とけいの針
俺の口元が自然に膨らんだ。
子供っぽいのだが、燻る不服は隠しきれない。
何かを言おうと、息を吸い込んだ。
牛御前が右手を前に出して、俺を制止した。
「落ち着けと?」
俺は眉を寄せ、そっぽを向いた。
牛御前が言った。
「確かに朝早い。でも、お前、ずっと早朝モードをループしているんだ」
俺は、ついに可笑しくなった。
「クッ」と笑いを堪える。
「だから、結局、同じようにピンポンしている」
俺は、牛御前を見つめた。
俺は、頭の後ろをがむしゃらに掻いた。
「早朝モード?ループ?」
俺の呟きを牛御前の耳が拾った。
「そう」
牛御前は、この短い言葉をゆっくりと言った。
「さっぱり、わからんですな」
俺は、詐欺師に対決している気分だった。
これは、ビジネスの勧誘なのかもしれない。
牛と赤ん坊は、奇抜な組み合わせだ。
牛のマスクを外せば、きっと、普通の人なんだろう。
俺だって、「トータルアドバイザー」という肩書きで働いていた。
つまり、営業だ。俺は、こいつらに負けるつもりはない。
ここまで考えて、俺は不意に動きを止めた。
「あれ、待てよ。働いていた?俺、過去形で言ったか?」
自分は今も会社員だ。
「働いている」し、これから出勤する。
俺は、居間の壁の時計を見た。
「あれ?」
デジタル時計になっている。
おかしい。
壁掛け時計は、ユキが引っ越しの時に買い揃えていた。
丸い形で、数字の色がそれぞれ違っていたものだった。
「それが可愛い」と、ユキは指差して手を叩いて喜んでいた。
針の先が矢印になっている、アナログ時計だった。
牛御前が、潤んだ瞳で俺を見ていた。
まるで、俺の思考を読んでいるかのようだった。
「今、気がついたよな」
「えっ?」
「いや、とぼけるなよ。お前、何か違うと思ったはずだ」
俺は食卓に肘をついて、頭を抱えた。
指を頭皮に這わせる。
確かに、何かが微妙に変わっている。
「俺が、こぼした牛乳。べか太郎の吹き出した牛乳はどうなっている?」
牛御前が聞いてきた。
俺は、顔を上げて、見回した。
「それは、」
言いかけて、言葉を飲んだ。
白い汚れがある場所は、なかった。
べか太郎が、「それは」と俺のコトバを真似した。
俺の横にある椅子の背に頭を突っ込んでいる。
「あの頭でも、軽く入るだろうな」
俺は意地の悪い目つきになっていた。
べか太郎は、「それは」を言い続け、ケタケタ笑っている。
俺は、べか太郎の後頭部を見下ろしていた。
「はぁーっ」と深いため息が出た。
牛御前が、デジタル時計を顎で示した。
「今、午前四時。このループの滞在は五分だ。もうすぐ、また次の繰り返しになるんだ。お前の言う、ピンポンダッシュだ」
そう言って、早口になった。
「お前が、気を失ったから、俺たちは話す時間ができたんだ」
牛御前が立ち上がって、俺の腕を掴んだ。
「ループを抜けるには、今、俺たちとここを出るしかない」
べか太郎が手を振って、下で暴れている。
頭が椅子から抜けないらしい。
「バリリ」と音がして、木の椅子の背が壊れた。
べか太郎は枷が取れて、ホッとして座り込んでいた。
風呂上がりのような顔で俺と牛御前を見ている。
こいつらと、一緒にドアを出るのが何故だか恐ろしい。
できそうにない。
ここが、俺の居場所だ。
「早くしろ、行くぞ」
「なんで?俺を」
「説明すると思うか?」
冷たい一瞥を俺によこした。
牛御前は、べか太郎を促した。
次の瞬間、俺の体は、べか太郎の舌に巻かれた。
「あと、一分しかない」
牛御前は自分の腕時計を確かめ、壁の時計を見た。
「あの、時計、遅れているや。間に合わないかもな」
俺は舌に巻かれたまま、べか太郎に抱えられていた。
牛御前とべか太郎は、ドアに猛ダッシュした。
さっき壊れたはずの居間の椅子は、元通りになっていた。
それが、最後に見た部屋の様子だった。
牛御前が玄関のドアを蹴飛ばした。
外に出る時、ひどい耳鳴りがした。
俺は肩をすくめて目を閉じていた。
「こっちだ」
牛御前が、でかい声で、べか太郎に言った。
角の非常階段へ向かっていた。




