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車は安全運転で、順調に目的地へ向かっているらしい。らしいというのは、そもそも一度も行ったことがないから道のりがわからないということと、ずっと目を閉じて眠ったふりをしていたというのが原因だ。けれど、途中で立ち寄った道の駅などで吸い込んだ空気は、いつもと違う匂いと湿度と温度を運んでくれる。コロに近づいているかもしれないと思うと、胸が弾んだ。
「ほら、夏樹! 海が見えてきたよ!」
ヘッドフォンのノイズキャンセリング機能を軽々と乗り越えて、お母さんの声が耳に飛び込んでくる。弾かれたように顔を上げれば、フロントガラス越しに一面の海が広がっていた。
「ホントだ……! きれいだね!」
「あはは、夏樹ったら! まだ運転中なんだから、大人しく座ってなさい!」
ヘッドフォンを外し、運転席と助手席に手をかけながら身を乗り出して海を見つめる僕の頬を、お母さんの楽しそうな声が優しくノックする。
コロについて、お母さんにはなにも説明していない。僕のわがままに付き合わせるのは申し訳なかったけど、こんなふうに笑ってくれるなら、思い切ってお願いして正解だったのかもしれない。
「この道を左に曲がって、そのまま海岸沿いにまっすぐ進めば右手にレインボーのカッパが見えてくるはずだよ。お母さん早く早く!」
「わかったわかった。もー、夏樹ってば、いつからそんなにカッパが好きになったの?」
後部座席に座り直し、窓を全開にして強い海風を顔面に受ける。近くに車がいないせいか、ためらいも恐怖もほとんどなかった。ただ、早く早くと、気持ちばかりが先行する。もどかしくてたまらない。
「あった……!」
やがて見えてくる、虹色のカッパ。海岸近くの小さな公園のような場所に堂々とそびえ立っている姿が、遠くからでもはっきりとわかる。けれど車はちょっとした渋滞に巻き込まれてしまって、なかなか距離が縮まらない。そういえば、ちょうど近くでカッパのイベントが行われていると情報サイトに書いてあった。きっと、そのせいだろう。
「お母さん! 僕、先にカッパのところに行ってるね!」
「え、夏樹!? 危ないよ、ひとりでだいじょうぶっ!?」
「だいじょうぶ! あとで電話するから、駐車場で待ってて!」
車が止まっている間に、僕は勢いよく飛び出した。慌てるお母さんの声を背にしながら大きな歩道を横切り、砂浜へと続く広い階段を降りる。
キラキラ輝く海を脇目に、ただ虹色のカッパだけを見て。前進。直進。砂の柔らかさと熱さをスニーカーの裏に感じながら、一歩一歩を強く踏みしめる。たまに足をとられてよろけながらも、負けじと踏ん張って。走る。走る。走る。
ここまで必死に走ったのは、いつ以来かな。それも、誰かに会うために、なんて。こんなにつらくて楽しいこと、人生であと何回くらい経験できるんだろう。
「……つ、ついた……、カッパ……」
かくして僕は、めでたくレインボーのカッパと「はじめまして」をすることになる。真正面に立ち、荒い息を整えるため上半身を九十度に折り曲げている姿は、はたから見ればカッパに対して深々とお辞儀をしているようで、ちょっと不気味に映ることだろう。けど幸いにも、僕のほかに人影はなかった。
「よし」と一息ついてから、僕はカッパを中心に辺りを見回す。カッパはあくまでも目標値点。本当の目的は、コロを探すことだ。コロはたしか「俺の部屋からもレインボーのカッパが見下ろせる」と言っていた。ということは、この辺りの高い建物――この近くのマンションに住んでいる可能性が高いんじゃないだろうか。
カッパの背中側には海しかないので、カッパの視界に入る範囲に絞ればいい。ざっと見るかぎり、該当する建物はいくつかある。けれど当然ながら、僕は超能力者でもなんでもないので、そのうちのどれにコロが住んでいるかまではわからない。
そもそも、コロの言っていたレインボーのカッパが、僕の背後にいる虹色のカッパであるという確証はないのだ。珍しいから、きっと日本に二つもないはずだと思い込んでしまったけど、それが間違いなのかもしれない。
だいたい、会ってどうするんだろう。無事だったことを確認できればそれでいいと思ってたけど、本当にそれでいいのか? なにか大事なことを見落としてないか?
そんな答えの出ない葛藤をしながら、虹色に輝くカッパの周りをうろうろすること実に一時間。その結果、僕は思った。
――うん、帰ろう。
ずっとヒノモトにいたから、感覚がおかしくなっていたのかもしれない。現実世界でも、なにかができるんじゃないかって。なにかを変えられるんじゃないかって。
僕には、なんの力もない。そんなことは、三年前から痛いほどわかってたはずなのに。
「……あれ、なんか鳴ってる」
おしりのポケットに入れていたスマートフォンが、着信音を響かせながら小刻みに震えている。てっきりお母さんからの電話かと思ったら、ヒノモトからのプッシュ通知だった。画面の上のほうに、ひょっこりと表示される小さなメッセージウインドウが、アップデートのためのメンテナンスの終了と、麗春祭の期間限定ボス――火車の実装を知らせてくる。
火車。火の車の物怪。車。きっと僕は絶対に戦えない。そもそも、メイくんもコロもいないのなら、戦う機会さえ訪れない。ううん、ひょっとしたらヒノモトに行くこと自体が、もうないのかもしれない。
「……」
しばらく画面を見つめてから、大きなため息をつく。最後にもう一度だけ、ぐるりと辺りを見回してから、僕はカッパに背を向けて歩き出した。
来たときとは正反対の、ゆっくりとした重い足取りで、お母さんが待ってくれているはずの駐車場をめざす。ずっと上を向いていたせいで痛くなった首を、今度は石畳しか目に入らないくらいに下へと落としながら。
車が視界に映り込まないように。涙がにじんだ目を、誰にも見られないように。




