕く一撃。
チャンピオンはそれを両手を交差させて受け止めた。
「ギョ、ギョギョ!?」
拮抗――潰したくとも潰せない。これには神も驚きを隠せなかった。
「私の腕を見よ、不作法とはこれほどまでに身を蝕むものだ。」
チャンピオンの手から腕、腕から肩へと、揺らめく紋様が野火のように広がっていく。
「神よ、共に生きる作法を、一から語り合おう」
神が「ギョギョ」と短く鳴いた。
殺意ではない感情を神は抱いていた。
後ろで見守っていたエチケット甲子園優勝者が、ハッと顔を上げた。
「駄目だ、あれでは――っ!」
次の瞬間、肉が裂ける音とともに、背中から腕が生えてきた。
「ギョエーーー!!!」
異様に長い腕が六本、その全てが恐ろしい速度でチャンピオンを襲った。
「――ッッッ」
打ち下ろしの一撃を咄嗟に躱すチャンピオン。
そこから目にも止まらぬ猛ラッシュが始まった。
「くっ、何という連打!」
次々と襲い来る拳を紙一重でかわし、避けられないものは呪いの腕でいなすチャンピオン。しかし――
「誰か、助太刀――」
後ろを振り返ったところを巨大な拳が殴りつける。
「ぐほっ」
そこへ容赦なく百裂拳が叩きつけられた。
「ぎょぎょぎょぎょぎょ――ギョエーー!」
地面がへこむほど殴られたチャンピオンは、赤い染みになってしまった。
マナーコロシアム・チャンピオン、死亡を確認。
さあ、次なる挑戦者は?
「ちょっとよろしいか?」
顔面蒼白になった家元がギルドマスターの肩を扇子で叩いた。
「あれはあきまへんわ。話が通じませんやん」
仙人とチャンピオンの、あまりに理不尽な死に様。
一同は家元の言葉に続いた。
「マナーとかエチケットとかそういう次元ではないです」と冷や汗まみれのエチケット甲子園優勝者。
「あいつ楽しんでるぞ」と苦笑いする悪童。
伝説のマナー講師と接遇界の美しきバラは――
「あれ? あいつらどこだ?」
既に逃亡していた。
ギルドマスターは震え声で言った。
「一旦、退却……だ!」
◯
後日、依頼主である村長がギルドに怒鳴り込んできた。
「どういうことだ! 突然、泉の神から貢ぎ物を10倍にしろと言われたぞ!」
その剣幕に、ギルドマスターは平謝りするばかりだった。
「へえ、少し手違いがあったみたいで……」
「不手際ならそっちの責任だろう! もし先方を納得させられなかったら、差額はお宅で負担してくださいよ!」
「いや、そんな、村長さん、落ち着いて下せえ。相手は神様なんですから、いきなりは難しいですよ」
「知るか! こっちは金を払っているんだぞ! 『お客様は神様です』って言葉を知らんのか!」
村長は当てつけのようにドアを思い切り閉めて帰っていった。
ギルドマスターは沈痛な面持ちで振り返った。
「野郎ども……このままじゃギルドは破産だ。どうすりゃいい?」
三十人のギルドメンバーは一斉に押し黙った。
「先生方は、何かねえですか?」
最初に口を開いたのは家元だった。
「マスターはん。ああいう村長の相手でしたらナンボでもしますよって。
けれどね、人間の理屈の通じん神さんにどないせえって言うんですか?」
「それを何とかするのが先生方の手腕チャイマッカ!!?」
「無茶言う人やなあ」
家元は眉をひそめた。
続いて、エチケット甲子園優勝者の礼法家が指摘した。
「我々もね、こっちの世界ではそれなりの名声を得ていますよ。しかし、あれは世界観が違いすぎる」
「ブルっちまったんだろ?」
悪童――
「貴様……」
「隠すことないさ。俺だってあんなもの見せられたら嫌になる」
悪童は不敵に笑う。
「だが逃げる気もない。それだったらあの二人みたいに、とっくにいなくなってるはずだ。諦めてないんだろ?」
伝説のマナー講師と接遇界の美しきバラは消息不明である。
「ふん、だったらどうするというのだ」
「全員で土下座でもするか?」
「確かにそれで押し切れる輩もいるが……リスクが高い。失敗すれば後がないぞ」
「待て待てお二人さん、誠意は金額と言いますやろ。ここはひとつ山吹色のお菓子なんぞ包んでもらって……」
「あの――」
その一言で会話が途切れる。声のした方へ皆が目を向けると、少年が椅子に座って縮こまっている。
「冒険者のレオンと申します。発言していいですか?」
腕を組んで話を聞いていたギルドマスターが発言を促す。
「おお、新人のレオンか。どうした?」
「入ったばかりの俺がこんなこと言うのは生意気かもしれないですが……」
「ええさかい、遠慮せんと言いなはれ。誰も噛みつきまへんよ」
少しばかりモジモジとするレオンは、意を決したように言葉を続ける。
「――ムカつきませんか?」
レオンが立ち上がる。
自分と同じように萎縮していた仲間たちを見ながら、声を大にして思いの丈をぶちまける。
「神様だからってやってることは脅しと殺し。村の人たちを何年も虐げて、今度は俺達だ。
神様ってそんなに偉いんですか? 俺達はそんなに卑しいですか?」
レオンの若く青い意志が、冒険者たちの中に染みていく。
「ここは冒険者ギルドで、俺達は冒険者でしょう。だったら、俺たちの流儀がありますよね?」
ぽ、と火が灯った。
「そうだ!」
誰かが叫んだ。
「俺たちは冒険者だ!」
「マナーがなんだ! 作法がなんだ!」
思いは寄り集まっていく。
「殺せ!」「殺せー!」「悪神を殺せ!」「殺っちまえ!!」
冒険者が次々と立ち上がり、剣や盾を打ち付けて歓声を上げている。
この物騒な盛り上がりの中、悪童はレオンの前に進み出た。その顔には、いたずらっ子のような笑みが浮かんでいた。
「おい坊主、こんなに煽って責任取れんのかい?」
レオンは爽やかに言った。
「何が起きても自己責任」
「ハ?」
「死んだらそれまでです。冒険者の鉄則です」
一瞬呆気に取られた悪童は、腹を抱えて大笑いした。
「悪い奴だな! 流石の俺でも坊主には負けるぜ!」
即断即決、冒険者の行動は早い。神を殺すという目標に向かって、一致団結した彼らは矢のように動き出した。
元漁師の冒険者――
「魚の殺し方? そんなの陸に上げてナマス切りに決まってんべ!」
ギルドの罠師――
「狩りには道具がいる。頑丈で、とびきりデカいのだ」
ギルドマスター――
「必要なモンがありゃ勝手に持ってけ! 足りないモンは即発注しろ! 何が何でも絶対殺せよお前ら!」
ギルド内に「おおー!」という雄叫びが響き渡った。
◯
とある鍛冶屋に、注文が入った。
「特注の……銛?」
鍛冶屋は頭を掻いた。
「なんでこんな陸地で銛なんか……」
手元には、かなり大型の銛を三十本、という発注書があった。指示された仕様によると、先端には絶対に抜けないような強い返しがあり、シャフトの後端にはロープを通すための穴がある。
「ドラゴンでも捕まえるつもりかあ? …………あ!」
何かに思い至った鍛冶屋は、慌てて駆け出した。
・
・
・
妙に忙しそうな冒険者ギルド。そこへやってきた鍛冶屋は――
「おい、こいつを寄越したのはどいつだ」
と、その手はさっき来たばかりの発注書がピラピラと振られている。
「どうした、鍛冶屋」
「おう、マスター。この銛は一体どういうつもりで注文したんだい?」
「も、銛? ただの槍だが?」
ギルドマスターの目は泳いでいる。
「そうかあ? ここに銛って書いてあるがなあ?」
「ちっ、しゃあねえな」
ギルドマスターは周囲を見回してから、鍛冶屋に耳打ちした。
「(実はな、こいつは内緒なんだが、これから泉の主を退治しようと思ってな。銛はそのための装備さ)」
鍛冶屋はため息をつく。
「ああ……だと思ったよ」
「なんだあ? 妙に察しがいいじゃねえか。知ってたのか?」
「そうじゃねえ。いつかこんな日が来ると分かってたんだ」
鍛冶屋は懐に手を突っ込むと、布の包みを取り出した。それをめくると、中から青白い金属が現れた。
「おい鍛冶屋、そいつは?」
「詳しくは知らない。ただ、神鉄と言って渡された」
「誰に?」
「泉の主を祀る神主の一族だ」
「神主が? するってえと、随分前だな」
「そうだ。あいつとは幼なじみでな。今際の際にこいつを託された。いつか必要になるかも知れないと」
鍛冶屋は遠い目で神鉄を見つめる。そこに映るのは、若かりし日々か、それとも、親友の最後の姿か。
「俺は鍛冶屋だ。何が正しいとか、誰が悪いとかは知らねえ。ただ、道具を作るだけだ。もしお前たちが神を殺す武器が欲しいと言うなら、用意がある。どうだ!」
「お、おお! 渡りに船だ! 俺たちにはそれが要る!」
鍛冶屋は目を閉じ、息を吸い、そして吐いた。
「……わかった。それでは打たせてもらおう、神をも殺せる神剣を」
そして――現在休止中となっている依頼掲示板に、一枚の募集が張り出された。
【求む:個人と縁の深い品】
きれいな小石、親友との形見分け、秘密の日記帳、なんでもいい。とにかく愛着があるもの。採用された品は返却不可。報酬は新しい剣。
・
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・
そうして急遽ギルド中から集められたガラクタの山。折れた剣、カメオのブローチ、割れたメガネ、乳歯など。食べかけのパンまである。
「これでいいのか? 鍛冶屋よ」
「ああ、神剣は持ち手を選ぶ。それをコントロールするために、制作の段階で個人と結びつく材料を足す。それが『縁の深い品』の役割だ」
「じゃあ、この依頼を達成した奴が神剣の持ち手になるのか……実は、俺、子供の頃から使ってる毛布があるんだが……」
「それでもいいが、神を殺す役目も負うんだぞ? できるのか?」
「……ン、まあ、俺の順番は最後でいい。ふさわしい奴が他にいなけりゃ俺がやる」
鍛冶屋は、長年の経験で培った「素材の声を聴く」特技を使って、一つずつ調べていく。
故郷への郷愁、冒険への期待、恋人との平穏。強い念もあれば、そうでない念もある。
しかし、神剣に釣り合う格を持つものは見当たらない。
「駄目だ……これも駄目だ……」
次々と不採用になっていく様子を眺めていたギルドマスターが、手持ち無沙汰になって声をかけた。
「どうだい?」
「これは、というものがないな。もっと狂おしいほどの情念を感じられるものが欲しい」
「このカメオのブローチなんかいいんでないか? 女を別の男に寝取られた奴の未練が凄いぞ」
「気持ちはわかるが、その情念はブローチじゃなくて女に向かっているだろう。そうじゃないんだ……」
「はあ、そういうモンかねぇ」
そこへ、「――質問いいですか?」と声をかけたのは、冒険者レオンだった。
「おお、勇者くんじゃねえか」
「変なあだ名はやめてくださいよ」
「勇者じゃなけりゃ問題児か? 今や四十・五十のベテランがお前の言葉に従ってるんだからな、ガハハ!」
「はいはい」
冷やかしをサラリと流し、レオンは鍛冶屋にとある品を差し出した。
「提出するか迷ったんですが、これは依頼の対象になりますか?」
――ハウッ!!?
鍛冶屋は思わずのけ反った。
それは手のひらに乗る程度の赤い石だったが、鍛冶屋の目は石に釘付けになり、耳には金切り声が響いた。
「小僧、こ、こいつは、一体なんだ!?」
「ダンジョンコアです」
「へ、へえー……ダンジョンコア……」
見つめていると、見たこともない風景やあるはずのない思い出が、閃光のように浮かび消えていく。
赤い鳥居、血で染まる川、睦まじい男女……しゃもじに祈る男。長い石段を、手毬が跳ねながら落ちていく。
――ウッ、頭が……ッ!
鍛冶屋は遠くなりかけた意識を取り戻し、やっとの思いで目をそらすことに成功した。
「なあマスター、ダンジョンコアっつーのはこんなに凄まじいものなのか?」
「ああ? 別に普通のダンジョンコアだろ? これ勇者君が取ってきたコアか?」
「ええ、あんまり覚えてないんですけどね。捨てても戻ってくるし、処分に困ってたんですよ」
「戻ってくるって、犬じゃねえんだから」
悪魔が作った、いや悪魔そのものが凝り固まってできたような石……精神力の弱い者なら即座に発狂するほどの怨念が込められているのを、鍛冶屋は見抜いていた。
「どうしてこんなものを持っていて平気なんだ」
鍛冶屋はレオンの化け物じみた精神力に戦慄すると同時に感嘆した。
――だが、いける。神鉄と、この悪魔の石が合わされば――
「こいつを使おう」
「え、大丈夫そうですか?」
一瞥しただけで採用されたことに疑問を呈するレオンだったが、鍛冶屋は脂汗を拭いながら押し殺したように言った。
「こんなものを混ぜてしまって、一体どうなるのか……。しかし、こんなものがここにあることに運命を感じる。儂は縁の力を信じておるからな」
「はあ……それじゃあ、よろしくお願いします」
「うむ、任せておけ。特急で仕上げるから三日待て。それから、マスター。銛の納品は他の鍛冶屋に頼んでくれ」
そう言って注文書をギルドマスターに突き返し、神鉄とダンジョンコアを持って大急ぎで走っていった。
・
・
・
工房に戻った鍛冶屋は、炉に火を入れ、るつぼに神鉄を落とした。
赤々と溶けるまで、そっと見守り続けた。
そこへ、汚れた靴下にでも触るみたいに、指先でつまんだダンジョンコアを放り込んだ。
はじめはおっかなびっくりだったダンジョンコアも、やがて神鉄の熱にほどけるように馴染んでいった。
「よしよし、仲良くやってるようだな」
鍛冶屋は赤熱した塊を取り出し、金床の上でハンマーを振り下ろした。
カンッ!
血のように赤い火花が散った。
「『勇者の剣』……か」
またハンマーを振り下ろすと、火花が飛び散った。
「……そんなモンには、収まりそうにないな」
剣が完成したのは、夜が三度明けた早朝のことだった。
◯
煤に塗れた姿の鍛冶屋がギルドにやって来て、レオンの前に鞘に入った一本の剣を差し出した。
「できたぞ、レオン。神に届くかは知らねえが……お前の縁には確かに応えた」
レオンは剣を高く掲げながら抜いた。
一筋の樋が切っ先まで貫く青い地金に、禍々しい赤い脈が走っている。
レオンは目を細めて問う。
「銘は――」
「魔神剣ツクヨグラム。儂の鍛冶屋人生を賭けて打った剣だ。納めてくれ」
鍛冶屋はその場に座り込み、首を回しながら煤だらけの手で肩を揉んだ。
「このまま寝る。誰も起こすな。起こしたら……殺す……」
動かなくなってから3秒ほどすると、イビキが聞こえてきた。
「お疲れ様でした、鍛冶屋さん」
レオンは足を揃えると、90度まで腰を曲げ、深くお辞儀をした。
◯
再び、泉にて――。
巨大な影が水底から急浮上してきた。
「ギョギョー! また来よったか、人間ども!」
波を伴って泉の神が出現した。
「うおっ、奴さんすぐ来ますやん! どんだけ暇してはるん!」
家元は扇子で波しぶきを防ぎながら、大慌てで退避する。
「僕は力仕事は苦手やの!」
すかさず礼法家は命令を飛ばした。
「者ども、放て!」
だが、反応はない。
「貴様ら、なぜ攻撃しないッ!?」
冒険者たちは銛を抱え込み、明らかに尻込みしていた。
「ほ、本当にやるのか?」「でもよ……神だぞ?」「祟られるのはゴメンだぜ……」
その空気を、鼻で笑って切り裂いたのは――悪童だった。
「神? 知らねえな。あれはただの性格の悪い魚だ」
悪童は銛を一本軽く持ち上げた。返しのついた穂先が鈍く光る。
「一番槍は俺が行く。文句あるか?」
振りかぶり、思い切り投げた。
ズブリ、と湿った音が響いた。
「ギョエッ!?」
黒曜石の鱗を突き破り、返しが肉に食い込んだ。
「今だ、引けえええええ!!」
その叫びで凍っていた冒険者たちの正気が戻った。
「お、おう!」「やらいでか!」
神と冒険者の綱引き――泉から引き剥がして陸に上げてしまえば、どうとでもなるだろうという算段だ。
「ギョエエエエッ! 舐めるなよ、クズどもおおお!!」
悪童はロープを掴み、全体重をかけて引っ張った。掌が裂け、血がロープにしみ出す。それでも離さない。
「アンカー、打てぃ!」
礼法家の指示で太い杭が地面に打ち込まれ、ロープが手早く巻き付けられてビンと張った。
「とにかく投げろ! 順番などどうでもいい! 奴を絡め取れ!」
銛が飛ぶ。杭が増える。ロープが走る。
「ギョギョギョ……!! 小癪な!」
巨体が次第に陸へと貼り付けにされていく。
「動きが鈍ったぞ!」
「効いてるぜぇ!」
「このまま――!」
泉の神が牙の生えた口を大きく開いた。あの粘液――溶解のブレスが濁流となって吐き出される。
「来るぞ!」
誰かが叫ぶより早く、家元は扇子をバッと開いた。
「ほんま、不作法な口の利き方しはるわ」
ひと仰ぎが逆巻く烈風となった。
「ンギョ――!?」
溶解ブレスが反転して泉の神自身に降りかかる。
「ギョエ! ギョエエエエ!!」
黒曜石の鱗が、じゅううと泡立った。
「効いた!」「家元すげえ!」
「ほほほ、隠し芸ですわ」
だが――
「ロープが!」
溶解の粘液が、張り巡らされたロープの一部にもかかっていた。
繊維がじわりと溶け、拘束がほどけた。
自由になった腕がゆっくりと持ち上がった。
「――っ」
悪童が見上げた。
それは頭上で膨れ上がる拳の影だった。
「潰れろ、ギョーーーッ!!」
ここまでか――。
その刹那、ヒュンッと空気を切り裂く音が鳴り、剛弓が神の拳を深く射抜いた。
「ギョエッ!?」
貫かれた拳は軌道を逸れ、地面を叩いてめり込む。
「……助かった、のか?」
藪から、のっそりと姿を現したのは――伝説のマナー講師だった。
「いやはや。礼節を知らん輩には、『これ』を叩き込むに限る」
彼の背には矢筒。
手に桑弓を携えている。
「逃げたんじゃなかったのかよ!」
「失礼な。森を駆けずり回って、神にも効く特別な矢を拵えておったのだ」
伝説のマナー講師は、特別な矢――蓬矢をつがえる。
「こいつはちと痛いぞ?」
ずん、と泉の神が身を震わせた。
「……面白い、面白いぞ、人間ども」
泉の神は、自分の肉ごと銛を掴み、ぶちぶちぶち、と嫌な音を立てて引き抜いた。
「う、うそだろ……」「返しごと……!」
肉が裂け、赤い血が噴き出したが、神は笑っていた。
「痛い、痛いぞ。だがなぁ――」
ずるり。
泉から、這い上がってくる。
四つん這い……いや、六本腕の、異形。
泉の縁を越えた瞬間、その巨体は冒険者たちを遥か高みから見下ろしていた。
「陸に上げれば勝てると思うたか?」
腕が薙ぎ払われた。
「うわっ!」「ぐあっ!」
冒険者たちが木の葉のように吹き飛び、鎧が割れ、銛が折れて地面に転がった。
「もう駄目だぁ……」「おしまいだぁ……」
そのとき――
前へ出た影があった。
レオンだ。
魔神剣ツクヨグラムを携えて、泉の神と向き合う。
「この期に及んで、小僧っ子が相手か!」
泉の神はそう言って舌なめずりをした。
「喰ってやろうか。骨まで溶かしてやろうか。ギョギョギョ……」
レオンは剣を抜く。
青い地金に赤い筋が走り、まるで剣が呼吸するように脈打っている。
レオンが駆け出した。
「ギョギョギョギョ! よい! 来い!」
泉の神が大口を開ける。
飲み込む気だ。
レオンは、跳ぶ。
驚異的な跳躍で、神に挑む。
だが、届かない。
家元が横から扇子を開いた。
「追い風どすえ!」
ひと仰ぎ。
風がレオンの背を押す。
身体がもう一段、浮く。
「――ッ!」
レオンは空中で体勢を変え、神の上段から剣を突き下ろした。
魔神剣ツクヨグラムが泉の神の額へ吸い込まれ――ツプッ。
「ギョ……」
神の動きが、止まった。
六本の腕が宙で固まり、次いで糸が切れたように落ちた。
巨体が、ゆっくりと傾き――
ドォン、と地面を揺らして倒れた。
誰かが、恐る恐る息を吸う。
「……終わった?」
「やったのか?」
レオンが剣を引き抜く。
奇妙なことに、剣はあり得ないほど伸びており、千々に乱れた剣先は、まるで髪の毛の束のように見えた。
レオンは扱いにくすぎる剣になってしまい、どうしよう……と途方に暮れた。だが、それも次第に元の姿へ戻っていった。
全員が、すう、と息を吸った。
「――うおおおおおおおお!!」「勝ったぞおおお!」「悪神を殺したぞおおおおお!!」
歓喜が爆発した。
地面を打ち鳴らし、抱き合い、泣き笑いする。
ギルドマスターは膝から崩れ落ち、顔をぐしゃぐしゃにして叫んだ。
「これで破産せずに済む!!」
「そこかよ!」
誰かがツッコミ、笑いが起きる。泣き笑いだ。
――こうして、十年続いた災厄は終わった。
◯
神の死から数日後、冒険者ギルドの扉が壊れんばかりの勢いで蹴破られた。
「どういうことだ、ギルドマスター!」
血相を変えて飛び込んできたのは、泉の村の村長だった。
「泉が、泉が完全に干上がってしまった! 神を殺した報いだ! このままでは今年の収穫どころか、来年の種まきもできん。どう責任を取ってくれるんだ!」
ギルドマスターは受付のカウンターにどっしりと腰を下ろしたまま、耳の穴を小指で掃除してふうと吹き飛ばした。
「何のことだ? 俺たちは『泉の神を鎮めてくれ』というあんたの依頼を完璧にこなしただけだぜ」
「殺せとは言ってない!」
「いいか村長。契約書をよく読みな。『何をすれば鎮められるのか分かる方』と書いてある。俺たちの出した結論は『死ねば静かになる』だ。契約は完璧に履行された。文句があるなら、神でも王でも連れてきな」
ギルドマスターの一点張りに、村長は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「屁理屈を抜かすな! そもそもあの方はこの地の守り神……」
「――おいおい、そんなに熱くなるなよ、村長さん」
不意に横から声がした。
悪童だ。
彼は大きな木のトレイに、見たこともないほど分厚く巨大な『切り身』を山盛りにして運んできた。
切り身はこんがりと焼かれ、暴力的なまでの脂の香りを撒き散らしている。
「これ、泉の神の焼き魚だ。あんたも食うか? 生き締めになってるからまだ新鮮だぞ」
悪童は爽やかな笑顔で一切れを村長の鼻先に突き出した。
「な、ななな……神を、食っているのか!? 正気かお前たちは!」
村長が戦慄して周囲を見回すと、そこには異様な光景が広がっていた。
三十人の冒険者たち全員が、無言で一心不乱に「神」をくっちゃくっちゃと咀嚼していた。
そして、その全員の目が、ゆっくりと村長に向けられた。
それは、敬意を払うべき「お客様」を見る目ではなく、もしこれ以上騒ぐなら次はお前をこの皿に乗せてやろうかという、極めて剣呑で酷薄な目だった。
「ひえっ……」
村長は後ずさりした。
「か……勝手にしろ! 野蛮人どもめ!」
精一杯の負け惜しみを捨て台詞に、村長は逃げるようにギルドを飛び出していった。
バタンと扉が閉まる。
ギルド内に、ドッと下品な笑い声が響き渡った。
そして、神を食らう宴は夜更けまで続いた。
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早朝、ギルドの前にレオンが立っていた。
「行くのか?」
と悪童が声をかけた。礼法家と家元もいた。
「はい。あなたたちも?」
「いや、どうすっかな。このまま冒険者になってもいいかと思ってる」
「私はお断りだ」と礼法家。
「たまにならええかな。ストレス解消になりますわ」と家元。
レオンはニコリと笑って言う。
「じゃあ、皆さん俺の後輩ですね。次から呼ぶ時は『さん』をつけてくださいよ」
「そういう礼儀には厳しいんだな」と悪童。
「よお、レオンさんよ、どうして旅立つんだ? このギルドならお前は勇者扱いだし、実際そうだ。何か不満でもあるのか?」
レオンは少し考えてから、
「このギルドの人たちってがさつでしょう? もう少し教養のあるギルドが、僕の理想です」と答えた。
「は?」
レオンは次の町を目指し、朝焼けの中を旅立っていった。




