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コロは、なにも答えない。答えられないほど、発作が苦しいのかもしれない。けれど、まだそこにいてくれる。僕の話を、黙って聞いてくれている。
「運転手さんは、猫を避けようとしてとっさにハンドルを切ってしまったんだって。『一生かけて償います』って、泣きながら土下座をしたその人を、お母さんは許した。僕だって、運転手さんが本当に優しい人なんだってことはわかったよ。でも、でも、やっぱりおかしいよ。なんで春花だったの? 僕だって猫のことは大好きだけど、助けようとした運転手さんの判断は間違ってなかったと思うけど、でも、でもさ」
そこまで一息に言い切ってから、ぐっと下唇をかむ。右肩が急に重くなったような気がして、これ以上の言葉を出すことをためらってしまう。でも、それは逃げだ。僕はもう、逃げたくない。
「春花を殺すくらいなら、猫を殺してほしかった」
そんなひどいことを考えてしまう自分のことが、僕はずっと大嫌いだった。
僕の言葉を理解しているのか、していないのか。猫又が優しく体をこすりつけてくる。その温もりに、どうしようもなく胸が痛んだ。
「春花が死ぬくらいなら、僕が死ねばよかったんだ」
ずっとずっと言ってしまいたかったけど、誰にも言えなかった。なんでも話をするお母さんにも――お母さんにだけは、絶対に言えなかった。
「……だからヒノモトでのアンタは、女の子になってるのか」
コロに言われて、ようやく気づく。いや、本当はもうずっと前から気づいていたのかもしれない。
どうして自分が女の子になっているのか。自分が本当に心から望んだ姿が、どうして自分にそっくりだったのか。
「アンタは女の子になりたかったんじゃなくて、春花に生きててほしかったんだな」
どうしても認められなかった答えを、コロが形にしてくれた。
一度ぎゅっと強く目を閉じ、大きく息を吸い込んでから、僕はうなずく。
「……そうだよ。そうだよ、だって、絶対に春花のほうが助かるべきだった。立ち尽くして動けなくなってしまった弱虫の僕なんかじゃなくて、あんな場面でもとっさに誰かをかばえる強くて優しい春花が生き残るべきだった。いつも明るくて誰からも好かれる人気者だった春花じゃなくて、どうしようもない僕が死んでしまえばよかった」
滝のように、言葉があふれて止まらない。三年前のあの日から止まっていた時間が、ようやく動き出したかのように。
「春花なら、僕が死んだって前を向いて生きていける。僕みたいに、いつまでも車を怖がって通学路を遠回りしてお母さんを困らせたりしない。猫にだって、ちゃんと優しくできる。雨の日だって笑っていられる」
春花なら。
春花なら。
僕じゃなくて、春花だったら。
「俺は、アンタが好きだよ」
――雷に、打たれた。
呼吸が止まる。心臓が止まる。僕の体の中から、音が消える。
やがて、全身に新しい血液が、ゆっくりゆっくりと流れていく。
いつの間にか俯いていた顔が、ゆっくりゆっくりと上がっていく。
僕に雷を落とした雷神は、恐ろしい鬼の面の下で、穏やかに笑っていた。
「泉に飛び込んで鬼を回復したり、橋の上から鬼もろとも飛び降りたり、わざわざレインボーのカッパを探しに来たりするハルキとかいうおかしな奴に会えて――俺は楽しいよ」
どれもこれも、春花っぽくない。春花だったら、きっともっとスマートにしてしまうから。
でも、ぜんぜん上手にできない僕のことを、コロは受け止めてくれる。それでいいのだと、言ってくれている。
「アンタは何も悪くないんだよ、夏樹」
暖かい日差しにも似た熱が、じわりと胸に沁み込んできた。硬くて冷たくて石のようになってしまっていた後悔を、柔らかく溶かしてくれる。それはやがて水に変わり、いつの間にか僕の頬を流れ落ちていった。
ああ、知らなかった。ヒノモトでは、ちゃんと泣くこともできるんだ。春花がいなくなったあの日、一緒に死んでしまったと思っていた涙は、まだこんなにたくさん生まれてくるんだ。
――僕はずっとずっと、この言葉が欲しかったんだ。




