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38 ケンカしない 前

 屋上へ続く階段を登りきると同時に、オレの視界に飛び込んできたのは地平線近くまで下がった月だった。

 

 月は、赤い。


 月の光は地平線に近くなると厚い大気の中を通ることになるため、赤く見えるのだとか。

 朝焼けや夕焼けと同じだ。


 科学的に証明されている現象なのに、オレは赤い月に不気味なものを感じてしまう。

 これはお前の姿だ。お前はいつだって血塗れだ。……と、何者かに突き付けられている様に思えてしまう。


 ダム湖から吹く風が吹く。

 視界の端で、赤く汚れた前髪が揺れる。


 普段は嫌になるくらい白いのに、今は怪物たちの血で汚れて赤い……。


 「…………」


 屋上に出れば、そこはすぐにヘリポートだ。

 申し訳程度に落下防止の柵があるだけで、それ以外は何もない。

 ヘリコプターが侵入しやすいように、引っ掛かるような物は存在していない。貯水タンクなども、一段低い場所に設置されているくらいだ。


 大きく丸にHの字が書かれているヘリポート。

 その中心に肉塊が転がり、周囲の床に血が広がっていた。


 赤い染みが、月明かりを反射して輝いている。


 「…………雇い主を自分で殺したのかよ」


 その肉塊は、ホテルオーナーだった。

 無残にも引き裂かれ、手足が引き千切られている。ピクリとも動く気配はなく、医療の知識の人間でなくても、それがもうただの死体だと分かる状態だ。

 子悪党に相応しい死に様だと、オレはそれを何の感慨も抱かずに見つめた。


 「呼び出しに答えて来てやったぞ。いい加減、鬼ごっこは飽きた。姿を現せよ」


 オレはどこにいるかも分からない相手に呼びかけた。

 叫んだりはしない。

 あいつなら、叫ばなくとも聞こえるだろうから。


 オレはゆっくりと、ヘリポートへと向かって歩み出す。

 ダム湖から吹く風が、またオレの髪を揺らした。


 風がダム湖の水の匂いと周囲の山々の、木々の香りを運んでくる。

 それに違和感はない。


 「なるほど……とっ!」


 オレが呟きと共に片腕を薙ぎ払うと、そこに重い衝撃が走った。

 襲ってきた何かを、オレは叩き落としていた。


 風に匂いが混ざらないってことは風下にいるってことだ。

 それにここは見通しの良いヘリポートだ。階段を登り切った時点で死角になる方向に潜むしかないだろう。

 この二つから、襲ってくる方向の予測は簡単だった。


 姿を隠して襲うなんて、キザ長谷川らしくなくね?

 ヘリポートに堂々と立ってると思ったんだがな。

 月を背後にキザったらしくオレを出迎えると思ってたのに。


 その疑問は、衝撃を感じた方向に目を向けた瞬間に解消された。


 「…………やっぱりな。あんたも、怪物になったのか」


 月明かりが()()の姿を照らし出した。


 四本の足でしっかりと立つ獣。

 その身体はライオンそっくりだ。


 サソリの様な尾が風に抵抗するようにうねっている。


 そして、見事な黄金色の(たてがみ)の中心にあるのは…………人間の……キザ長谷川の顔だ。


 マンティコア。

 たしか、ゲームなんかでよく見かける、インドかどこかの怪物だ。


 ぐおん、と、マンティコアとなった長谷川は吠えた。


 その目は金色に輝いて、恨みがましい目でオレを睨みつけていた。


 「怪物ではない。神の獣だ!私は、黙示録の獣!地上を支配する者だ!!」


 ああ、怪物になってイッちゃったのか。

 可愛そうに。


 「『わたしが見たこの獣は豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた』。まさに、今の私だ!!」


 聖書の引用とか、恥ずかしいからやめてくれ。

 アメリカのホラードラマかよ。


 それに引用した獣の特徴と、あんたの今の姿に当て嵌まる要素あるか?

 豹じゃなくてライオンだろ?足もライオンだろ?口は人間だろ?


 インテリ風味の長谷川ならマンティコアくらい知ってるよな?オレでも知ってたくらいだ。

 聖書の引用をさらっとするくらいなんだから、そういう知識も豊富だろう。


 それでも黙示録の獣だと言い張るのは、きっと自己欺瞞だな。

 

 たぶん、怪物になった直後に自分の姿を鏡か何かで見たんだろう。

 不幸だったのは、人面の獣のなって人間だった時の意識と記憶が残ってしまった事なんだろう。

 他の怪物たちは自我なんか無くて、むしろ怪物そのものだったのに、本当に不運だ。


 それで自分の姿を見た長谷川は自分がマンティコアなんて、ただただ人間を食らうだけの災害の様な怪物になってしまったことが許せなかったんだと思う。

 だから、自分を黙示録の獣だと思い込むことで、特別な存在だと信じることで、精神の平静を計ろうとした。


 「私が地上のは王となるためには、白石虎児くん!君を殺さないといけない!殺さないといけないんだ!!」


 マンティコア長谷川は、だらだらと口から涎を垂らしながら叫んだ。

 くそ、中途半端に洗脳されてやがる。

 

 老人がこのホテル内で怪物にした連中は、オレに襲い掛かってきた。オレを殺す命令を受けていた。


 長谷川もまた、自我があってもその命令を聞いている。


 しかし……。


 「なんで、老人を殺した?」


 オレは問いかける。

 オーナーはまだ分かる。こいつらを洗脳した老人の敵だ。殺すべき相手だ。

 無残に嬲り殺しても当然だろう。


 だけど、洗脳し、命令を下した相手である老人はむしろ守るべき立場じゃないのか?


 「……地上の王となるために、私は神を殺さないといけなかった!!『この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。そこで彼はその口を開いて、神に対する汚しごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった』。黙示録の獣は、神を汚し、敵対するものだ!!」

 「なるほど」


 洗脳して命令を与えていた老人=神だという思考なのか。

 それで、自分を神と敵対する黙示録の獣だと信じ切った似非インテリの長谷川くんは、自分の思い込みから神殺しを決行したわけだ。


 深い洗脳と、執拗な思い込みによる悲劇ってか。

 激しい自己中は怖いな。


 まあ、理由が分かってスッキリした。


 「それじゃ、やるか?」


 オレは、恨みのこもった金色の瞳を向けてくるマンティコア長谷川に笑いかけた。

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