21話「ふたつの椿」
最終話「ふたつの椿」
一:白い空間
白い空間。上下も左右もなく、ただ優しい光に包まれた場所。
春は、ふと目を覚ました。ここはどこだろう。さっきまで、十兵衛たちと暮らした家の縁側にいたはずなのに。夕焼けが庭を赤く染めて、懐かしい声が聞こえて——。
(そうだ、私は、死んだんだ!やっとお迎えが来たか!太幽め!最後まで余計なシーン書きやがって!)
その事実を、不思議と穏やかに受け入れている自分がいた。
「あーっははは!——やっと会えたね!春」
声がした。顔を上げると、目の前で腹を抱えて笑ってるのは、見覚えのある年配の女性。どこかで見た顔。いや、鏡で何度も見た顔——。
「私は椿。あなたが春として生きてる間、こっちでずっと歳をとってた、もう一人のあなただよ」
春は、困惑したように周囲を見渡す。
「ここは…?私は、さっきまで縁側にいて…ってか私!死んでなかったの?」
「…いっそ死にたかったわよ!恥ずかしかったんだから!」
椿は、少し悪戯っぽく笑った。
「大変だったんだからね。お風呂で大きな音がしたらしく、隣の部屋の男の子が必死で心臓マッサージしてくれてて。で、目が覚めたと思ったら、いきなり8歳の春の意識が大暴れ。『ここはどこじゃ!父ちゃんは!兄ちゃんは!』って、もうパニックよ。そりゃあもう、手がつけられなくてね。太幽の小説じゃあるまいし、って思ったわ」
春は、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「あー…ドンマイ…」
「まぁすぐに記憶が混ざって落ち着いたけどね。それからはね、私の片方が夢の国に行ったから腹たったわ!何よあれ!太幽の新連載始まったと思ったら、私が歴史を動かしてるんだもん!」
椿は、そっと自分の胸に手を当てた。
「最初は、同じ名前のキャラかと思ったわ…」
椿の目が鋭くなった。
「でもね!こっちにも春の片方が流れ込んだのよ!これは名前が同じじゃなくて私よね!」
「でしょうね!でも文句は!」
「「太幽に言って!」」
二人の声が重なった。そして二人は、同時に吹き出した。その笑い声が、白い空間に柔らかく響き渡る。
二:推しの話
「ねえ、春。一つ、どうしても聞きたいことがあるんだけど」
椿が、少し意地悪な笑みを浮かべて尋ねた。
「なに?」
「なんで、弥助と結婚しなかったの?」
春は、一瞬きょとんとした顔をし、それからぶわっと顔を赤らめた。その反応を見て、椿はさらに畳みかける。
「だって、あれだけ『推し』『推し』言ってたじゃない?チャンスはあったんでしょ?衛門さんが圓に会いに行く時だって、もっと自分から動けたはずだし。弥助だって、まんざらでもなさそうだったじゃない」
「あったけど…そんなことしたら、物語が壊れちゃうでしょ!」
春は、拗ねたように口を尖らせる。
「弥助は、みんなの弥助なの!あの自由さで、誰にも囚われず、山の王として、精霊として、ずっとみんなを見守ってる。それが、あの人の『役割』なんだから。私なんかがちょっかい出して、それを壊すなんて、できるわけないでしょ…」
椿は、その言葉を静かに噛みしめるように、何度も頷いた。そして、優しく微笑んだ。
「…そっか。春は、そうやって生きたんだね。私は、こっちでただ『弥助かっこいい!』って叫んでるだけだったのに」
「それはそれで、正しい愛だよ。推しは、叫んでなんぼでしょ」
二人は顔を見合わせ、同時に吹き出した。その笑い声が、白い空間に柔らかく響き渡る。
「でも、考えてみればさ」
椿が、ふと思い出したように言った。
「『時雨の焼印』って、『愛』って言葉、ほとんど出てこなかったよね。なのに、あなたの介入で、あの世界、『愛』がかなり増えたと思うよ。特に、オタク愛」
「え?そう?」
春は、少し考え込み、それからむっとしたように言い返した。
「出てきてるわよ!時雨のお父さんの手紙で『時雨、お前を愛している』って!それに、桃太郎だって忠助に『次はお前が愛される番だ!』って言ってたじゃん!ちゃんと二回は出てきてる!」
椿は、目を丸くし、それから呆れたように、でも優しく笑った。
「…本のない世界に何十年もいて、よく覚えてるわね、そんな細かいこと」
春は、照れくさそうに、小さく笑った。
「…だって、大事な言葉だったから」
三:太幽という男
「あ!そうだ!」
春が、急に思い出したように声を上げた。
「太幽、衛門さんの二十五年修正したかな?」
「いやー…多分彼は修正しないと思う」
椿は、少し考えるように首を傾げた。
「一度公開したら、それはもうやり直し効かないと思ってるのかもね」
「意外と堅物なんだね…本当以外…こっそり直せばいいのに」
春は、少し不満そうに口を尖らせる。
「でもまあ、それがあの人の『自由』ってやつなのかもね」
「自由?」
「うん。『小説家じゃないから自由だ』って、自分で言ってたんでしょ?だったら、直さない自由だって、きっとあるんだよ。書道家として字を書き、歌手として歌を歌い、歴史の成績は1でもオリジナル曲を配信する——そんな自由な人が、たかが『二十五年』の修正くらいで縛られるわけないじゃない?」
「…面倒くさい自由だね」
「本当にね」
二人は顔を見合わせ、くすくすと笑った。その笑い声は、もうすっかり若返った、少女の声になっていた。
四:融合
「…あれ?なんだか、椿、さっきより若くなってない?」
「え?そう?…あ、本当だ。春も、さっきより少し、皺が減ってる気がする」
互いの変化に気づいた二人は、驚いたように顔を見合わせる。そして、会話を続けるほどに、その変化は加速していく。老齢の椿は、みるみるうちに中年へ、そして青年期の姿へと若返っていく。春もまた、縁側で死を迎えた老女の姿から、みるみる若返り、やがて十兵衛たちと生きた、あの頃の「春」の姿を取り戻していく。
そして、すべての想いを語り尽くした時、二人の姿は——鏡を見つめるように、全く同じ、高校生の「椿」の姿になっていた。それは、魂が分離する直前、浴槽で『時雨の焼印』を読んでいた、あの日の姿。
「…戻ってきちゃったね」
「うん。あの頃の姿みたい。」
二人は、向かい合って、静かに微笑んだ。その顔には、迷いも、老いの影も、どこにもない。
やがて、春の体が、少しずつ透けていく。
「…行くんだね」
「うん。でも、悲しくはないよ。私は、あなたの中にいるから…いや、一つ寂しい!椿は百まで生きる世界だからまだ生きるよね!私の方が先とか本当嫌だわ!」
「大丈夫だよ。あなたが生きた時間は、ちゃんと私の中にある。あなたが見た光景も、あなたが感じた温もりも、全部——私が覚えてる」
椿は、そっと手を差し伸べた。透けていく春も、その手に、そっと自分の手を重ねる。指先が触れ合う——その瞬間、二人の姿が、ふわりと重なり、一つになった。白い空間に、温かな光が満ちていく。
一人残った椿は、自分の手のひらを見つめ、それから、遠くの光を見つめた。その顔は、すべてを受け入れ、すべてを許した者のように、穏やかだった。
「…まったく、本当にオチを作りたがるわね…同じ人間なのに別人みたい…ありがとう、もう一人の私。そして——太幽、あなたもね」
その時、椿の心の奥底から、もう一人の自分の声が、そっと響いた。
(こっちの世界は、飢えは無いけど、安らぎが無いなあ…便利だけど、不便。やっぱり、向こうの世界の方が、楽しかった)
椿は、その声に、静かに微笑んだ。否定も、肯定もせず、ただその言葉を、自分の魂の一部として受け入れた。
彼女は、もう一度、光の中へと歩き出す。その足取りは、迷いのない、確かなものだった。
もう、何も怖くはない——。
五:目覚め
目を開けると、見慣れない白い天井が広がっていた。窓の外では、桜が満開だった。ここは現代。そして——彼女は三十歳の体で目を覚ました。
——四月。桜が満開の暖かい日。
規則的な電子音が耳の奥で繰り返し、消毒液の匂いが鼻腔を刺激する。懐かしい感覚。
(ここは……)
体を起こそうとして——バランスを崩した。
「……っ!」
腕の肉付き、張り。何より、重心の位置が違う。身体が軽い。懐かしい感覚。
(そうか、これは椿の体か……)
この体には、安土桃山時代に行ってからの十二年分の記憶も詰まっている。
…身体が硬い。同じ三十歳でも、くノ一として動いていた私の方が遥かに良い。
そこまで考えて、椿はハッとした。
(あれ?さっきまで私、早くお迎え来てと騒いで…そして椿の身体の私に会って…今三十歳!?でも——三十歳以降のこの体の人生は、まだ誰も生きていない。これからどう生きるかは、私が決めるんだ)
その時、病室のドアが開いた。
入ってきたのは、見覚えのある女性——いや、見覚えのある「春」だった。看護師の制服を着て、カルテを抱えている。
「……春?」
椿の声が、思わず漏れた。
「なんで、ここにいるの?あんたがここにいるなら、戦国の春はどうなったの?」
春は、少し困ったように首をかしげた。
「え?だって、ここ、私の勤務先だし。それに——私は『春』だけど、戦国の春とは違うの」
「……どういうこと?」
「私はね、こっちの世界に来てから、あなたの記憶を継承して転生したの。戦国時代で生きた『春』の記憶はあるけど、それとは別に、現代の『春』としての人生もある。だから、あなたのことは『覚えてる』けど『自分』じゃない。不思議な感覚でしょ?」
椿は、言葉を失った。春の口調は、確かに戦国時代の「春」だった。でも、どこか違う。もっと軽くて、もっと——現代的な響きがあった。
「……驚いた?」
「……うん」
「だよね」
春は、少し照れくさそうに笑った。
「私も、最初は驚いたよ。だって、目が覚めたら八歳で、しかもこの世界の記憶がどんどん流れ込んできて。もう、パニックの連続だったから。記憶喪失のふりをして児童養護施設に助けを求めて、十三歳で医者の子として引き取られた。それからは、看護師になるために勉強したんだ」
「それで、看護師に?」
「うん。戦国時代でたくさんの死を見てきたから、今度は助ける側になりたかったの」
春は静かに微笑んだ。その笑顔は、戦国時代で「春」として生きた彼女の、確かな覚悟を物語っていた。
椿は、しばらく考え込んでから、ぽつりと言った。
「……ねえ、それってさ」
「うん?」
「太幽が書いた、三つ目のシナリオってことで受け入れよ」
春は、きょとんとした顔をし、それから声を上げて笑った。
「あははは!それ、いいね。太幽、また勝手に話を増やしやがったってことで」
「でしょ。あの人、自由だから」
二人は顔を見合わせ、くすくすと笑った。病室に、柔らかな笑い声が響く。
六:これから
窓の外では、桜が満開だった。風が吹き抜け、花びらが一枚、窓ガラスに張りつく。それはまるで、遠い日の吉備の村で、シロが咲かせたあの桜のようだった。
「私は、もう一度同じ人生を歩んでもいいって思った。だから看護師になった。でも、椿は違う」
春が、静かに言った。
「椿は、これから自分で選ばなきゃいけない。これから先、どこへ行くのか、何をしたいのか——全部、自分の意志で」
「……それが、『どう生きるかが重要』ってこと?」
「うん。太幽が言ってたんだ。『屍を乗り越えて、これから先どうするかが重要なんじゃないか』って。それは、弥助の言葉でもあるけどね」
椿は、窓の外を見た。満開の桜が、風に揺れている。三十歳以降のこの人生は、まだ誰も生きていない。戦国の記憶も、現世の記憶も、すべて背負った上で——これからどう生きるかは、自分で決める。
「……私は、新体操に復帰する」
「うん」
「そして、またメダルを取る」
「うん」
「それが、私の『これから』だ」
椿は、春の顔を見て、静かに微笑んだ。
「そっか。それが、椿の選んだ道なんだね」
春も、微笑み返した。
七:それから
それから数年後。
椿は見事に新体操に復帰し、国際大会で再びメダルを獲得した。彼女の演技には、戦国時代で培った「無駄のない動き」と、現代で鍛えた「正確な技術」が融合していた。観客は、彼女の演技に「戦場の舞」と称賛の声を送った。彼女がその評を聞いて、苦笑いしたのは言うまでもない。
春は、看護師として働きながら、戦国時代の知識を現代医療に活かしていた。彼女の患者への寄り添い方は、多くの人々の心を癒した。ある日、彼女が担当した老人が呟いた。「あなたの手は、どこか懐かしい温もりがするね」——春は、その言葉を聞いて、遠い日の吉備の村を思い出した。
二人は、時々集まっては、戦国時代の思い出を語り合った。光の成長。時雨の団子。弥助の笑顔。衛門の手紙。そして——多くの別れと、その先にある「安堵の光」。
「私たちは、確かにあの時代を生きたんだね」
春が、ぽつりと言った。
「うん。そして、これからも生きていく」
椿は、空を見上げた。そこには、戦国時代と同じ月が、静かに輝いていた。
風が吹き、桜の花びらが舞い上がる。その一片が、窓の隙間から滑り込み、椿の手のひらにそっと落ちた。
(そして…私たち…全ての人に、ひとりひとりに物語がある——生きていこう…この世界を自分の意思で)
彼女はその花びらを指で摘まみ、光に透かして見つめた。淡いピンク色の向こうに、懐かしい笑顔が浮かんでいる気がした。
「……ありがとう」
それが、椿がこの世界で最初に発した、確かな声だった。
八:エピローグ
——こうして、私の長い長い旅は終わった。いや、終わったんじゃない。新しい始まりなんだ。
春として生きた時間。椿として生きた時間。二つの人生が、今、一つになった。私は、あの時代で確かに生きて、確かに誰かを愛して、確かに誰かに愛された。その記憶は、決して消えない。
太幽、お前はすごいよ。歴史の成績が1で、書道家で、歌手で、オリジナル曲まで配信してるくせに、こんな物語を紡いだ。しかも、最後に三つ目のシナリオまで用意してるんだもんな。お前のその『わけのわからなさ』が、私の人生を変えたんだ。ありがとう、太幽。
……って、真面目に締めくくったけど、最後に一つだけ!
太幽!お前のせいで私、丸裸転生の謎を永遠に抱えることになったんだからな!しかも近所の男の子に心肺蘇生されられるとか!絶対にこの恨みは晴らしてやる!
……でも、まあ、それも含めて、私の人生だ。
これが、本当の最終話。でも、物語は終わらない。私が覚えている限り、あの時代は確かにここにある。そして、この物語を読んだあなたの中にも、きっと。
だから——これからも、よろしくね。もう一人の私、そして、太幽、そして——この物語を愛してくれた、すべての人へ。
ありがとう。そして、さようなら。また、どこかで。
——桜が、満開だ。まるで、あの日の吉備の村のように。
【完】
作者への反逆~転生したので、春の運命を書き換えてみせました~!
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【次回予告】
作者への反逆~あとがきも書き換えます~




