女公爵クルシェ嬢 出会いは良いものとは限らない
食堂の横を通り過ぎ、普段立ち入らない奥へと進み、ナタリア様が足を止めた。
扉をコンコンと叩いただけで、すっと開けていた。
「メリル様! クルシェ様を連れてきてあげたよーっ!」
ナタリア様の言葉に、「まぁ!」と、メリル様の弾んだ声が聞こえた。
ほらほらとナタリア様に促されて、遠慮がちの一歩を踏み入れる。
教室と同じ様に机と椅子の並ぶ場所で、奥でペンを持つメリル様、別の机にアレク様達が座っていた。
私に気付いたアレク様は立ち上がると、あっという間に目の前だった。
「ここに来るなんて、何かあったのか?」
心配そうに声を掛けられて、言葉が直ぐに出ない。見上げれば覗き込む視線とぶつかる。
「アレックス殿下? 先ず座らせて。それに、あんまり近寄ったら、クルシェ様がビックリですよ?」
ナタリア様が少し先を歩き出している。
「何かって、昼の薬草学の時の呼び出しを受けてました。それを話しておいた方がいいかなと思いまして。メリル様? 呼び出しの内容って、書きだした方がいい?」
「アレックス殿下から授業の妨害を聞いたけど、呼び出しって、何がありましたの?」
「殿下が教室を出た後、困惑する伯爵令嬢に、身分をひけらかして無視をした? 身分問わずで学ぶ学園生にあるまじき態度? そんな事かな? クルシェ様が説明してくれる? 私が書きだすから」
話すのではなくて会いに来たつもりだったので、説明と言われても正直戸惑う。
ナタリア様は行動が早い。既に紙とペンを受け取っていた。
私の話しが聞き取りやすい様にか、アレク様が先程まで座っていた椅子へと促される。イヴァン様がお隣で、向かい側には高等科の方でしょう。三人座っています。
「中等科一年のクルシェ・ジス・レイナードと申します」
明らかに高等科の生徒だと思い、自己紹介は忘れません。
「初めまして。一応会長のマーカス・ケンネル」
どうぞ座ってとマーカス様の手が動く。
私を座らせてから、アレク様は隣りの椅子を私の方に向けてから座った。問題の薬草学の教室でいきあってお隣に並んで座ったけれど、体を向けてまでして見られていると思うと、何だか落ち着かない感じ。ふよふよと視線が定まらずに動いてしまいます。挙動不審に思われないかと気になります。以前の学園生活では、会いした事も無かったので、変に対応に困ります。学園での接し方が、いまいち分からないのです。
「殿下が、教室を出た後の話しから頼めるかな?」
マーカス様の一言で、さっそくと視線が集まる。
「私から彼女を紹介するぐらい出来ないのかと言われました。気が利かないそうですの。ですが、知らずに中等科へ行ってしたった時に、私、相手にもされませんでした。最低限の礼儀の欠片すらお持ちで無い方とのお付き合いは出来ません。ですから、見た事はあっても、知らない方ですのでご紹介と言われましても…正直困りました」
学園生的な感覚でしたから、知らずに中等科の教室に入り込んだ時、私は名乗りました。貴族的では無く学園生としてです。それを睨み付け、無視したのは彼女です。彼女の主張する貴族的であるなら、どちらが後先でなく、きちんと名乗っておかなければならなかった。それを踏まえて、ヴィニカ様も紹介しなかったというのは、紹介に値しないと評価した事だったのだと思う。だから、彼女を呼ぶ名を知らない。私には知らない人間だ。
「ナタリア様が注意をなさったら、ナタリア様の名前を聞いて、貴族で無いなら、話し掛けるなとおっしゃいましたの。ですから、貴女の事は知りません。名前を呼ばれるのは不愉快だと言って教室を出ましたの」
「そう! 教室を出てまでして呼び止めようとしてたけど、知らんぷり!」
「廊下で、大声を出すなんて考えられませんでしたわ!」
ペンを持ちながらのナタリア様の声に、私も釣られてぷんっとしてしまいました。あの態度、思い出すと本当にぷんっとします。
「ははっ」
声がして振り返れば、アレク様は、口を抑え笑いをこらえていた。
「アレク様?」
「クルシェ様を笑うなんて殿下も失礼ね。だけど、会長達も失礼よ!」
ナタリア様の言葉で前を見たら、目を逸らされた。可笑しいですか? 何が可笑しかったのですか? 笑われるとシュンとしてしてしまいます。
「ぷんっとしたクルシェ様って可愛いでしょ? 私、あの女にはムカついたけど、ナタリアお姉様って言われたのは得した気分よ!」
「え? 私も言われたいですわっ!」
「駄目ェ!」
得意そうなナタリア様ですが、泣きそうなメリル様の視線が痛いです。
すっとたちあがったメリル様でしたが、マーカス様がそれは後にと止めて下さった。あの時はそんな気持ちだったのです。すんなりと口から出ていただけ。ですが、今、期待したメリル様に言うのは無理な感じです。恥ずかしさも手伝ってごめんなさいと思えば、膝の上の両手につい力が入た。
「それで、続けてもらえるかな?」
「はい。それでクラート副学園長に呼び出されました。ナタリア様が言った通りです。学園に招いている彼女を立てなかったのが悪いみたいな感じでした。学園生としての態度がなってないそうです。ナタリア様と私は、高位貴族を傘に着て彼女を嘲笑った、とかです。学園生としても貴族としても、私、間違って無いと思います。なのに、授業の妨害から話しても聞く耳は持って頂けませんでした。クラート副学園長には、謹慎や退学もあると言われました」
「やっぱり授業の妨害は無い事になってるな」
目の前のマーカス様がため息を付きながらです。
そうです。彼女の行動が無いものとして話しが進むのです。場合が教育棟の講義教室の出来事に、学園生でもない彼女達が入り込んでいた事の説明も謝罪も無しで、彼女の言い分だけが並べられていく。
「あの、薬草学の先生は何と仰っているのでしょうか?」
「それこそ、クラート副学園長に噛み付いたらしいね。私塾の彼女達を学園に招き入れたのは、彼だから」
「早々に教室を出たのは間違いだったか?」
アレク様が顎に手を当て、長い指で顬の辺りをトントンしている。その時を思い出している様子。
「さっさと出て正解だったんじゃないかな? そもそも、殿下が薬草学に出るのって急遽なのに、教室まで乗り込むって恐っ! 名指しで近付こうとするなんて、凄い食い付きだし」
私越しにイヴァン様がアレク様へと言いました。確かにアレク様しか眼中に無い様でした。思い出してみれば、言葉通り恐いです。
何とも言えない視線がアレク様に集まります。その中の視線の一つは、間違え無く私です。
「そもそも講師でなく私塾の娘というのが問題なんだが…。学園のメリットって何だ? モードン家自体の目的は、娘と同じでアレックス殿下なのか?」
「何で俺になる?」
「そんなの、今日の出来事でハッキリしたじゃないか」
「私の婚約者の話しからも、殿下の役に立ったのが自分だったのなら、殿下の隣に立つのは自分だった。間違いを正して、隣へみたいな事を言っているとか…」
役に立ったの立たないのって何だ? アレク様が今困っている訳でも無いのに、何の役に立つつもりだ? あ、彼女のせいで授業は潰れるしで困っているかも…。
兎に角、役に立つ気があるなら、邪魔をしなければいいだけの話しでは無いのだろうか?
そして婚約者の話しでと言った彼に、ヴィニカ様が思い浮かんだ。もしかしてと見れば、肯定する様に頷かれた。ヴィニカ様の婚約者、モリス公爵家のトビィアス様だと分かった。
「クラート副学園長は、モードン家の外戚だったか? どんな思惑だったとしても無謀だろう。教育者としても、それで通ると思ってるのか?」
「クラート副学園長自身、予想していなかった状況なのでは無いのでしょうか?」
一度口を閉じたら、私を置き去りにしてお話しが進んで行きます。
もう私はいらなくないですか? 私は失礼しても大丈夫でしょうか? 何となく身の置き所が無くてそわそわとする。
キョロキョロしたつもりは無いのですが、ティーワゴンを押すメリル様と
目が合いました。何時の間にメリル様は席を立たれていたのでしょうか?
「クルシェ?」
お手伝いをと立ち上がると、アレク様に手を捕まれていた。
お話しに夢中かと思ってましたが…。私の方を向いていたので、反応が早かったのですね? 逃げそびれたというか、席を離れるタイミングを逃した気がします。
「あの、お手伝いを…」
「あぁ。お茶のか…」
私の視線の先を見て、アレク様。
手を引こうとしたら、きゅっと力が入りましたので、どうしたらと考えます。見下ろしたアレク様の目は困っている様ですが、困っているのは私ですよ?
「直ぐ戻るのか?」
メリル様に会いに来たのですが、このまま帰る事は無いと思うので、首を横に振った。
渋々と曲げられた指が開いて、私の手が自由になります。
「殿下! 親しさの距離を間違えてはいけませんのよ?」
直ぐそこに来ていたメリル様が、困った人を見る様にアレク様を見ている。ため息から始まったメリル様の言葉に同意します。言葉で引き止めるよりも前に、手を掴むなんて、人前でされた私の方が困ってしまうのです。
「クルシェ様。お願い!」
メリル様は、既に茶器へとお茶を注いでいます。しっかりした取っ手のついたマグカップを五つ。不思議な気持ちで見てしまいます。アレク様とマグカップがそぐわない気がします。優雅に注ぐメリル様にもです。
「ソーサーがあるとね、割られそうで恐いのよ」
私の戸惑いを感じたのか、メリル様がマーカス様を見ながら言う。
それを聞きながらアレク様達の前に運びます。
それなりに、コレを使う意味があるのですね?
五つのマグカップを運んで戻ると、三つのティーカップに琥珀色が揺れていました。メリル様と一緒に、ナタリア様の前へと運びます。お菓子の乗った小皿と共に。
「お話し、続けてください」
私の分も用意して下さったメリル様。そのお隣に座ります。助け出された気分。思わずほっとした私を目で追っていたアレク様ですが、メリル様の言葉にガックリとしたようです。
お菓子ですか? こればっかりは、メリル様のご用意したものですので、アレク様の前に置くことは出来ませんよ?
囲まれた様な場所から解放されて、本当にほっとしました。
メリル様に「いただきます」を言ってカップを手にした。
歩って来てからおしゃべりをしたので、喉が乾いていたみたいです。一口が染み渡るようです。
皆様も喉の乾きを感じていたのか口元に運ばれますが、メリル様の言う割られそうで恐いの意味が分かりました。マーカス様のカップを置く勢いが、ドンっといった様子です。ソーサーに戻すのであれば、ガチャガチャと音をたててでしょうか? 繊細な作りのティーカップでは、カップかソーサーのどちらかが欠けてしまいそうです。
「特会だと、高等科全員が集まる事があるでしょ? 議論が白熱すると、つい力が入ってしまうからってマグカップらしいのよ。音がたつのも気が散るという事も、あるのかしら?」
メリル様が小声で説明して下さいました。
なるほどと、ついマグカップの行方を目で追ってしまいます。
マグカップを使った事が無い訳ではありません。寝付けない時のホットミルクとか、熱を出した時の蜂蜜湯とか、両手で包むように持つと全身に温かさが広がる感じが好きです。
運ぶ時に思いましたが、私には大きい物です。それをアレク様は、取っ手ではなく縁の方を持って口元へと運んでいた。背もたれに肘を掛けて姿勢を崩した姿は初めて見るもので、足を組んだ姿をだらしないとは思わないけど、王子なのに王子っぽく無いと、新鮮な気持ちで見てしまいます。優雅さを取り繕わないだけでなく、何処と無く子供っぽい。
「学期開始時点で、学園の試みとして殿下に協力して貰えないかって言ってきてたが、それって、クラート副学園長の申し出だろうな」
「俺は、協力なんて嫌だぞ」
「だと思って返事をしていなかっただろう? 学園に遅れて来たのも良かったんじゃないか?」
不機嫌なアレク様がマーカス様を睨み付けるのを、何とも言えない気持ちで眺めます。
遅れる事が無かったら、どの様な協力を願っていたのでしょうか? この二週で彼女達がしたのは、あちらこちらに顔を出すだけです。ホストとして学園の案内でしょうか? 講義への取り掛かりが無いのだから、それくらいしか思い浮かびません。
「具体的に言われてないんだろ?」
「具体的じゃ無くても、有意義だと思えばこちらが殿下に頼むよ」
マーカス様の言葉に、知らず相槌を打っている自分がいる。
受け入れとして評議会が動く事を躊躇。そして学園生である殿下にお願いする事は無いと判断する程理由付けが曖昧だったのだろう。
「殿下と親しくなりたいのなら、学園より王宮の方が手っ取り早い気がするんだけど? 何で学園なのかな?」
手を止めて、お菓子を口に運んだナタリア様。もぐもぐとしながら、首を傾げます。
「そうね? 確かに二ヶ月の不在とシーズンが重なってしまっていてけど、王宮茶会だってあるのだから、王妃様に気に入られてとか、方法が無い訳では…」
「有り得ない」
言葉を濁したメリル様に、アレク様が否定しました。
キョトンとしたメリル様でしたが、軽やかに笑いだしました。
「ふふふ。私が言っているのは方法ですわ。あの様な方を気に入る様な王妃様でしたら、国が終わると嘆きますわ!」
「学園の方が直接殿下だから、目に止まる自信でもあったのかな?」
「でも今の状況だと、モードン家のリスクの方が大きいだろ」
そう。どんな推測をしても、行き着くのは、モードン伯爵家とクラート副学園長が行動を起こした意味が分からない。個人で編入してきたなら、まだ簡単。学び途中の生徒を巻き込んだ理由は何でしょう。憶測も空回りのものになってしまっているのは、仕方の無い事かもしれません。
「理由なんて、他人である私達には思い付かないか、つまらない事だったりしますわ」
メリル様にアレク様達の意識が向きます。
「例えば、物語の様なロマン?」
「あ~、運命的な出会い? あはっ、アレがヒロイン? 冗談は駄目だよメリル様!」
お二人のテンションに、マーカス様の呆れた視線が刺さる気がします。メリル様もナタリア様も、気になさる様子はありません。
「真面目な話しをしているのだが…」
「あら? 真面目でしてよ」
言いたい事は言ってしまうとばかりに、手にしていたカップを静かに下ろしたメリル様。含みのあるお顔が私に向けられます。
「ダンス会で運命的に出会い。危機とまでは言いませんけど、事態の収拾に協力。それに報いる為に舞踏会での殿下の独占。そして、婚約報告の為にルーキンスへの往復旅」
「メ、メリル様? それには理由があったとお話しをしてあったじゃありませんか…」
思わず遮れば、みなまで言うなとメリル様に止められました。
「ええ、存じておりますわ。ですが見聞きしただけの者には、憧れるお話しの体現ではないのかしら? それを上回る程の出会いなんて無いでしょうけど、そこへ割り込もうとしたら、自分を見初めてもらうのが一番だと思われませんか?」
見初めてなんて有りそうも無い事の為に? 言えるなら言わせて貰いたい。出会いの場を取り繕ったとしても、それ程憧れる話しにはならないと思う。まして、ただ知って貰えば済むみたいな雑な出会いが心に何かを残す筈は無い。そんな事で、心を移す様な人では無い。そう思ってアレク様を見た。
「ねぇ? 何でクルシェ様、他人事みたいな顔をしてるの?」
「本当ですわ。ご自分の影響を考えていらっしゃらないわ」
ナタリア様とメリル様からは呆れた声が。
「メリル嬢とナタリア嬢は、もっと有意義な意見を出してくれないか?」
ついた肘の掌で顔を隠すように俯いてしまったアレク様は、言葉だけでなく体の力が抜けてしまった様。
「失礼ですわ。トビィアス様だっておっしゃったし、出会いさえすればのお膳立てを、学園関係者がしようとしているのですよ? さっきからご自分達だってそう言ってるではないですか? 本人はそのつもりで学園に来たのは絶対ですわ」
私もそうだ思う。だけど、あんな事で人の心が動くと思っているのなら、とても愚かだ。自分の気持ちを押し付けて優先させようとする不快さが心に広がる。人の言葉を聞こうともしない事がとても不愉快だ。王子との出会い? 周りの迷惑を考えないで? この夏に知った事を思い出せば、物語の様な出会いなんて、思い込みの産物だ。馬鹿みたいに自分勝手で醜悪なもの。
本人の言葉を聴いたわけでも無いのに、そうだと思うと嫌悪が募る。急に足元から体が冷えていく感じがした。
「…それが幸せとは限らないのに。馬鹿、みたいです」
滑稽と思える彼女を思い出し、呟いていた。
彼女は、家の力を使ってでも、アレク様に近付きたいのだろうか?
「クルシェ様?」
側に居る筈のメリル様の声がぼやけた。
横に大きな影が立つ。見上げればアレク様。
私の言いたい事、分かって貰えるだろうか?
「アレク様? 一方的な思いの押しつけは、不幸を呼びます」
「そうだな」
「物語りの本当の中身は残酷です」
「その通りだ」
見上げたアレク様の顔をが歪む。何故苦しそうな顔をなさるの?
色々なものが遠くなっていくような感じが強くなって、アレク様の顔に向かって手を伸ばす。そんな顔をなさらないでと、言葉に出来ただろうか?
強い力が体を包む。一瞬の苦しさの後、私はアレク様の腕の中にいた。
今話もお読み頂きありがとごさいます。




