女公爵クルシェ嬢 水の流れの如く
急に夏らしく暑くなりました。なので、つい…。
ご令嬢は、素足をさらすのか?
突っ込みどころはありますが…よろしくお願いします。
銀色に光る物が水滴を纏い、ぬっと、目の前に…。「にょわっ?」と変な声が出てしまったが、その銀色を掴む手の先、クロイスを見た。
眩しい日差しの下、クロイスは、悪戯を成功させたと万遍な笑みを浮かべている。
くすくすと目を細めて笑うのも束の間、クロイスの手に握られたそれは、身を捩り逃れようと暴れた。今度はクロイスが、声を上げてあたふたとする。
取り敢えず、獲物を見せて満足したのか、クロイスはヨシュの抱える桶の中へとそれを放した。
「今のが、僕が捕まえた中で、一番大きい魚です!」
そう言って胸をはる。今度は自慢気な顔だ。
シャツもズボンも、それこそ頭からびしょ濡れなのに、可愛いくらいに得意になっている姿に私は笑った。マーナの広げたタオルから、目だけをこちらに向けて、私の言葉を待っている。何て言ったらクロイスは喜ぶかしら?
クロイスが捕まえたと言った通り、クロイスは水路に放してある魚を掴み取りしてきたのだ。相手は水中を生きる物だから、追うのに夢中になり過ぎたクロイスは、髪からも水が滴る濡れ鼠になっていた。
「すごいわ! 大きいわね。私が食べたら、それだけでお腹いっぱいよ」
「僕は食べれますよ! だからこれは僕が食べます」
「私の分は?」
「姉上のは、こっち。二番目のやつ。他も食べるから、もう少し小さいのでもいいけど、これを食べて下さい!」
クロイスの二番目と言った魚を桶の中で確認してから、ありがとうと言った。桶の中、銀の鱗と光る波紋が眩しい。
お互いの顔を見て笑い合っていると、アレックス殿下がクロイスを呼んだ。
クロイスの様に、濡れ鼠では無いものの、シャツの袖口やズボンの裾を捲りあげている。近寄って桶を覗き込むと、引き分けだとクロイスに言った。何が引き分けなのかしら?
「コリニアス殿が魚をさばくと言ってるが、それはどうするんだ?」
「もちろん自分でやります! ですが、引き分けですか? 比べもしないのに?」
「不満なら、並べてみればいい。尾の先が少しでも長かったら、クロイスの勝ちでいいぞ」
「その自信はどこからですか? 過信すると痛い目を見ますよ?」
「まぁ、純粋に大きさ勝負だからな。イヴァンがコリニアス殿と居るから、比べてみればいい」
アレックス殿下の言葉に、クロイスは頷いて桶のフチを持ち、私には、楽しみにしていて下さいと言って、ヨシュを引っ張る様に歩いて行った。
私と同じ様にクロイスを見送る殿下。
クロイスがイヴァン様に話し掛けた所で、見上げた私と目が合った。
「クルシェは、何をしてるんだ?」
興味深く見られて、ちょっと恥ずかしくなった。
何をというか、石を積んでいただけなのだが、改めて何をと聞かれると、直ぐには答えられない。
「特に、なにも」
「何も無くは思えないぞ?」
そう。私の前には、意識的に積み上げた石の壁が出来ていた。
何を考えているんだと言われないかと、ドキドキした。
「何の為に石を積むんだ? 考えてる事があるんだろ?」
隣に腰を下ろしてしまった殿下は、聞くまで動かない気がした。
「領地で…」
「うん。領地で?」
「貯水池と水路をと思っているのですが、私や子供が積んだ石でも大丈夫かしらと…」
笑われるかと思ったけど、そんな事は無かった。
どんな風にとか流れる水の量とか、色々聞かれ、それに答えた。
氷を作る為の貯水池。加工された、もしくは加工に適した物をと思うと、領地外であったり、それなりの職人をとなる。もちろんそれでいいのだけど、領民に還元できる様にしたいのだ。それを伝えると殿下は、流れが強いなら、それなりの重さが必要になるなと、大き目の石を持ち上げた。私なら両手でのそれを軽々と。何度か繋いだ事のあるその手に釘付けになる。口元に手を当てて思案する殿下。肘まで捲った袖から見える手は、お父様や兄様とは違うけど、長い指で綺麗だと思った。
指から肘。肘から肩。視線を上げていけば、殿下の整った横顔がある。私の黒みがかった銀の髪ではなく、もっと明るい…輝く銀の色。碧玉の様に綺麗な青。
その横顔を見ていたら、ここにキスするの? と、唐突に思った。
えっ? 何を考えてるの私。でも、殿下が言ったじゃない? あれって、冗談…だったのよね? だって、あれから何も言わないもの…。でも、好きだと言ったし、信じてとも言ったわ。前にも、好きって言われたけど…。
ぎゅうっと胸が苦しくなった。
とても、とっても殿下にはお世話になったわ。感謝の言葉じゃ足りないくらい。私の中の苦しさを取り除く言葉をくれた。言葉にする事の勇気をくれた人。上手く考えられなくて、途方に暮れたら、こっちだって、手を引いてくれる…人。
私の中に熱が生まれた。殿下を、アレク様を見ると、何だか胸が苦しい。
「…クルシェ?」
横顔だったアレク様が、心配そうに私を見ていた。
「ぼんやりしてどうした? ずっと暑いところに居るから、具合でも悪くなったか?」
私は、横に首を振った。
話しも聞かないで、何を考えたんだろう…。
心に思った事を、考えない様にと視線を反らせた。
「そっか。なら、折角だから見てみよう」
すっと立ち上がって、私へと手を差し出した。
考えていた事に動揺して動かない私の両手を、腰を屈めたアレク様に掴まれた。
「切り出した石だから男手や職人だろうけど、水嵩や流れの強さとかが分かっていた方が、考えやすいだろ?」
ほらと、柔らかい力で腕が引かれると、私は、引き寄せられる様に立ち上がっていた。
ほんの数メートルを歩けば、水の流れる岸に立つ。
「ほら、折角だから」
さっきから、折角だからと言うアレク様。何が折角なのだろうと思えば、アレク様は膝を付き、私の足首を固定した靴のリボンを解いていた。
「ぁ、あの、殿下?」
「何?」
「何をなさっているのですか?」
「ふらつくと危ないから、肩に掴まって。ほら、足を上げて。そう、反対も」
アレク様の言葉に従ったら、靴を脱がされていた。
「殿下?」
「うん? ほら、手。大きい石の上に足を。そう。ちゃんと下を見て」
靴を脱いで三歩。四歩目で足が水に触れた。
「っ、めたいっ!」
「けど、気持ちがいいだろう?」
アレク様の笑いを含んだ声。
北方領。山の岩場に建つキシュワ砦。レイナードの領地と同じで、山からの水は冷たい。手では水に触れた事はあるけど、足をさらすのは初めてだった。
水の流れと共に吹く風は、とても心地良い。
「ここはこんなもんだが、あっちは、今膝丈くらいだな」
下流に当たる場所を指す。さっきまで、クロイスや殿下が魚を追っていた辺りを。
放流された魚を取りやすい様に、上で、流れ込む水を調整しているのだ。だから、ここは、足首程だ。
「水流も、こんなものなら大丈夫か?」
手を引かれて深くなる手前まで歩く。
大丈夫ですか? 本当に?
片足になる度にふらつくのは、思ったよりも強い力が当たるから。
どうしてかしら? クロイスだって平気そうだったのに…。
「どうしたの?」
「ふらふらします。クロイスだって平気そうだったのに…」
「濡れるのかまわなければ、クルシェだって平気だろ?」
そう言って私の周りをゆっくりと回る。
アレク様が私の前に立った時、流れが変わった。色の無い水なのに、確かにそこにある。見えないけど…そこにある…。
「ふふっ…。弱い流れと強い流れが出来てます」
「楽しい?」
「はい。ですが、足がチリチリとします」
「痛む?」
覗き込む様に屈んだ殿下に、いいえと言ったのだが、膝裏を抱えて抱き上げられた。
「ふぁ? あ、アレク様?」
「冷えて赤くなってる。戻るから、大人しくしてくれ」
言われて、逸らしかけた体を止めた。
「うん。足場が不安定だからね」
お父様にする様に、アレク様の首に手を回した。
私を抱えたまま、転んでしまっては大変だ。
高くなった私の顔を、アレク様が見上げた。少し驚いた顔だけど、何かあったのかしら? 見詰めていたら、ニッコリと笑った。ドキッとして、肩へと顔を伏せた。
アレク様の笑い声が、耳元でする。
「しがみつかなくても、落とさないし転ばなぞ」
自分で体を寄せたのに、ドキドキとして離れたい。離れたいと思ったのに、首に回した腕に力が入る。
水から出て、元の座っていた所に来て、「下ろすよ」と声がしたけど、嫌だと思った。言葉に出来なかったけど、嫌だと思ったのだ。
それは…何でだろう?
分からないまま足は地につき、アレク様が離れていく。
「騎士の筋肉は無いけど、クルシェくらいなら軽いぞ? 不安定だから怖かったのか?」
心配そうに見詰められて、私は…兎に角頷いた。
「顔が赤い、日焼けしたからか?」
頬に手を伸ばされて、思った事を知られたくなくて、知らず体に力が入る。
「悪かった。家族でも無いのに、気安過ぎた」
そう言って、アレク様は辺りを見渡し、兄様を呼んだ。
違う! 違うんです! そういう事じゃ無くてと、出かけた言葉を飲み込んだ。じゃあ、どういう事なのだろう? 考えても、止めた言葉が出でこない。
「具合が悪い様だから、日陰の方に。どうしてもなら、部屋に連れてって休ませて」
そう兄様に言って、クロイス達の方へ行ってしまった。
あぁ、私は馬鹿だ。アレク様に、気を使わせてしまった…。
自己嫌悪…。涙が出そうだ…。
前に、クルシェの「殿下」と「アレク」呼びが、心の距離みたいな事を書きました。
今話の中でのクルシェは、途中から心の中でアレク呼びです。
クルシェの中でも進むといいかなと思ってます。
今話もお読み頂きありがとうございます。




