第伍話「委員長」(前)
私は彼女に問わなくてはならない。
「ツイてるわね」
あの言葉の意味を。
ただ普通に聞いてみても、はぐらかされるだけだと思った。
どうしたら良いだろう。
頭を悩ませた。
しかし考えども、考えども……名案が浮かぶことはなかったので、ひとまずは真っ向から問い詰めてやることに決めた。
それが本当にダメだったら、また考え直せばいいだけだ。
私は委員長に呼び出されて、四階の空き教室へとやって来た。
鍵は開いていた。
既に放課後となってから一時間は経っている。
みな部活や帰路に着いていて、校舎内に残っているのはほんの僅かな暇人だけだ。
私は部活もやっていないので、図書室で暇を潰した。
しかし、当の本人はまだ来ていないみたいだ。
ドアが開いていたから、もういると思ったのだけれど。
どれほどの間使われていないのか、机と椅子にはうっすらと埃が被っている。
私はティッシュを数枚取り出して、さっと椅子の上を拭ってから、そこに腰かけた。
私の方から呼び出そうと思っていた矢先のことである。
彼女から一通のメールが届いた。
そこには「知る限りのことを教える」という旨が書かれていた。
何についてかは、聞き返す必要はないでしょう。
正直に言って、拍子抜けした。
こちらが、どうやって聞き出してやろうかと頭を悩ませているというのに……結局は愚直に訊くつもりだったけれども、出鼻を挫かれるような思いだ。
さて、まずは何から聞いてやろうかしら。
先に少し考えなければならない。
間近なものでは、やはりあの言葉。
それから夢の中の手紙について。
間遠なものでは“開かずの教室”についてだろうか。
どちらも聞いておきたい事柄だ。
特に、一連の出来事の中心にあるのは“教室”だと思うのだ。
私があそこから脱出してから、何かがおかしくなり始めたような気がしてならない。
タイミング的には、そうでしょう。
委員長はこれらに、どのような形で関わっているのだろうか。
もしも、全ての元凶、黒幕であったならば……あれ、私、今ピンチなんじゃない?
いやいやいや、まさか。
かぶりを振って、疑念を追い出す。
だって彼女は友達だ。
そういう娘ではないと信じてる。
もう一つ疑問がある。
彼女の語ることを、私はどの程度信じられるだろうか。
全てまるごと飲み込めるだろうか。
いくら友達でも、それはそれ、これはこれだ。
それからしばらくして、五分くらい後だった、ようやく委員長が姿を現した。
「あら、もう来ていらしたの」
「もうも何も、言われた通りの時間よ」
「そうですわね、遅れてすみません」
「そんなに待ってないからいいわ」
委員長は机に対して横向きに座っていた私と、向い合せになる様にして座った。
「あっ」
とスカートが汚れると思って声が出てしまったけど、彼女は気にしなかった。
「まず、そうね……何から話しましょうか」
「えーっと」
私は少しだけ悩んだ。
「じゃあ、こないだの私がツイてるって、どういう意味?」
「言葉通りの意味ですわ。あそこから生還できるとは、思ってもみませんでした」
彼女は淀みなく、そう答えた。
包み隠す気配はない。
本当に全てに答えてくれそうな、そんな雰囲気がある。
「あそこって、あの夢のこと?」
「いえ、あそこまで追い詰められてほぼ喰われかけていたにも関わらず、の略です」
そんなにも危機的状況……だったわよね、確かに。
「あの夢から逃げるのは比較的容易いことですわ。捕まらなければいいんですもの」
「私は二回も捕まったんだけれど?」
委員長がくすりと笑う。
「そして二度帰ってきた。とは言え一回目は、そう危機ではありませんでしたわ、アレを見ない限り捕まっても逃げ切れましたわ。けれど二回目は、運よく他人が先に喰われてくれました」
「今、なんて……?」
私より先に、アレに捕まった人がいたから助かったと?
「身代わりになったわけではないのですから、そうお気になさらずに」
どうやら彼女とのことも知っているようね。
私を助け、代わりに消えていった彼女を。
「誰かが捕まらなければ、あの悪夢は終わりません。明日明後日と見続けて、疲れ切ったところを捕えられていたことでしょう。二日で済んだのは、彼の蛮勇が過ぎたせいですわね。でなければ、貴女の軽率さのおかげになっていたと思いますわ」
「……誰なの? 私の知っている人?」
「いいえ、知りませんわ」
その言葉に私は内心ほっとしてしまった。
見知る誰かでなくてよかった、と。
酷い人間だ。
「メモは委員長が?」
「ええ。貴女の役には立たなかったようですけど、他の方々は結構役立ててくれましたわ」
「どうして手助けを?」
彼女のことは、悪いかもしれないけれど、無差別に人を助けるタイプではないと私は思っている。
助けを求められたら無碍にはしないだろうけれど、今回はそうではないし。
今まで無表情を貫き通していた彼女の瞳に、ほんの一瞬だけど、憂いを過ったように見えた。
「見たらダメなのは、ただ増えるからという理由だけではありませんわ。見た上で捕まったならば、決して逃れられない。ルールのようなものです。貴女のような奇跡が起きない限りは。もしもあのメモがなければ、みな見てしまうでしょう。それは少々、不平等な話だとは思いませんか? ルールも知らされずに、ゲームに負けてしまうなんて」
それは本心のようにも聞こえたし、一方でまだ少しだけ本音ではないようにも聞こえた。
「あの夢は結局なんだったの?」
「言うなれば、この学校の裏の顔ですわ」
「裏の顔……」
小さく反復すると、委員長がこくりと頷いた。
「滅多に現れませんが。霊力とでも言えばいいでしょうか、それを持つ者に印をつけて夢に引き込む。そしてその内一人でも食べてしまえば、満足して消えてしまう」
「あの転んだ日が、その印をつけられた日よね」
足首につけられた跡だ。
いやしかしと、少し考え直す。
「でもケイコは、夢を見てないと言ってたわ」
「印はあくまで候補ですもの。霊力はあるけど弱過ぎたり、例えば強い力を持つものが傍にいた場合は間違えることもあるでしょうね」
そう言って、思わせぶりな目配せをしてくる。
確かあの時は、私が傍にいたはずだ。
「まぁお気になさらずに。結局彼女は無能力者、恐ろしい夢を見ずに済んだのですから」
「ツイてたわね……」
苦虫を噛み潰したような気持ちが胸に広がった。
自分だけでなく、他人にまで迷惑をかけるか、この眼は。
本当に忌々しいこと。
「あの夢もそうだけど、どこか最近の学校は変だったわ。それは?」
「それもまた裏の顔。裏と表の境界が曖昧となったのは……察しはついているんでしょう?」
「あの“教室”よね」
「その通りですわ」
やっぱり。
本当は、まるで無関係ならいいなと、そう思っていた。
儚い夢だった。
「……もっと言うなら、私のせいなんでしょう?」
思い切って尋ねると彼女は眉をへの字に曲げて、不愉快そうになった。
「貴女はツイてます」
そしていくらか強い口調になった。
「あの“教室”から逃げられた者は、私の知る限りいません。彼女の気まぐれと、存在を賭した尽力がありましたが、その対象に選ばれる時点で、とてもツイている。後にも先にも二度とはない運命ですわ」
小櫃川アユミ……本当に感謝してもしきれない人だ。
「そして、それが今回のような流れを生んだこともまた事実。贄を食い損ねた“彼女”が手球──ああ貴女が夢で見たものの名前です。私はそう呼んでます──を使ってでも腹を満たそうとするとは、前例がなく、予見できないことでした。もしもあの夢まで、何かしらの理由で失敗していたら、どうなっていたことか……」
「贄?」
「小櫃川アユミから聞いているんでしょう? あの“教室”は人喰いの教室であると。この学校が創設以来からずっとあって、数年に一人のペースで食べているんですよ、生徒を。アユミも、その一人でしたわ。そしていわば食い残しでもありましたわ。たまにやるんです、そういうお行儀の悪いことを」
それは私の脳を揺さぶるには充分すぎるほどの、強力なアッパーカットだった。
確かにアユミさんから犠牲になった人のことは聞いている。
けれど、そうだ、そのような行方不明事件が新聞に載らないはずがない。
その疑問を口にすると、委員長は大きな溜息と冷徹な視線を私に投げかける。
「小櫃川アユミの本名は?」
「え……し、知らないわ」
「どうして?」
「調べても、わからなかったから」
「そうでしょう。もう彼女について知ることは不可能です。食べられるとは、そういうことなのです」
産まれた時からの軌跡を全て、つまり存在を根底なかったことにする。
怪異に食われることは、かくも恐ろしい出来事なのだった。
「ま、待ってよ」
つい声が裏返ってしまう。
「それなら彼女の書いたものが残っているのは? ペンネームだって」
「柳田ナチノ……貴女が記憶しているからですわ。もはや生者で小櫃川アユミを知るのは、貴女だけ。そしてただ一人でも記憶しているから、彼女の存在が、かろうじて残っている」
「そんな……」
そのとき私が思ったのは、もしも自分が死んでしまったら、その唯一の残滓すらも消えてしまうのだろう、ということだった。
それは残酷な事実だ。
瞳を閉じて委員長は静かに深呼吸をする。
「四方木ハジメ、磑森サチコ、八街コウイチ、酒々井カズオ、愛宕ナナコ、糠田ナミエ……」
彼女はまるで独り言のように、誰かの名前を挙げていく。
「神々廻ヒチコ、次木タロウ、登戸コウイチ、八街ユミコ、粟生野マキコ、銚子イチロウ……」
きっともう誰も知らない名前なのだろう。
「八千代クミコ、流山ハジメ、君津トオル、野田カオル……、実籾イチコ、成田アイ」
二度とこの世に認められない人々。
「そして薄島コウダイ。彼が最新の生贄」
もしもこの中に、私の知る人がいたとしても、それを知る術などないのだ。
「彼のこと、覚えてないでしょう? それにすぐ忘れてしまうわ。さっきはあの夢の犠牲者のことを、貴女は知らないと言ったけど、本当は知っていたのよ? クラスメイトだもの」
「クラスメイト!?」
「ええ。でも、そのことだってすぐに忘れる。食べ残しもないわ」
私は先ほどの自分の愚かしさに愕然とした。
何がほっとした、だ。
馬鹿じゃないの!
「……私のせいだ」
クラスメイトだと告げられた今でも、悲しむ気持ちはわいてこない。
そしてそれは私だけではないのだ。
彼の友達も、恋人も、親兄弟、誰一人として彼の喪失を悲しむ者はいない。
死よりも恐ろしい目に合わせたのは私に他ならないのだ。
私が“開かずの教室”に入らなければ、そして助からなければ、その薄島くんが犠牲になることもなかった。
「柳田ナチノ」
委員長の声にはっとして顔をあげた。
途端、強烈な平手打ちが飛んできた。
とても痛かった。
眼帯がズレた。
彼女は立ち上がって、私を見下ろすようにした。
「私はアユミと友達だったわ。死んでからの友達だったけど」
そこでようやく、委員長もまた犠牲者の一人であることに気が付いた。
私は、私以外の誰だって、委員長の名前を知らないのだ。
先生だって出席の時には「委員長」と呼ぶのだ。
その肩書が彼女の食べ残された部分なのだろう。
「……ごめんなさい。私のせいで」
「謝ってほしいわけじゃないですわ。あの子が選んだことですもの、誰のせいでもない」
もう一度、くっきりはっきりと、委員長は繰り返す。
「誰のせいでもない」




