第伍話「委員長」(後)
そして話は彼のことに移った。
「薄島コウダイという男の最期を話しましょうか」
顔も覚えていないクラスメイト。
ひどい話よね。
「彼は教室に立て籠もり、扉のところにある小さな小窓から外を覗いてしまったわ。擦りガラスなら良かったかもしれないけど、現実はそうじゃなかった」
「……次は教室に現れてしまう」
「その通りですわ。逃げ場はない。でも彼は諦めなかった。椅子を武器に立ち向かった。最期の最期まで必死に生きたと、私は思っている。自分の為にね。アユミにしてもそう。貴女を助けたかったわけじゃない、あの子はあの子なりに、自分の為に生きただけですわ。全力で」
けれど、その全力に乗っかって私は生きたのだ。
何も知らず。
恩恵だけを受けて。
「決して貴女をウジウジさせる為に、生きたのではないわ!」
言葉が胸にすっと刺さる。
委員長に顔をあげるように言われて、私は素直にそれに従った。
また平手打ちが飛んでくると思ったけれど、そうじゃなかった。
「柳田さんが悪いわけじゃない」
力強く、抱きしめられた。
温かかった。
「みんな自分の思うがままに生きただけ。それは貴女も同じでしょう。死にたいなど“教室”でも“夢の世界”でも思いはしなかったでしょう。ましてや、誰かを犠牲にしてでも生きたいなどとも」
「……うん」
「だったら、前を向きなさい。勝手に責など負わないで。あの娘だって、そのために生かしたわけではないはずよ」
「……ありがとう、委員長」
ほんの少しだけ暗雲が晴れたような気になった。
まるで自分は悪くないと開き直ることは無理だけれど、やっぱり私が巻き込んでしまったことには変わりがないと思うから、でも彼女たちへの感謝の気持ちこそが、胸の中で多くを占めている。
もちろん、委員長に対しても。
だからウジウジはしない、もう。
「でも委員長て、人を慰めるの下手なのね。ほっぺ、痛いわ、すごく」
ぶたれた直後はそうでもなかったが、後からジンジンと響くような痛みがやってきた。
「それは、まぁ、悪かったと思います」
抱擁を解いて彼女は小さく頭をさげる。
「さて、これで訊きたいことは全部かしら?」
「もう一つだけ、いいかしら?」
まだ大事な質問をしていない。
「“開かずの教室”にいる、あれは何なの?」
髪だけお化けのようなアイツ、この学校の裏の世界で中心に陣取るアイツは、いったいナニモノなのか。
委員長の顔がたちまち険しいものとなる。
もしかしたら、答えられないようなことなのかもしれない。
そう思って諦めの心が現れたが、彼女はもう一度椅子に座りなおして私の目をじっと見つめた。
「これから話すことは、貴女には関係のないことだと、私は思うわ。貴女が知るべきことは、もう全てだと思う」
「そんなことないわ。アイツがこの一連の出来事の元凶なのでしょう?」
委員長は頷き、
「……ええ、他の怪異も全て、あそこから始まった」
と、どこか物悲しそうに答えた。
「だったら、聞かない道はありえないわ」
真っ直ぐに見つめ返すと、委員長はふっと視線を外してから、これみよがしに大きな溜息を吐く。
それは先ほどの馬鹿にするようなものではなく、諦観であるように思えた。
そこに私はなんだか嫌なものを感じ取った。
「あ、でも、もしもそれで貴女が消えてしまうようなことがあるのなら、聞きたくない。絶対に」
「いえ、それは大丈夫ですわ。私は絶対にそういう真似はしません。卒業するつもりですよ、あのクラスで」
「本当に?」
「ええ。卒業式は正直飽きましたけど。修学旅行にだって行きますわ」
「……行けるの?」
いわゆる地縛霊のようなもので、彼女は学校から離れることは出来ないものだと思っていた。
そういえばカラオケには何度か行ったことがあるけど、でもあれはそんなに遠くはないから。
「クラス委員長不在の修学旅行なんて無理でしょう? 誰がまとめるんですか?」
「それは、確かにそうだけど」
私の中の幽霊観とでも言うようなものが揺り動かされて、いまいちさっぱりしない気持ちがある一方で、彼女とちゃんと高校生活最後の思い出を作れることがわかって嬉しくもなった。
委員長が「さて」と言って話を戻す。
なんとなく背筋を伸ばして、私は居住まいを正した。
気持ち、鼓動が早まった気がする。
「簡潔に言うならば」
彼女は少しだけ迷う素振りを見せてから、
「座敷童ですわ」
と言った。
思ってもみなかった答えに、私の口から素っ頓狂な声が漏れた。
だって座敷童といったら、おかっぱ頭の小さな女の子と相場は決まっている。
あの髪だけお化けがそうなどとは、到底信じられることではない。
しかも、座敷童は幸福を司る存在として有名だ。
余計に信じられない。
ありえない。
そう顔に書いてあったのだろう。
彼女は「気持ちはわかるわ」と前置きしてから「でも本当のことよ」と続けた。
けれども、あまりのギャップに受け入れられそうになかった。
「座敷童と言ってもね、所詮は怪異なのよ」
「それは、そうかもしれないけど……」
「それに座敷童が家を出ると、どうなるかは知ってる?」
「……没落する」
私の答えに満足そうに微笑む。
「そう。それも大抵の場合は、プラスだったものがゼロになるどころか、マイナスになる。例えば食中毒で、一家全滅したりですわね。まるで幸福の高利貸ね。座敷童は幸福を与えもするけれど、容易く奪いもするんですわ」
「でもなんで、そんなものが学校に?」
「それは勿論、学校の繁栄の為に創設者が連れてきたのよ。どこからかは、わからないけど。おかげで、少子化など様々な要因はあるけれど、生徒数が全盛期の半分も減ったところで、経営には何ら問題はない。異常なことですわ」
呆れたと言いたげな顔をしていた。
私もそんな気分だ。
「アレがいる限り、生徒がいなくなっても学校だけはあり続けるかもしれないわね」
そう言って委員長は溜息を吐く。
「でも、なんで人を襲うの?」
「座敷童は幸福を奪うと言ったでしょう」
「それは家を出た時の話じゃない」
「では何故、座敷童は家を出ると思います?」
私は言葉につまった。
そこまでのことは、知らないし考えたこともないからだ。
私は左眼こそ怪奇だが、魑魅魍魎の類に興味はさほどなかった。
人並み程度の知識しかない。
経験は人並み以上にあるけれど、視ているだけでは充分な知識は宿らないのだ。
「座敷童の出る旅館とかありますわね」
「ええ。テレビで見たことある。そこに泊まった人の中には、総理大臣になった人もいるとか。人形とか玩具とかで溢れた部屋だったわ」
あの部屋で寝るのは落ち着かないだろうなぁと、見てて思ったものだ。
座敷童以外にも何かいそうな感じだったし。
「そう! そこなんですわ」
急に委員長が大きな声を出して、私はびっくりしてしまった。
「な、なにが?」
「人形とか玩具ですわ。つまりお供え物が必要なんです、座敷童を定住させるには」
なるほど。
言われてみれば、それを怠って出ていかれた人の話を聞いたこともある。
「でもそれが、人を襲うのと関係あるの?」
「大ありですわよ! お供え物はない、でも出ていくことも出来ない。誰も自分のことを崇めもしない、そもそも居ることを認識されていない。なのに、居るからには学校を維持させなければならない。そういうものだから。独り深い闇の中で、ずっと、何十年も。やがてお腹も空いてきて……」
段々と声のトーンがさがっていく。
委員長は意外なことに、アレに少なからず同情心を抱いているようだった。
自分をこんな目に合わせた存在を。
「……まともだった時期もあるんですわ」
ぽつりと呟いた、その言葉の意味が私にはわかりかねた。
「どういう意味?」
聞き返すと彼女はとても困った顔をする。
そのまま少しの時間が流れて、彼女は私から視線を外して口を開いた。
「私は最初の犠牲者ですわ」
「……うん」
「そして唯一、あの子がまともだった時を知っている」
「あの子って……あの、座敷童?」
アイツ、アレ、髪だけお化け、色々な呼称が頭をよぎり、結局その呼び名を選んだのは、委員長があまりにも悲しそうな顔をしていたからだ。
鉄面皮が剥がれ落ちたような印象を抱いた。
委員長がこくりと頷く。
「言いましたわよね。犠牲者は多かれ少なかれ、いえ少なすぎる者は弾かれますが、霊力を有していると。アユミもそうだし、薄島くんもそうだし、私もそうですわ」
だから私とあの子は友達だったんです。
委員長は確かにそう言った。
「友達?」
あの髪だけお化けと?
にわかには、信じがたいことだったけれど、思えば今日はそんなことばかりだ。
「私はそういう子だったんです、幽霊とか妖怪と友達になるような、無警戒な子」
彼女は自虐気味にそう語った。
「柳田さんとは、正反対ですわね」
とも。
「昔のあの子は、本当に普通の女の子の姿だったんです、同い年ぐらいの。けど今思えば、その頃にはもう、やつれている風だったかもしれません。髪はとても長くて床につくほどで」
委員長はそっと瞳を閉じて、その昔に思いを馳せているようだった。
「でも朗らかで、可愛くて……私たちはすぐに友達になりましたわ、人には言えない友達でしたけど。昔はあの子も、学校内ならどこにでもいけたんです。だから放課後に人目につかないように、ふらふらしてみたり」
それは余程楽しい思い出だったのか、彼女は微かに頬をゆるめる。
「でも、その頃にはもう、彼女は苦痛に感じていたんですわ、ここでの生活が。創設以来から人を食べてたなんて言いましたけど、本当はもう少し後からなんです」
「それから、どうなったの?」
「卒業式の日でしたわ、私の。もう滅多に会えなくなるから、あそこに、今の“教室”で最後に会おうと約束していて……!」
そこまで言うと彼女は言葉をつまらせ、はらはらと涙を流し始めた。
私は咄嗟にハンカチを差し出した。
委員長は小さく「ありがとう」と言って、それで軽く涙を拭った。
「それで……、私は最初の犠牲者になったんですわ。彼女は既に狂ってしまっていた」
私はかけるべき言葉が何も見つからず、彼女の頭をそって撫でてあげることしか出来なかった。
けれどもすぐに「お気になさらずに」といつものトーンで返しながら、その手を退けられた。
「今はつい感情が昂ぶってしまいましたけど、もうずっと昔のことですわ。気にしてません」
嘘だ。
この子はずっと思い続けているのだろう。
「ただ……、一つだけ後悔を吐くならば」
「うん」
「最後の年に、もっとあの子をかまってあげればよかった。受験だなんだと言って……」
それはまるで「全て自分の責任だ」と告解しているように、私には聞こえたのだった。
ずるいと思った。
委員長はそれからすぐに、いつものように冷静な、年不相応な表情へと戻って、
「これでお終いですわ。少なくとも、貴女が卒業するまでは安全だから、安心なさい」
私を教室から閉め出した。
「非日常の時間はもう終わり。貴女は、貴女のやるべきことをやるのですわ。学生の本分を」
その顔の下に本当は何を秘めているのか、その片鱗を垣間見た私にとってそれは空虚な仮面でしかなかった。
私は一人で家路を歩く。
その道すがら、一つのことだけを考えていた。
私は何をすべきなのか。
何がしたいか。
ただそれだけを考えていた。
-とっぴんぱらりのぷう-




