⑤
学園生として勝負の日の朝。《豊穣の実りを王太子妃殿下へ》と名前を付けたイベントが始まる。
「アレックス殿下。クルシェ様。おはようございます」
王宮前広場。並べる品を乗せた荷馬車を待つ俺達に声を掛けた女生徒。クルシェと同じにエプロン着用。髪には水色のリボンが。失礼しますと、クルシェにその髪にあるのと同じリボンを差し出した。
「クルシェ様。よろしければなのですが、このリボン、付けて頂けますか? 皆様とお揃いで、食べ物も扱うので、それで、あの...」
俺が隣に居るせいか、随分と恐縮した様子。
おどおどするな。俺は無害な王子なだけだからと、心の片隅で思う。皆の中に溶け込む程、垣根を取り払っては接して来てなかったのだから当たり前かな。それとも、用事のあるクルシェ自身の方? いやいやいや。学園内お茶会で、全てと仲が良いとは言えなくても、それなりコミュニケーションを築いている筈だから、それは無い。
視野をクルシェから周りへと広げると、声を掛けた女生徒と同じ様に、髪を編み込んでリボンを飾っている女生徒が居る。同じ様に気が付き「はい」と言って受け取ったクルシェは、俺を見上げて、離れてもいいかと瞳で問うた。勿論、行っておいでと背中を押す。
建物の横に隠れるようにして、微笑み合いながら髪を整え合う様子は、朝日の中というのもあって、尚更光って見える。貴族の子女がこの様な場所でと、眉を顰める者がいるかもしれないが、手先の器用な女子に髪を結われて、それを小さい手鏡で確認する声は楽しげだ。クルシェも髪をいじられている時は神妙にしていたが、手鏡を渡されて覗き込むと、周りの少女達と同じ様に笑顔を浮かべていた。
「何、自分だけ幸せそうなんだよ」
「おはよう。イヴァン」
「こっちは楽しそうで、癒される光景だな」
随分と不機嫌。もっと近くに人が居れば、見咎められても仕方無い口振りだ。だが、人気の無い時は通常なので、俺はそれを無視をした。
「あちらは、どうだ?」
「どうもこうも報告通り。酷い。ヴィニカ嬢とトヴィアスを中心で頑張ってるけど、予定外をされたら終わりな感じ。副学長は専門外。講師は、お嬢様の顔色を伺っていて、全然、全く」
「...そうか」
婚約者の居るトヴィアスを初めとして、男子生徒十人をあちらのサポートに向かわせていた。あちらがどれだけ無様だろうと構わないのだが、通っている令嬢には罪は無い。それに、王太子夫妻に向けての催しが、学生主体であってもお粗末は困る。
「兎に角。よっぽどじゃ無ければお茶会は終わるから。後は喫茶室の方で上手くいく事を願うばかりだよ」
頼むと声を掛けたら、手をヒラヒラ振って第一騎士団詰所へとイヴァンは歩いて行った。
焼き栗、焼き銀杏、串焼き、じゃがバター、ソーセージ、平パンのベーコンとチーズ挟み、スープ、芋餡か林檎のクレープ、林檎ゼリーと檸檬のソルベ。どれも銅貨一枚から三枚。丸パン一個が銅貨一枚を考えれば、『採算度外視、原価割れ』と、誰かが呟くのが聞こえそうだ。
木の実を使った焼き菓子のコーナーと、刺繍ハンカチや小物、孤児院から集めたバザーの品は、飲食する場所から少し離して配する。
俺とクルシェは、焼き菓子の担当。購入の希望があれば、植物の繊維で作られた手提げ籠(銅貨一枚)に、焼き菓子を入れて売る。この植物は、王都外れの河川に行けば手に入る材料だとか。編み上げる時に模様を入れているので、見たクルシェや女生徒が欲しがっていた。勿論、買いの予定。安いは関係ない。何が可愛いと思うかが大事だ。これを後に活かせばいいんだからな。
「アレク様。少しよろしいですか?」
可愛らしく身支度を整えたクルシェが、そう言いながら正面に回り込む。そして俺の歪んだエプロンの結び目を整えてくれた。それから背伸びをする様にして手を伸ばし、前髪を直してくれる。
朝からバッチリ幸せだ。
同じ様なやり取りが何ヶ所か...。照れながらなされるがままの同士の心中は、俺と同じで、さぞ幸せだろうと推測する。
香ばしい匂いが漂い始め、広場が開放された。
「いらっしゃいませ」
「いかがですか?」
「こちらをどうぞ」
「ありがとうございました」
十九年の王子生活で、これ程連続して言葉にした事は無い。また、この様に口にした事も無い。俺の口から出るその全ての言葉が新鮮。恥ずかしそうに、躊躇うようなクルシェの声も聞いた。平民の子女と比べて、声の大きさや気安さは望めなくても、その分丁寧に接してる姿は衆目を集める。貴族の子女だからと、訪れた人達に敬遠されない様にこちらから声を掛ける事を心掛ける。そんな俺の嫁(婚約者)は可愛い。誰にも見せないで閉じ込めたい。どうぞとクルシェが差し出した品を受け取る者が、男女構わず頬を染めるのを見て、俺がそう思っても致し方無いだろう。
朝一番はバザーに人が集まった。朝を食べてから家を出てるのだから当たり前だ。おかげでバザー品は半数は売れて、売り場は縮小。昼を目の前にしてから、食べ物も忙しくなると予想した通り、人集りになってる。広場には食欲を誘う匂いと、笑顔がある。
売れ筋の予想は串焼きかソーセージだった。その予想を裏切って、何故だか林檎ゼリーと檸檬のソルベ。氷菓はなかなか食べる事が無いので、せっかくだからと食べる者が多くいた結果らしい。三百食用意した終わりが近い。
人出の多さは心配だが、お茶会を終えた王太子夫妻を、いいタイミングで迎えられそうなのには良かったと、この場の皆が思ってるだろうと思う。人気も無く立ち尽くす自分達を見せる事にならなくて良かったとそう思う。
騎士団詰所を出た王太子夫妻は、先ず、こちらの焼き菓子とバザーの方に足を運ぶ。それを迎えて飲食の方へ案内する。その時まで、あと少し。
「アレックス殿下? 何故お茶会の方にいらして下さらなかったのですか?」
眺めてるだけで、幸せだった時間を壊す。今、聞きたくも無かったその声。親しくも無いのに、媚を売る様な粘着く声音...。それを耳に捉えた時、ゾワゾワとした不快さが背中を走った。この時、この場所に、この後の段取りを無視した存在が目の前に居た。面倒臭い事を作り出した者への苛立ち。そして、気持ちの悪さ。そんなものが、一気に込み上げた。学業以外で愛しい者と共に居られる状況を喜びはしたが、飽くまでも副産物。誰だって憂いの無い毎日の方が良いに決まっている。今日は、足止めの為にイヴァンまで向こうにやっていたのに、王太子夫妻を初めとしてお茶会の出席者を見送る筈の彼女が此処に居る。無意識に腰元を探る。丸腰なのが...心許ない。嫌、あっても困る。切って捨てる訳にもいかないから...。だが、この訳の分からないものを滅してしまいたい衝動。
落ち着けと心で唱えても、平常心は程遠い。
もう少し、貴族の令嬢である良識に期待していた。俺が民と触れ合うのにされていた配慮は、彼女が此処へ来て無駄になった。この広場が開放されてから、俺の名前を声に出して呼ぶ者は居ない。学園の制服で貴族だと思われても、王族だとは分からない様に...。
「モードン伯爵令嬢。ここでその様に呼ばれるのは困る」
「ですが、この前はアレックス殿下に、呼び方を注意されましたから。私きちんと気をつけましたわ」
面とむきあえば、腕を掴もうとする手が伸びてきた。嗜みは何処にいった。情けないが咄嗟に避けた。傍から見たら、情けなくも腰が引けて見えたかも知れない。情けな王子だ。
俺が剣も持たず、護衛も従えて居ないのに、殿下と呼び掛ける事が出来る馬鹿を、どうしようかと言葉を無くす。
「こちらの品はよろしいですか?」
飽くまでも平静なクルシェの声が割って入った。
焦って、不用意に近寄っては駄目だと言葉にする前に、落ち着いた声音のクルシェに、俺の頭は冷えて素早く周りを見回した。王族だと、聞き咎めた者が居たか居ないか? 直ぐ側には居ないみたいだが、如何せん彼女の声は大きい。やり取りを印象付ける様に。
「貴女には、用はないわ」
「ならば、こちらを」
俺の前に入り込んで、クルシェが彼女の体の向きを代える。
そして、何かを囁く。囁かれたモードン伯爵令嬢は、憎々しというくらい険しい目をクルシェに向ける。それを見て、好意を持つ者なんているのかと言いたくなる様な目。
「間もなく、王太子殿下夫妻がいらっしゃいます。邪魔にならぬ様に、あちらに参りましょう?」
「王太子様が来るなら、アレックス殿下とご一緒にお待ちするわ。私。王太子様と王太子妃様のお二人に親しい言葉を掛けて頂きましたの」
そうクルシェが言えば、さも当然にと答えた。
言動がおかしい者と、俺は一緒にいたくない。騎士は動かしたくない以上、俺が動かないと駄目なのか? 鳥肌の立つ腕に力を入れた時、イヴァンがモードン伯爵令嬢の後ろに立った。
「予定の行動というのがあると、お分かりですか?」
そのまま両腕を持つ。そして何故だかナタリア嬢が開きかけた口をハンカチで塞いだ。息を合わせたそれは、王太子妃が広場へ姿を見せたと同時に成された。
助かった。情けないけど、助かった。
「お休みになった方がよろしいですよ」
イヴァンとナタリア嬢の気遣う言葉と共に、モードン伯爵令嬢は二人に連れられてこの場を去った。
その先には、怒りで体を震わせていた父親のモードン伯爵が居たと聞いたのは後。王太子妃だけで現れた理由は、モードン伯爵親子三人と副学長二人を前にして、王太子が叱責を飛ばしたと聞いたのも後だった。
此方に近付く王太子妃に歓迎の礼をとる為に、それぞれが膝や腰を折る。クルシェからは、小さな呟きが聞こえた。それは無理も無い。王太子妃と並んでエドガーと、何時もと違うし居るわけの無い弟の姿があったから。出て来る予定では無かったのだろうけど、席を外した王太子の代わりに余儀なくなんだろう。
クルシェは、悪びれない顔の弟に物言いたいのを飲み込んで、王太子妃と話す。評議会委員のマーカスとメリル嬢を交えて、質問をされればにこやかに。
食器を返しに来た子供に、頬笑みを浮かべ飴玉を渡す王太子妃の姿の印象は、良いものとして受け入れられた様子で、急場ながらの目的の一つが達成出来た手応えを感じた。
王太子妃の一団と、俺とクルシェは広場から去る。
一応自衛の為だが、俺の平静がほど遠いところにあったから。
王宮に入った時点で、大きく息を吐いた。
「アレク様?」
心配するクルシェの声と、皆の視線。
「大丈夫。あんな風に付き纏われるのは初めてで、上手く去なす事も出来なかったので、助かりました」
思い出せば鳥肌立つと、王太子妃である義姉上に袖をまくって見せた。それを見て眉を寄せた義姉上は、労いの言葉を置いてエドガーとクロイスを連れて奥へと戻って行った。
クロイス...。いい笑顔で手を振るのはやめよう。クルシェが知りたくて追い掛けそうだ。
ここからなら、俺の部屋へ行くほうがいい。広場に戻るのは、アレに再び会いそうで躊躇う。昼休憩の筈だったから許されるだろう。
手を繋いで歩く中、クルシェがモードン伯爵令嬢に言った事を聞いてみた。口に手を当ててうつむかれたら、それも、照れたり恥ずかしがったりじゃ無い。困った感じじゃ、兎に角聞きたいだろう。
「何て、言った?」
「それは、何でもいいのではありませんか?」
「教えられないの?」
足取りが重くなった。手を引かなければ立ち止まりそう。俺はすぐにでも聞き出したくて、クルシェの背を壁に向けて、両手で囲った。
「得体の知れない彼女が、何をするか分からないだろ? 思い出せば、今すぐ鳥肌が立つくらいだから、心配なんだ」
見上げて俺を見る目が揺れる。そんなに言いづらい事を言ったのか? 心配なんだと強くクルシェの名を呼ぶ。
「...な、人に、近寄らないでと...。私の、大切な人に、近寄らないで...と、言いました」
「それって、俺だよな」
「はい。アレク様です。近寄られるの、話し掛けるの、嫌だったのです」
消え入りそうに言われれば、理性ぶっ飛びそうだった。耳も項も染まったのが目に入る。行こうとしていたのだって俺の部屋。さっさと抱き締めて閉じ込めたい。
「何を考えてるか分からない相手の前に出るのは駄目だ」
「でも、私は嫌だったのです」
「次は、上手く躱すから。それじゃ駄目だな。もう、次は無い。約束」
壁から手を離して、クルシェと再び手を繋いだ。
ここは、王宮内の、人気もある廊下。理性総動員。そして、不自然にならない程度の速さでクルシェと並んで歩った。
自室という密室でも、暴走だけは...気を付けよう。
俺の部屋。奥には行かない。手前の居間に、並んで座る。
俺も、ある程度落ち着いたが、クルシェも落ち着きを取り戻していた。
「アレク様? 先程のクロイスの姿ですが、どうしてか、知ってらっしゃいますか?」
凄く真面目な目で、誤魔化しは、許されそうも無い。
「あれは...。エドガーと、何か、な?」
「どうして疑問形ですの? それに、何故、王太子妃様と御一緒でしたの?」
「学園での足止めの協力を、二人が買って出てくれたんだが、俺も、最初はどうやってだか知ら...」
誤魔化しの言葉が出かかったが、止めた。
「ごめん。クルシェ」
「アレク様?」
「学園で近寄られるのが嫌だと言ったら、人見知りの令嬢に人馴れさせる場を頼んだらどうかってなって、ドレスを着たクロイスが、任せろって言うから任せた。曖昧にしてエドガーを付けておけば、王女のサリアかと思われるだろ? 母上にも協力して貰って、学園に来て貰ってた」
「まぁ...」
それっきり、口を閉ざしたクルシェ。
「クロイスとエドガーが仲良くしてるのを見ても、二人にとっていい傾向なんじゃと思ってそのままだった。本当にごめん」
無言の時間に、クルシェを抱き締めようかとおもうが、両手を持たれていてそれも出来ない。ぎゅっとされている訳じゃないから、いくらでも、俺の手は自由になるのだが、今は止めておく。
ちょっと怒ったり拗ねたりの段階じゃ無いクルシェ。唇は、尖る事無く引き結ばれてる。何故、黙っていたのかと語る視線が痛い。
何度も「ごめん」と謝る俺。
「アレク様」
「うん。あ、はい!」
「今度そういう事がありましたら、直ぐに教えて下さいますか?」
「ああ。教える」
「本当にですか?」
じっと見詰められて、簡単に約束の言葉が出る。
嘘でも何でも、誤魔化せなかった時点で俺に他の選択肢は無い。
「黙ってて、ごめん。クロイスやエドガーに頼ってでも、まとわりつかれるのをどうにかしたかったんだ。気に入らないからと言って、殴り飛ばす訳にもいかないだろ? 絡まれて、クルシェが嫌な思いをするのを見過ごせなかったし」
「...分かりましたわ」
「クルシェ」
「クロイスの事とアレク様の事は別ですもの。アレク様が、隠し事なさらないなら、それでいいです」
そうして、ようやくクルシェの小さい手の拘束が解かれた。
俺の事は俺の事と...お許しが出たの、だろう。
そして俺達は、広場に戻って昼食を取る事に。
コミュニケーションは控え目。静かな眼差しで促された反省は切ない。
クルシェは、ナタリア嬢を初めとした数人に囲まれての昼食だ。花が咲いた様に笑い合うのを遠目で、俺は肉の挟まったサンドイッチを咀嚼した。
腰の引けた、情けな王子に成り下がりそうなアレックス殿下です。こう...迫り来る者への耐性が無いを書きたかったのですが、私が迷走中になってしまいました。申し訳ありません。
今話もお読み頂きありがとうございました。




