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作者への反逆〜転生したので、春の運命を書き換えてみせます〜  作者: 太幽


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第14話「天下への道」

第14話「天下への道」



天正十年、六月。


備中高松城から京へ——秀吉の中国大返しは、誰もが予想し得なかった驚異的な速度で行われた。本能寺の変を知った秀吉は、ただちに毛利と講和を結び、軍を反転させた。通常なら数週間はかかる道のりを、わずか十日あまりで駆け抜ける。兵士たちは疲弊し、脱落者も相次いだが、それでも秀吉は止まらなかった。


椿は、村の丘の上から西の空を見つめていた。秀吉の軍勢が京へ向かって進んでいる。直接見えるわけではない。でも、感じる。時代が、大きく、激しく動いている。風に乗って、無数の足音が地響きのように聞こえてきた。馬の嘶き、兵士たちの掛け声——それらが渾然一体となり、時代そのものが動く轟音となって、この静かな村にまで届いている。


(中国大返し。これが、秀吉を天下人へと押し上げる伝説の行軍だ。本で読んだ時は「十日あまりで駆け抜けた」の一行だった。でも、今、この風に乗って聞こえてくる足音の一つ一つに、名前があり、家族があり、故郷がある。その「一行」の裏に、これだけの命がひしめいている)


彼女は目を閉じ、本で読んだ歴史を思い返した。秀吉は光秀を討ち、信長の後継者として名乗りを上げる。その後、柴田勝家を破り、徳川家康と渡り合い、ついには天下を統一する。そのすべては、この驚異的な行軍から始まる。


「春」


声がして振り返ると、衛門が立っていた。手には一通の文が握られている。


「時雨から報せだ。秀吉軍は順調に進軍中。脱落者が出ているが、数は想定の範囲内。秀吉自身は疲れを見せず、兵を鼓舞し続けているそうだ」


「そう……時雨は無事?」


「ああ。炊事場で働きながら、情報を集めている。問題ない。それと、『たまには団子が食べたい』と書き添えてあった」


椿は思わず吹き出した。


「時雨が? そんなこと言うんだ」


「あの娘も、ずいぶんと人間らしくなったものだ」


衛門は文を懐にしまい、椿の隣に立った。ふと、その口元がほころぶ。


「団子、か。私も、妻が作ってくれた団子を思い出す。圓が生まれる前、あの女はよく台所に立っていた。焦げて、固くて、それでも美味かった」


その声には、遠い日の温かさが滲んでいた。椿は何も言えず、ただ衛門の横顔を見つめた。この人は、二十年以上も前の、たった一瞬の記憶を、こんなにも大切に抱えている。圓に会うまでは死ねない——その言葉の重みが、彼女の胸にじんわりと広がった。


「秀吉は、このまま光秀を討つだろう。そして、天下への階段を駆け上がる。お前の知っている歴史の通りにな」


「……うん」


「だが、お前はただ見ているだけではない。違うか」


椿は衛門の顔を見上げた。その目は、すべてを見透かしているようだった。


「私にできることは、ほんの少しだよ。歴史を大きく変えずに、救える命を救うだけ」


「それで十分だ。誰にもできぬことを、お前はしている」


衛門はしばらく遠くを見つめ、それからゆっくりと口を開いた。その目には、かつての戦場の光景が映っているかのようだった。


「私も、かつては多くの命を奪った。都で名を馳せた武士だった頃、正義のためと信じて剣を振るった。だが、その剣が奪ったのは、ただ生きたいと願う者たちの命だった」


「衛門さん……」


「お前は違う。お前は、奪うのではなく、救うために動いている。そのことを、誇りに思え」


椿は何も言えず、ただ頷いた。胸の奥が、じんわりと熱くなる。本編で「犬」として語られたこの男の、言葉にできない優しさが、今、自分のために向けられている。



秀吉軍が京に到着し、光秀との決戦が行われたのは、六月十三日のことだった。


天王山の麓で激突した両軍。数では光秀軍が勝っていたが、秀吉軍の勢いは凄ましかった。中国大返しを成し遂げた兵たちの士気は高く、光秀軍を圧倒した。戦いはわずか一日で決着し、光秀は敗走。その後の小栗栖で、落ち武者狩りの百姓に討たれた。


椿は、その報せを村で聞いた。時雨からの文には、簡潔にこう記されていた。


『光秀、敗れる。秀吉、勝利。歴史の通り。団子の材料、心待ちにしている』


彼女は文を畳み、そっと息を吐いた。これで、一つの区切りがついた。信長が死に、光秀が討たれ、秀吉が天下への第一歩を踏み出した。すべて、本で読んだ歴史の通りだ。


(でも、その裏側で、どれだけの命が消えたんだろう。歴史に名前が残らない、普通の人たちの命が)


彼女は目を閉じ、考えるのをやめた。考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。でも、考えないわけにもいかない。それが、知っている者の責任だ。


「春、大丈夫か」


弥助が心配そうに顔を覗き込んだ。手には、山で採ってきた木の実が入った籠を持っている。


「うん、平気。弥助こそ、山の見回りお疲れさま」


「おう。最近、山が騒がしいんだよ。鳥たちの鳴き声が減った。獣たちの足跡が、いつもと違う方向に続いている。川の水が、心なしか濁っている——戦の匂いが風に乗って流れてくる。獣たちも落ち着かねぇみてぇだ」


弥助は籠を置き、椿の隣に腰を下ろした。


「なあ、春。お前、知ってるんだろ。これからどうなるか」


「……うん」


「俺たちは、どうすりゃいいんだ」


椿は少し考えてから答えた。


「弥助は、弥助のままでいいんだよ。光を守って、山を守って、みんなを笑わせて。それが、弥助の役目だから。本で読んだ弥助も、ずっとそうだった」


弥助は目を丸くし、それからにかっと笑った。


「なんだそれ、簡単すぎるだろ!」


「簡単なことが一番難しいんだよ。でも、弥助ならできる。私はそう信じてる。ていうか、弥助がふざけてるだけで、みんな救われるんだから、最強だよ」


椿も笑って、籠から木の実を一つつまんだ。ほのかな苦味と、かすかな甘さ。山の恵みだ。


「……うまいな」


「だろ? 俺が選んだんだ。春に食わせようと思って、一番いいやつだけ拾ってきた」


「……え、なにこれ、優しすぎない? 推しがそんなことしたら、ファンは死ぬよ?」


(やばいやばいやばい! 今、弥助に『推し』って言いかけた! しかも『一番いいやつだけ拾ってきた』って、それもう公式のファンサじゃん! 心臓がもたない! ていうか、この時代に『ファンサ』も何もないけど! でも、弥助の無自覚な優しさが、逆に心臓に悪い! 好き!)


「お、推し? なんだそれ」


「こっちの話!」


弥助は首をかしげながらも、嬉しそうに笑った。その無邪気な姿に、椿の心が少しだけ軽くなる。やっぱり、弥助は最強だ。



光秀を討った秀吉は、その勢いのまま信長の後継者として名乗りを上げた。


清洲会議。信長の後継を決めるこの会議で、秀吉は巧みな政治手腕を発揮し、柴田勝家を抑えて主導権を握る。すべては、天下人への階段を上るための布石だった。


椿は、清洲会議の詳細を時雨からの報告で知った。秀吉がどのように立ち回り、誰が味方し、誰が離反したか。本で読んだ通りの展開だった。秀吉の、あの人の懐に入り込む天才的な才能。文字で読むのと、実際に動いているのを感じるのとでは、迫力が違う。


(秀吉は、このまま勝家を破り、家康と戦い、天下を統一する。私は、そのすべてを知ってる。でも、見てることしかできない)


彼女は文を読み終え、そっとため息をついた。歴史は、止められない。変えられない。でも、その裏側で、自分にできることは何か。


「春、ちょっといいか」


声がして顔を上げると、頭領が立っていた。かつて鬼と呼ばれた男。今では、村の誰よりも真面目に畑を耕し、家を建て、静かに暮らしている。その手は土で汚れ、顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。


「頭領……どうしたの」


「いや、その呼び名はやめてくれ。今の私は、ただの——そうだな、ただの男だ」


彼は少し照れたように笑い、椿の隣に腰を下ろした。


「お前に礼が言いたくてな」


「礼?」


「ああ。お前が私を止めなければ、私はあの島で死んでいた。罪を償うこともできず、ただ逃げるように死んでいた。だが、お前は私に生きろと言った。罪を背負いながら、生きていけと」


頭領——いや、かつて頭領だった男は、自分の手を見つめた。節くれだった、大きな手。その手のひらには、かつて武器を握っていた頃の無数の傷跡が残っていた。しかし今は、鍬を握ることでできた新しい豆が、その傷を覆い隠すように広がっている。奪うための手から、育むための手へ——その変化が、彼の掌に刻まれていた。


「私は、この手で多くの命を奪った。その罪は、決して消えない。だが、この手で田畑を耕し、家を建て、誰かの役に立つこともできる。それを教えてくれたのは、お前だ」


「……そんなことない。私はただ、あなたに死んでほしくなかっただけ。それだけだよ」


「謙遜するな。お前は、私の命を救った。そのことに、偽りはない」


「生き恥を晒して生きるもの悪くないでしょ?」


「うむ…今では誇らしとも思っている。」


彼は立ち上がり、椿に背を向けた。その背中は、かつて鬼ヶ島で見た時よりも、ずっと大きく、穏やかに見えた。


「私は、この村で生きていく。誰かのために、何かを残していく。それが、私の償いだ」


椿はその背中を見送りながら、胸が熱くなるのを感じた。


(救えた命が、確かにある。歴史に残らなくても、誰かの人生が、確かに変わった)


彼女は立ち上がり、空を見上げた。秋の雲が、ゆっくりと流れている。本編では自害していたはずの男が、今、畑を耕している。その事実が、彼女の心をじんわりと満たした。



それから数ヶ月が過ぎ、季節は冬を迎えていた。


秀吉は柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、天下人への道を着実に進んでいた。村にも、戦の噂が絶えず届く。兵を出すよう求められることも増え、衛門はそのたびに巧みに対応していた。


椿は、家の居間で時雨と向かい合っていた。時雨は、久しぶりに秀吉の陣営から戻り、村で休息を取っている。黒装束を脱ぎ、普通の着物を着た彼女は、少しだけ少女らしく見えた。


「秀吉は、次は家康と戦うつもりだ。小牧・長久手だな」


「うん。歴史の通りだね」


時雨は湯飲みを手に取り、白湯を一口すすった。その手には、相変わらず小さな火傷の痕が残っている。


「私は、これからも秀吉の陣営に潜り続ける。情報を集め、必要な時は動く。それが、私の役目だ」


「時雨、無理してない?」


「無理などしていない。私は、自分の意思でこの道を選んだ」


時雨は湯飲みを置き、椿の目をまっすぐ見つめた。


「お前が教えてくれたのだ。私は母になる、と。その未来を守るために、私は動く。私の意思だ。誰に命じられたわけでもない」


「……時雨」


「お前は、自分のせいで私が危険な目に遭っていると思っているのか」


椿は何も言えなかった。図星だった。


「馬鹿を言うな。私は、お前のせいで動いているのではない。お前のおかげで、動く理由を見つけたのだ」


時雨は少しだけ口元を緩めた。それは、鬼ヶ島で初めて団子を食べた時よりも、ずっと自然な微笑みだった。その目が、わずかに輝いた。それは、鬼ヶ島で初めて団子を食べた時の、あの驚きと喜びに満ちた光に似ていた。あの日、彼女は初めて「味」を感じた。今、彼女は初めて「自分の意思で未来を選ぶ」ということを知った。その二つの光は、同じ輝きを放っていた。


「感謝こそすれ、恨むことなどあるものか。それに、団子の材料を届けてくれたのも、嬉しかった」


椿の目から、涙が一筋こぼれた。彼女は慌てて拭い、小さく笑った。


「……ありがとう、時雨。団子、今度は私が作ってあげるね」


「それは楽しみだ。期待している」


時雨は立ち上がり、戸口へと歩き出した。


「私は明日、また陣営に戻る。お前は、村を守れ」


「うん。任せて」


時雨は一度だけ振り返り、小さく手を振った。その仕草が、どこか幼く見えて、椿の胸がきゅっとなる。本編の「雉」として語られる女が、今はただの、大切な友人だった。



その夜、椿は一人で井戸のそばに立っていた。


水面に映る月が、静かに揺れている。冬の空気は澄んでいて、星がやけに近く感じられた。水面に映る月を見つめながら、ふと思った。本編で、桃太郎と時雨も、こんな月を見上げていたのだろうか。戦が終わり、平和が訪れたあの夜、二人はどんな想いで月を見ていたのだろう。守り抜いたものへの安堵か、それとも——奪ってしまったものへの哀しみか。


(秀吉は天下を取る。歴史は、止められない。でも——)


彼女は空を見上げた。冬の星が、冷たく輝いている。


(忠助。お前は今、どこでこの月を見ている。秀吉の陣営か、それとも山の中か。戦場で「鬼」と呼ばれ、誰にも心を許せずにいるお前は、今、どんな夢を見ているんだろう)


(私は、ここにいる。歴史の裏側で、誰にも知られず、誰にも気づかれず。でも、確かにここにいる。頭領の命を救い、時雨の背中を押し、弥助に木の実をもらって喜ぶ、ただの女の子として)


彼女は拳を握りしめた。冷たい風が吹き抜け、髪を揺らす。


(太幽。あなたの書いた物語は、これから佳境を迎える。私はそのすべてを知ってる。知ってて、見てることしかできない。でも——)


彼女は目を閉じ、深く息を吸った。


(それでも、私はここにいる。あなたが書かなかった「影の戦士」として。そして、いつかあの白い犬も救ってみせる。だって、あの子も、歴史に名前が残らない、ただの犬なんだから)


月が雲に隠れ、辺りが闇に包まれた。闇の中で、椿の目だけが、静かに輝いていた。その瞳には、迷いと、決意と、そして——かすかな笑みが浮かんでいた。


【次回予告】


(——来た。ついに、来る。小牧・長久手の戦い! 秀吉と家康が激突する、天下分け目の大決戦! 歴史の教科書で太字になってるあの戦いが、もうすぐこの目で見られる!)


「でも——その裏側で、私はあの白い犬と再び対峙する。忠助。後のシロ。戦場で傷つき、それでも主のために戦い続ける、『鬼の犬』と呼ばれる獣」


「あの犬は、これから崖から落ちる。そして、桃太郎に救われる。それが、本で読んだ歴史だ。私は、その歴史を変えられない。でも——救える命は、あるはずだ」


「お前は、誰に救われたいんだ」


「犬は答えない。ただ、じっと私を見つめている。その瞳の奥に、私は確かに見る——運命の歯車を」


「次回、第15話『忠犬の選択』。私は、影の戦士として、歴史を守りながら、あの犬の運命に寄り添う。誰にも知られず、誰にも気づかれず——それでも確かに、そこにある命のために」


「……って、真面目に締めくくったところで、一つ暴露情報を」


「太幽って、こんな歴史関連の小説書いてるけど、中学時代、歴史の成績1だったらしいぞ? 信じられる? 天下統一とか水攻めとか中国大返しとか、あんなにリアルに書いてるのに、テストでは『織田信長の次は徳川家康』とか答えちゃうタイプだったんだって! 担当編集者が『歴史だけは調べて書け』って泣きながら説得したとかしないとか!」


「……まあ、そんな奴が書いた物語だからこそ、私はここにいるんだけどね。太幽、お前の想像の斜め上を、私はこれからも突っ走ってやるからな!」


(よし、行くぞ! 歴史の最大の激戦——私は、その影で、何を守り、何を見届けるのか! そして、あの犬の運命は——!)


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【第14話・完】

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