閑話・草原の呪い言葉(クロイス)
落ち込んだクロイスが、前向きなろうとする話しです。
姉上と並んで座るのも、いつもの様にワクワクと心が浮き立つ感じはしなかった。
夏の初め…この道程をハロルドと、姉上に会いに行く為に馬車で駆け抜けた。半月前は、姉上と共にその道を戻って来た。そのどちらの道行でも、僕の心は高揚していた。父上のしようとしている事から、姉上を守るのだと…。目的を同じくしたハロルドが、僕を一人前として扱ってくれるのも嬉しかったし、歳上のアレク達の中でいっぱしの口を利いても、受け入れて貰えているのが心地良かった。
僕の国。ルーキンスに戻ったら、従姉妹姫に、姉上が意地悪をされたりしたけど、準備万端な姉上達には、なんて事の無い出来事だったし、姉上と従姉妹姫達が仲良くなってびっくりもした。
味方が増えれば、姉上を守れる。父上が強要しても、好きでもない縁組を撥ね付ける事だって出来るのだから。
僕の考えていた事はここまで…。実際は、簡単で複雑だった。
今、僕は、簡単で複雑な理由の為に、姉上と一緒に、姉上の国に行くところ…。理由は分かっている。分かっているけど、前の僕の頑張りが意味の無いものになってしまったと思えば思う程、息をするのも苦しくなった。
姉上に寄り添うのも、アレク達に混じるのも、辛いだけのものに感じた。
僕を気遣う姉上。その姉上の心にだって、僕と同じモヤモヤとしたものがあるのを知っている。
姉上も、納得している訳では無いのだ。それを分かっているから、僕はどんどん苦しくなって、姉上に、何て話しかけたらいいか分からなくなる…。
「暑さバテしてるからといっても、馬車に籠りきでは気鬱になるだろう」
移動の小休止。木陰で馬も人も休んでいた所。コリニアス殿に捕問答無用に馬の背に乗せられてから、そう言われた。
僕にとって迷惑この上ない事を、大きな体でやってのける人。ビデディア国の王子、コリニアス殿だ。
「何時も言っていますが、声を掛けて、意思の確認をしてからにして貰えませんか?」
こうなってからでは無駄なので、馬の背から降りる事は諦める。だが、一言だけは言っておく。
「そうは言ってもなぁ」
顎をカリカリとかきながら、第二王子であるコリニアス殿は次の言葉を探している。
僕に付いてきたヨシュとマーナが、慌ててるのを、気にするなと手を振った。休憩が終わり、移動が始まる。ヨシュやマーナも、馬車に乗り込まなければならないのだから、僕を気にせずにと思ったが、ヨシュが日除けの布を持って近付いてきた。コリニアス殿が受け取って馬の背に乗った。後からコリニアス殿が、僕の頭に巻いてくれる。目の前にあえて布を垂らした巻き方は、眩しさを和らげてくれた。
何かをして貰ったら、お礼を言うものだと僕は思っているので、不本意でもありがとうと言った。
それを見ていたコリニアス殿の供人は、朗らか過ぎる笑い声をたてた。
何が可笑しいのかと聞けば、この巻き方は、女の子の巻き方だと言いながら「愛し子に良く似合う」と、からかう。
恥ずかしくなって外そうとすれば、そんな事、誰も知らないから気にするなと言う。誰も知らない? 供人が笑ってもかと食って掛かる。すると、知っているヤツも居るが殆ど知らないと言い直した。走る馬の背では危ないから後で巻き直すと言って、動き出した列の一つとなった。
「コリニアス殿の供人は、僕の名前を呼ばないのには意味があるの?」
そう。知っていても呼ばないのだ。今みたいに「愛し子」と呼ぶ。
「ああ、子供の名前を知られるのを厭うからだ」
「誰に知られたらいけないの?」
「神達にだ。神に気に入られて大人になる者。神に気に入られて神の元に呼ばれる者。偉大であるが、無慈悲と思う事を神々はなさる。子供の小さい命など、神の愛で、どちらにも転ぶ。どちらに転んでも、時は、あっという間過ぎる。だから、色々な事をと思ってつい…。済まないな」
これは、最初の問の答えだろう。
「僕は、草原の民では無いよ」
「だが、草原の民の呪い言葉を身に付けていたからな」
「呪い言葉って、呪うの?」
「そんなものじゃ無い。精霊に願う言葉だ」
精霊に願う言葉…。
コリニアス殿が言っているのは、従姉妹姫のお茶会の時に、僕が着ていた服の模様の事だろう。模様にしか見えなかった。あれの何処が言葉なのだろう?
「言葉と言っても、模様の組み合わせだな。草原の、今は使われていない言葉だから、これがこういう意味だとしか残っていないんだ」
「ふ~ん。なら、その言葉は、何を意味していたの?」
「………」
コリニアス殿に黙り込まれて、少し困る。教えられない言葉だとしたら、本当に呪い? ハロルドが用意したものを疑いたくないけど、意味を知らなければ着るのを進めても可笑しくない…。
そう考えたら、背筋がぶるっと震えた。
「悪いっ!」
悪い言葉なのかと思えば、体に力が入った。
悪い言葉を身につけたから、こんな事になったのだろうか?
鞍の前を掴んだ手に力が入る。
「意味が悪いと言うのではなくてな。そのっ、直ぐに応えなくて悪いの悪いだ!」
焦った表情のコリニアス殿が、大きな体を小さくして僕を覗き込んだ。
本当かな? ならば、紛らわしい事は止めてもらいたい。ただでさえ、今は落ち込んだ気持ちで、どうしたらいいのか分からなくて困っているのに…。
「あれは、これを着た子が迷子にならない様に。どの道を行っても帰って来るように導いてくれ、道を示してくれと願う言葉だ。その…あの時、俺は行き詰まってたんだが、あの時にあの言葉だったからな。本当に、精霊の導きだと…それを思ったら、直ぐ声にならなかった」
「コリニアス殿でも迷うの?」
「迷うよ。誰だってだろう?」
馬車に合わせての進みだからか、コリニアス殿の馬を操る腕? 一回りも他の馬より大きな馬だけど、そのせいかどのせいか、とても乗り心地が良かった。
構われたらば、いい迷惑でしか無いコリニアス殿だが、ゆっくりと話す声と、近くだからよりよく伝わる声の振動が心地良かった。
他には? と聞くうちに、僕は眠ってしまっていた。
目を開けた時の視線の先には、鴇色に染まった空があった。
夏の日は長い。それでこれなら、僕は随分目を閉じていた事になる。
それでも、変わっていく色を見ながらため息をついた。
「綺麗だな」
起きた僕に気付いて、コリニアス殿が声をかけてきた。
僕は、眠ってしまっていた恥ずかしさから、じっと黙ったままでいた。
顔は、真っ赤かもしれない。沈みゆく太陽が、僕を照らしていない事に安堵した。夜になりゆく影が、色んなものを隠してくれる。
「草原の空は、どんな時でもくっきりとした色を見せるが、この色も美しい。俺の愛し子にも見せたいくらいだ」
「俺のって、コリニアス殿の? 子供が居るの?」
興味を引かれて、話しかけた。
僕を抱えている手で、ポンポンと腹を叩かれた。それは、居るという事だろうか?
「その…。済まなかったな」
何で謝るんだろう?
「馬に乗せた時に巻いてやるんだが、何時もの様にやってしまったからな。癖で、わざとじゃ無いぞ」
ああ、女の子の巻き方の話しだ。ならば、コリニアス殿の愛し子は、女の子だ。
その後の僕達は、宿泊予定の屋敷に着くまで無言だった。
姉上の瞳の色が空を覆うのを眺める。
どうして僕は、今、姉上と共に居ないのだろう? 急に寂しさを感じた。
深い紺色の瞳で僕を見てと、強く思った。
だけどそれじゃ、姉上に迷惑をかける事になるのかな?
考えても駄目な時は、笑う事と出来る事をするのがいいと、コリニアス殿に言われた。
そうかもしれない。僕に出来る事は姉上に笑い掛ける事。姉上の笑顔を見る事だ。
先に馬から降りた僕は、馬車から出て来る姉上を待つ。
数日寝付けなかった僕は、しっかりと馬の背で眠った。妙に元気だ。
頭に巻いた布を取って広げた。ハロルドが用意した草木織りの物。これにも模様があった。コリニアス殿に広げて見せて、どんな言葉かと聞く。
コリニアス殿は穏やかな顔をして、安らぎを願った言葉だと教えてくれた。
少しスッキリ出来たのは、この言葉のおかげかな? ならば、姉上にも効くかもしれない。
ハロルドに手を取られて、馬車から降りる姉上が居た。
僕は、姉上に向かって手を振った。
大声を上げたり、馬の間を走り回る事はしないよ。それは、危ないと知っているから。
声を出さなくても、姉上は僕を直ぐに見付ける。
手を振っている僕を見た姉上は、とても綺麗な笑顔をした。
笑顔のまま僕を見て、馬や人の間を歩く姉上の方が危ない。何故なら、周りを見ていないから。人ならばいいけど、馬にぶつからないか心配になる。姉上は、時々そういう時がある。そういう時の視線の先に居るのは、僕達家族だ。
ハロルドが、姉上を抱え上げている。
ハロルドも、危ないと判断したのだろうな…。
先ず、姉上と話そう。
したい事、出来る事。その為には、どうしたらいいかハロルドにも考えて貰おう。シルフストの王都に着けば、頼りになる姉上の兄弟が居る。姉上を守ってきた人達だから…どうしたらいいのか分からない僕の力になってくれるだろう。
随分と前向きになった僕が居た。
今話も、お読み頂きありがとうございました。




