閑話・先ずは(拳で)語り合ってみましょうか
アレックス殿下の要望書から書き起こした屋敷の見取り図と元の見取り図。
それを持って職人達に会う。
水回りも手掛ける事、複数箇所に渡る事。専門それぞれに把握をしておいて貰いたいとアレックス殿下が言うので、集まった人数は多い。
壁紙を貼ってから、配管を通すのに壁板を外しますだなんてつまらない行き違いを無くす為に。それぞれが、全体の把握を徹底して欲しいと言って。
確かに、この二十年程は手付かず。特に水回りは。クルシェは、執務と寝るだけで、そういうのは本邸と別邸を繋ぐ中屋敷を一緒に使用している。
アレックス殿下は、いっそうのことこのままでもいいんじゃないかと言ったりもしたが、このあたりで屋敷へ手を入れて貰いたいのが使用人一同の願いだ。クルシェと二人ないし来客を考えたら、昇降機とか使用人通路とか色々手直しがいる筈だ。古くても、良いものは良い。だが、このままの人数で屋敷を回していくなら、改善は必要だ。
クルシェもそうだが、多分、アレックス殿下もあまり人を増やす気が無いだろう。
そうして昼時。
アレックス殿下は刺繍に夢中なクルシェの元へ。私は食事の手配へと別れた。
そして後悔した。指示だけ出して、共に来れば良かった…。
食事は執務室でとの事で、二人分の配膳を運んで入室すると、妹の後から首筋に顔を埋めるアレックス殿下が居た。
思わず声を掛けたが、駄犬だ! アレックス殿下は、待ての出来ない駄犬だった。
放心したようなクルシェの顔に、ショックの強さが伺えた。
何をしやがったんだ? 言うに事欠いて「俺も、俺のだって印を付けたかったんだから許して」だ? 手を出すなと言っといただろう!
アレックス殿下の顔があった白い項に、色付いた赤い印が存在を主張する。
ここで言い争ってもいけない。違った意味でもクルシェが困るだろう。妹の困る姿は見たくは無い。
深呼吸…をすると、動揺が分かってしまうので、勤めて平静を装う。
「少し…。お話しをしましょうか…」
がしっと肩を掴んでクルシェから引き離す。
そのクルシェが心ここに在らずをいい事に、アレックス殿下を部屋から連れ出した。
耳を引っ張るでも、髪を掴むでもなかった俺を褒めて欲しいくらいだ。乱暴な言葉も抑えた。
空き部屋の一つにアレックス殿下を押し込むと、廊下に居た殿下の護衛も着いてきた。
致し方無し…。
「なあ、ダリル兄上?」
部屋の中程のテーブルセットのソファーにさっと腰を下ろしたアレックス殿下が、私を見上げた。
「昨夜の事を考えたんだけどな、これはもう、さっさと結婚した方がいい気がするんだ」
おい! 何処から結婚の話しだったよ。嫌、結婚するまで妹に手を出すなは言っておいたけど。
「こう、色んな事考えると、本当に今すぐ結婚したほうが…。兄上は、どう思う?」
言葉に出来る事が思い浮かばず、じっと彼を見る。
「クルシェのあれは困るよね。刺し終わった刺繍を確かめるのに、指先で撫でるの。何度か見て来たけど、さっきのはぐっときすぎ」
蕩けた顔で思い出すのはやめてくれ。
クルシェのそれは、出来栄えを確認するものであって、アレックス殿下が考える様な事では無い。断じて無い!
「触れたいとか抱き締めたいとかっていうのは、男特有なのかって思ってたけど、案外女の子もそうなのかな? ん? 抱き締められたい? でもさぁ、クルシェの刺繍は、俺が俺の色で飾りたいと思うのと同義だよね」
昨夜の時点で、存在を隠すようにひっそりと刺された刺繍を見ている。そうだと言えばそうだろう。
だがそもそも、その兄に向かって、何言い出してるんだ?
「それと、お願いしてあった事を破られていい訳では、無いと…」
「それは悪いと思う。悪かった。申し訳ない」
眉を顰めてから、ぺこりと頭を下げた。
悪いと思うなら、初めから我慢してくれ。それ程悪いとは、思って無いだろ殿下。
「だから、さっさと日取りを決めるにはどうしたらいいのか、一緒に考えてくれ兄上」
「日取りは、確かに決めてもらわなくてはなりませんが、それは二人ででは? 兎に角、直ぐに結婚とか、首筋に口付けるとか、訳が分かりかねます」
「え? だから俺のだよって…。あ、それを我慢するのは、はっきり言って辛いのが一番。それでも、中等科の卒業までか、場合によっては高等科もで、時期に関しては、これっぽっちも話し合ってないんだ」
はぁ〜っと、深い溜息をつく。
「後回しでと思うんじゃなかった」
「当初に思った通りではいけないのですか?」
「これは、恐らくだけど自分達で決めましたって言うのが必要だと思うんだ。一つ目はクロイス。二つ目は間もなく生まれる赤ん坊。婚約者のままより、公爵家に入ってた方が都合がいい筈。なのに…」
なのに王家として具体的に動こうとしてない。かと言って、殿下がレイナードに入り込もうとするのを止めない。それどころか、謎掛けの様に送り付けた貴族議会服。
アレックス殿下が言うに、政略結婚では無いと見せたいのでは無いかだ。
「そこでだけど、どうしたらさっと婚期の話しが出来るか…。本当に今更感があり過ぎて…」
ぼそっと「既成事実」の声がする。
やめて下さい。妹には幸せな結婚をして欲しい俺達の気持ちを分かってくれ!
「アレックス様は、陛下に意図があるとお考えですか?」
「ああ。対外的にも結婚は早目の方が望ましいと、親父殿は思ってる。なのになのは、理由が分からないが、何時婚儀を挙げろと言うのを控えてるのにはつまらなくても理由があると思う。そこでだ、兄上。ルーキンス事情があるから結婚は何時にしようとクルシェに言って、クルシェはどう思うか…」
これでもかと息を吸い込んで大きく吐き出す。
「その方がいいならと、言うのは分かってる。だけど、なぁ…」
ポンポンポンと短い時間で婚約までした男が、何を言い出しているんだ…。
つられる様にため息が口をついたのは、殿下につられた訳じゃ無い。
クルシェと殿下の事は、国に戻ってからは勢いとタイミングだったと思う。陛下は、国として口出しするよりも、この波に乗せたいって事だろうか? …父さんも?
口出しも手出しもしようとしない父を思い出す。
ですが、殿下。それとこれとは別の話しですよね。
小さいながらも意趣返しを考えた。
「アレックス殿下。庭へ参りましょう」
「へっ? 庭? 兄上、俺の相談は?」
「誰が何を考えているだなんて、分かる訳無いじゃないですか。無駄な体力があるから、余計な事をなさるのだと思いますよ。ですから、よろしくお願いします」
そう。しっかり体を動かして、余計な事をする体力を消費して頂きましょう。意趣返しでは無くて、これは自衛です。大切な妹を毒牙から守る為の自衛です。
勿論私も、これ以上余計な事は考えたくもありません。
庭へと出れば、アレックス殿の護衛は苦笑いしながら私達を見る。
向かい会った殿下は、手首を回して準備運動中。
何だか、付き合いがよすぎる。俺はレイナード家の執事で、今は職務中。不敬だと誰も止めないが、それでいいのか護衛騎士よ。
「ダリル兄上、何を持つ?」
模擬剣か棒か? アレックス殿下…。私は騎士ではないのですよ。
「持つも何も、私は最近カトラリーより重いものは持ってないですから。出来れば…」
出来れば拳で。打撲でも怪我は怪我。慣れないものを振り回す趣味はありません。
掴みかかるように拳を出せば上手に避ける。剣技は素直だと認識していますが、避ける為の視力は良いようです。反射もいい。ならば、後は持久力。
「な、ぁ。兄上?」
「喋る余裕があるなら、制する一手を考えては?」
「舞踏会で言おうかとも思ったが、あれ、貴族議会の後だろ? だから、その前に。何時がいい?」
私から距離を置いて、一気に喋る。
「変なのが出てきても困るし」
ああ、夢を見た伯爵令嬢ですか。
「王子妃の何に夢見てんだか知らないが、あれだけじゃ無いだろうし。それより、クルシェにだってちょっかい出してきた奴だって、居ただろ?」
「直接は、アレックス殿下が初めてですよ。それより、集中して下さい」
話すの重視で避けられ続けていたら、連れ出した私の面目が立ちません。一層の事、獲物でも持ちましょうか…。
なによりも、ここ数日で上がった殿下の体力に脱帽です。
「眠い頭で考えても、いい考えが、浮かばないから相談して、る」
なら、来るものを避けていたって、何も思い浮かばないですよね。
うっすらと額に汗が浮かんだ殿下と、一度休憩と動きを止めた。
私達を囲む者が増え、誰が知らせたか、グレイまで帰って来ていた。
職務はどうしたと問えば、休憩中だと。何時任務か分からないんだから、そこはちゃんとしろ。そう言いかけたが、自分を棚に上げて言う事じゃ無いと口を噤んだ。
ろくな休憩も無く、アレックス殿下がグレイと手合わせを始めた。
次々と相手が変わる。
が、グレイにも、婚期を決める相談をしたとか…。
どれだけ頭の中を結婚で一杯にしてるんだと突っ込みたい。
が、それだけ想われていると、妹は幸せなんだと、思ってもいいのだろうか。
休ませろとアレックス殿下が大声を出す。それに、体が覚えるのが一番と答えて剣を向ける騎士達。
殿下。私達の妹は、本当に愛されているのですよ。愛しいのは分かりますが、とても大切にして頂かないと。
クルシェが、殿下を探しに来た。
思考より本能の殿下は、対した騎士の脇を抜け、クルシェの前に膝をつく。開口一番の「結婚してくれ」。直ぐに、せめて自分の卒業時。そう言う殿下に、クルシェは「はい」と返事をした。
目の前で妹が抱き上げられて連れて行かれる。
アレックス殿下を見る嬉しそうな、幸せそうなクルシェの顔を見たら、その身を取り返そうとする事は止めた。
見送った一同も、同じだろう。なぁ、グレイ。ロレインの時も、あっという間だったけど、クルシェも直ぐだ。というか、持ってかれた。
何となく見送った後。クルシェの寝室に連れ込まれたと侍女が知らせに来たので、急いで行けば、幸せそうに寝息を立てる二人が居た。
クルシェも細かい作業でお疲れ様なら、アレックス殿下も寝不足と手合わせでお疲れ様だった様だ。
これから、この屋敷も変わっていくのだろうな。
今話もお読み頂きありがとうございました。




