第1話 ゆるゆる生きる
陽の光が差し込むある晴れた日。森の真ん中に佇む小さな小屋。ある少女がドアを叩いている。
「アドリスお兄ちゃんアドリスお兄ちゃん」
少女は何度呼んでも中からは何の答えも返って来なかった。
「まだ寝てるのかな」
少女は首を傾げながらもう一度ドアを叩いてみた。
「アドリスお兄ちゃん。もう昼だよ。起きて」
「うう、なんだリーリか。なんの用だ」
キィ〜と音を立てて木のドアがゆっくりと開いた。ボサボサの髪の少年。アドリスが眠い目をこすりながら小屋から出てきた。
「こんな時間まで寝てたの? もう昼過ぎだよ」
「これでも早起きした方だ」
アドリスは大きくあくびをした。リーリは呆れた目でアドリスを見つめた。
「っつか、なんの用だ」
「父ちゃんがこれお兄ちゃんに渡してくれって」
リーリは紙に包まれた何かを手渡した。アドリスが包装紙を外してみると、中には肉の塊が入っていた。
「うわ、これ肉じゃん」
「この前、仕事手伝ってくれたお礼だって」
手伝ってくれた仕事ってこの前荷運びを手伝ったことか。こんなのわざわざ送らなくてもいいのに。でもありがたいね。
こんな何もない森で住んでいると、肉を食べることは滅多にない。村に行くと肉を買えるけれど、あまりお金も持ってないし、
「ありがとうって伝えて」
久しぶりに肉を食べると思うと、アドリスの口からよだれがだらだら垂れた。
「あと今日暇なら仕事手伝ってもらえるか聞いてみてって言われたの。今日は運ぶのがいっぱいあって手伝って欲しいんだって」
「今日は忙しい」
アドリスは即答した。すると、リーリは疑わしい様相でアドリスを睨んだ。
「ウソ。やることもないのに。ここでゴロゴロする無職でしょ。忙しいフリしないで。手伝ってくれ」
「でも・・・はあ、わかった」
アドリスは深いため息を吐きながら答えた。リーリの言葉が捏造だったら「違う」って言い返せたんだけど、偽り一つのない真実だったので何も言えなかった。
結局アドリスはリーリと一緒に村に向かうことになった。リーリは先を歩くと、アドリスが後をついてトボトボと歩いた。
あいつはしゃいでるな。・・・うさぎっぽい。
リーリは楽しそうに鼻歌まで歌いながら小走りで歩いている。
「お兄ちゃんもううちの店に就職してよ。毎回連れてくるのも疲れる」
「それは嫌だ」
「なんでだよぉ。うちの店で働いたらいいのに」
「たまに手伝いに行くだろ」
リーリの家は果物屋さんだ。今日みたいに果物がたくさん入ってきて一人では運べない日は、アドリスが手伝いに行ったりした。
「毎日来て働いてくれればいいのに」
「俺忙しいぞ」
「特にやることもないじゃん」
アドリスは図星を突かれた。リーリが言った通り特にやっていることはない。家でゴロゴロして眠いと寝て、起きたい時に起きて、たまに散歩に出たりするのが全部ののんびりというとのんびりで怠けるというと怠けるな日常を送っている。
「そんなに時間を無駄にするならいっそうちの店で働くのが生産的だと思うよ」
「生産的・・・難しい言葉を知っているね。偉いぞ」
「話逸らさないで」
リーリは腰に手を当ててアドリスを睨みつけた。はるかに年下の子に叱られると、アドリスはなんか違和感がした。
「あと、いつまで森で住むつもりなの。もう村に来てよ。森は寂しいじゃん」
「結構する。俺はここでゆっくり生きるのがいいんだ」
二年前、自分が転生したとわかったアドリスは決意した。二度目の人生はゆるゆる生きる、と。前世では牽制として毎日忙しかった。毎日生き延びるために戦い、毎日守るために戦っていた。だから、二度目の人生では楽にゆるゆる生きると決めたのだ。
あと、あいつとの約束だったし。
『アドリスわたくしと約束してくれない?』
『何の約束』
『全部終わったらわたくしと一緒にゆるゆる生きる、と。戦いとか使命など全部忘れて普通にゆるゆる生きるの』
『まあいいけど。できると思うか、聖女』
『夢くらい見ていいじゃん』
微笑みながら小指を差し出す彼女の顔が未だに鮮明に覚えている。
たとえ今あいつはいないけど、あいつと約束したから。あいつの分までゆるゆる生きるつもりだ。労働や仕事みたいな面倒くさいこと全部忘れて。
「あいつと一緒ならいいのに」
「今なんて言った?」
「いや、なんでも」
アドリスはどぼけて顔を逸らした。アドリスは転生したことを皆に内緒にしている。 それを言ったらすごく面倒なことになりそうだった。ゆるゆる生きたいのに、転生とか実は剣聖だったのかそんなのバレたらゆるゆるライフが終わってしまうはず。
あと、言ったところで、誰も信じてくれないだろう。
「実はこれが二度目の人生で、前世は三十九代剣聖アドリス・アングリア。魔王を倒したのが俺だ」と言っても誰も信じない。見知らぬ人がそんなこと言ったら、アドリス本人も「なんだこいつ。イカれてんのか」と信じない。だから余計なこと言って人々に変な人だとレッテルを貼られるよりは皆に内緒する方がいいと思って誰にも言わないことにした。
そんなこと思いながら歩くと、いつの間にか森を抜けた。リーリの後について五分ほど歩くと、村が一ついめてきた。テルティア王国の東端に位置する小さな村。シスタ村。アドリスとリーリは村の中に入り、市場の方へ向かった。市場は人で混んでいて足の踏み場もないし、商人の呼び込み声があちこちで聞こえてきた。
うるせえな。
アドリスは少し酔いがした。こんなに人が多いところはあまり好まなかった。村は人が多くてうるさい。けど、森は一人でいられるし静かに生きられる。だから、村で住まず森で住んでいるのだ。
アドリスとリーリは人混みをかき分けて進んだ。しばらくしてリーリの父の店に辿り着いた。
「よお、アドリスいらっしゃい」
店の中でリーリの父、トマシ・ドリナがアドリスを迎えてくれた。トマシはアドリスが転生して初めて出会った人だ。魔獣に囲まれた彼をアドリスが助けてくれた。
「手伝いに来てくれてありがとう。果物をちょっと頼みすぎて困ったところだった」
トマシが頭をかきながら言った。アドリスは店の裏に果物が山のように積まれた荷車がチラッと見えた。
あれを全部運ぶのか。そのために今日肉をくれたんだな。
なんで三週間前のことでお礼をするのか疑問だったのに、あの荷車を見るとすぐ納得した。多分、あの肉は今日のお礼だろう。
アドリスはため息をついた。
「さっさと終わらせよう」
アドリスとトマシは店の裏に回った。店の裏は市場と違って人が少ない。アドリスはトマシと一緒に果物の箱を持ち上げて店の中に運び始めた。
「はあはあ死にそう」
十回くらい往復すると、息が切れてきた。
「元の体だったらあの荷車ことに運べたのに」
アドリスは前世の剣聖だった頃の自分を思い出した。過去剣聖だった頃には、毎日剣を振ったため筋肉質だった。あの時は三〇〇キロが超えるものも余裕に持ち上げた。でも今のこのガリガリの体ではあの果物箱を運ぶだけでも精一杯だった。
「あと三箱か」
アドリスは息切れしながら荷車に残った果物箱を数えてみた。自分が一箱を運んでトマシが残りの二箱を運べば終わりだと思った。アドリスは息を吐いて果物箱に手を伸びた。
「あんたあれ聞いた?」
「なにを」
箱を持ち上げて店に入ろうとした瞬間、子供たちの騒ぎ声が聞こえた。アドリスあh無視して入ろうとしたが、どうしても無視できない単語が一つ耳に入ってきた。
「この村いん聖女様が来られるらしいよ」
「聖女様が?!」
聖女という単語にアドリスの足が止まった。そして、子供たちの声に耳を傾けた。




