閑話・ダリル兄さんは職務をまっとうする
レイナード家執事のお兄ちゃんのお話し。
内ポケットから時計を取り出す。
肌寒さを感じる様になったから、寝る前に湯を使う事にした手前そろそろの頃合い。というか、これ以上時間が過ぎれば、彼の寝る時間が遅くなる。
年上の者達の中に、当たり前の様に入り込んでいるクロイスを連れ出し、浴室を経て寝室のベッドへと沈めた。
ヨシュは、クロイスに甘過ぎる。
クルシェに似て華奢な体付きなのだから、育つ為にも、適切な睡眠が必要な事に気付かないのか、気付いていても主人の時間を邪魔したくないのかだが、従者失格だ。
騎士団官舎で生活をして、週末に屋敷に戻る。本人は楽しんでいるようだが、幼い体だという事を留意しなければならないというのに。
あの場に居た面々を思い浮かべる。
アレックス殿下を初めとした年長者も、心に留め置いてはくれないだろうか?
そう考えながら、戸締りを兼ねて廊下をいけば、明かりの漏れる部屋がある。
私の異母妹でありながら公爵家当主のクルシェの部屋だ。
私室というか、執務室。その隣の仮眠室を頑なに使っている。
兄弟といっても隔たった立場や、置かれた状況、膨れ上がった寂しさが、この屋敷内と自分への無関心に現れていた。どれだけ私を含めた兄弟が可愛らしく部屋を整えようとしようとも、この屋敷に関しては、一切を許そうとはしなかった。つい最近まで、廊下の花台にまで埃避けの布が掛けられていたくらいだ。
それ程、クルシェにとってレイナードの家は無機質な程寂しいものだったのだろう。
私達兄弟の前でも臆面も無くクルシェを最愛と言う父自体、レイナードとしてのクルシェには一線を引いていた。外側からなら姑息な手を使ってでもの癖して、馬鹿な父だ。
それも、この数ヶ月。私達兄弟にとっては、クルシェの異父弟のクロイスが訪れたのを機に停滞していたものが、一気に動き出した。
今を言うなら、一人ぼっちのレイナードが二人になった。
その上で良い面を上げれば、今までが悪すぎた事が目立つだろう。唯一悪い面を上げるなら、クルシェに婚約者が出来た事。別邸に居場所を作ってしまったアレックス殿下だ。アレックス殿下が悪いのでは無いが、高位貴族なら既に整っていてもおかしくなかった婚約。文句を言うなら、話の流れが早過ぎるだ。
様子を伺おうとノックをする。
返事は、無い。
もう一度。
静かにドアを開ければ、ソファーに座ったままで瞼を伏せている姿があった。
先週中に送られてきていたアレックス殿下の服(多分、というか貴族議会用)と学園の制服、刺繍道具が広げられていた。
また夢中になり過ぎたのだろう。
子供の頃から体を動かすのを得意としなかった妹は、手先を使った事に特化したと言っていいだろう。そして夢中になると周りも時間も見えなくなる。その出来栄えは誇れるものなのだけど…。それで体を壊しては、話しにならないと分かってくれれば、嫌、私が気を付ければすむ事だった。
手元に針を持っていないかを確認して、殿下の服を片付ける。
膝の上にあった刺繍の図案本には栞を挟んでどけた。
そうしてから、クルシェを寝かせようと抱き上げた。
「ん、兄様?」
薄っすらと瞼を上げても、とろんとした様子だ。
「眠い時には刺繍はしない!」
「…針は、持ってなかったのよ」
「持ってなくても、約束だから」
「でも…。どんな刺繍を入れたらいいか、分からなかったの」
だから、ついつい服と図案を並べて考え込んでいたと?
ベットへと下ろせば、起き上がろうとする。
問答無用で室内ばきを脱がせて布団を掛けた。
もう寝るようにと促せば、私の手を掴んで見上げる視線とぶつかった。
「お兄様。お父様がどちらに居るか、知ってる?」
「領地に。あちらのお祖母様から、相談を受けて出かけて行ったよ」
「そうなの? 知らなかった」
「急いで行ったけど、すぐ帰ってくるよ」
「…うん」
それでも手を離そうとしないので、私は、ベットに腰を下ろした。
「どうした?」
「…うん」
眠いくせして寝ようとしなかった頃を思い出す。
私とグレイは、兎に角クルシェを寝かしつけるのに苦労させられた。
共寝をしてやれば寝息が聞こえてくるのだけれど、頃合いを見て離れようとすると、途端に起きてしまう。そうなると、ぐずり始めてなかなか寝付かない。一緒に寝ると決めたら目覚めるまで一緒のロレインと違って、私が離れると分かっているから、少しの事で、過敏に反応するのだ。
十分な睡眠が取れない事で倦怠感と食欲不振。
…やはり子供には、睡眠が大切だ。昼寝をすればいいというのでは無いのだから。
そしてクルシェにも、寝る事は大事にしてもらいたい。
一度崩せばもともと細い食。病的に痩せるのなんかすぐだから。
問答無用でベッドに運んだが、体が温まる様に、足湯でも用意した方がよかったか? せめて今からでもホットミルクでも。
「お父様。何か言っていた?」
「何を? 殿下の事か?」
返せば、小さな頷きが返る。
クルシェの繋いだ手は温かい。眠くない訳では無いみたいだ。
ならば気になる事を言葉に出してしまいたいのだろう。聞いてくれと、甘えているのだろう。
「結婚が嫌なのか? なら一言言えば、直ぐにでも無かった事にできるよ。というか、親父ならする」
「そういうのとは、ちょっと…」
違うのと言葉が消えていく。
「アレク様の事もね。好きなの。傍にいたいのよ。でも…、なんていうのかしら…」
通常の婚約の流れを知らないが、多分、この婚約の話しの流れ方は普通では無い。だから、的確に私達も動けない。まして、今クルシェが感じているのは心の戸惑い。親がお膳立てして従うだけの娘では無い。自らが動いて初めてすすむ。だから進んでも進まなくても、戸惑いを感じるのだろう。
私には何かを言ってやれる事では無い。それが辛い。
長い沈黙で眠ったかと思ったが、ため息で、起きていると伺えた。
「アレク様ってね。踏み込んで来るのよ。ちゃんと待っててくれたり、引っ張られたりで、気が付くとそこにいて下さるの。俺を見てと言いながら、私を見てるの」
繋いだ手をゆっくりと撫でながら次の言葉を待つ。
これは、親父の役割では無いのだろうか? そんな事が過ぎる。嫌、あの親父にそれを求めても駄目だろう。猫っ可愛がりしてる癖に、肝心な事となると一言も言えない駄目親父。
「私の中で、ちゃんとアレク様が居るの…」
「それで、何を悩む?」
「刺繍よ。貴族議会用の」
はぁっと、胸の中全てを出したような、深いため息。
「何故、刺繍がされてから送られてこなかったのかしら? 刺繍が刺されて無い意味って、何かしら?」
クルシェの疑問は、私を含めた使用人の疑問でもあった。
後十日程後に、貴族議会の御前会議がある。クルシェも、この会議から当主として顔を出す事になっている。成人を迎えた以上は、避けられない責務の一つ。
議会用の服は、裾に切れ込みの無い長衣。送られて来たのがそれな以上、アレックス殿下の出席を示唆するものだ。
殿下や騎士は本来なら礼装時も騎士服が基本だが、事、議会に関しては、剣で争うものでは無いとして、武力では戦わないという装いなのだ。国王陛下でさえも。
そして、クルシェの言う通り、刺繍が問題になるだろう。
長衣には、その家を表す図案を刺すのが習わし。
レイナードでは盾と山百合。王家は剣と獅子。
既に出来上がっているクルシェの衣装は、襟、袖口、裾に蔓草と山百合。左胸に盾と山百合が刺してある。
なら、アレックス殿下のものには? こちらに送られた以上は、刺繍を入れるのは我がレイナード家だが…。指示を出すクルシェが戸惑うのも無理は無い。
そして、指示を出すのに助言の出来ない自分が歯がゆい。
レイナードはここ十数年。貴族としてはまともに機能していない。必要なノウハウも他家から。貴族として、まして公爵として生きていかなければならないこの異母妹を助けたのは伯父伯母だ。寂しさを少しでもと、執事見習いへとなったが、今となっては、それが最善だったのだろうかと思う時がある。健康の心配はできても、執事としては役に立つ事が少ない。
「殿下の制服には、山百合を刺したんだろ? なら、それでいいんじゃないか?」
私はさっき殿下の制服を手にした時に見た。襟の裏側に山百合が刺してあったのを。レイナードの者だけの、クルシェが初めて自分以外に刺した花。
恥ずかしそうに視線を反らせた後、瞼を伏せた。
実質にはまだ婚約者なのだから、殿下の私物に刺繍を入れるのならレイナードの山百合よりも相応しいモチーフはあった筈だ。
それなのに山百合を…。無意識下の心は本当に正直だ。
「だけど、まだだわ…」
まだ、何だ? まだ婚約者だからか?
週末事にレイナードに居て、婚家の事を知ろう携わろうとする殿下に、何を気を使う。むしろ喜ぶの一択だと思うのだが…。
「先ず、殿下に聞いて見ればいい。王子としてなら王家の紋章を。レイナードとしてなら山百合を。場合によっては、刺繍無しも有り得るのじゃないか?」
「…それでいいのかしら?」
「クルシェ。話すという事は大切だ。先ずこれに関しては王家の意図が分からない。殿下の考えも分からない。二人でどうするのかも。全部話し合って、二人でレイナードの事を決めていくんだよ」
小さく息を飲み込むクルシェ。
思い悩んでくれるな。同じ兄でも、何故レイナードではなかったのかと己の身の上を嘆きたくなる。
「何を刺すにしても、休まないと良い物は出来ないのだから、もう寝なさい」
離れない手はそのままで頭を撫でる。
思い詰めたような呼吸が、穏やかな寝息へとかわるまで。
もう一仕事。
寝入ったのを確かめてから、明かりのある執務室に戻る。
明かりを消す事は勿論だが、クルシェの話しを聞く間、そこに人が居るのに気付いていた。
「夜這いは推奨しませんが」
アレックス殿下だ。
ご自分の制服の襟を返して見ている。
私と目が合えば、何とも気まずそうだ。が、気まずいと思うなら、早々にここを去ればよかったのだ。
早寝は子供だけだとしても、婚約者とはいえ、女性の部屋を尋ねる時間ではありませんよ。
そんなのは、時計を見ずとも分かる事。
「盾こそありませんが、その花はレイナードの花ですよ」
明かりを消して、部屋を出るように促す。
「夜這いとかじゃ…。まだ寝てないのかと思って」
「もう、休みました(クルシェは)」
「なぁ、兄上」
「…何でしょうか、アレックス殿下」
「殿下はいらないと言ったんだけど、な」
「公私は大切ですので」
「…可愛いんだろ? 寝顔も」
足を止めて、クルシェの部屋を振り返る殿下。
「……何、を。いいえ。そうですよ。欲目無く、全部可愛いですよ」
「そうか、可愛いよな」
そう言うとため息を一つ。
「聞くつもりは、無かったんだ」
「いえ。聞いてもらって、手間が省けました」
それで、クルシェが思い悩んでるのは本当だからだ。
アレックス殿下の使っている別邸の部屋の前まで送る。
何が気になるのか、後ろをチラチラと振り返る殿下。私を気にしていないのは、目が合わないので丸分かりだ。引き返されての夜這いは断固阻止させて頂きましょう。
無駄に行動力のあるところを見せるアレックス殿下。それは、クルシェの憂いを取り除く事に使ってもらいたい。
「刺繍の件もですが、曖昧な事は止めて頂きたいものです。ハロルド・アーデンテスの留守にクルシェと殿下を試すような事は」
敢えて父とは言わない。ハロルド・アーデンテスと父の名を言った。
誰が…。陛下の指示だろう事は推察できる。
陛下は、父の事をよくご存知だ。居れば父の意見を、その意図に繋がるヒントを聞く事になるだろう。そうしてからの行動を見たいのでは無いのだろう。
ならば、ご子息である殿下に、上手く立ち回ってもらわないと、クルシェが困るのが困る。
一人で考え過ぎて、寝不足や食欲不振になったら、どうしてくれるというんだ。
「それでは、アレックス殿下。お休みなさいませ」
扉の向こうへと立つ殿下に、就寝の挨拶で頭を下げた。
「ああ。ダリル兄上も、お休みなさい」
そしてパタンと扉が閉まる。
アレックス殿下も、素直な方だ。
兄と呼ぶ。呼びたい。その言葉通りに歩み寄ってくる。クルシェの言う様に、心に入り込むのが上手な方なのだろう。
さては兎も角。今日の私は不寝番。こちらの戸締りも、しっかり見て回らなければ。
週末の屋敷は、訪れる人も多くて、何時もより仕事が多いのも困りものだ。
今話もお読み頂きありがとうございました。
[今更その様な事を言われましても…]という連載を始めました。
まだ二話ですが、短い話しです。
そちらもよろしければお願いします。




