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24 音楽を聞くときは静かにしよう 前

 オレは湯からは上がり、露天風呂の脇に置かれた長椅子に突っ伏していた。


 さすがに今日は血を流し過ぎた。

 肩と足首の肉を抉られ、今度は舌を噛み切られたんだもんな。


 夜に差し掛かった今の時間帯なら昼間より少しは回復しやすいが、それでもまともな状態に復活するには時間がかかるだろう。

 せめて数日後だったら、こんな状態にならないのに。


 この後、何が起こるのかはわからないが、襲撃なんて言ってたんだからロクなもんじゃないだろう。

 少しでも休んで動ける状態になる必要がある。


 麻衣子さんの死体は湯の中から引き揚げ、丁寧に洗って寝かせてある。

 床に直接で悪いけど、他に寝かせる場所が無い。

 長椅子はオレが突っ伏す予定だったしな。

 悪いがオレ自身を優先させてもらう。オレが床で寝ようかと思ったが、それだと即座に動ける自信が無かった。


 「らりゅ……」


 声を出してみるが、まったく言葉にならない。

 舌って、粘膜になるのか?皮膚や筋肉よりは直りが早そうなイメージがあるからその内に治るだろう。


 「ふしゅ」


 舌打ちしたつもりだったが、空気が漏れたような音しか出なかった。

 嫌な空気を感じたのだ。


 こりゃ、わずかな時間……ほんのちょっと身体を休める時間すらオレに与えないつもりだな。

 麻衣子さんがオレを殺し損ねたと察して動いたのか?


 まったく、オレに取引を持ち掛けておいて、その結果が分かる前に殺しにかかるとか質が悪すぎるな。

 ……いや、麻衣子さんがオレの舌を噛み切ったのはイレギュラーな行動だったのか?


 もし、オレと取引することを決める前に、麻衣子さんにオレの舌を噛み切って殺せと命令していたのなら。

 そして、取引前にその命令を取り消すのを忘れていたのなら。

 今の様な不自然な状況になっているかもしれない。


 普通の神経をしてたら、オレが敵側と判明した麻衣子さんとキスするなんて思わないもんな。命令取り消しの必要すらないと思ってた可能性も高そう。

 意外と敵にとっても予定外な状況かもな。


 足音が聞こえてくる。

 遠くても分かる、ドスドスという重い生き物が動く音。こいつが感じた嫌な空気の原因か。


 音からして二足歩行だろうか?また猿系か?

 やつらどうやって監視しているんだろう?風呂を覗くのはマナー違反だぞ。


 オレはゆっくりと身体を起こす。

 ダルい。動きたくない。


 油断しまくってバカをやらかして出血しまくって力が激減か。

 毎度のことながら自分のバカさ加減には反吐が出るな。原因は自覚しまくってるが、こればっかりはなかなか直せそうにない。性分なんだろう。


 なんとか長椅子に腰掛けたところで、露天風呂の周囲の生け垣の一部が轟音と共に吹っ飛び、足音の主が現れた。


 鬼ね……。


 絵具で塗ったような赤い巨体に、二本の角。威嚇するように開かれた口には、鋭い牙が並んでいる。

 人間にありえないほどデカい。身長は三メートルはあるんじゃないだろうか?

 しかも、筋肉の塊だ。

 全身の隅々まで瘤のような筋肉が山盛りに盛られていて、ボディビルダーも真っ青になって逃げだしそうなほどだった。


 誰が見ても間違いようのない、立派な赤鬼だ。


 唯一イメージと違うのはの虎縞模様のパンツを履いてないことだろうか?

 あれ?鬼が履いてるのはフンドシだっけ?腰蓑だっけ?

 とにかく、赤鬼は一糸まとわぬ全裸だ。

 まあ、この巨体じゃ特注しないと着れる服はないよな。

 あ、棍棒も持ってないな。


 赤鬼は生け垣をふっ飛ばす勢いで現れたクセして、立ち止まってオレを睨む。

 オレの間合いに入らない位置で、オレの実力を計っているようだ。


 今までの連中より外見が人間に近いだけあって、知能も高いんだろうか?


 「ひょう!」


 「よう!」と挨拶してやったつもりだが、間の抜けた感じになった。知能が高いのなら、会話できるかと思ったんだが、オレの方が会話できねーわ。


 赤鬼が傍らの低木に手を掛ける。

 すると、冗談のようにすんなりと低木は地面から引き抜かれた。


 植え替えしたばかりで根がちゃんと張ってなかったんだよな?あっさり引き抜けすぎだろ?


 「ひゅあ!?」


 オレが驚いていると、赤鬼は引き抜いた低木を投げ付けてきた。

 道具を使うってことは、確かに知能は高いらしい。


 オレが横に飛び退いて避けると、低木は座っていた長椅子に当たって破片と土を飛び散らせた。


 ……最悪だ。

 オレは赤鬼が低木を投げた時にあることに気付いた。


 投げようとして振りかぶった時にちらりと見えた背中に、水門破りの刺青を見てしまった。


 顔が全然違うじゃねーかよ。

 ホント、最悪だ。

 こんな形で利用するとか、ホント、敵は卑怯すぎる。


 ダメだな、自分自身の血の臭いで分からなかった。

 意識して周囲の臭いを嗅ぐと、間違いなく谷口の臭いだ。


 この赤鬼は、谷口で間違いない。

 

 「ひゃにくち……」


 クソ!怪物にされても知能が高いなら、ひょっとしたら、谷口の意識も残ってるかもしれないのに!

 オレ自身がまともに会話ができない。

 谷口の意識があるかの確認すらできねーじゃねーか!


 ホント、オレはバカだ。

 油断して舌を噛み切られて、大事な場面で何もできない。


 ……人間を怪物に変える技術。

 これは不可逆なんだろうか?もし元に戻せるなら?オレは谷口を殺すことはできない。


 麻衣子さんに施された自殺を覚悟無しにさせられる洗脳といい、敵の技術は謎が多すぎる。

 この二つの技術は関係があるんだろうか?

 怪物に変える技術の副産物が強力な洗脳?いや、逆か……。


 人間の心と肉体の関係はかなり堅固なものだ。


 肉体が精神に与える影響は誰でも感じたことがあるだろう。病気になれば弱気になるもんだ。


 だとすれば、その逆は?


 心が病めば肉体も弱り病気への抵抗力が減る。精神的に強いショックを受ければ、外傷が無くても肉体まで死ぬ。ショック死というやつだな。

 強い精神力で肉体を支配すれば、肉体は常識以上の力を発する。


 もし強力な洗脳で心を完全に支配してしまえれば。


 心が自分自身を獣と……怪物と信じ込んだ時、肉体にはどんな変化が現れるんだろう?


 ごう!


 赤鬼が吠えた。

 その瞳に宿っているのは怒り。

 オレを殺そうとしている。


 その怒りの表情は、谷口らしくない。

 鬼……本当にらしくない。いや、赤鬼は泣くのか。友人の青鬼に気遣われ、その気遣いに泣く。

 ああ、谷口らしいかもしれない。


 オレは赤鬼を見つめた。


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