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作者への反逆〜転生したので、春の運命を書き換えてみせます〜  作者: 太幽


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第3話「継承と約束」

第3話「継承と約束」


一:出産


それから数日後、幸の陣痛が始まった。


夜明け前、まだ星が残る空の下で、幸の苦しそうな声が家の中に響き始めた。十兵衛は蒼白な顔で部屋の外に立ち尽くし、宗助は何も言えずに囲炉裏の火を見つめている。


椿は、春の記憶と現代の知識を総動員して、出産の準備を整えた。清潔な布を湯で煮て消毒し、部屋をできるだけ暖かく保ち、幸の体を支えるための姿勢を工夫した。


彼女の動きには、一切の無駄がなかった。


湯を運ぶ時、足音ひとつ立てない。布を折りたたむ指先は、まるで新体操のリボンを操る時のように、流れるような正確さで動く。部屋の中を移動する足取りは、暗闇でも物にぶつからない。まるで空間そのものを把握しているかのように。


(この体、まだ九歳なのに……椿としての身体感覚が、確かに生きている)


「春……お前は、本当に……」


幸が、苦しそうな息の合間に微笑む。陣痛の波が引いた、ほんのひとときの隙間だった。


「しゃべらないで。力を溜めて」


椿は、幸の手を握りしめた。その手は、驚くほど冷たく、そして力強かった。死に向かっている人間の手とは思えないほどの、確かな意志がそこにはあった。


(母ちゃんは、生きようとしている。産もうとしている。そのために、すべての力を振り絞っている)


十兵衛と宗助は、部屋の外で祈るように待っていた。宗助の顔は青ざめ、唇を噛みしめている。十兵衛は目を閉じて、ただじっと耐えていた。その手は膝の上で固く握りしめられ、指の関節が白く浮き上がっている。


やがて——。


「オギャア! オギャア!」


元気な産声が、家中に響き渡った。夜明けの静寂を破る、力強い声だった。


「母ちゃん! 産まれたよ! 男の子だ!」


椿が、涙でぐしゃぐしゃになった顔で叫んだ。


幸は、ぐったりとしながらも、確かに微笑んでいた。その腕には、小さな、小さな命が抱かれている。


「光……私の、光……」


幸の声は、かすれていた。でも、その目は、しっかりと我が子を見つめている。


椿は、幸の額の汗を拭いながら、心の中で叫んでいた。


(この人は、もうすぐ死ぬ。手足の先から冷たくなっていくのがわかる。視界が狭まり、私の顔だけがはっきりと見えているはずだ。でも、今は——今だけは、母としての幸せを)


「不思議ね…宗介やあなたを産んだ時よりは苦しくないかも…」


「3人目だからね、産みやすい体にはなってるんだと思うわ…そんな話を聞いたことがある。…っと!止血はしたから、ほんの少しだけだけど…延命ができると思う…」


「あなたは産んだ直後に私は死ぬと言ってたわね…あなたの未来の知識?陣痛が始まる前に飲んだ薬も効いてるのかしら、苦しくはないみたい…おかげかしら…言いたいことは最後まで言えそう…」


幸は微笑み、春の頭を撫でた。その手は、もうほとんど力が入っていなかった。羽根のように軽い、でも確かな温もりがあった。


幸は、椿の手を握ったまま、長い沈黙のあとでゆっくりと口を開いた。


「春…いえ椿……ありがとう」


幸の目は、病に冒されてなお、透き通るような慈愛を湛えていた。

その瞳が椿を映した瞬間、椿は自分の心臓が大きく跳ねるのを感じた。


「春はね……あの子は、自分を殺して生きていた。朝から晩まで、ひもじさと辛さに耐えるために、ただ決まったことだけをこなす……心のない泥人形のようになっていた。……親としてね、それを見るのが何より辛かった…」


幸は、椿の頬を痩せ細った指で、愛おしそうになぞった。


「でも、お前が来てから、この家には『光』が戻った。お前が私の手を握り、汗を拭き、必死に未来を語ってくれる。その誠意が、どれほど私を救ってくれたか……。そして、お前はきっと、死ぬ運命にあった春も救ってくれる…」


椿の目から、再び涙が溢れた。

安土桃山時代。


非科学的なことが信じられ、憑き物が恐れられるこの時代…幸はむしろ神が舞い降りたのだと信じた。


「お前が未来から来たという話、私には難しくてよくわからない。……けれど、お前が春の体を借りて、絶望しかなかったこの子の運命を、明るい方へ変えようとしてくれていることだけは、痛いほど伝わってくるよ」


幸は、泣き出しそうな笑顔を作った。


「春……宗助を……十兵衛を、呼んで……」


幸の声が、少しずつ弱々しくなってきた。


「はい!母ちゃん!光を抱いてて!」


椿は、幸に光を預け、急いで二人を呼びに入った。

その動きは、やはり無駄がなかった。床を蹴る足音さえ、どこか音楽的なリズムを刻んでいる。


(あの子…瞬間の動きが普通の子とは違う…しなやかな動きだわ…湯を運ぶ時の足音のなさ、布を折る指先の流れるような正確さ。あれが未来の動き…なのかな)


幸はこの時、最高の微笑みをしていた。


(最期に500年先の世界が垣間見られるなんて、贅沢ね)


彼女の目には、もう天井は映っていなかった。ただ、椿の顔が、はっきりと、温かな光を帯びて見えていた。


「ほっぺが柔らかい…幸せだ…」


---


二:最期の言葉


部屋の中には、十兵衛、宗助、椿、そして幸の腕に抱かれた光がいた。


囲炉裏の火だけが、部屋を照らしている。その温かな光が、幸の顔を優しく包み込んでいた。


「十兵衛……あなたと出会えて、私は幸せよ……」


幸の声は、今にも消え入りそうだった。でも、その言葉には、確かな重みがあった。


「幸……何言ってるんだ…最後の別れみたいに…」


十兵衛は、幸の手を握りしめた。その手は震え、大粒の涙が彼の頬を伝っていた。声にならない嗚咽が、喉の奥から漏れる。


「これからじゃないか!春の薬は効いてるんだろ?お前が回復してたらみんなで…前みたいに…」


彼は、その手を離せなかった。離したら、幸がどこかへ行ってしまうような気がした。彼の節くれだった指が、幸の細くなった指に絡みつく。山で傷つき、凍え、それでも家族のために何かを掴もうとしてきた手が、今はただ、妻の手を握りしめている。


「宗助……お前は、優しい子に育ってくれたね……」


「母ちゃん……!」


宗助は、もう泣きじゃくっていた。十歳の少年が、声を上げて泣いている。その声は、囲炉裏の火の音にかき消されることなく、部屋中に響いていた。


そして、幸は椿を見つめた。その目は、すべてを知っている者の目だった。


「春……いや、あなた……ありがとう。光を……みんなを、未来までお願いね……」


椿は、唇を噛みしめ、必死に涙をこらえた。でも、無理だった。涙は止めどなく溢れ、彼女の頬を濡らした。


「……約束します。絶対に、守ります」


幸は、その言葉を聞いて、安心したように微笑んだ。そして、腕の中の光を見つめ、その小さな額に、そっと口づけた。


「光……大きくなってね……あなたは、みんなに愛されて、生きていくんだよ……」


「この子…頬が桃のようね…あだ名をつけるなら…桃太郎かしら」


春の目から涙が溢れた。


幸に全てを打ち明けたあの日、川に流されることがなくなったことで変わる未来の橋渡しをしてくれた。


(あの夜、椿から聞いたの。この子が「桃太郎」と呼ばれて、伝説になるって。でも、その名前は川下の老夫婦がつけるものだって。それなら——私が「あだ名」として、この子に「桃太郎」を贈っても、きっと許されるわよね)


幸は、自分の胸の中にあるその想いを、言葉にはしなかった。でも、彼女の目が、すべてを物語っていた。


「もー…もたろ…さん、ももたろ…さん…」


(母ちゃん…その歌……)


春は我慢できず、声を漏らして泣いた。


「お腰につけた…きび団子…ひとつ…私に ください…な…」


最期の力を振り絞り、あの夜、椿から聞いた桃太郎の歌を歌った。


なぜこの歌を選んだのか——椿は、その理由を直感的に理解していた。


(この歌を歌えば、この子は桃太郎として生きていける。母ちゃんは、そう信じたんだ。一度しか聞いていない歌を、最期の力で歌うことで——この子の未来を、確かなものにしようとしたんだ)


幸の目が閉じられる

そして、ゆっくり深呼吸をした…


その顔は、不思議なくらい穏やかだった。苦しみの跡はなく、ただ、満ち足りた母の微笑みだけがあった。


椿は、幸の最期の深呼吸を見て、時雨の焼印のワンシーンを思い出した。


【正座して涙を流す時雨の膝を枕にし、桃太郎は最期の深呼吸をした。彼の目が、ゆっくりと閉じられていく】

(時雨の焼印:第17話「安堵の光、そして影の伝説」


「幸……! 幸……!」


十兵衛の慟哭が、部屋中に響き渡った。彼は幸の体にすがりつき、子どものように泣きじゃくっている。その手は、まだ幸の手を握りしめたまま、離すことができずにいた。


宗助は、声もなく涙を流し続けていた。その肩を、椿はそっと抱きしめた。


椿は、光を抱き上げた。小さな、驚くほど軽い命。でも、確かに温かい。


(この子が、桃太郎になるんだ)


彼女は、光を見つめながら、心の中で誓った。


(母ちゃんの分まで、私が守る。絶対に)


「母ちゃん…まさか未来の歌で逝くとは思わなかったよ…一度しか歌ってないのに…しかも深呼吸なんて…私、教えてないよ…凄いなぁ…ずるい…なぁ」


精一杯の笑顔を浮かべていたが、大粒の水滴が地面に音を立てて流れ落ちていた。


---


三:旅立ち


幸の葬儀を終えた夜のことだった。


囲炉裏の火だけが、暗い家の中をぼんやりと照らしている。十兵衛は火を見つめたまま、一言も口をきかなかった。宗助は疲れ果てて、奥で眠っている。


椿は、その背中に向かって声をかけた。


「父ちゃん、山を降りよう」


十兵衛の肩が、ぴくりと動いた。


「このままじゃ山の食糧も尽きる。そうなったら、今よりもっと苦しくなる。川下に、力になってくれそうな老夫婦がいるって聞いたの。そこでお世話になろう」


十兵衛は、ゆっくりと振り返った。その目は、囲炉裏の火を受けてぎらぎらと光っている。疲れのせいだけではない。何かを抑え込んでいる目だった。


「なぜ、お前にそんなことがわかる」


声は低く、震えていた。


「山を降りるだと? 冗談じゃない。ここは俺たちの土地だ。父も、その父も、代々ここで生きてきた。母ちゃんも、ここで死んだ。それを——」


「母乳がないと、光は育たない!」


椿の声が、十兵衛の言葉を遮った。


彼女の肩には力が入り、小さな拳が強く握りしめられている。指の関節が白くなり、爪が手のひらに食い込むのが自分でもわかった。でも、緩めることはできなかった。ここで引いたら、すべてが終わる。


「そうなれば次はどうするの? 食料も尽きたら、次に命尽きるのはこれから産まれてくる子どもだよ! 最悪、口減しをすることになる!」


十兵衛の顔から、血の気が引いた。


「私や兄ちゃんが身売りに出されたところで、赤ちゃんが育てられない事実は変わらない! そうなれば赤ちゃんを犠牲にしなきゃいけなくなる……」


椿の声は、途中でかすれた。喉が震えて、言葉がうまく出てこない。でも、拳だけは緩めなかった。緩めたら、立っていられなくなる気がした。


「春……おまえ……」


十兵衛の声は、もはや怒りではなかった。ただ、呆然とした響きだけが残っていた。囲炉裏の火がパチリと爆ぜる。二人の影が、土壁の上で揺れていた。


「お願いだよ…父ちゃん」


椿は、拳を握りしめたまま、顔を上げた。その目には、うっすらと涙の膜が張っている。でも、声だけはしっかりと十兵衛に向けられていた。


「より可能性が高い道を選ぼうよ」


長い沈黙が、部屋を包んだ。


囲炉裏の火が、十兵衛の顔に深い陰影を刻んでいる。彼は何も言わず、ただじっと椿を見つめていた。その目には、怒りも、悲しみも、戸惑いも——すべてが混ざり合っていた。


やがて十兵衛は、ゆっくりと息を吐いた。まるで、長い間抱えていた何かを、ようやく手放すかのように。


「……わかった」


その声は、かすれていた。


「春……いや、お前の言う通りにしよう。この子を、川下の老夫婦に託す。そして、俺たちもこの山を降りる」


椿は、握りしめていた拳を、ようやく緩めた。手のひらには、爪の跡がくっきりと残っていた。じんわりと痛む。でも、その痛みが、今はただ嬉しかった。


「……ありがとう、父ちゃん」


「母ちゃんが死んで、この山にいる意味はなくなった。確かに…光のためには、人の多い場所の方がいい。俺は、お前の言葉を信じる」


十兵衛の目は、悲しみに暮れながらも、どこか吹っ切れたように澄んでいた。彼は、現実を受け入れ、前に進むことを選んだのだ。


その時、宗助が黙って立ち上がった。彼は何も言わず、部屋の隅から風呂敷を取り出すと、自分のわずかな着物を包み始めた。その手つきは、迷いがなかった。母の死を受け入れ、父の決断を支えようとする、十歳の少年の精一杯の覚悟だった。


「宗助……」


椿が声をかけると、宗助は振り返らずに言った。


「春…お前がいてくれて良かったよ…父ちゃん…おれ、長男だからよ…兄弟を守るために何でもやるよ。これからは、俺がみんなを支える」


その声は、震えていた。でも、その背中は、まっすぐだった。


(これからどう生きるかが重要だ——か)


椿の脳裏に、実の父の言葉が蘇った。時代を超えて、同じ言葉が彼女の背中を押す。


「うん。ありがとう、父ちゃん。ありがとう、兄ちゃん」


こうして、十兵衛一家は山を降りる決意を固めた。


---


四:川下へ


川下への道のりは、椿が想像していたよりもずっと過酷だった。


雪解けでぬかるんだ道。冷たい風。わずかな荷物を背負い、十兵衛が先頭を歩き、宗助がその後を続き、椿が光を抱いて歩いた。


(この時代の移動って、本当に命がけなんだな……)


新体操で鍛えた体力がなければ、九歳の体ではとっくに倒れていただろう。手足は重く、息は切れ、肩で風を切るように呼吸する。それでも、彼女は歩き続けた。


光は、不思議なほど静かだった。


道中、一度も泣かなかった。ただ、椿の胸に抱かれ、時折小さな手を動かして、椿の着物の襟を握りしめていた。その小さな指が、驚くほどの力で椿の着物を掴んで離さない。


(この子、わかってるのかな。今、自分が生きるか死ぬかの瀬戸際だってことを)


椿は、光の頭をそっと撫でた。


(大丈夫。私が守るから)


「春、大丈夫か? 代わろうか?」


宗助が心配そうに声をかける。


「大丈夫。兄ちゃんこそ、荷物重いでしょ」


「俺は平気だ。山で鍛えてるからな」


宗助は、そう言って笑った。その笑顔が、椿の心を温かくした。


(本編では、この笑顔は失われていたんだ)


ようやく、川下の集落が見えてきた。小さな家々が点在し、川のせせらぎが聞こえる。遠くで、犬の鳴き声がした。


「あの家だ」


十兵衛が指さした先には、こぢんまりとした庵があった。庭には、季節外れの小さな花が咲いている。老夫婦が、畑仕事をしている姿が見えた。


(この人たちが、十兵衛たちを受け入れてくれる老夫婦……)


「おや、お客様かい?」


老爺が鍬を置き、こちらに気づいて手を振った。老婆も、にこやかに笑っている。


椿は、光を抱きしめながら、静かに息を吐いた。


(弥助は……まだいない。当然だ。弥助は隣村で生まれて、桃太郎を拾った老夫婦とは別の場所で育つ。私が会えるのは、まだずっと先の話だ)


でも、それでいい。


(待ってろよ、推し。いつか必ず、会いに行くからな)


彼女の口元が、ほんの少し、にやけた。


「春? また顔が変だぞ」


宗助が、怪訝そうな顔で椿を見つめた。


「なんでもない! ちょっと未来に思いを馳せてただけ!」


---


五:新しい家族


老夫婦は、十兵衛たちを温かく迎え入れてくれた。


「まあまあ、こんな小さな赤子を連れて、大変だったでしょう」


老婆が、光を抱き上げて微笑む。その手つきは、何度も赤子をあやしてきた者のそれだった。皺だらけの手が、驚くほど優しく光の頭を支えている。


「さあさあ、中に入って。温かいお茶を入れましょう」


老爺が、十兵衛の荷物を持ちながら、庵の中へと案内する。


「あの、ありがとうございます。でも、私たち、ここに住まわせてもらうわけには——」


十兵衛が遠慮がちに言うと、老爺は豪快に笑った。


「何を言ってるんだ。こんな小さな子を抱えて、どこに行くっていうんだ。ここにいなさい。家は狭いが、みんなで住めば温かい」


老婆も、優しく微笑んだ。


「ええ。私たちも、もう年でね。誰かがいると、助かるのよ。それに、この子には乳が必要だろう? 隣村に、母乳のよく出るお花という女がいる。明日にでも頼んでみよう」


(——ッ!!!)


椿の心臓が、跳ねた。


(お花さん……! 本編で桃太郎に母乳を与えた、あのお花さん……! ということは、そこで弥助も——)


彼女の脳裏に、『時雨の焼印』で読んだ情景が走馬灯のように駆け巡る。弥助と桃太郎が同じ母乳を飲み、兄弟のように育った日々。山を駆け回り、競い合い、そして——「絶対に見捨てない」と誓い合った、あの月夜の光景。


(繋がった……! 本編と同じように、光はお花さんの母乳で育つ。そして弥助と同じ母乳を飲んで——兄弟のような絆が、ここから始まるんだ……!)


でも——


(待て。弥助に会えるのは、まだ先だ。それに、私がうっかり会いに行って、歴史を変えてしまったら……? 弥助と光の絆が、本編と違うものになったら……?)


彼女の心の中で、オタク心と使命感が激しくぶつかり合う。


(いや、でも、ちょっとだけなら……? 遠くから見るだけなら……? だって弥助だよ? あの弥助が、今、隣村にいるんだよ? これを「会うな」って言う方が無理じゃない?)


「春? どうした、難しい顔をして」


十兵衛が心配そうに声をかけた。


「えっ!? な、なんでもない! ちょっと将来のことを考えてただけ!」


椿は慌てて取り繕ったが、その声は明らかに裏返っていた。宗助が「またかよ」という顔で彼女を見ている。


「……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」


十兵衛が深々と頭を下げる。椿も、それに続いた。心の中はまだお祭り騒ぎだったが、なんとか平静を装った。


こうして、十兵衛一家と老夫婦の、新しい生活が始まった。


---


六:小さな誓い


その夜、椿は一人、井戸のそばに立っていた。


空には、満天の星が広がっている。


(私は、まだ弥助に会えていない。光も、まだただの赤子だ。でも——)


隣村の方角を見つめる。暗闇の向こうに、小さな明かりがぽつりぽつりと見えた。


(あっちが隣村。お花さんがいて、吾作さんがいて、そして——弥助がいる)


彼女は、拳を握りしめた。


「待ってろよ、弥助。そしていつか、お前が桃太郎と一緒に山を駆け回る日まで、私は絶対に、この世界を守り抜く」


月明かりが、彼女の決意を静かに照らしていた。


(そしていつか——お前が「過ぎたことを悔やんでも…」って言う日を、私はこの目で見るんだ。絶対に)


それは、オタクとしての誓いであり、春としての誓いでもあった。


——でも。


ふと、彼女は空を見上げた。天の川が、くっきりと夜空を横切っている。その向こう側。はるか五百年先の、現代という世界。


父がいた。病室で、ビデオ通話越しに「お前は俺の誇りだ」と言ってくれた父が。あの時、彼女は声を殺して泣くことしかできなかった。でも今は違う。声を上げて泣ける。誰かのために、自分の手で何かを変えられる。


(父さん、私、この世界でちゃんと生きてるよ)


心の中で、そう呟いた。


(まだ弥助にも会えてないし、光も赤子だし、戦国の世は厳しいけど——それでも、私はここで生きてる。父さんがくれた「これからどう生きるかが重要だ」って言葉を、ちゃんと胸に刻んで)


彼女の目から、一筋の涙がこぼれた。それは悲しみの涙ではなかった。現代への感謝と、未来への誓いが混ざった、静かな涙だった。


風が吹き、彼女の頬を冷やしていく。椿は涙を拭い、もう一度、隣村の方角を見つめた。


「見ててよ、父さん。私、この世界で、ちゃんと幸せになるから。そして——」


彼女の口元が、にやけた。


「推しにも会うからな」


星々は、ただ静かに、その誓いを見守っていた。




【次回予告】


(春としての記憶も、椿としての記憶も、今はどちらも「私」のものだ。母ちゃんを看取り、光を守り、新しい家族と生きる——そのすべてが、私の人生になった)


「……なのに」


「太幽ぅぅぅぅーーーーっ!!!!」


「ふざけんな! なんだよ『強制修正』って! 私が生きてるから、代わりにお絹さんが死んだ!? そんなのありかよ! 作者の都合で人の命を振り回すなーーーっ!」


(……はぁ。叫んだらちょっとスッキリした。でも、状況は何も変わってない)


「お絹さんは、私と同じ年頃で、お腹に赤ちゃんがいて、庭に野花を植えて、軒先に産着を干してた。母ちゃんと同じだ。誰かを愛して、誰かに愛されて、これから母になるはずだった人だ」


「……その人が、私の代わりに死んだ」


「太幽、お前は本当に容赦ないな。読者が泣く顔が見たいのか。いや、見たいんだろうな。私もそっち側の人間だからわかる。物語を面白くするためには、時に残酷な選択をしなきゃいけないことも」


「でも——それでも、私は諦めない」


「私は、この物語を変える。太幽の想像を超えてみせる。お絹さんの分まで、私は戦う」


(そして——そんな絶望の最中にも、小さな光は訪れる)


「宇喜多秀家、来たーーーっ! 本物の戦国武将だ! 歴史の教科書で見たことある! 関ヶ原で西軍の総大将になって、八丈島に流される人だ! ……って、本人には言えないけど!」


「でも、今はまだ十歳の少年。背筋は凛としてるけど、目はどこか寂しげで、きび団子を食べて『この味……前にどこかで』って呟くんだ。もう、その仕草だけでご飯三杯いける。いや、この時代ご飯は貴重だから一杯にしとく」


「そして秀家は、桃太郎と出会う。『俺は桃太郎だ! 覚えとけ!』って、泥だらけで叫ぶ桃太郎に、秀家は腹の底から笑うんだ。あのシーン、本編で読んだ時も好きだったけど、生で見るともっといい……! 秀家の孤独が、一瞬だけ溶けるんだよな……」


「……って、しんみりしてる場合じゃない! 私も秀家にちゃんと挨拶した! 『みんなが笑って団子を食べられる街を作ってください』って! 我ながらいいこと言った! 太幽のパクリじゃないぞ! 私の言葉だ!」


「……まあ、太幽の物語に影響を受けてるのは否定しないけど」


(よし、書けた。お絹さんの死は辛かった。でも、私は負けない。秀家との出会いもあった。桃太郎と弥助も、鬼退治を誓い合った)


「次回、第4話『戦国の影』。私は、影の戦士として、この物語の裏側を生き抜く。太幽、見てろよ。お前の想像の斜め上を行ってやるからな!」


「……って、あれ? 私、誰に向かって喋ってるんだろう。まあいいや。とにかく次回も、私は戦う。お絹さんのためにも、母ちゃんのためにも、そして——まだ見ぬ推しのためにも!」


【第3話・完】


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